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お見合いの歴史

現代は自由恋愛の末の恋愛結婚が主流になっていますが、戦前はお見合い結婚が主流でした。
お見合い結婚と恋愛結婚の比率が逆転したのは1960年代。リンク
では、昔主流だったお見合い結婚の歴史を見ていきましょう。リンク [1]より

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1.お見合いのはじまり

歴史上、お見合いの始まりに近いといわれているのが、鎌倉時代です。
武家の間で、家の結びつきのための政略結婚が盛んに行なわれるようになりました。

しかし、この時代のお見合いは、武家・公家・貴族など、身分の高い家の風習であり、農民には許されていませんでした。
家の存続をかけて行なう戦略結婚では、決定権は男性側にあり、女性の役割は、裏切りを防止する人質のような扱いでした。

この頃に、今の仲人の原型となる「中媒(ちゅうばい)」と呼ばれる男女を合わせる人が登場します。
そして、政略結婚が盛んになると、お色直しや高価な引き出物、里帰りなどの風習もうまれました。

2.お見合いの語源
お見合いの語源は、「妻(め)取る」の意味をもつ、娶(めあ)わせること、「目と目を合わす」「妻合わせ」から由来します。
妻を合わせること、要するに、結婚させるという意味です。

■お見合いが広まった理由

鎌倉時代には、身分の高いものだけの風習だったお見合いは、時代の流れとともに変化をしていきます。
お見合いの時代の流れと変化についてお話します。

1.江戸時代の庶民の風習
この頃のお見合いでは、仲人役の人が、男女両家の釣り合いを見て、男性を伴い、女性の家を訪れます。
そして、男性は女性がお茶を出す様子や立ち振る舞いをよく見て気に入れば、出されたお茶を飲む、お菓子を持ち帰る、扇子を置いて帰るということが合図でした。
お茶にもお菓子にも手をつけずに帰る場合は、気に入らなかったということですね。
ここに、女性の意見を尊重することはありません。
男女の格差があった時代。良し悪しを決定するのは男性側でした。

また、それとは違うお見合いスタイルもこの頃にありました。
当人同士が向き合うという形ではなく、水茶屋(寺の境内や花見の時になどに設けられたお茶を出す簡素な店)や芝居小屋など、人の賑わうところで偶然出会ったという形を装ったそうです。

しかし、どのお見合いも自分たちの幸せのためではなく、家の幸せのための結婚であることが多かったようです。

そして、この頃の結婚平均年齢は
男性が25~28歳の間
女性が18~24歳の間

ちなみに、近年の平均初婚年齢は
<2015年現代の平均初婚年齢>
男性 約31歳  女性 約29歳

初婚年齢に対してもずいぶんと変化してきたことが伺えます。

2.戦前は70%以上がお見合い結婚
戦前の結婚率については、明確な統計はないものの、結婚の方法はほとんどが見合い結婚で全体の約7割だったといわれています。
恋愛結婚も全くないわけではありませんでいたが、戦前は婚姻に戸主の同意が必要だったので、恋愛で当人だけの勝手な結婚は事実上許されていなかったのです。
農家などは見合いの機会もなく、親同士の話しで決まってしまうこともあったといいます。

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