<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom">
   <title>知られざる人類婚姻史と共同体社会</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://bbs.jinruisi.net/blog/" />
   <link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://bbs.jinruisi.net/blog/atom.xml" />
   <id>tag:bbs.jinruisi.net,2006:/blog/1</id>
   <updated>2010-03-16T02:56:11Z</updated>
   <subtitle>未開部族の婚姻様式などから、人類500万年に亙る共同体社会の原基構造に迫っていきます。</subtitle>
   <generator uri="http://www.sixapart.com/movabletype/">Movable Type 3.33-ja</generator>

<entry>
   <title>日本語の成り立ち（文字編）6　～文字以前の世界　画・記号・絵文字～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/000766.html" />
   <id>tag:bbs.jinruisi.net,2010:/blog//1.766</id>
   
   <published>2010-03-12T12:08:14Z</published>
   <updated>2010-03-16T02:56:11Z</updated>
   
   <summary>シリーズ第６回目の今回は、文字の成立過程の中でも最も気になる、文字以前の歴史を追ってみたいと思います :D  文字の歴史ってビジュアルでみるとどんな感じなの？ 　 ということで、 人類が図象（絵・図・記号）を描き始めてから文字に至るエジプト・オリエントの６万年間の文字系統図を、「日経サイエンス」さん風につくってみました。　 ↑クリックで拡大♪ 文字以前の時代スケールを圧縮しているので、錯覚してしまうかもしれませんが、良く見ると図象的なものを描き出してから、なんと6万年以上もの永い永～い時間をかけて、文字は生まれてきたんです :shock:  それでは、その文字以前の歴史を追ってみましょう！ 気になる方はポちっとね♪ ↓ 　↓　 ↓   ...</summary>
   <author>
      <name>kasahara</name>
      
   </author>
         <category term="Ｆ　日本人の起源" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bbs.jinruisi.net/blog/">
      <![CDATA[シリーズ第６回目の今回は、文字の成立過程の中でも最も気になる、文字以前の歴史を追ってみたいと思います :D 

<span style="font-size:130%;"><span style="color:#ff3300;">文字の歴史ってビジュアルでみるとどんな感じなの？</span></span>
　
ということで、

<span style="color:#000080;">人類が図象（絵・図・記号）を描き始めてから文字に至るエジプト・オリエントの６万年間の文字系統図を、「日経サイエンス」さん風につくってみました。</span>　

<a href="http://blog.sizen-kankyo.net/blog/%E2%97%8F%E6%A8%B9%E5%AE%8C%E6%88%904.html" onclick="window.open('http://blog.sizen-kankyo.net/blog/%E2%97%8F%E6%A8%B9%E5%AE%8C%E6%88%904.html','popup','width=994,height=1404,scrollbars=yes,resizable=yes,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.sizen-kankyo.net/blog/%E2%97%8F%E6%A8%B9%E5%AE%8C%E6%88%904-thumb.jpg" width="400" height="550" alt="" /></a>
<span style="color:#ff3300;">↑</span><span style="color:#6666ff;">クリックで拡大♪</span>

文字以前の時代スケールを圧縮しているので、錯覚してしまうかもしれませんが、良く見ると<strong><span style="color:#ff3300;">図象的なものを描き出してから、なんと6万年</span></strong>以上もの永い永～い時間をかけて、文字は生まれてきたんです :shock: 

それでは、その文字以前の歴史を追ってみましょう！


<span style="color:#800080;">気になる方はポちっとね♪</span>
<span style="color:#ff3300;">↓ 　↓　 ↓</span>

<a href="http://blog.with2.net/link.php?556883" target="_blank"><img alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"src="http://bbs.jinruisi.net/blog/banner_04.gif" border="0" /></a> <a href="http://history.blogmura.com/in/073662.html" target="_blank"><img height="15" alt="にほんブログ村 歴史ブログへ" src="http://history.blogmura.com/img/history80_15.gif" width="80" /></a> ]]>
      <![CDATA[<span style="background:#C8FFFF"><span style="font-size:130%;"> :m011: 文字以前は図象の時代</span></span>
　
現在、世界中で使われている文字は、元を辿るとすべて象形文字（物の姿をかたちどった絵のような文字）から派生していると考えられています。そして、象形文字は、絵や図や記号といった図象の系譜から登場したものであるというのがこれまでの言語学・文字学の定説です。

では、人類はいつごろから、絵や図や記号を記しはじめたのでしょうか？


<span style="background:#C8FFFF"><span style="font-size:130%;"> :m011: 75,000～60,000年前</span></span>

