- 共同体社会と人類婚姻史 - http://bbs.jinruisi.net/blog -

「性の探求者」シリーズ① 未開部族に見る性の追求 ~性は日常、性は充足源~

みなさま、明けましておめでとうございます。
当ブログの代表管理人です。今年も宜しくお願いします。
be5bbcc3.jpg
タヒチの初日の出?(なぜタヒチなのかは本編を参照して下さい)
画像はこちらから頂きました [1]
本ブログは、1対1が当たり前とされている現在の婚姻制度からは、想像も出来ないほど多様で豊かな人類の婚姻形式の歴史の追究と、人類500万年に亙る共同体社会の社会構造を追求することを目的とし、これまで多様な追求を行って来ました。
その背景には、人類本来の婚姻様式・性の様式の在り方や集団のあり様を学び、セックスレスや草食男子などに見られる、現在の「性の衰弱」「性の行き詰まり」の突破口を開いて行きたいと言う想いがあります。
未開部族の婚姻様式などを追求する中で解ってきたことは、婚姻様式は多々あれど、人類にとって、婚姻は集団が外圧適応していく上で非常に重要な「システム」であったと言うことと、婚姻≒性は集団にとって最も重要な活力源・充足源であったと言うことです。
ところが、現在社会では性はもはや活力源として十全に機能しておらず、婚姻によって生じる集団=家庭も様々な行き詰まり現象を見せています。
文字通り、日本人にとって最大の苦難であった2011年を乗り越えた今、新しい時代の可能性を開いていく為には、社会の最基底部とも言える性の活力について考えて行くことが重要ではないかと当ブログでは考えています。
そこで、正月三が日の特別シリーズとして、「性の追求者」シリーズを企画し、多様な観点から「性の充足」について考えて行きたいと想います。
シリーズは、以下の3編でお送りします。
 ①未開部族に見る性の追求 ~性は日常、性は充足源~
 ②赤松啓介に見る性の追求 ~日本人のおおらかな性~
 ③代々木忠に見る性の追求 ~チャネリングセックス~

シリーズ初日かつ2012年投稿初めとなる本日は、「①未開部族に見る性の追求」をお送りします。
現在社会と違い、性は隠すものでも恥ずかしがるものでもない。純粋に充足を得る為に性に向かうその姿は、多くのことを教えてくれると同時に、我々現代人にも幸せな感覚を与えてくれます。楽しみながら読んでいただければ幸いです。
それでは、2012年まずはポチっと宜しくお願いします。
[2]


■未開部族に見る性の追求
未開部族=人類本源の共同体社会においては、性は隠すものでも秘めるものでもありません。性の充足の追求こそが、集団にとって最も重要な活力源となっていることを、数々の事例が教えてくれます。
以下、未開人の性習俗について扱った、白川竜彦著「未開人のエロス」(S54年)よりいくつかの事例を紹介します。

<タヒチ(現在のように観光地化される以前の記録)>
タヒチでは子供から老人にいたるまで、日常生活の大部分が、セックスに関するものであると言われる。それだけに少年、少女にとってセックスは「おはよう」「おやすみ」と同じ意味しかもっていない。つまりセックスはすでに生活の一部になりきっているのである。
それだけにタヒチの子供たちにとって、セックスは決してタブーではない。それどころか娘が一二、三歳になると、母親は、みずからの体験を交えながら、性交のテクニック、ある種の熱帯植物から作った避妊用具の使用法、事後の処置など、微に入り細にわたって教え込む。
一方、男の子の方でも、思春期に達すると、父親によって、女の子に対すると同様の性教育が行われる。父親は、主として成熟した一族の女性を連れてきて、現実的な性教育をしてもらう。
・・・なお初めてタヒチを発見したスペインの探検家ペドロ・フェルナンド・キロス(1606年)の記録には、島の人々がよろこんで自分の妻、娘、妹などの女性を船乗り達に提供するのを見て目を丸くしたと残されており、クック船長やフランスの探検家ルイス・A・B・ブーゲンビルの記録にも同様の内容が記されている。

<トロブリアント島(ニューギニアの東に位置するポリネシア諸島の一つ)>
トロブリアント島の原住民はセックスについて、極めて自由な状態におかれている。
子供たちはかれらだけの独立した自由と集団をもち、自由と独立はそのまま性的な面にも拡大されていく。かれらは早くから家のなかで行われる年長者の性生活を目撃しているし、仲間からも教えられる。
彼らの遊びは、森からとってきた果物やビーズ、キンマや椰子の実を互いに交換し、それからどこかへかくれてセックスする。そうかと思うと、家造りをしたり、ままごとをしたり、夫婦ごっこをしたり、または一団となって年長者をまねて“愛のピクニック”に出かけたりする。ピクニックは景色のよい海岸とか、珊瑚礁の丘で、そこで料理をしたり、森の果実をつんだりする。男の子たちは珍しい動物や昆虫、花などを捜してきて女の子に贈り、女の子はそのお礼に未熟なセックスを返す。(トロブリアント島を1914年から足かけ5年間調査したポーランド生まれの人類学者)マリノフスキー教授は、「その遊びのなかには、非凡なロマンチックな感覚が光っている」と記している。
※その他太平洋地域の事例として、この他にトラック諸島やマルケサス諸島などでも性に極めて開放的であったことの記録が残っています。

