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支配から自主管理へ-5

前回は、来るべき自主管理体制の社会において、どのような能力が求められるか紹介した。とはいえ、そういう能力を身につけるにはどうしたらいいのか?

もはや、学校にそれを期待している人はいないだろう。かといって自力でそれが身につくとも思えない。カギは仲間。そういう場で心を開きとことん熱中する。それは自己満足の次元ではなく、仲間が全員、満ち足りた状況になるにはどうするかという意識を持つことが芽生える。一見、子どものことのように感じられるが、実は何歳になってもこういう根本的な充足感が自主管理の原点であり、能力を培う仕組であるようだ。

そのような記事を紹介したい。

学び、遊びの場は「異年齢混合」が不可欠 ~ 人類史の99%で、子どもたちは異年齢混合の場で意欲を高め能力を獲得してきた [1]

 異年齢が混合する学び、遊びの場は、小さな子どもたちには、自分だけでは難しすぎる活動に取り組む意欲を高め、より高い能力獲得していくことを促す。一方、年長の子どもたちにとっても、リーダーシップの訓練になるだけではなく、自分だけでするときよりもはるかに創造的に課題に取り組む意欲を高め、より深い概念の理解を促す。

「遊びが学びに欠かせないわけ(ピーター・グレイ著)」より引用。
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◆異年齢混合~教育機関の秘密兵器
サドベリー・バレー・スクールのビジョンをもったリーダーのダニエル・グリーン・バークは、「異年齢の混合」こそが学校という教育機関が成功するための「秘密兵器」だと長年主張し続けています。<中略>
狩猟採集民の社会を調査している文化人類学者たちは、子どもの自己教育に欠かせないのが異年齢の混合だと主張していました。年齢の大きな違いがある子どもたちが自由に混ざり合うことが、子どもたちが主体的に自分を教育するのに欠かせない大切な鍵です。<中略>

歴史的な観点、および進化論的な観点から見ると、子どもたちを年齢によって分けるのは、異常なことです。<中略>
狩猟採集民の集団は小さかったし、出産の間隔が開いていたので、子どもたちは、自分の年齢に近い遊び友だちは1人か2人ぐらいしかいませんでした。このような集団で一緒に遊んだり、探検したりしていた典型なグループは、4~12歳まで、あるいは7歳から17歳までの5~7人です。これは、人類の長い歴史の99%の期間で少人数の異年齢混合の遊び方をしていたことを意味します。

◆年少の子どもたちにとっての異年齢混合の価値
異年齢混合のグループで、年少の子どもたちは、自分だけでやったり、他の同じ年齢の子たちだけでは複雑すぎたり、難しすぎたり、危なすぎたりする活動に取り組み、そこから学ぶことができます。また、年長の子たちの複雑な活動を見たり、話しているところを聞いたりすることだけでも学べます。<中略>

伝統的な社会において、明確に教えるという行為はほとんど存在しません。そうした社会の子どもたちは、よりスキルをもった他者の中に自分が主体的に参加する形でスキルを練習します。それをする過程で、言葉による説明があるかもしれません。でも、子どもたちは自分たちの社会で大切な活動やスキルを、最初は年長者を観察したり、話をしたりするのを聞くことによって学びます。<後略>

◆年長の子どもたちにとっての自由な異年齢混合の価値
異年齢混合の利点は、年少者だけでなく、年長者にもあります。
年少の子どもたちと交わることで、年長の者はリーダーシップや愛情を込めた世話などを練習し、(弟や妹のいない者にとっては特に重要な)関係の中で、成熟した者の役割を体験する機会を得ます。

年長者は、年少者に教えることで、より深い概念の理解も得られます。それは自分が知っていることと、知らないことを考えることにもなります。年長者が年少者に、年少者だけで取り組むときよりもはるかに複雑で洗練された活動に取り組むことを促したように、年少者は年長者に、自分だけでするときよりもはるかに創造的に課題に取り組むことを促します。<中略>

年少の子たちにとって、年長の子を見ることでより発展的な活動に取り組む気にさせられるように、年長の子たちは、年少の子たちを見ることでより創造的/想像的な活動に取り組む気にさせられます。<中略>

自由な異年齢の混合が、小さな子どもたちに、自分だけでは難しすぎる活動に取り組ませ、学べること、年長者を見たり、聞いたりすることによって学び、触発されること、より多くのケア(気づかい)と感情的なサポートを受けることなどを、どのように可能にするかを見てきました。一方で、自由な異年齢混合が、年長の子どもたちに、世話をしたり、リーダーシップのスキルや能力を練習したり、身につけること、教えることを通して学ぶこと、自分だけではできないより遊び心をもって、創造的かつ芸術的な活動に取り組むことなどを、どのように可能にするかを見てきました。学校やその他の場で、子どもたちを年齢によって分けてしまうと、私たちはこうしたすべてのパワフルな学びの機会を彼らから奪ってしまうのです。

