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女主導の原理と現代への適用 ~「をなり信仰」による古来沖縄の秩序基盤~

縄文気質が色濃く残る沖縄。
沖縄には古来から、女の霊力を信仰する「をなり信仰」が存在し、この信仰を基盤に琉球王国が統治されます。

「をなり信仰」とは・・・
古来、沖縄には多くのシャーマンが存在していました。古くから女は霊力が強いとされ、この霊力が特に兄に強力に作用し、守り神のごとく強く作用すると考えられていました。これを「をなり(=妹)信仰」と呼びます。そのため、琉球王国の公的シャーマンである「ノロ」、民間シャーマンである「ユタ」の多くは女でした。

沖縄ユタ複合 [1]
沖縄のユタ

琉球王国では、「をなり信仰」に導かれた男女の役割が、家族・集落・地域・王国という各集団レベルにおいて一貫しており、社会全体が統合されていました。
⇒この「をなり信仰」は、女主導の原理として現代に適応できないか? 集団・社会の統合や仕事のヒントになるのではないか? と考え、今回のテーマとして追求します。
 ●古代沖縄の「をなり信仰」 

るいネット『妹を兄の守り神とする「をなり信仰」が琉球シャーマンの源流』 [2]より

「をなり信仰」においては、兄と妹の関係性は別格と考えられている。既婚者の男性を霊的に守るのも伴侶である妻ではなく妹と考えられており、近世までは既婚者に大事があった場合でも、その妹が呼び出されて祈念を行うということがよくあったという。しかし、源流を辿っていくと、「をなり信仰」は、血縁関係の兄妹のみを指すのではなく、広い意味で男女間のすべての関係性を指しているといわれている(そもそも、をなり信仰が想定する世界には、男女は兄と妹しか存在しない)

そのことは、琉球の聖地として崇められている久高島の風習からも読み取ることができる。
久高島には、古くから「男は海人(うみんちゅ:漁師)、女は神人(かみんちゅ:神職者)」という諺が存在し、成人既婚女性のほぼ全員がなんらかの神人になることが決まっていた。久高島は戦前までは定期船も通わない完全に独立した離島であり、島の東側に広がるさんご礁の浅瀬では、潮が引くと豊富な魚貝類を女たちでも簡単に採ることができた。また、島には野生の薬草や果実なども自生しているため、自給自足が完全に成立する島であった。

男たちは漁に出ると長期間帰らないことが多いため、日々の生活の中心は女であり、女たちは男たちの安全祈願・大漁祈願のために、時間を見つけては祈り続けていたという。外圧の高い漁に向かう男たちに対して、女たちは一致団結して祈りを捧げ、男たちはそんな女たちの祈りや貰い受けたお守りを心の支えにしていた。

海人神人(複合) [3]
海人、神人をテーマにした沖縄の伝統行事(沖縄・伝統行事より)

「をなり信仰」に導かれた共同体内の男女規範は、後の琉球王国の統治体制にも影響を与えていきます。琉球王国で「をなり信仰」は、神に仕える女が、俗世を支配する男と社会を霊的に守護するという観念に置き換えられていくのです。

●琉球王国の精神秩序を支えた神女制度

るいネット『男女の役割を活かした「聞得大君」と「王」による政教二重主権』 [4]より

琉球王国の王として最も長い期間在位した尚真王(しょうしんおう)(在位 1477~1526)は、王権をより強固なものにして中央集権的な国家基盤を固めるため、琉球地方に古くから伝わる祖先信仰や自然崇拝の信仰を司る神女・ノロたちを組織化し、国家的な宗教組織を整備した。

神女達は間切り(各町村・島々)ごとに任命され、穀物の豊作祈願や航海安全祈願などの祭祀を取り仕切った。つまり神女・ノロ達は行政を担う地方役人とともに、各地域を統制し中央集権体制を支える役割を果 たしたのである。その神女組織の頂点には、聞得大君(きこえおおぎみ)と呼ばれる王の妹や親族の女性が就任し、政治的には王を頂点とし、宗教的には王の親女を頂点とする祭政一致の国家体制をつくりあげた。

国家的神事を主宰する神女行政は、各地の祝女(のろ)、司(つかさ)という女性神職による神官組織。神殿のある場所は聞得大君御殿(うどん)で、 国王を決定する神事もつかさどり、宗教的権威が王権を上回っていた時代もあるようだ

聞得大君(複合) [5]
沖縄で催される「聞得大君」をテーマとしたイベント

琉球王国では直接的な政治を男が行い、その男を守護するため女が神事を司ります。そして神託を得て男たちを霊的に指導するという祭政一致体制となります。

ここで改めて、沖縄の歴史を俯瞰してみると、12Cに至るまで本源的な狩猟・採取時代が続き、12C以降はじめて城壁が出現します(グスク時代)。これは中国の唐~元時代に、大陸の影響を受けて沖縄でも同類闘争圧力が高まったからだと考えられます。そして、15Cになると琉球王国が統一され、以後500年にわたって体制・秩序が保たれることになります。
okinawa_to_honndo_no_jidaikubunn [6]
画像引用元:「日本人の源流を探して」 [7]

沖縄で長期にわたり本源性が保たれていたことは、第一に南海島嶼のため大陸からの略奪闘争の影響が少なかったことが考えられます。それに加え、古くからの「をなり信仰」を下敷きに、琉球王国の体制・秩序が形成されたことがあげられます。
この「をなり信仰」は、女のほうが霊力が強いと信じられてことに依拠しており、この霊力を羅針盤に集団や社会が統合されていることが判ります。 (霊力が強いという感覚は、現代でも女の方が直観力や機微の察知力が高いという捉え方と合致します。)

また、古来から成人既婚女性のほぼ全員がなんらかの神人になることが決まっていたこと、更に琉球王国では女性神職が国家全体で組織化されていたことは注目に値します。女たちが一体化していたこと、女集団として組織化されていたことが、永きにわたる秩序形成につながった事実は、「女主導の原理と現代への適応」を考える上で、大いなるヒントになると思います。

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