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縄文以前の性感覚がよみがえる時

自然に考えれば性欲が盛んなはずの男子大学生の中に、AV(アダルトビデオ)を観てセックスが嫌いになり、「あんなことは絶対にやりたくない」と言いきる人がめずらしくなくなっています。もともと男性のマスターベーション用につくられたAVの商業的特性として、とにかく必要以上に神経を刺激し、興奮をかき立てるために、男性が女性を征服し、辱めるという暴力的なイメージが塗り込められているものが大半です。だから、恋しい彼女を獲得した「オス的高揚感」があるうちはできたけど、もっと心を許した家族的な関係になると、できなくなってしまうのです。

このようなセックスレス事象を、どのように捉えたらいいのか、どうしたらいいのか!?
以下、夏目祭子・著『あなたが目覚める愛と性のギフト』から、引用します。

日本人は元来、目に見えない「気」の感覚やエネルギーに敏感で、皮膚感覚も繊細な人が多いという民族性を持っています。だからこそ、今のセックスレス現象は、長い間常識とされてきた、本来の「まぐ合い」より暴力的に歪められたセックスのあり方に対して、多くの人が違和感を覚え始め、「長く付き合っていきたい相手とこんな行為をはしたくない」と体で拒否する人が増えてきた証拠だと思えてならないのです。

ということは、これからの日本人の間に、本来の命の輝きにつながる「まぐ合い」の意識が取り戻されていけば、新しい形で日本人の「セクシャル・コミュニケーション」が活発になっていくんじゃないかと予想しています。

◆その本来の性意識は、縄文時代以前の記憶の中にあります。

性を自然の営みと同じように聖なるものと捉え、性器の造形を神殿などの整地に祀っていた縄文・マヤ・ケルト文明などの人々と、そういう物をみると“卑猥なキワモノ”と感じてしまう現代人とでは、根本的な意識のあり方に大きく違う点があります。

それは、二千年ほど前から現代まで続いている文明の性質が、目に見える形あるものだけを信じて、目に見えないもの無視する「物質文明」と言えるのに対して、縄文をはじめとする自然と調和していた文明は皆、目に見えないものを目に見えるものの上位に置く「精神文明」だったということ。
例えば、当時の人々は、高い次元から降りてくる神霊や、自然界に宿る精霊、亡くなった先祖の霊などの、肉体を持たない存在たちの気配を確かに感じ取って、その意思を尊重しながら暮らしていたと考えられます。

その一つの証拠を思えるのが、縄文土器のデザインです。土器の表面を覆い包む渦巻や燃え上がる炎、とぐろを巻いた蛇などの生命力あふれる文様は、あたかも人の体内や自然界の空間に渦巻いている、エネルギーの形をを写し取ったもののように見えるからです。

この違いは、私たちの命に対する捉え方にもつながっています。つまり、目に見える肉体だけの存在として扱うのか、肉体だけでなく霊魂を含むエネルギー体が合わさった存在として扱うのかという違いです。彼らは、性の交わり方が、だだの「肉体関係」ではなく、肉体を超えて広がるエネルギーの領域から混じり合う、もっとスケールの大きな行為であることを、リアルに体感できていたのです。
そんな彼らのように、目に見える肉体とつながっている目にに見えないエネルギーに対する感受性を開き、研ぎ澄ましていくことが、現代人が性に対する意識を塗り替えるカギだということがわかります。

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