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神や精霊との交流が「芸能」の始まり

踊りによる変性意識状態→精霊に出会う→皆に伝えるために壁画を描いた [1]

前記事では、洞窟壁画は踊りによる変性意識状態でみた精霊を仲間に伝えるために生まれた、というお話を紹介しましたが、
そもそも原始人たちにとって、踊りとは何のために行なっていたのでしょうか。

 

まず考えられるのは、二足歩行の訓練のため。これは人類が誕生して相当初期の段階。
次に、皆で踊ることによる親和的充足、不全感の解消。
皆で踊ることの充足感、一体感は極度の不全を解消してくれたことでしょう。
そしてその背景にあるのは、不全の対象である万物への畏怖から、祈り、感謝の念。
明日生きられるかも分からないような極限の不全状況では、単に楽しみや喜びのために踊るなどということは考えられない。
不安や怯えを解消するため、万物への祈りと感謝を込めて、ただひたすらに踊っていたのではないか。
そしてついに踊りによるトランス状態のなかで精霊に出会い、会話ができるようになったのだろう。
、、、この間、何百万年もの時をかけて。
そう思うと、生きながらえてくれた原始人たちのおかげで今自分たちがここに生きていられるということに、感謝しかない。

 

そのような共同体の祈りや感謝における呪術的儀式が、現代の芸能の原点だとする記事を紹介します。
なぜ人は、歌い、踊り、演じるのか [2]

今、芸能というと「エンターテイメント」をイメージする人が多いのではないでしょうか。
「エンターテイメント」とは、人を楽しませる、喜ばせること。もともとは「もてなす」という意味でした。
転じて、今では芸能を「見て楽しみ、日常の忙しさをひととき忘れるための娯楽」といったふうに考えられているようです。
しかし、古い時代に遡ると、芸能はもっと深い意味をもっていました。

今でもそうですが、「芸能」とは、踊る、舞う、歌うことです。
その極致は、一口で言えば神々の世界と交流し、「狂う」状態に入ることです。
精神が通常の状態ではなくなってしまうわけです。
日常を忘れ、神のごとく非日常の世界に入る、忘我の境地。これが芸能の究極です。

なぜ、こうした「芸能」が生まれたのか。
起源はおそらく縄文時代以前、石器時代人からではないかと考えています。
大自然のなかで、いわば丸裸の状態で生きていた人間は、自然の力を頼って生きていました。
日が照らさないと作物が育たないし、雨が降らなければ作物は枯れ、自分たちも飲み水に困ります。
そこで、畏怖をこめて天には神がいると考えるようになりました。
地や山、川、海、森にもそれぞれ精霊が宿っており、大自然で起きる現象はすべて神や精霊の働きによると考えたのです。
今なら気象衛星で台風だとわかりますし、大地震は地球を覆っているプレートが動くことによって起きることがわかっています。
けれど古代では、神を怒らせると暴風雨や大地震が起きると信じられていたのです。
こうした「超自然観」をアニミズムといいます。現在の宗教のはじまりといえるでしょう。

アニミズムにおいては、人間は神様なくして生きられません。
豊作も飢饉も自然災害も神様の気持ち次第ですから、神に祈ったり感謝したりすることが非常に重要です。
この時、祈りや願いを通じて神様と交流する人を「シャーマン」といいます。
「シャーマン」は自ら恍惚のトランス状態に入り、通常のヒトとしての人格を放棄して、神や精霊と交わり、お告げを受けます。
病気の治療もおこないました。
このような原初的な共同体の祈り(祭祀)や感謝(祭礼)における呪術的儀式が芸能の原点なのです。

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