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【世界の各部族の婚姻形態シリーズ】交叉婚から半集団婚に至った部族

交叉婚、変型交叉婚に続き、今回は「交叉婚から半集団婚に至った部族」を紹介します。
歴史上様々な婚姻様式があることが分かりますが、婚姻様式を探ることは、その集団や社会のおかれた外圧状況を探ることに等しく、同時に集団の規範や役割と言った共認内容を知ることに繋がります。
リンク [1]より

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■古代ブリテン人
シーザーの記録によると、10~12 人の兄弟又は親子関係にある男たちが、妻を共有しているとある。
※兄弟(父も)が一体の典型的な半集団婚。

■後のハワイ
妻たちが直系及び傍系の姉妹である場合、その夫たちは互いに“プナルア”(親しき伴侶の意)と呼び合い、共同的に雑婚するが、その夫たちは兄弟ではない。夫たちが直系及び傍系の兄弟である場合、その妻たちは互いにプナルアと呼び合うが、彼女たちは姉妹ではない。
※これらは半集団婚、即ち、兄弟-姉妹の集団婚から兄弟又は姉妹のいずれかが解体されてゆく過程を示しているが、1つの時代に2つの形態(兄弟解体のケースと姉妹解体のケースの両方)があるという記述は、観察自体に疑問があり、一般的には、兄弟たちが1人の娘のもとに通うという形態が主流となるはずである。しかし、そこからかなり時代が進み、私有権が男に移行したとすると、男の要求も通るので、一時的に1人の男が姉妹たちを買い取る制度もあり得ただろう。

■ジュアング族:インド
オリッサ州の密林に住む極めて原始的な種族。婚前交渉は自由で、何人妻を持ってもよい。未亡人は夫の弟と結婚しなければならず、義弟以外の男と結婚する場合は、夫の死から一年後でなければならないとされている。
※兄弟を一体とする半集団婚。

■トダ族:インド
ニールギリ山地で農耕を営む一妻多夫で有名な種族。長男と結婚すると、自動的にその弟たちも夫となる。また部落を異にした男たちと結婚すると、一ヵ月間隔で夫のもとを巡回する。近年は女性の数も増え、一夫多妻に移行しつつある。

■レプチャ族:インド
母系制をとっており、現在は一対婚だが、かつては妻の妹との性交渉を認めるといった形での一夫多妻を加味した一妻多夫制が行われていた。
※元は少妻他兄弟の半集団婚。

■オラオン族(=チヨタ・ナグプール高原のドラヴィダ族):南インド
若い男女は部落内の独身者合宿所で自由奔放にセックスを楽しむが、結婚は族外婚が原則で、両親が異なる部落の相手を決める。結婚式では、花婿の兄弟が義姉妹に手を出さないという誓いがなされ、かつて存在した多夫婚をいましめるためと考えられている。
※花婿の兄弟は花嫁は共有しても、義姉妹には手を出してはならないということから、女一人・男兄弟共同の半集団婚と思われる。若者宿の存在、婚前乱交の自由から、半集団婚よりも交叉婚に誓いとも言えるが、果たして半集団婚と婚前乱交とは矛盾するか?それ以前の集団婚は、もともと乱交の流れを汲むものであり、従って処女性を重視するような考えは生まれない。半集団婚でも、バアサマが娘の値段を釣り上げるために娘を禁欲させ、処女性を売り物にしたかどうかが問題となるが、おそらくこの段階では、禁欲させなくても買い手は充分あり、婚前のフリーセックスを許容したと考えられる。つまり、半集団婚においても婚前乱交は矛盾しない。従ってオラオン族は半集団婚の事例である。

