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明治・大正・昭和の都市住民を染め上げた恋愛観念はどのように広まったのか?

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左から「近代の恋愛観」、新聞連載時の「真珠夫人」
いよいよ日本婚姻史に学ぶ共同体のカタチ シリーズ3に突入します。本シリーズでは、男女和合の再生ロードマップを作り上げていきます。が、その前に、そもそもなぜ日本人の充足の性は崩壊したのか?をふりかえっておきたいと思います。
「明治以降、日本人になじみのない恋愛観念が定着するには、不倫をタブーとする厳格な一対婚規範が定着する必要があるが、日本人はどうしてそんな窮屈なものを受け入れてしまったのだろうか?」
この問いに答えるための時代背景として、るいネットおよび本ブログでは以下の事象を抽出してきました。
【共同体の母体は女が生み出す充足空間】~5.受難の時代(共同体みんなの充足空間が消失、自我独占の性が迷走) [1]現行の『婚姻制度』~その中身と成り立ち(8) 日本人はどのように恋愛観念を受容したのか? [2]
①明治政府は西欧列強諸国との対等な位置に到達すべく、西欧流の法律・制度の制定を進めた→婚姻制度の確立
②西洋から市場開放の武力圧力が加わるようになって、税制を米による「年貢」から「お金」に切り替えた→市場経済の本格化
③より強大な国家建設のために、家父長権を定め、イエを村落共同体から独立させて、天皇の下に全国民が従属する中央集権国家の形成を進めた→官僚や財閥の育成。
④一方で、食べていくために、女子は村落を離れて工業生産や都市のサービス業に従事せざるをえなくなり、村落共同体は徐々にその核心部分を失いはじめた→村における女の不在。
⑤上流階級(文化人・エリート層)の中から西欧流の近代思想や恋愛思想が広がり始めて庶民にも浸透していった。
元々は自給自足でお互い助け合って生きてきた日本は、私権を獲得しないと生きて行けない社会に変貌していきます。今回は、特に、⑤、明治以降日本における都市住民を中心に広まった恋愛観念について掘り下げていきます。
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■近代の恋愛小説と恋愛事件
まず近代(恋愛)小説の流れと社会的恋愛事件(色恋沙汰)を押さえておきます。

●恋愛小説の流れ

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「金色夜叉」と「ヰタ・セクスアリス」
1 家庭小説(明治20年代)
・近世文芸の定型を残存させ、主人公の男はひたすら女に慕われ、追いかけられるだけで、自分からは女に惚れない。
・一部、例外的に女に惚れて苦しむ文学者も存在。北村透谷、国木田独歩、ともにクリスチャン。
2 芸術小説(明治30年代)
・代表作は尾崎紅葉「金色夜叉」。基本モティーフは「カネ目当ての結婚は不幸だ」
3 性愛小説(明治40年代)
・田山花袋「蒲団」。→「男の恋」の登場。
・島崎藤村「春」にて、北村透谷の恋愛思想を読者大衆に紹介。大衆はこの時ようやく、男も恋に苦しむという事実を受け入れた。
・森鴎外「ヰタ・セクスアリス」(ラテン語で「性欲的生活」の意味)→発禁処分
4 失恋小説(大正期)
・久米正雄(漱石門下)「破船」。漱石の娘への失恋事件を赤裸々に告白した小説が好評。→「失恋させられた男」が同情される時代。
・菊池寛「真珠夫人」。「貞操」がテーマ。「貞操」は、以降、読者大衆の関心事になったが、同時に「処女」もここではじめて彼らの意識に上らせられた。
・厨川白村「近代の恋愛観」。女は結婚まで貞操を守れ!以降、性規範化。
→朝日新聞連載中に起こった白蓮事件などとあいまって空前の恋愛ブームを巻き起こす。

