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Y染色体 東アジアに於けるD系統分布の謎を解く

Y染色体のD系統について、日本とチベットのみに高い頻度で見られ、その他の東アジア地域ではごく僅かしか見られないのは何故なのか。
D系統はアジアに定住したもっとも初期の人類であり、60,000万年前に北方移動を開始し、30,000万年前には日本に到達していたという論文がありましたので、一部を紹介します。
論文では、約5,000人の男性の遺伝子サンプルを採取しており、また約30,000-40,000年前に現生人類がチベット高原を探索していたという事が書かれており、チベット経由で北上した根拠になるかもしれない。

 

■■東アジアに定住したもっとも早期の現生人類
とりわけチベット人集団と日本人集団の共通の起源に関するY染色体上の証拠について

アジアにおけるY染色体の系統地理学は、アフリカ起源の現生人類が最初、東南アジアの大陸部に定住し、それから約25,000~30,000年前には北方へ移動し、東アジア全域に広がっていったことを、これまで示していた。
しかしながら、このようなシナリオでは、東アジアに特有のY染色体系統(すなわちD系統ーマーカーM174)が、チベットと日本列島およびアンダマン諸島にだけ、高い頻度で見出されるというような分布の断片化を説明することが出来ない。

■結果
本研究でわれわれは、73の東アジア民族集団から5,000人の男性のサンプルを集め、Y染色体D系統(マーカーM174)の系統地理学的理論を再構築した。われわれの結論では、D系統は東アジアの現生人類の非常に古い系統を示しており、北方の集団と南方の集団の間には、遠い昔の深い分岐の跡が観察されたのである。

■結論
われわれは次のように提唱する。
すなわち、D系統は南方に起源があり、D系統の北方への拡散は、約60,000年前に起こった。
そして、ほかの主要な東アジアのY染色体の系統の北方への移動の先駆者であったと。
おそらく、最終氷期最寒期と新石器時代の漢文化の拡張がキー・ファクターとなって、東アジアにおけるD系統の現在見られる、遺物のような分布を導いた可能性が強い。チベット人の集団と日本人の集団は、主要な東アジアに特有のY染色体系統-OハプログループとDハプログループ-をもつ、二つの古代の集団が混交したものである。

■はじめに
まずサブ・ハプログループDE*、これはおそらく、D/Eハプログループのなかでは最も古い系統で、アフリカ人ではナイジェリアからだけ見出された系統である。それは、現生人類の起源に関する「出アフリカ」仮説を支持するものである。
サブ・ハプログループEというのも、アフリカに起源するということが確認されている。その後、その系統は約20,000年前ごろ中東やヨーロッパへ拡散したと考えられる。
さらに興味深いことは、サブ・ハプログループDは、東アジア特有の系統で、特にチベット人と日本人に豊富(30-40%の頻度)に見出されるが、また、他のほとんどの東アジア集団でも、あるいは、東アジアの境界付近の地域(中央アジア、北アジア、中央アジア)でも、稀な頻度(普通は5%未満)ではあるが見出されている。

D系統の範疇にあるとはいえ、日本人は何回もの突然変異(たとえばマーカーM55,M57,M64など)によっていくつものサブ系統に分かれているし、一方チベット人のサブ系統はまた異なっており、それは、日本人との間に遠い昔の深い分岐が関与していることを推測させる。東アジアにおけるD系統の分断化された分布は、ほかの東アジアに特有の系統のパターンーたとえばハプログループOの下位にO3,O1,O2が繋がるーとは無関係に見える。

さらにチベット人と日本人に加えて、D系統は、東アジアのいくつかの南方系少数民族集団にも認められる。それらは、たとえば南西中国の雲南省のチベット・ビルマ語を使う民族(14.0-72.3%)、中国南部の広西チワン族自治区の モン・ミエン族(30%)、タイのダイック語族(10%)など、ごく最近の民族混交で説明できる民族が含まれる。

しかしながら、最近の研究では、アンダマン諸島の人々に高い頻度(56.25%)でD系統が認められることが報告されている。彼らは、インド洋の離島に住んでおり、東南アジアに最も早い時期に移り住んだアフリカ起源の現生人類のひとつだと考えられている。アンダーヒル等による別の研究では、D系統は、約50,000年前に東アジアに到達した可能性が高いことが示唆されている。これは、東アジアのYAP系統の起源がまさに、非常に古いことを意味している。

D-174_bunnkijiki_table3 [1]

■仮説
われわれのこれまでの研究では、東アジアに特有で且つ支配的なY染色体ハプログループ、O系統(平均の頻度44.3%)は、ことによると東アジアで最も早期の現生人類の拡散を反映している可能性を示していた。
東アジアの集団のほとんどにO系統が広がっているのに反して、D系統を比較的高い頻度で保持する集団は、ほとんど東アジアの大陸部の周辺地域に、分断化された形で分布している。このことは、人類の先史に関して二つの解釈が出来ることを意味している。

まずひとつのシナリオは、O系統と同様に、D系統もまた、東アジアにおける現生人類の旧石器時代の移動に関し、北向きに行動した系統の、まさに一つであった可能性がある。
次いで、(最終氷河期がひとつのキー・ファクターとなった可能性が高いが)集団の下部構造(基本構成)が形成され、そこへ最近の漢文化の拡張の影響が加わり、D系統の分布は、現在の地理的パターンに分断化されてしまったと考えることである。

もう一つのシナリオは、われわれのこれまで提唱してきたシナリオと違って、まったく独自の早い時期の移動があったと考えることである。その疑問に答えるため、われわれは、73の東アジア人と東南アジア人の集団から、5,000人以上の男性のサンプルを採取し、遺伝子分析を行った。主要なD系統のY染色体のSNPとSTRデータと主なD系統の推定年代に基づいた分析から、われわれは次のことを提唱する。すなわち、旧石器時代に東アジアの現生人類(D系統)は、これまで提示してきた北方への集団移動(O系統を含む)に先行して、独自の北方移動を行っていたと。

最近の考古学的発見によれば、興味深いことに、約30,000-40,000年前現生人類がチベット高原を探索していたという。その時期は、これまでに示された時期よりはるかに早いが、われわれの仮説には合致している。
後氷期の海面上昇は、最終的には、日本と大陸とを隔てさせることとなった。それは現在の日本人集団の中にD系統が遺物のように分布していることの説明になる。
考古学データは、約30,000年前の日本列島に、現生人類が初めて到達したことを示している。これは、D2系統のわれわれの推定年代(37,678 ± 2,216 年前)と一致する。同時に、現在のチベット人集団と日本人集団はそれぞれ、おそらくD系統とO3系統の二つの古代の集団が混血して出来上がったのだろうと考えられる。

■おわりに
要約すると、われわれは、東アジアで、これまで提唱されてきた北向きの集団移動に先行して、より古い、旧石器時代の集団移動があったことを実証してきた。D系統が現在分断化されて分布している状況は、最終氷河期に起こった人口膨張とその後の新石器時代の人口膨張の組み合わせ、両方に起因する可能性が高い。

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