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日本の婚姻史に学ぶ共同体のカタチ~祭りにみる日本人の最大期待とは?~

前回のテーマは、「夜這い婚を支える学びと導き」でした。
夜這い婚のあった戦前まで、性の充足を得ることは、集団の充足課題でした。そして若衆宿・娘宿・筆下ろしといった慣習の中に、夜這い婚を支える学びと導きの基盤があったことを展開しました。
今回は、性と集団課題の結び付きが強かった「祭り」にスポットをあててみたいと思います。
さて皆さん、ここで質問です。
 Q.貴女は、祭りの本当の充足を知っていますか? 
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祭りの充足と言えば、現代では踊りや歌を通じて、みんなと一体になれる充足をあげる人も多いでしょう。
あるいは、男であれば女の浴衣姿やうなじに、普段とは違う女らしさに充たされたり、女であれば、神輿や山車を担ぐ男の力強い姿にうっとりする方もいらっしゃると思います。
では、昔はどうだったのか?祭りの代表である「盆踊り」を例に、追求してみたいと思います。
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◆盆踊りの起源(参考:下川耿史著『盆踊り 乱交の民俗学』)
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この念仏信仰に、さらに‘踊り’の要素を取り入れたのが一遍上人です。一遍は、念仏を唱える際、激しく体を震わせることによって宗教的エクスタシー(トランス状態)に達することを意図します。この踊りを伴った「踊り念仏」は、一気に大衆に浸透していきます。
このように、仏教の教えを広め大衆化されるに従い「救済の哲学」から「歌や踊りの充足」が第一価値となり、踊り念仏から念仏踊りと変わっていきます。
大陸から入った仏教の観念は、日本では歌や踊りの充足へと変わっていったのです。☆このような変化は何故起きたのか、日本人の期待内容を歴史を遡ってみていきたいと思います。
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◆祭りとは何か?(みんな期待の変遷)
本ブログの「人類婚姻史を構造化する」より

始原人類(極限時代)は、凄まじい自然外圧に対して男の闘争能力は無に等しく、集団の期待は、自然外圧を対象化しようとする精霊信仰に収束していきます。そして、極限時代の最大の活力源である共認充足、とりわけ性充足をいかにみんなで共有できるかがみんなの期待であり、その期待に応える集団の婚姻様式は、チャネリングセックスを土台とした全員婚(共時婚)であったと考えられます。

この性充足をいかにみんなで共有できるか!という最大期待は、日本ではその後、縄文時代や古代日本においても受け継がれていったと考えられます。
前述の著者によれば、古代より日本では歌垣、雑魚寝、夜這い婚といった風習の中に、性を集団全体で共有する風習があったと述べています。(注)歌垣とは、中国南部や東南アジアにも見られ、若い男女が集まって歌を交換し合う風習で、相手と気が合えば、その場で性的な関係を結ぶ風習です。
このように、踊りや歌を通してみんなと一体となる共認充足の延長で、性の充足もみんなと共有するという文化が、日本では古代から脈々と受け継がれていきます。その結果、大陸から入った仏教も、踊り念仏→念仏踊りの延長で、性もみんなと共有するという方向に転換していきます。このみんなの最大期待が、日本の盆踊りの原型を作っていきます。
江戸時代になると、盆踊りは一気に日本全国に広がり、盆踊りの後にはみんなで性も共有するという風習が各地で祭りの様式となります。
この盆踊りは、明治時代になると、西洋化を国是とする中で風紀を乱す「乱交」であるされ、「盆踊り禁止令」が次々と発令されます。しかし、みんなの最大期待である祭り(共認充足・性充足)は弾圧することが出来ず、戦後もその片鱗は各地に残ります。
◆まとめ
冒頭の問い、「祭りの本当の充足」とは、みんなの最大期待=性の充足であったことが、祭りの歴史の中から見出すことが出来ます。
以上からみてきたように、古代から続く普遍的な期待は、みんなの共認充足=性充足であったといえます。その期待が最大期待であるが故に、救い期待に応える哲学として生まれた仏教も、日本に入ると共認充足・性充足を得るためのものに変容させてしまうところに日本の本質があります。それは、現代でも社員の充足を第一とする日本の潮流にも現れているのではないでしょうか。
次回以降は、日本の婚姻様式を歴史を追って構造化していきます。

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