●恋愛事件
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左から北村透谷、大杉栄と伊藤野枝、白蓮事件
明治25年北村透谷「恋愛至上主義」色道を恋愛にリセットしろ!
     キリスト教者北村がとった路線は「禁欲主義」。しかし大衆化までは至らず。
明治42 漱石の弟子の森田草平(既婚)と平塚らいてふの心中未遂事件
明治45 北原白秋と人妻松下俊子の不倫
      (松下の夫に姦通罪で告訴され、離婚した俊子と結婚する が、後に離婚)
同年   与謝野鉄幹と晶子の不倫(後に結婚)
大正 3 平塚らいてふ、伊藤野枝、雑誌「青鞜」で貞操論争
大正 5 伊藤野枝とアナーキスト大杉栄(既婚)と神近市子の四角関係
大正10 炭坑王の妻の地位を投げ捨てて恋人と駆け落ちした柳原白蓮事件
大正12 有島武郎と編集者波多野秋子の心中事件
大正13 中原中也と小林秀雄と新劇女優長谷川康子の三角関係

■明治・大正の『恋愛第一世代』
当時の文化人・エリートたちの多くは、「ハカマギ」などと呼ばれて村落共同体を離脱して(のけ者にされて)都会に出てきた者たちです。西洋に倣え!というお上の意向と結びつき、近代観念を駆使することが商売となりえ始めた時代にあって、西欧流の先進思想を自身の売り物にしていきました。
一方、上流の女たちは元々男女和合の関係からは遠く、必然的に自身を高く売りつけて私権獲得する方向に向かいました。彼女たちにとっても恋愛思想は好都合で、美しい言葉で飾りながら性的商品価値を高めてくれるかっこうの幻想観念だったのです。
財はあっても男女和合の関係からは遠く、共認非充足の存在であった彼ら『恋愛第一世代』にも、肉体の経験的感覚には未だ村落共同体のおおらかな性が残存していたのではないかと思われます。そして、その肉体と観念の分裂度合いが極度に発達したごく一部の人たちがとった行動が「心中」という事件だったのではないでしょうか?
そのような風潮の中で書かれた「金色夜叉」も「真珠夫人」「近代の恋愛観」も新聞連載モノでした。そして、大正後期、通俗恋愛小説の双璧として新聞小説に君臨したのは菊池寛と久米正雄。大衆受けする恋愛小説や恋愛論は、現実世界では恋愛下手な者(したがって心中事件とは無関係のひとたち)によってこそ書かれうるということを示しています。

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菊池寛と久米正雄

毎日届けられる新聞小説は、村落共同体を離脱し、根無し草となった都市居住者にとって自らの性的自我を正当化してくれる格好のネタとして受け容れられ、読者層=一般市民にとっても「恋愛」は憧れの対象となっていきます。
こうして、共同体みんなの充足よりも私権獲得が第一になると、女と、女が作り出す充足空間は共同体みんなのものではなくなり、女は私権価値として、(私権第一の)男たちがバラバラに独占していく事になります。そうなると女としても私権獲得のためにできるだけ私権優位の男に独占される必要があり、性は駆け引きのために隠蔽されたものとなっていきます。
■戦後の恋愛第二世代
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明治~大正~戦後を通じて、庶民の間でも恋愛幻想は高まってきましたが、いざ結婚するとなると「見合い結婚」が主流であり続けました。統計的に恋愛結婚が見合結婚の数を上回ったのは1965年。高度経済成長真っ只中で市場経済が本格化し、生まれたときから都市生活しか知らない昭和世代『恋愛第二世代』たちは、村落共同体の性を知る由もなく、したがって、下半身と上半身が分裂・断絶することもなく、身も心もドップリ恋愛につかっていったのです。
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冒頭示した「窮屈な一対婚規範を受け容れ、恋愛観念が定着した理由」をまとめると、
①村落共同体から離脱し、存在基盤を失った都会の文化人たちが、生きていくための商売道具として飛びついたのが西洋の恋愛観念
②恋愛第一世代のごく一部のひとたちはわが事として自作自演にはまってしまい心中事件を引き起こした
③それに煽られるように、恋愛傍観者(にならざるをえなかったひと)たちも、より幻想をかき立てる小説や論説を書きまくった
④それが、「新聞」という都市における新興の媒体によって一般人にも流布していき
⑤ついに、第二世代では共同体の性は跡形もなくなってしまい、恋愛観念は肉体の感覚と引き裂かれることすらなくなってしまった、
ということではないでしょうか。
では次回。只今現在、平成の性=恋愛第三世代について考察していきます。

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