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「勉強しなさい!」は、本当に子どもの為の言葉?

Posted By KIDA-G On 2020年7月9日 @ 5:55 PM In E 4 アフリカ,E 8 日本 | No Comments

先日の実現塾は、「学校の問題はどんなものがあるか?」から始まりました。
子ども達から沢山の意見が出されましたが、最も多かったのが「学校や親からの強制圧力」に関する声。現実離れした校則をはじめ、全員が決められた時間に、決められた勉強・行動をする。反すれば指導され内申・成績が下がる。子ども達を強制的に管理する様は、収容所、刑務所と同じです。

しかし、学校の強制圧力は今に始まったわけではありません。軍隊をモデルに従順な国民を育てるために作られたのが学校です。学制を布いた明治期から現在に至るまで、学校が強制圧力機関であることの基本構造は同じです。

しかし、子ども達の強制圧力に対する苦悩の声は年々増加する一方。何が変わってきているのでしょうか。それは親の強制圧力です。

「宿題をしないとご飯が食べられない」

「勉強をしないと家の外に放り出される」

親、とりわけ母親の勉強圧力、成績圧力に対する苦悩の声は、過半の子ども達から出されています。そして最後に大抵の親はこのように言います。

「あなたの為を思って言っているのよ」と。

本当に子どもの為を思っての言葉なのでしょうか?

“教育ママ”という言葉は1960年代に生まれましたが、1970年以降になると母親とりわけ専業主婦の役割は子育て一色になり、教育ママが拡がってきました。今も周りに沢山いますよね。「勉強しなさい!」「宿題したの!」と口癖になっている教育ママさんが。
では教育ママが登場する前の母親とはどのような存在だったのでしょうか。

戦前~戦後貧困がまだ残る高度成長期の時代は大家族が一般的であり、母親の仕事は子育てだけではありませんでした。家事は勿論のこと、母親も家計を支えるため仕事=生産課題を担っており、子育てはお兄ちゃんお姉ちゃんが面倒を見るのが当たり前でした。そして子供も小学校にもなれば家の仕事を手伝っていました。小さな下の子をオンブしながら妹や弟のお弁当を作ったり、時には近所の子供の面倒までみていた祖母の話を思い出します。子育ては母親だけでなく皆の課題でした。

そんな大家族の時代から、貧困が消滅した1970年以降の母親の役割は、子育てのみになっていきます。しかも核家族化が進行することで子育て課題は母親一人に集中することになります。子育てのみに役割が限定され母親自身の充足も乏しく、かつ子育ての全てが母親の責任としてのしかかることで、子育てに不安を持つ母親が急増しました。そして子育て不安を解消するため、子どもの事を深く考えず、半ば盲目的にマスコミや世間の受け売りで“学歴”を子育ての指標にしたのが教育ママです。その結果1970年以降は、進学塾や習い事の需要が激増していきます。

一つでも上の大学へ、上の企業へ。その為に子どもへ勉強圧力、成績圧力を加えていくわけですが、学歴がモノを言う時代は既に終わっており、最早生きるうえで何の力にもなりません。にも拘わらず、今でも成績圧力を子供に加えているので、子ども達の意欲活力は衰弱するばかりです。”これからの時代に必要な力は何か”、”子ども達の活力を引き出すにはどうしたら良いか”。本当に「子どもの為」を考えるならそう追求するはずですよね。

しかし、そのような追求には向かわず成績圧力にすがるのは、母親の成績圧力の出所が母親自身の子育て不安にあるからです。「子どもの為」ではなく「自分の不安解消の為」なので、いくら子どもの活力が衰弱しようともお構いなしに強制圧力をかけ続け、終いには生きる意欲すら無くす結果になっています。これでは虐待と同じです。まずはそのことを自覚できるかが大切です。

また、母親の子育て不安は、前述したとおり核家族化が出所です。家庭が社会的に担ってきた役割は子育てや生活、介護等の生殖役割ですが、乳幼児から保育園に預け今や延長保育は年々増加。小学校に行けば、習い事も含めて子育てはほぼ一日外注しているのが実態です。介護も同様で、食事も外注、家事も外注すれば、家庭が自前で担っている機能はほぼありません。

子育て不安の出所は、核家族化による母親への子育て集中。しかし、その子育てさえも既に外注化し、核家族は機能していないのが実態なのです。であればその事実を直視し、家族という常識、親が育てねばという固定観念を捨てて、子育てを自分で抱え込むことなく、子どもを手放せば良い。親からの強制圧力から子ども達を解放すれば、子ども達は元々持っている遊び本能や追求本能を開花させ、生きる力を身につけていくでしょう。

そして、母親自身も空洞化した核家族での「母」という固定観念を捨て去れば、母である以前の「女」としての本能が開いていきます。「脱・核家族」「脱・母親」で、固定観念と強制圧力が解除されれば、子どもの遊び本能も、母親の女の本能も開いていくのです。

今回はここまで。

次回は、大家族から核家族へ何故変化していきたのか?を記事にします。


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