
バビロン王朝 画像はこちら [1]から
今回は牧畜・遊牧部族の婚姻形態である”略奪婚と私有婚”を取り上げます。
現在の婚姻制度は、イスラム国家や未開部族を除いてほぼ一夫一婦制(一対婚)です。
一対婚(私有一対婚)とは、これまで見てきた集団が婚姻を差配する「集団婚」とは180度異なり、当事者が自由に婚姻関係が結べ(私有婚)、但し届出できるのは一組だけ(一対婚)である様式を言います。この私有一対婚のきっかけとも言うべき婚姻様式を「略奪部族」に見ることが出来ます。
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前回の勇士婚~兵士婚では、集団の最大期待の中身が「ナワバリ(集団の安定)確保と食料(獲物)の確保」となって狩猟の能力格差からの首雄集中、その後集団規模が拡大し、集団分割の必要と、首雄以外でも期待に応えることが可能になったことから、母系集団に婿入りする勇士婿入婚に変化していく過程を見ました。彼ら狩猟部族は、弓矢を使うことで初めて洞窟を出て狩猟部族となりましたが、その後更に獲物や牧草地を求めて移住生活を繰り返す遊牧部族へと変化していきました。
この頃、人類は急激に人口を増加させますが、紀元前1万年頃には急激な気候変動ヤンガードリアス(寒冷化)とその後の温暖化→乾燥化が起こり、人類は一気に食糧危機に陥ります。特に乾燥化の激しい中央アジアの遊牧部族の間で、人類は同じ人類(同類)同士で食料を奪い合う略奪闘争を引き起こしたものと考えられます。
弓矢の発明から、農耕・牧畜へ [3]
弓矢の発明には250万年の工夫の積み重ねが必要だった。 [4]
特に遊牧部族は弓矢の使用に長け闘争性も高く、同類闘争では極めて有利です。そして、彼らが生き残っていく過程では無数の敗残部族が誕生します。彼ら敗残部族もただ負けているだけでは死滅してしまうので、同じような敗残部族と連合し今度は彼らが略奪を成功させるなど、略奪の拡大再生産が始まります。
そして、当時の略奪の対象は食料や家畜だけでなく女たちも含まれていたと考えられます。又これと前後して遊牧部族では父系社会が生起したものと考えられます。
●母系から父系へ
3/13なんでや劇場(2) 遊牧によって何が変わったのか? [5]
遊牧男集団の「女よこせ」要求に対して母集団が女を分配するようになり、婚姻制度が母系の勇士婿入り婚から父系の嫁入り婚(父権多妻婚)に180度逆転する。同時に、財産(家畜)は男のリーダーが管理するように変わり、集団の主導権も男に移行する。
それでも部族全体の統合は必要なので、それぞれの遊牧集団ははじめは母集団に戻ってきたが、母集団を介さず遊牧集団同士で婚姻を結ぶようになると、母集団の存在理由がなくなってゆき、母集団が消滅したことで遊牧部族は完全に母権から父権へ転換する。
もともと人類集団は出自が明確な母系集団でした。母系集団では血縁は極めて明確ですが、これを父系にしようとした場合、父は前もって固定化しておかないと誰が父親か判別できません。父子関係を明らかにするには、男を自部族に限定し、女は自部族に拘らない様にする必要があります。しかし、ここで問題になるのが、何故敢えて父系にしたのか?ということです。
このことを考えるに当って、この時代の集団の期待を明らかにしたいと思いますが、これはもはや明確で同類闘争に負けないことだったと思います。

アレクサンドロス大王とイッソスの戦いこちらから
その為には集団をより強く闘争的にする必要があります。母系集団では男は他所からやって来ます。他所から来た男の強さや闘争性に依存するのは危険です。父系になれば自部族で男を持ち続け、本当に強い男は誰なのか皆が日常的に把握できる様になります。
そのうち最も強い男が男ボスとして闘争を導き、財産や婚姻を管理するようになって行ったでしょう。男ボスは次第に祖先神などと結びついて神格化され王となります。この神=王という存在は、他部族への威嚇にもなる一方自部族では正統的な拠り所、統合軸となります。そして王という身分は同じ神の系譜である自らの子孫に継承していくことが重要になります。身分を代々継承していく習慣もこの頃からではないかと思われます。
闘争存在たる王の系譜を中心とする武装集団は、母系氏族とは比較にならない強さを持ち得るでしょう。その後、更なる同類闘争に勝ち抜いていく為に部族は連合となり、農耕部族を奴隷化して土地に定着しつつ次第に国家を建設していきます。こうして紀元前3000年には古代エジプト王朝が生まれ、メソポタミアには要塞都市ウルが紀元前2100年頃に登場します。
古代文明紹介 [6]
紀元前 2100年頃 メソポタミヤのシュメール人による古代都市ウル
ウルの市街地は高さ8mほどの城壁で囲まれその外には一面の麦畑が広がっていました。
メソポタミアでは既に紀元前9500年頃には農耕が行なわれていた様です。
この頃既に王には男子継承が定着していたようです。こうして父系の武装国家では、女でさえ略奪したりで、男という闘争存在に対して女は男の私有物に近い存在となったでしょう。男の女に対する私有意識も強まり、父系を明確にすることと合わせて女の姦淫は罪となって行ったでしょう。それは、男は多妻であっても女さえ姦通しなければ父子関係は明確であったのに対して、女の姦通は男子継承をかなり混乱させることが背景としてあったと考えられます。
●父系集団内での固定一対婚の登場
又、これまでの集団は、せいぜいが数十人から数百人の規模でここでの婚姻は部族の長が取り仕切る集団婚でした。しかし、国家になるにつれ、兵士や農奴が多数必要となり、その都度奴隷として略奪するのは面倒なので、彼ら奴隷にも妻帯を許し子孫に役割(身分)を継承させて農民自身が自己増殖できるようにもなっていきます。その際も父から息子へ身分が継承される父系であったと考えられます。

