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先祖への感謝、子孫への期待-4

前回まで展開してきたように、今でも残存する先祖への感謝、子孫への期待という心の在り様。この意識こそが人類の知能進化を推し進めた動因の一つである。

それは、意識の深淵で捉えた、万物は全てつながっている、あるいは全てのものは同じ原理で成り立っているという構造が横たわっており、最先端の量子論と宇宙論という次元でも扱われているように世界の成り立ちをとらえた対象認識なのである。超古代「カタカムナ」という認識はそれを示している。

感覚(欠乏意識)として捉え返すと、それは万物と一体化したい、何よりその充足の原点であると捉えられる。

以下、参考となる記事を紹介したい。

感謝の念は、万物との一体感から湧いてくる。万物との一体感は、同じ摂理で生きているという現実を直視することで生まれてくる。 [1]

大和言葉やインディアンの族長などの精霊信仰が息づく言葉には、「恵む」「おかげ様」など直接何かをしてもらった時はもちろん、そうでない万物に対しても“生かされている”“支えられている”という感謝があふれている。

その感謝の念はどこから湧いてくるのか?と更に精霊信仰の言葉に同化してみると、「お互い様」「自分の友ではないものなど、一つも見かけなかった」等の様に、精霊信仰の世界観の土台には万物との一体感があるのが伝わってきた。(自立、個人、自分等の自と他を分ける概念・観念がない)

万物と一体化⇒同一視して成りきるからこそ、目の前に起こる現象の奥で働いている構造を肉体的に感じるし、自分たちの期待応合回路に共鳴する自然現象に対して感謝も湧いてくるのかなと感じた。

そして、その一体感・同一視の源は?と同化してみると、「人間は宇宙の一部」「まだ生まれぬ者、既に死んだ者、みんな私達と日々共に存在している」等の言葉から、すべて同じ宇宙に存在しており、万物は【同じ自然の摂理】に貫かれて生きているという感覚に行きついた。

本能で掴める外圧とセットされた答えでは到底生きてゆけなかった人類にとって、本能⇒共認⇒追求で掴んだ『万物は同じ自然の摂理・生命原理の上に成立しており、それに則っているから生きていける(適応できる)』という事実は、最強の展望だったと思う。だからこそ、「どう適応する?」の答えの全ては精霊に委ねられる。精霊とは自然の摂理そのものであり、精霊信仰とは自然の摂理・生命原理の追求=現実直視の極みなんだということにも得心できた。

上記の構造に照らして見ると、目に見える=本能で捉えられる現象事実を集めて、危機や充足を感じているだけでは、現実を直視したことにならないということが分かる。生命原理や自然の摂理と照らして、その現象の成立構造や対象の意識の出所を追求してこそ現実直視になる。

 

 

原始人類の自然認識カタカムナ~宇宙を形成する8つの相似象 [2]

原始人類の自然認識は、どのようなものだったのか?
その手掛かりとして、楢崎皐月氏が研究した日本の上古代人の潜象科学=カタカムナを紹介する。
引き続き、『フォッサマグナ沿線の温泉めぐり』「カタカムナ文献」 [3]から、カタカムナの自然認識を転載する。
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●第6項 天然は八種類の相似象から成っている
 カタカムナ人が見抜いた基本的な相似象は、天然には「球」の相似象があるということだった。天然の大きなものは宇宙球から、恒星、惑星がすべて球であるし、ミクロなものでは原子、原子核、電子が球型である。水も丸くなる性質がある。

カタカムナ人は、このもとは天然のすべてのモノの素粒子であるアマ始元量の微分量である「マリ」が球状であることにある、と観じていた。カタカムナ人は、アマ始元量の微分されたものを〈アメ〉といっている。〈アマ〉は始元量全体の名称で、この素量は(アマから出た芽〈メ〉という思念)で〈アメ〉と呼んでいる。また、〈アメ〉の個々の球状のものを〈マリ〉と呼んでいる。

カタカムナ人が、天然の相似象だけでなく、その他さまざまな相似象があるが、カタカムナ人はそれらすべて、アマ始元量の性質の表れたものであると直観していた。どんな相似象を見抜いていたかというと、およそ次の八種類だという。

【1】正反対称性とひずみ性
天然自然に存在するものには、すべて正と反(陰と陽)が存在している。究極の正反は「カム」と「アマ」の関係である。次の正反は、アマ始元量の究極粒子であるマリの正反である。マリの正反は、マリの回転方向の違い、すなわち右回りか左回りかによって生じている。

