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教育改革~日本人の価値観を支配してきた受験制度

学校の勉強はテストで点をとる為、テストは進学=受験の為、受験は学歴信仰に支えられている。
教育改革の壁は学歴信仰、受験制度にあり、それに支配されている親の意識であろう。

 

日本の資本主義は、労働力の信用によって基礎付けられ、
労働力の信用は、学校制度への忠誠と信用として根拠付けられてきた。
学校制度を支えたのは、学歴の価値に対する信仰であり、
学歴信仰を根拠付けたのが、受験制度である。
そして、受験制度が学生の価値を支配し、加えて日本人の価値観を深く支配してきた。

 

 

受験の歴史 [1]」より引用
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日本の受験制度とはなんと奇妙なものだろうかとは、日本で生きている人々であっても皆がずうっと長い間、薄々感じている事態であるのだろうが。この奇妙な学習と選別の体制とは何故出来上がったのだろうかと。そしてそこを経験したことのある殆どの人が、この受験制度の下らなさと無意味さを認識してはいながらも、何故この制度とはそれ自体で今でもずっと存続しているのだろうか?
日本の発明した最も肝要で本質的な社会制度の在り方とは、恐らくこの受験システムを形成する奇妙さの中にあるといっても決して過言ではない。

 

◆学歴信仰を支える受験制度
日本の受験制度と学校制度の特殊性について考えてみよう。
日本の受験制度とは、日本人の無意識を形成している。
日本の受験制度とは、日本の特徴的な学歴システムの為に存在している。
学歴と労働力の生産、再生産の為に、この受験制度とは、日本の近現代史において、もう100年以上に渡って機能してきたのだ。
それは労働力の価値を学歴の値によって基礎付けてきた。
日本人の労働力としての勤勉さとは、これら学校制度への忠誠と信用として根拠付けられてきた。

日本に資本主義が明治の時代に勃興してからずっと、日本の資本主義を基礎付けてきた労働力の信用とは、根拠として学校制度に基礎をもっている。そして日本の学校制度をずっと支えてきた信仰とは、学歴の価値に対する信仰である。
学歴という価値を根拠付けるためには、日本では特殊に発達した受験という制度が、学生の価値を支配してきたのだ。
これは近代以降日本人の価値観というのを、無意識的な意味でも深く支配している。最も日本人を深く支配してきた独特の価値観といえるものだ。

 

◆受験制度の始まり
明治維新後、大学の前提として高等学校の制度があり、高等学校の前提として中等教育があり、その前提としての小学校の制度が全国に普及された。小中学校では、全国民に共通と見なされる、基礎教育の機関が持たれた。また小中学校に通わされることは、国民にとっての義務教育だとされて強制的なものとされたのだ。小中学校については義務教育であり強制的な機関とされるが、そこには受験に該当するような選抜制度はない。誰もが平等な資格で、小中学校の教育は無償で受けられるものとした。

受験という選抜のシステムをもったのは、上位の教育機関であり、しかしそこの教育を経て卒業が認定されれば、日本の社会の中で、官僚的な人材として承認され、就職することができるものとなり、重要な点は、この上位機関への選抜において、家柄、階級に関係なく、誰もが国民として平等に、試験を受けられる条件を所有することとなる。

すなわち、明治以降の官僚的人材制度とは、そこに難しい試験の選抜制度をもつことになったが、その代わり上位機関への登用が、身分制度や金銭的な格差から解放され、国民において平等に、上を目指せるチャンスを持てるものとなったことを意味する。身分においてチャンスの機会が平等であることになったと同時に、そこには複雑怪奇な受験制度というのが持たれるようになったのだ。
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学校制度、受験制度は国家による強制的な装置として始まったが、同時に、身分とは無関係に誰でも平等に学べる機会を与えられ、さらに上位の学問機関を選択する自由も得るという、平等、自由、権利といった近代思想を背景にしていることは言うまでもない。近代思想を背景に、個人的な価値観の形成が基礎付けられ、学歴の価値が信仰化し、受験制度に拍車がかかっていった。

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