■ホッテントット:南西アフリカ
(1652 年植民地開拓にやって来たオランダ人が発見。1884 年のドイツによる南西アフリカ支配以降急速に衰退。)
・生活形態-狩猟・放牧。人種的にはブッシュマンと酷似しており、彼らと区別するために自らを“コーイ
・コーイン”(人間の中の人間)と呼ぶ。ブッシュマンをカラハリ砂漠に追いやって、南アフリカ全域を生活圏としていたが、好戦的な農耕民族に追われて、現在はカラハリほどではないものの、激しい乾期と束の間の雨季がある南西部の内陸地帯に住む。男は狩猟のほかに石・鉄・銅などを用いた武器や道具作り、衣類等にする皮なめし作業を行い、女は乳しぼり、放牧と植物採集を行う。
日頃の食事は狩猟の獲物と植物。
・集団-酋長が率いる氏族集団だが、その権限は絶対ではなく、成人男子による会議が族内の決定機関となっている。他の氏族にまたがる重要問題は、各酋長が集まった種族会議で決裁される。牛の掠奪、女の誘拐、他の種族による領土侵犯によってたびたび引き起こされる戦争では、勝者は牛や女・子供を奪い奴隷とするが、虐待することはなく、残虐行為も稀。(訴訟、裁判、損害賠償の請求もなされ、かなり私有意識が強い。)
・男女関係-兄弟と姉妹間の血縁関係に厳しく、幼年期を過ぎると直接話すことも二人きりで小舎にいることも許されない。最悪の罵言は、姉妹との醜行を暗示する言葉。男は姉妹に対して敬意を払い、“神にかけて誓う”かわりに姉妹にかけて誓う。また遠い氏族あるいは同族の男子は、“義兄弟”の縁を結ぶことがあり(契りの儀式では、一頭の羊を屠って同じ器で血をすすり、肉を食べる)、互いの財産と妻に対して共同の権利、保護・防衛の義務を負った義兄弟は、往々にして妻の共有を楽しむ。(婚姻関係は不明。おそらく一対婚。)
・子供-氏族の勢力拡大のため、多産や男子の出生が歓迎される。妊婦は大切にされ、夫は毎日妻の腹をなでて無事な出産を願い、妻の気まぐれな食物の要求を満たしてやることをいとわない。
※氏族の勢力拡大志向、高い私有意識、夫の妊婦への対応等から半集団婚の風習が見て取れるが、多産・男子出生が歓迎されていることから、一旦は堕落して乱交→半集団婚まで至り、そこで同類闘争圧力の上昇を受けて再び男の主導権が強化され、半集団婚の風習はそのまま温存されたとすれば、つじつまが合う。義兄弟は妻の共有を楽しむ=各々に妻がいるということであり、現在は短偶婚~一対婚に近いのだろう。特に激しい闘争から戦士を失う経験をしており、そこから子宝の概念が形成されるに至った。
姉妹への禁忌意識は、兄妹婚時代の敗北体験によるもので、兄妹婚のタブーが守られているかどうか(審判)は姉妹に聞くことで確かめられることから、“姉妹にかけて誓う”という発想に結び付いたと思われる。

■ブッシュマン:南西アフリカカラハリ砂漠
(1956 年に文明人として初めて接触、生活を共にしたフィリップ・トービアルス博士(アメリカ人の記録。)
・生活形態-厳しい乾期が続くアフリカ南西部高原砂漠地帯カラハリで狩猟・採集。朝食後男は二人一組で猟に出かけ、女は子供を背袋に入れて採集。その日分の食糧を得れば戻ってくるが、食生活は女の採集によって支えられることが多い。(家畜は飼っていない。)
・集団-酋長・族長はもたず、2~3の家族が共同。呪術によって精神と行動を統一させている。(呪術師が指導者?)生活圏外の集団とは没交渉で、争いを避け、相互に縄張りを尊重。
・男女関係-原則一対婚で一夫多妻併存。男が夜、娘の小屋に自分の弓矢を差し入れるのが求婚の印で、女がそれを一晩中小屋の中に置けば婚約成立。結婚後は、子供ができるまで女の部落にとどまり、女の家族を扶養。第一子をもうけた後、妻子を連れて自分の部落に戻って生活する。
・子供-養えるのは3人が限度として、それ以上は出産後すぐに葬られる。乳児と母親は分離する風習があり、乳母が見つからず餓死することも多い。
※もともとホッテントットと同根だが、交叉婚の段階で分裂し砂漠へ敗走。あまりに荒地であるため、他部族も襲って来ない(同類闘争がない)上に、猛獣のような外敵闘争もない環境で、無圧力から闘争機能・集団機能が衰弱。無抵抗主義から、滅亡→敗走時、男が殺され、女が中心になって再建した部族とも考えられる。

■ウラブンナ族:オーストラリア
婚姻が許されるのは、男にとって、母の兄の子供、または父の姉の子供の関係にある女のみ。1~2人の従姉妹と一緒に暮らすが、その他にも若干の従姉妹を(彼女の兄の同意及び長老の裁可を受けて)妻にすることができる。女は多数の男と集団婚的関係を持つことができ、その男たちは一緒に集団生活を行っているが、その女に接近するには、第一の男の同意を必要とする。(第一の男が留守の場合には、自由に振舞える。)また多くの妻を持つ老人は、1人の妻も持てない若者に妻を貸すかわりに、贈り物を受け取って利益を得ている。
※交叉イトコ婚から半集団婚に移行しているが、極限時代に形成されたであろう集中婚(老若交代型)の風習も温存させている。集団婚的関係の方が古くから存在し、“第一の男”という記述にあるような個人的婚姻関係は最も新しい(遅れて形成された)ものである。

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