なお、すべて正と反が対照的に存在しているが、まったくの対称ではなく、ややひずみをもった対称であるところに特徴がある。これを正反対称性とひずみ性といっている。究極粒子マリは、完全な求形ではなく、ややひずみがある。そのために回転運動が生じ、さまざまな性質や変化が現われるのである。

ヤサカノマガタマは究極粒子「マリ」を表象しているが、完全な球ではなく、マガタマであることがひずみ性を表している。マリの正反対称性の相似象として、現象界に存在するものはすべて正と反が存在しているのである。たとえば、男と女、昼と夜、右と左、縦と横、過去と未来、暑いと寒いなどである。

【2】旋転、巡回、ら旋の回転性
アマ始元量は、究極粒子マリが回転運動し、しかもら旋的な回転をしている。この性質が、相似象でさまざまな現象として現われている。

ミクロなものでは、原子の中で、原子核、電子が自転し、電子は原子核の周りを回転している。大きなものでは、太陽、地球、月は自転し、地球や火星などの惑星は太陽の周りを公転している。太陽系全体も上位の太陽の周りを公転している。さらに大きくは銀河系や星雲なども渦回転している。宇宙球においても、宇宙球全体が旋転している。

【3】対向発生
正と反が対向すると新しいものが発生するという性質がある。究極はカムナとアマナの対向発生である。カムナとアマナが対向すると、さまざまのものが発生する。すなわち宇宙においては、カムナとアマナの対向により物質や生命体やさまざまな星が生成する。その相似象として、雌雄が交わるとこどもが生れるという現象がある。インスピレーションも、人間の内部のアマナと宇宙のカムナとの対向発生の結果である。

【4】同種反発、異種親和
究極粒子のマリにも正と反があるが、このマリには同種のものは反発し、異種のものは親和するという性質がある。この性質は相似象として現象世界に現われている。たとえば、磁石の同極同士は反発するが、異極同士はくっつくとか、人間も男女の異性間は親和するなどの現象である。

【5】統計的存在性
これは、マクロに見ると一定の固定したもののように見えるが、ミクロには絶え物質の出入りや発生と消滅が起こっており、統計的に一定なものであるという性質。宇宙球は、一定の形をもった有限のものであるが、絶えずアマ始元量が流入流出している回転流動体の統計的存在である。

この相似象は、人間や素粒子に見られる。すなわち、人間は、ミクロには絶えず細胞の新陳代謝が起こって肉体は入れ替わっている統計的な存在である。また、電子などの素粒子も固定された一定のものではなく、これを構成するさらに超ミクロの素粒子が絶えず流入し流出している統計的存在であると推定されている。

【6】重合互換性
重合性というのは、異なるものが重なり合って共存するという性質である。アマ始元量には、左旋性と右旋性、膨張性と収縮性、粒子性と波動性などの相反する性質が同時に存在する。また、物質にアマナという潜象界のヌシが潜在するなどの例である。互換性というのはアマ始元量のマリがトキやトコロに互換したり、イカツミ(電気)、マクミ(磁気)、カラミ(力)などに変換したりする性質である。アマ始元量が現象世界の物質に変化することも互換性による。

【7】微分、統合性の周期性
アマ始元量には、分化して小さくなる性質とまとまって統合し大きくなる性質、すなわち波動性や粒子性、膨張性や収縮性という相反する性質が同時に存在する。この他に、それぞれには抗膨張性や抗収縮性という、それらに逆らおうとする性質も存在する。これらを「正反四相」という。現象界における相似象としては、光が粒子としての性質と波動としての性質の二面性をもつなどの現象が挙げられる。

【8】極限循環性
アマ始元量は、宇宙球に流入したのち、きわめて長い時間かかって流出する循環サイクルをしている。この間、アマ始元量はさまざまに返遷する。たとえばアマ始元量でできるさまざまな物質や生命体は、生成(発生)・成長・極限(飽和)・崩壊(死)というように、誕生してから飽和の極限まで成長発展したのち、崩壊して元の状態に還元するという、短期の循環サイクルをたどる。

宇宙におけるこれらの長期や短期の循環サイクルは、永遠につづくが、これらはすべてアマ始元量の極限循環性によるのである。上古代のカタカムナ人は、現象世界における万物万象の特徴はすべて、アマ始元量のさまざまな性質が相似象で現われたものと捉えていたのである。凄い直観力といえる。

 

 

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