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新生児の共鳴動作⇒同期することで充足する機能⇒共認と聴覚進化

【1】「新生児の共鳴動作」 [1]
4ヶ月になる赤ん坊と遊んでいるときに、彼女と相当仲良くなってから、彼女の前で私の手のひらをゆっくり開いたり閉じたりした。すると彼女はじっと私の手に見入り、その動きに合わせて―自分の手を見ることなしに―指を開いたり閉めたりしたのであった。何回か続けるうちに、彼女は指ばかりでなく・・・・・。手のひらの動きに合わせるように彼女の口をパクパク動かしはじめ、終わりにはまるで(私の)動きで彼女の呼吸テンポまでコントロールできそうであった。私が手のひらを開閉している間に彼女はほとんどまばたきもせず、私が開閉を止めた時には夢から覚めたように一瞬ポカンとした感じであった。(共鳴動作を我が国で最初に報告した鈴木葉子氏)

このように、共鳴動作は、自分と他人が未分化なまま混淆し、融け合い、情動的に一体化したような関係でおこっている。

飢えや渇きという生理的な要求を満たす手段として子どもはこの動作をおこなっているのではない。むしろ目の前の刺激の動きに同調し一体化して自分も動くことそのものが快となり、この共鳴動作を活性化しているようである。「通じ合うことへの要求」というと言いすぎだろうか。

母親の語りかけに対する相互同期的行動にしても、共鳴動作にしても、子どもは、相手が人間だから、あるいは自分の母親だからというので反応しているわけではないのだが、その相手をしている母親の方は、子どもの反応を見ていると、「もう自分をわかって応えていてくれるのだ」という喜びの感情が湧いてくるのを禁じえない。そしてまさに「わたしがママよ」とでもいうべきはたらきかけが、さらに子どもの反応性を高めていくのであろう。

このように、共鳴動作はそれが生理的要求の満足ということから離れて、刺激と一体化すること自体に動機付けられ、人がその刺激としての役割をもっとも果しやすい点、しかも相手の人自身もその動作交換のなかに思わず引きこまれざるをえないような魅力をもっている点、そこにコミュニケーションの基盤にふさわしい性質を深く宿している行動といえるだろう。

【2】「同期することで充足する機能」 [2]
マダガスカルに棲む原猿のワオキツネザルとベローシファカは、猛禽類などに対して発する警戒音を相互に理解できるそうです。またクモザルの一種では、移動などの際に発する“ロングコール”と呼ばれる呼びかけ声が仲間一匹一匹に対して微妙に違っていて、彼らは各々それが誰に対して発せられたものかを理解できるそうです。まだ表情の乏しいこれらのサルでも、音声コミュニケーションはかなり発達していると言えそうです。

音声コミュニケーションの基盤は周波数情報の識別能力だと考えられますが、意味を持つ言語以前に、この声の表情が充足感情を規定する例はヒトでも多く見られます。例えば、誰かに襲われた個体の悲鳴は周囲の個体にとっては警戒音になるし、逆に催眠術などで安心感を与える時は低い声でゆっくり話すのが良いとされています。また、大人が乳児に話し掛ける時、無意識に声のトーンを上げるということも言われています。

これらの例も、「共認機能の基礎となっているのは共鳴(共振)機能」であることを示す一つの例かも知れませんが、おそらくこのような音声情報伝達能力は、ヒトやサル以外の動物にもある程度は備わっていると思われます(ex.母鳥はヒナ鳥の鳴声を識別できる)。

サルやヒトの共認機能は、このような緻密な周波数の識別能力を土台にして、相互の発する周波数が「同期」する時に充足回路が強く刺激される、という機能を塗り重ねたものかも知れません。とりわけ心音のビートやリズムが安心感やトランス状態を生み出しやすいのは、胎児期の記憶に繋がっていると同時に、自らの体にも心臓の鼓動として常にそのリズムを持っているからではないでしょうか。さらに、この同期充足回路を視覚情報の処理機能と結びつけることで、僅かな目や顔の動き、身振りから豊かに相手の感情を読み取ることも可能になったのではないでしょうか。

【3】「共認と聴覚進化」 [3]
霊長類の聴覚感度について、興味深い研究があります。
原猿では低音から高音(16kHz辺り)に向かって一定の感度上昇を示すのに対して、真猿になると、中低音(1kHz辺り)にピークを示し、中高音(4kHz辺り)では逆に感度が低下することがわかっています。また、原猿では32kHz程度の高周波にも高い感度を持っているのに対して、真猿になると感度が下がり、チンパンジーなどは上限が20kHz程度、つまりヒトと同程度となります。

ヒトの発声音は80Hzから1,100Hzです。サルの発声音を(詳細は不明ですが体格差を考えればヒトより高くなるはずです)仮に150Hz~1,500Hz程度とすると、聴感度のピークとほぼ一致することになります。

自然界のあらゆる音を対象にするならば、周波数によって感度に差を付ける必要は無いはず(聴覚の構造から生ずる機能差を除く)です。原猿が一定した聴覚感度曲線を示すことから、真猿になってはじめて、同類が発する音声に細心の注意を向け、それを聞いたみんなの共認を羅針盤とするようになった、ということではないかと考えられます。(中高音や高周波に感度低下が見られますが、これは中低音の感度を上げるため犠牲にしたのでしょう。)

それから、真猿の高周波に対する感度低下について。原猿にとっては、同類他者のオスが発する音(例えば移動に伴って起こる葉のさざめき等(=高周波))を真っ先に捉える必要があったと考えられます。ところが真猿は中低音の感度を上げるために高周波の感度を下げている。つまり、直接外敵を認識することよりも、仲間の声を認識することが優先されている。真猿にとっては、共認こそが収束すべき最先端機能であったということでしょう。

ちなみにヒトの場合は、一定した特性を示す原猿とも、中低音にピークを持つチンパンジーとも異なり、500Hzから4kHzまでは他の真猿と比べるとフラットな特性を持っている。したがって人類は、声に含まれる倍音(高調波成分)を豊かに捉えることができ、より微妙なニュアンスを聞き分られるようになっています。

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