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集団における生命力の源である「祭り」とは?①~男女の性エネルギーが最大化する場

縄文時代は、激しい気候変動火山活動、さらに大陸からの病原菌、後期になると人口が増えて各集団の生存域が接触するという高い外圧の中にありましたが、どのようにして生き延びてきたのでしょうか。

その際、始原人類が過酷な状況の中を生き延びるべく獲得した同期回路・一体化回路は、集団の在り方とどのように連関していたのでしょうか。

 

 

縄文時代、集団の中心にあったのは「祭り」です。

祭りといっても、現代のように、年に1度の特別なイベントでも、発散のためにむやみに騒ぐような場でもありません。

生きていくために、自然をはじめとする万物と同期し、一体となる機会でもありましたが、何より、集団とは男女関係(婚姻関係)そのものであり、とにかく、男女の性エネルギーが最大化する場であったようです。

 

例えば、『日本婚姻史』(高郡逸枝著)には、縄文時代の「同じ火を囲み、同じ性を分け合っていた」という共食共婚性を引き継いでいる祭りがいくつも紹介されています。

 

美濃国郡上郡東村大字祖師野の氏神の秋祭りでは、村中の老若男女が夕刻から神殿に集まり、太鼓に合わせて輪をつくって乱舞した。それがすむと、人妻と処女の別なく、入り乱れて共婚神事を営んだというが、伝統の古さが窺われる。

 

トツギ祭りというのがある。その多くは大漁や豊年を祀って行う共婚神事であって、これはザコネ式や闇祭り式などがあり、個別的な好き嫌いを許さない共婚性を示しているが、帰着するところは、食と性に対する共産共有の意識を象徴した原始共同体的な祭りの一種であろうことは間違いがない。

 

大和国磯城郡纒向という所では、毎年旧正月10日に、網掛神事というのが行われた。田一反分の藁で男根の形をつくり(これをスサノオ神という)、同じ分量で女根をつくり(これを稲田姫神という)、神官氏子が立ち会って、トツギ神事を執行したというが、元は氏子同士が営んだものを、男女の性神に委託して象徴したものであろう。

 

祭りが、自然を祀って、お供え物や捧げ物(出土物から、何らかの儀式があり、お供え物をしていたことと見られています。)、歌、踊り、、、などで、恵みを与えてくれているものへお返しをする時でもあり、また、男女の性が解放され、新たな命を生み出す時でもあったことが窺い知れます。

同類と同期しあい、万物へとつながり、全てと一体となり、それらが集団の中、自然や宇宙の中を流れ、循環するという、これらの大きなエネルギーは、集団における生命力、活力となっていたに違いありません。

 

祭りでは、なぜ、このような大きな一体感が生まれるのでしょうか。一体感の中心にある強く惹き合う男女の性エネルギーはどのように生み出されているのでしょうか。

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