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朝鮮半島から流れ着いた非農業民の市場・諜報ネットワーク

『国際ウラ天皇と数理系シャーマン―明治維新の立案実行者』(成甲書房 落合莞爾著) [1]「第七章 伏見殿と天海大僧正」「第八章 国際ウラ天皇=伏見宮海外ネットワーク」から要約する。

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古代の土師君に始まり、加茂役君小角(役行者)がはじめた非人救済事業を受け継いだ行基の流れを汲む西大寺は、非人救済事業の実績を数世紀にわたり積んできた真言律宗(西大寺流律宗)の本山である。

古代の役民および中世の非人とは律令制度外の非農業民のことである。その大宗は古代に朝鮮半島から渡来したツングース系の非定着民の子孫で、律令制度下の公領から逃散した百姓たちも混じっていた。
奈良時代から平安・鎌倉時代にかけて、朝鮮半島から陸続として渡来し、畿内諸国に住みついた雑民労務者の子孫は時を経て増加し、畿内人口の大きな部分を占めるに至ったが、多くは無籍のままだった。
大和朝廷で無籍民「役民」に対する社会政策を担当していた姓が賀茂氏支流の「加茂の役君」で、その頭領の加茂役君小角は役行者と称し、山岳信仰を究めて修験道の元祖となった。

それを引き継いだのが仏僧行基である。初めは律令制の攪乱要因と観られていた行基の民衆仏教が、律令制の制度的欠陥たる無籍民対策をカバーしてくれたことから、行基大菩薩と讃えられる。

これ以来、渡来系都市雑民の社会政策を、律令国家が行基の流れを汲む宗教勢力(律宗本山西大寺)に委託したかのような形になる。
西大寺は土木建設事業を始め、労務者の福利厚生・療養介護・環境衛生・埋葬・道路港湾など、戦前の内務省が行っていた建設・運輸・厚生・労働など広範囲にわたる行政を自主的に運営した。

これら無籍の役民(非農業民)は、傀儡のように拠点を定めず、散所と呼ばれた集落に集まり、運輸・駅逓事業や葬礼・埋葬・芸能・らい病看護・製薬行商など、様々な雑事に従事して事業収入を得ていた。その一部が彼らを管掌した西大寺に貢納されて西大寺基金として積まれた。

14世紀、南朝勢力は全国に極楽寺のネットワークをつくり、非農業民たちの製薬・行商・救らい病事業の拠点とする。西大寺の事業は貨幣経済の浸透で莫大な収益を上げる。北朝に対抗して吉野に立て籠もった南朝勢力は、吉野の山中に散在した自然金を採取して蓄える。吉野から高野山にかけての水銀鉱脈から採掘した水銀を製剤原料とし、河内・和泉・紀伊を本拠にして列島沿岸の海運を握る和田楠木氏に任せた。

空海は紀伊で採れる水銀を原料とした水銀製剤を伝染病の特効薬として売りさばかせ、高野山密教の主要財源としたが、南朝勢力はそれを引き継いだ形で、吉野産の水銀から伝染病・皮膚病の特効薬として製造・販売した。その販売に当たったのが西大寺傘下の非農業民(非人)衆で、全国の散所に設けられた極楽寺を拠点に行商し、併せて南朝勢力のために諜報活動も行っていた。
西大寺は、大陸貨幣の流入による散所経済の興隆に乗り、西大寺流律宗系の散所が莫大な富を築く。その資産を用いて大塔宮護良親王は、全国の街道筋に数多くの極楽寺を建てて、散所民の行商拠点とする。

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まとめると、
非人(朝鮮半島からの流入民や国内の逃散農民)に対する社会政策を、加茂役君小角(役行者)を源流として西大寺が担っていた。彼ら非農業民(非人)の収入源は専ら市場(散所)活動であり、その上納金が西大寺に貢納され、西大寺基金となった。南北朝時代になって、南朝勢力が西大寺-極楽寺ネットワークを取り仕切るようになる。折からの市場(散所)経済の興隆によって、西大寺の事業は莫大な収益を上げる。また、非農業民たちは南朝勢力の諜報部隊でもあった。

この説で、南朝勢力の諜報組織の源流となっているのは、朝鮮半島からの流入民や国内の逃散農民の社会政策を担っていた役行者(役小角)である。役行者は修験道の開祖と云われるが、その正体は何か?あるいは修験道とは何だったのか?

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