<コンゴ奥地バクツ部落>
・・・女たちの煽情的な踊りは誘うように続けられ、それを視つめる男たちの血走った瞳には、急激にぎらぎらと欲情の火が燃え上がる。太鼓のリズムも、踊りも、その頂点に達した。と、なにか野獣的な唸りとともに、男女いずれからともなくとびかかり、広場のあちらでもこちらでも激しい愛の営みをくりひろげる。
バクツ族の男女は、日中から夕方にかけての時間を休養に当て、ただ、この一刻のために生き続けているかのようである。彼らの一日は、セックスを中心に展開しているといってもよい。
バクツ族は一夫多妻制であるが、そのセックスの相手は必ずしも夫だけとは限られない。そのような社会環境と同時に女性は多く子供を生めば生むほど、つまり子供が多ければ多いほど、部落内で尊敬される。
したがって、たとえ他部族の男性であろうとも、バクツ族の女性は躊躇なく求愛の行動を取る。それは発情期のメス猿がオス猿に対して行う求愛方法、すなわちプレゼンティングと全く同じで、相手の目の前にその発達したヒップをぐいと突き出す。
こうして相手が彼女のプレゼンティングに応じると、すぐにその豊満な肉体をすり寄せていく。

<サハラ砂漠トアレグ族(ハム語族系部族。イスラム教徒と言われる)>
イスラム教徒でありながらトアレグの未婚女性はベールをかぶらない。トアレグ族が母系相続制をとっていることも、原因のひとつであろうが、ベールをかぶらないと言うことは、彼女らのセックスの自由が認められていると言うことをも意味している。
トアレグ族の娘たちは、自由奔放にセックスを楽しむことができるので、じっくり男性のなんたるかを肌で確かめ続ける。トアレグ女性たちには独特の秘法があって、結婚前のセックス中にほとんど妊娠することはない。また、こうした秘術を心得ているためか、正式に結婚しても子供はあまり生まれない。が、それは厳しい自然環境が大きく作用しているからで、意識的に産児制限的な措置がとられるのも、彼らが多年にわたって培ってきた生活の知恵と言うべきであろう。
また、これほどセックスに深い知識をもつせいか、アラブ諸部族に多い性病もトアレグ族には皆無である。同時に男女のセックスは100パーセント開放されているため、そこには不自然な同性愛行為も見られなければ、性犯罪もない。
※イスラム系部族は、女性のベールや一夫多妻の印象からか、性に厳格で男尊女卑の価値観のように考えられていますが、ムハンマド自身が禁欲や去勢に対して否定的で、性に対して極めてオープンであったことが知られ、イスラム教社会にはトアレグ族に限らず(母系性社会の名残を残した)性に肯定的な社会が多いようです。

さて、次はるいネットからの引用です。

<アフリカの女の子の一番の幸せは何かの率直な答え> [3]
テレビでみた内容です。アフリカの未開部族の女の子たちに、「あなた方の毎日に幸せ(喜びや楽しみ)は何ですか」とインタビューしていました。「私の毎日の幸せは夜にみんなから(4~5人くらいらしい)セックスをしてもらうことです。毎日夜が楽しみです。」とうれしそうにみんなが答えていました。恥じらいなどまったくなく本当に幸せそうでした。

<「性」の可能性~ポリネシアンセックスにみる共感充足> [4]
ポリネシアンセックスとは南太平洋諸島に暮らすポリネシアの人々の間に伝わるセックスのスタイルを指します。
『実際に結合するセックスは普通、5日に1度、中4日はしっかりと抱き合って、肌を密着させて眠り、性器の接触はしない。セックスをする時は、前戯や抱擁や愛撫に最低1時間をかける。互いの心と体がなじんだ時に女性の中に挿入した後は、最低30分は動かずにじっと抱き合っている。(中略)身動きせずに30分間横になっていると、2人の間にエネルギーが流れるのを感じるようになると言う。』『じっくり時間をかけることが南洋諸島の性文化に共通している特徴で、旧英領ニューギニアのトロブリアント諸島では「1時間たつと、先祖の霊が目覚めて、われわれの結合を祝福してくれる」と信じられている。』(参考 「エロスと精気」ジェームズ・N・パウエル著、浅野敏夫訳、法政大学出版局)

いくつかの事例を紹介させていただきましたが、いかがだったでしょうか。
もちろん、性生活のありようも婚姻形態も、それぞれの部族のおかれた外圧状況と、その集団における最大期待、そこから形成される集団規範の分析なくして、正確な分析と構造化を行うことは出来ません。(現在、未開部族の事例などを元に、「婚姻史」として構造化する試みを、シリーズ投稿として行っています。)
しかし、いずれの事例からも、真剣に「性の充足」の追求を行っており、「性」が最大の活力源となっていること、そして「性」は「非日常」ではなく「日常」に存在していることを伺い知る事が出来ます。
先述したように、現在社会においては、セックスレスの蔓延や草食男子に見られる性の衰弱現象が見られる一方で、ますます進む性の低年齢化や性の乱れ現象、ネット等に見られる偏った性情報の氾濫などの問題も存在しています。
このような閉塞した現在社会の性問題を突破していく為にも、人類にとっての「性」の意味、そして活力源としての「性」について、未開部族の社会などに真剣に学んでいく必要があると考えています。
本年、当ブログではこれらの問題について、これまで以上に真剣に追究していきたいと考えていますので、皆様応援宜しくお願い致します
さて明日は、日本の村落共同体における性の実情について追求した「赤松啓介」氏について取り上げる予定です。赤松啓介氏はその著書の中で、かつての日本の村落共同体における性の実情を解り易く紹介してくれており、現在の日本人からは想像できないほど性に開放的で、ここで紹介してきた未開部族の社会同様に豊かな性生活を送っていたことを読み取ることが出来ます。お楽しみに 😀

[5] [6] [7]