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日本の世界観はどのようにして創られたのか②~「発酵技術」は「森羅万象は循環し、全ては一体」という世界観から磨かれた?~

■発酵を見出した背後にある世界観とは

発酵は微生物の働きによるものですが、縄文人は、この目に見えない世界を、どうやって、またどう捉え、技術へと磨いていったのでしょうか。

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こちら [2]から引用しました

それは、きっと、「目に見えない何か(生命・物・力・エネルギーなど)も含めた全てのもの、森羅万象が循環していく中で、全ては、自分たちも、生かされている」という循環から、物体の変化を捉え、恵みとして受け入れ、継承していったのではないでしょうか。

縄文人もこのような世界を目にしていたのではないかと参考になりそうな記事を見つけました。

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こちら [4]から引用しました

枯れた植物を分解してもとに返す、それはキノコを中心にした生物の総力戦だ。

強力な分解能力を持つキノコだが、それでも膨大な植物を菌類だけで消費、還元するのは力不足だ。キノコを要に様々な生物が複雑に連携してやっと植物遺骸を分解し尽くすことができる。

たとえば動物や昆虫が植物を食べセルロースから栄養を取り出す過程で、噛み砕いて細かくしたり、糞として排出することで、キノコの分解効率が上がる。その逆もあって、キノコが木材などを分解することで、材そのものを消化できなかった昆虫などが栄養として利用しやすくなる。また分解の過程で細かくなった成分を細菌がさらに栄養にして分解する。植物を再び水と二酸化炭素に戻すこと、それは全ての生物による総力戦だ。

キノコは森の救世主? ~地球史から菌類の可能性を探る~ [4]より引用しました。

 

森が、キノコ、昆虫や動物、また、目に見えないもの(微生物や気体など)によって、新たな森へと再生していくことを、目にしたり、聴いたり、触れたり、感じたり、一体化することで、全てのあらゆるものが連なっていて、連なりながら循環して再生されると捉えていたのではないでしょうか。

「発酵」に対しても、保存をしていた食物が、目に見えない何かの循環によって、新たな食物へと再生されたと捉え、食してみたのが始まりだったのではないでしょうか。
その後、再現してみたり、工夫を加えたり、活用したりする中で、継承できるほどの型(=発酵技術)として洗練させていったのかもしれません。

 

■森羅万象が循環し、全てが一体になる中で生かされている

「発酵」を切り口にして捉えた、この「目に見えない何か(生命・物・力・エネルギーなど)も含めた全てのもの、森羅万象が循環し、それらが一体になる中で、全ては、自分たちも、生かされている」という循環や再生、一体化という世界観は、日本に際立ったものではないでしょうか。

 

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こちら [6]から引用しました。

話は少し変わりますが、京都に菌塚というものがあるのはご存じでしょうか。菌塚とは、微生物を供養する場所です。「菌塚は、これら物言わぬちいさきいのちの霊に謝恩の意志をこめて建てたもの」と、昭和56年、微生物を活用した技術の開発をしてきた元大和化成株式会社取締役社長の笠坊武夫氏によって、京都洛北の曼殊院門跡の境内に建立されました。
これもまた、「目に見えない何か(生命・物・力・エネルギーなど)も含めた全てのもの、森羅万象が循環し、それらが一体になる中で、全ては、自分たちも、生かされている」という循環や再生、一体化という世界観への畏敬の念の表れとも考えられます。
なお、現代では、バイオ技術などの最先端の技術を開発する企業の方々も、こちらにお参りされているということです。

温暖湿潤な気候の中、豊かな自然の中で、多種多様な微生物と共に生きてきた日本人。その中で、連綿と継承され、洗練されてきた日本の発酵文化には、「目に見えない何かの循環によって、新たな食物へと再生された」という、森羅万象が循環し、全てが一体になる中で生かされているという世界観が大きく関係していそうです。

引き続き、縄文時代に生み出された技術や信仰、言葉から、「日本の世界観」に迫っていきたいと思います。

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