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【古代西アジアの文明史③】縄文⇒弥生土器の変遷に見る、農耕の始まりによる世界観の変化

前回(【古代西アジアの文明史②】定住化により変わり始めた人類の世界観 [1])は、古代西アジアにおける、狩猟採集・定住の時代では、どのような世界観により集団が統合されていたのかを追求しました。

今回は、続きの農耕が始まった頃の世界観の移り変わりについて深めていきたいと思います。その中でも、土器は、農耕で作った食糧の貯蔵や毎日の食事に使用する、日常生活には不可欠の道具であり、だからこそ当時の世界観が明確に表れるもの!その為当時の世界観が見えやすい「土器」に照準を絞って追求を行っていきます!

<西アジアの土器の変遷>

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画像はコチラ [3]からお借りしました

上記が西アジア(紀元前7000年頃)の彩文土器です!紀元前4000年頃になると、彩文土器のような柄がなくなり下記のようなシンプルな土器、無文土器に変わります。

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画像はコチラ [3]からお借りしました

 

ちょうど、彩文土器が出てきた紀元前7000年頃は、西アジアで天水農業が行われ始めました。そして、無文土器ができた紀元前4000年頃には灌漑農業が発達していました。

 

<日本の土器の変遷>

西アジアのような土器の変化が、実は日本でもありました!それは皆さんご存じ、縄文土器と弥生土器です。

 

●縄文時代の土器と世界観

・縄文土器とは?(リンク [5]

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画像はコチラ [7]からお借りしました

>縄文土器は蛇とも関係があります。半人半蛙文有孔鍔付土器を裏から見ると、蛇がとぐろを巻いているモチーフだと考えることができます。蛇は脱皮して再生するように見えますし、からみあって交尾したりする姿も見られます。こうした姿が再生と結びつけられ、土器に描写されていると考えられます。

 

・集団の中心にあった“自然の摂理≒精霊観”とは?①~生命の根源にある摂理は「循環」(リンク [8]

>土偶、土器、月・蛇、縄、円形…など様々な具象物の奥に「生や死」「男女の性」、そして、生死は縄目のように終わりなく循環するといった「命はめぐる」という摂理を感じていたようです。
あらゆるものの生命が、自分たちにとって恵みを与えてくれるものでもあり、また、畏れをもたらすものでもあり、自分たちを超えた存在。
そして、「自分たちもそれら全ての中の一部」「与えてもらった自分たちの命もまた、めぐっていく」ということも、縄文人にとって自然の理だったようです。「循環」が、生命の根源にある摂理であると認識していた。

 

●弥生時代の土器と当時の様子

・弥生土器とは?(リンク [9]

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画像はコチラ [11]からお借りしました

>弥生時代には食料を自然の恵みだけに頼るのではなく、稲作によって自ら作り出すことができるようになった。この稲作にともなってもたらされたのが弥生土器である。弥生土器は機能に応じて簡素に作られるのを特徴とする。

 

・弥生時代の様子(リンク [12]

>紀元前10世紀または紀元前5世紀、紀元前4世紀頃[2](後述)に、大陸から北部九州へと伝来した水稲耕作技術を中心とした生活体系へ移行し、やがて九州・四国・本州[7]に広がった。

 

と、縄文時代から弥生時代にかけて、土器の形が大きく変わっています。縄文土器は”自然と一体化する中で感じ取ったエネルギーを表現した”もので、弥生土器は、複雑模様も無く実用性に特化した土器となっています!
そのように変わったのも、【農耕】が始まったことが原因なのではないでしょうか。

 

●西アジアと日本の世界観の移り変わりは、同じ。

・縄文土器は”自然と一体化する中で感じ取ったエネルギーを表現した”もので、弥生土器は、複雑な模様も無く実用性に特化した土器。弥生時代に大陸の文化(世界観)が入ってきたことによって、自然のエネルギーを感じにくくなり、結果として土器の模様も変わってきたのではないでしょうか??

 

次回は、農耕が始まった頃の西アジアの世界観について掘り下げていきます!

(続く…)

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