 

子供たちの外遊びは「人間力」「挑戦と危機察知力」「学び」「助け合い」を育む。 [2]

親や先生から「やりなさい」と言われる事無く、子供たちが自ら始める「探検」や「ひみつ基地」、「かくれんぼ」などの「外遊び」こそ、子供たちが育つ環境としてふさわしい。

4歳の子どもが今まで登ったことのないところに登ろうとしている。
その親、「登ったことないでしょ。危ないよ」と制止しようとする。
4歳の子ども「登ったことないから、登ってみるの」
遊びは挑戦。

リンク [3]
より引用

■外遊びは生きる力の源 「外遊びからしか獲得できないこと」天野秀昭さん講演会

●災害と子どもたち
子どもたちはどうやって、自分の心を立て直すか

天野さんは大きな災害があるとプレーパークを作りにいかなくては、と考えるそうです。子どもたちに心のケアが必要だからで、「遊ぶ」ということの中には大きな力があるからです。
阪神大震災のあとに、子どもの遊びの中に「震度7じゃ」といって、ばたっと倒れる遊びがあったそうですが、恐ろしい経験をなんとか自分たちがコントロールしようとする、理解しようとする、コントロール可能なものとして心の中に落としもうとしている活動ではないかと思ったそうです。心の修復に遊びによる”修復作業”は欠かせないのだとの実感です。

実際、東日本大震災のあと、気仙沼にプレーパークを作りにいくと、滑り台での津波ごっこ、引き潮ごっこが見られましたが、”津波で全部持っていかれた”という経験の再現であり、心のケアにとっては、言語化する力がない中では、非言語で表現する場はどうしても必要だということでした。

●プレーパークの成り立ち
プレーパーク(冒険遊び場)活動はデンマークの造園家が廃材置き場でいきいきと遊んでいる子どもの様子を見て”創造的な遊び”に気が付いたのが最初です。子ども自身の発想で、自由に遊ぶことの意義とともに世界中に広がりました。1975年世田谷区の親たちが自主的にボランティアで共同運営を始めたプレーパークを1979年国際児童年の記念事業として世田谷区が採択したのが、日本で初めてのプレーパークです。その後、世田谷区では4か所が区との協働事業で継続しています。

●子どもの“やってみたい”が遊び
子どもは高いところに登りたい、飛び降りてみたい、自分の力を試してみたいのです。
どろんこの「ねちゃねちゃ」や「ぬるぬる」、その他「ごわごわ」や「ざらざら」いろいろな感触を体験したいし、体験することが必要で、たくさんの体験の中から「ほどよい」という感覚も身につきます。
プレーパークは、子どもの“やってみたい”を実現するところ。どろんこ、木工、ベーゴマ、ゴザチャンバラ、釘射し(五寸釘を地面に打ち立て、相手の釘をすっとばすと勝ち)・・・。

主体的に“やりたくてやってみること”が遊び。大切なのは本人の中に”動機”があるかどうか。「教育」から「遊育」へ。「教育」は教え育てる。教える内容は大人の価値判断による。「遊育」は主体は子ども。

~中略~

●遊びは学び、人間力、危険察知能力
「かくれんぼ」は高度な遊び。かならず見つけてくれる、という信頼がないと隠れられない。鬼にとっても「どこかにかくれている」という信頼感があって、はじめて遊びが成り立つ。遊びの中で、人間関係を学ぶ。
ターザンロープを作ってあげたら、ツルをちゃんと持っていられる子どもがいない。握力、腕力、腹筋がない。体ができていない。いつ骨を折ってもいい状況。
→自分で自分の身を守る力がつくれていない。自分で自分の身を守る能力をつける、これほど安心なことはない。

あるプレーパークの縁側、幼児もいるので、柵をつけるかどうか、迷った→つけなかった。はいはいできる乳幼児は落ちるかどうか察知する「距離感」もあるはず。大人の見守りの中で、子どもの育ちを信頼する。

ある親子の会話
4歳の子どもが今まで登ったことのないところに登ろうとしている。
その親、「登ったことないでしょ。危ないよ」と制止しようとする。
4歳の子ども「登ったことないから、登ってみるの」

遊びは、挑戦。やれることなのか試して判断していく
→危険察知能力

●遊びの中での子ども同士の助けあい、学び合い
多世代がいっしょに遊ぶことで、小さい子どもにとっては、大きい子どもがスーパーヒーロー
→人のためにできることがある。自己肯定感、有用感。

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