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極限時代の人類は、どのように集団を存続させていったのか~集団意識の変化~

前回の記事では、身体的視点から、極限時代の環境が、どのような出産、子育ての戦略を導いていったかを扱いました。

 

今回は、集団意識の変化を考えていってみたいと思います。

 

極限時代の人類は、洞窟に隠れ棲み、獣に襲われにくい夜にこっそり食べ物をとりにいくような生き方をしていました。稀に入手できた動物の骨の髄をすすったり、虫や落ちた木の実など、サル時代よりもずっと劣った食べ物を得られるかどうかという状態。強力な飢えの圧力に晒された人類にとって、仲間との一体充足が生きるための唯一の可能性でした。

 

そのような状況下で、人類はオスメスの性充足や、チャネリングにより集団の一体充足を高めることよって生きながらえたと考えられますが、出産や子育てについても、一体充足が重要であったと考えられます。

 

他の類人猿(チンパンジー等)が、長い授乳期間中は排卵を止めるのに対し、人類は、産後、早い人は 45 日ほどで排卵が再開します。ただし、産めるからといってメス単体で次々に産んで育てることは難しく、周りから食料を分けてもらったり、周りと一緒に子どもを育てたり、共同保育が多死多産形態を実現していく鍵になったと思われます。

 

そのような状況を想像すると、子育てにおける充足は、お母さんと赤ちゃんの一対一の関係ではなく、集団の中で、周りが赤ちゃんに期待し、大切に育てていくようなものとなった。つまり集団の一体充足による子育てとなっていったのではないでしょうか。

 

また、出産後だけでなく、子どもが生まれる前から、集団の期待をお腹に宿す、という空気があったのかもしれません。縄文時代の事例ですが、住居の入り口には、死者を入れた土器が埋められていることが多く、胎盤、あるいは流産・死産児の遺体を収めたものだと考えられているそうです。

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遺体をおさめていたとされる甕棺(かめかん)。穴が下を向いて埋められていた。画像はこちら [2]からお借りしました

 

縄文の人たちは、住居の近辺のトイレや玄関など、女性がよくまたぐ場所に乳幼児を埋葬することによって、子供の魂が再び母親の胎内に宿り、その再生を願ったと考えられています。

参考(縄文 なんで子を大切にしたか? [2]

洞窟の極限的環境で、集団の誰かが死んでしまうということも度々起こる中、子どもの誕生は大きな期待だったに違いありません。その期待の中で、集団一体で子どもを育てていく意識へ変化していったのではないでしょうか。

 

次回からは、いよいよ観念機能をどう獲得していったのかに入っていきます。集団の一体充足を高めていった人類が、その先に何を見出したのか。お楽しみに!

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