古代エジプトの農業こちら [7]から
この結果、上位の支配者や支配部族だけでなく末端の兵士や農奴も妻帯(婚姻)することになりますが、数万人にまでになる都市国家の中で一々部族長(王や領主)が婚姻を仕切るのはもはや不可能で、より自発的な婚姻を認めざるを得なくもなります。但しその場合でも兵士は兵士の娘を、農奴は農奴の娘など階層ごとに婚姻出来る範囲を取り決めたり、更には一度婚姻したからには姦淫や離婚を認めないといった規制(キリスト教などの規範)も設けました。こうして次第に私有一対婚が「制度として」浸透していきます。しかも私有一対婚の規範は、国家内部での個々の私有権をある程度認める一方、秩序を脅かす略奪は罰則化されて、国家全体を秩序化する役割も果たしました。
こうして国家は農業や武力も充実して強大化しつつも安定化し、周辺国家との闘争にも充分耐え得る様になったのでしょう。その過程は、婚姻を国家の制度に組み込み、これまでの充足を基にした婚姻から私有権を前提とした国家秩序の為の制度へと変化させる過程だったと言えるでしょう。
しかも王や貴族にはこうした制度は厳密には適用されず、相変わらず兵士や農奴の娘を召し上げたり他部族の女を略奪したりで、上位は略奪婚(一夫多妻)、下位は制限付きの私有一対婚という二重構造になったものと考えられます。

アブシンベル神殿
●一対婚とは何か?
ここで一対婚について少し考えてみたいと思います。
現在の我々は一対婚を当然のように考えていますが、これは何故なのでしょうか?愛や思い遣りなどといったこともあるでしょうし、婚姻届が一対でしか出せないという制度の問題、又妾や非嫡子などがいた場合の家督相続の問題などもあるでしょう。現代社会では重婚などは様々な混乱を引き起こしがちです。しかし、これらは本当にそうなのでしょうか?
これまで見てきたように全員婚も集団婚も人類は経験してきたわけですから、こうした婚姻様式に社会制度の方を合わせる事も可能なはずです。では、何故敢えて一対婚の社会を作って来たのでしょうか?
そのきっかけが、今回見てきた人類の略奪闘争と私有意識にあると思います。武力闘争に適応する為に集団を父系化し、更には王権国家となる過程で(王や農民といった)身分や財産を父子継承する為に姦通のタブーを設ける。そのタブーを普遍化する為宗教で戒律を設け、法律で罰則や制限を与えるなどしてようやく一対婚の社会=国家を形成してきたと言えます。つまり一対婚とは、同類闘争により混乱しがちな人類社会において婚姻を操作(規定)することで武力国家を形成した、そしてその認識に立てば、一対婚とは、武力国家を構築する為人類が半ば強引に(制約的に)作り出した制度=人工物だということになると思います。
■一対婚部族の事例
最後に一対婚部族の事例をご紹介します。
○アマゾン支流シング川のクシカオ族(男は狩猟、女は耕作)
・未知の人間を見れば必ず殺す凶暴な部族で、周辺の部族と闘争を繰り返しており、敵を襲った場合若い女以外は皆殺し、捕らえた女たちは戦祝会において全員で犯した後、妻又は奴隷にする。酋長は多数の妻を持つが大半の兵士は一対婚である。
○バルト海沿岸のゲルマン
・牧畜と農耕を営んでいたがそれらは全て女と奴隷の仕事で男=兵士たちは略奪を仕事としていた。略奪してきた奴隷が過半数を占めており、氏族の長は彼らから税を取り立てていたが、兵士を補充する必要から、忠誠を誓った奴隷を自由民=兵士とし、その税を免じた。
・婚姻はボスは多妻、兵士は厳格な固定一対婚で、婚後は勿論婚前交渉はタブー、処女だけが婚姻を許されていた。
○始原ユダヤ部族
・4千年前、コーカサス地方で牧畜、農耕を営んでいたが同類闘争に敗れ放浪の略奪(遊牧)部族となった。厳格な婚前交渉、姦通のタブーを確立。ユダヤ教聖典には、略奪を奨励、正当化する文脈が多く見られ、交易や厳格な一対婚で私益意識の突出した部族になって行った。
