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日本語の起源カタカムナ~時空を統合する<マ>という言葉

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「間が悪い」と言った場合、その多くは「タイミングが悪い」という意味ですから時間に関する言葉であり、「間合いを取る」と言った場合は空間に関する言葉である。このように 日本語には「マ」という言葉に時間と空間、両方の意味がある。
このように、カタカムナの「マ」という言葉は、時空(時間空間)を統合する概念である。
同様に、場所を表す「トコロ」という言葉は、時間(タイミング)を表す場合にも使われる。
どうやら、時間と空間は元は一体or繋がっているらしい。

以下、相似象学会誌『相似象』六号(1973年12月)より引用・要約したものです。
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▼マの変遷(イマ、タマ、トキ トコロ)
<マ>とは、日本人にとっては極めてアタリマヘの常識語として誰にでも通じる言葉であるが、それを外国語に当てようとすると、大へん難しいことになるのは、<マ>とは、それを計量したり、科学的に説明できる対象ではないからである。

<マ>を、ズバリと宇宙的に大きく把握した表現が<アマ>(アまねきマ)であった。上古代人が、<マ>とか<アマ>とよんだモノは、人間の眼には見えない「潜象」であるから、顕微鏡や望遠鏡では捉えられぬが、直観でなら、誰にも観じられる存在として、我々の日本語の根本になって居たのである。

<アマ>を微分的に言へば<アメ>であり、アマ一般から<マ>がマトマリ出せば<マリ>になる。アメもマリも潜象であるが、マリは球状でマワリテ居る。それは、目に見えぬ<マ>から独立的に離れ(リ)て、アマ界(宇宙球)に生まれた最もハジマリの量(始原量)であり、別言すれば<イマ>(今)である。則ち<イマ>は、最小の空間(トコロ)と最小の時間(トキ)をもってアマ界に発生した潜象の微粒子(マリ)として把握されたものである。したがって<イマ>も亦<トキ トコロ>と同様に、感じとしては誰にでもわかるが、科学的手段によって、捉へることの出来ぬ潜象のマリである。

科学は時間空間を何万分の一や何ミクロンまで微細に極めながら、「今」といふモノの本質を説明できないし、時間、空間の本質もわかって居ない。
<イマ>の連続的な発生を我々は「時間」と感じ、又<イマ>の集合拡大したものを、我々は「空間」と感じて居たと言へよう。
上古代語の<トコロ>とは、我々のいふ「空間」、則ち「何も見えないトコロ」といふ意味だけではなく、その空間に「トコロを占めて居る大小のモノ」(原子も天体も)すべてトコロである。

<イマ>とはこのように、「変遷しつつある<マ>」といふ思念によって発生した上古代語であり、「変遷しながら統計的には、つねに存在する、微分量」を「今」として把握したのである。つまり<イマ>は、現象の「時計時間」では、捉へられない「統計的存在性(イマタチ)」のものである。

要するに、時間空間の最も根源的な本質は<イマ>であり<マリ>であって、潜象の<アマ>の変遷であるから、現象系の物質としては捉へられない筈である。したがって客観現象にあらはれて居るものの本質を把握するにはどうしても潜象系の存在を認めなければならない。この<アマ>(始原量)の微粒のマリから、電子、原子、分子、細胞等とよばれるものが構成されて、宇宙のすべての万物万象が発現する。そして万物万象は、やがて又<アマ>の始原量に還元する大きな循環系である、といふのが、カタカムナ人の把握した直観物理の考へ方である。
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