近年、南アフリカのブロンボス洞窟で7万5000年前の貝殻のビーズ等の装飾品と共に幾何学模様の刻み込まれた石器が発見されました。（いまのところこれが世界最古）そしてつい最近も、アフリカで６万前のダチョウの卵に模様が描かれたものが発見されました。人類が図象を描きはじめた時期は、以前の定説より一気に3万年も遡り、少なくとも7万5000年以上昔の出来事であった事が分かってきました。

<img alt="01.jpg" src="http://blog.sizen-kankyo.net/blog/01.jpg" width="400" height="259" />
<span style="color:#000080;">75,000年前の石　ハッキリと模様が刻まれています。呪術的なものとして
使用されたのであろうと考えられています。</span>


<img alt="%EF%BC%96%E4%B8%87%E5%B9%B4%E5%89%8D%E3%81%AE%E5%8D%B5233.jpg" src="http://blog.sizen-kankyo.net/blog/%EF%BC%96%E4%B8%87%E5%B9%B4%E5%89%8D%E3%81%AE%E5%8D%B5233.jpg" width="400" height="300" />
<span style="color:#000080;">60000年前のダチョウの殻　ハシゴ状の模様が確認できます。色は人為的な着色ではなく
火による変色。水筒として使ったのではないか。模様は所属や所有者を示しているのでは
ないかとの見解がなされています。</span>

　
最古のものは、上記のように物品に刻まれた規則性のある模様のような図象です。ここから、一気に3万年ほど空白になります。



　
<span style="background:#C8FFFF"><span style="font-size:130%;"> :m011: 40,000～20,000年前</span></span>

そして洞窟壁画が現れます。石器時代の洞窟の天井や側面に描かれた洞窟壁画は、これまで現存する人類最古の絵画といわれてきました。驚くべきデッサン力です。対象の観察力・同化能力の高さが感じられます。これがおよそ約3万20000年前です。

<img alt="%E6%9C%80%E3%82%82%E5%8F%A4%E3%81%84%E6%B4%9E%E7%AA%9F%E5%A3%81%E7%94%BB%E3%81%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E6%B4%9E%E7%AA%9F%E3%81%AE%E7%B5%B5%E3%81%A7%E3%80%81%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%AF3%E4%B8%872%E5%8D%83%E5%B9%B4%E5%89%8D%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A8%E3%83%B3.jpg" src="http://blog.sizen-kankyo.net/blog/%E6%9C%80%E3%82%82%E5%8F%A4%E3%81%84%E6%B4%9E%E7%AA%9F%E5%A3%81%E7%94%BB%E3%81%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E6%B4%9E%E7%AA%9F%E3%81%AE%E7%B5%B5%E3%81%A7%E3%80%81%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%AF3%E4%B8%872%E5%8D%83%E5%B9%B4%E5%89%8D%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A8%E3%83%B3.jpg" width="400" height="300" />
<span style="color:#000080;">ショーヴェ洞窟壁画　吹墨・スタンプ技法で32,000年前に描かれた手形。描いたシャーマンのサインなんて珍説も・・・</span>
　
<img alt="jyo-be%E2%98%853.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/jyo-be%E2%98%853.jpg" width="500" height="400" />
<span style="color:#000080;">同ショーヴェ洞窟壁画　画家の習作ではありません。　旧石器時代の壁画です！　</span>　




　
<span style="background:#C8FFFF"><span style="font-size:130%;">:m011: 20,000～10,000年前</span></span>

アルタミラ洞窟壁画は、約18,000年 - 10,000年前の旧石器時代末期に描かれた壁画です。そして有名なラスコーの壁画が１5,000年前のものになります。（日本では縄文時代が始まっていますね）ショーヴェの壁画に比べて幾分簡略化されているように感じます。

<img alt="arutamia%E2%97%8B.jpg" src="http://blog.sizen-kankyo.net/blog/arutamia%E2%97%8B.jpg" width="400" height="266" />
<span style="color:#000080;">アルタミラ洞窟壁画　約18,000年前～ </span>

<img alt="%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BC%EF%BC%91%EF%BC%95%EF%BC%90%EF%BC%90%EF%BC%90%E5%B9%B4%E5%89%8D%20%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A8%E3%83%B3%E4%BA%BA.jpg" src="http://blog.sizen-kankyo.net/blog/%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BC%EF%BC%91%EF%BC%95%EF%BC%90%EF%BC%90%EF%BC%90%E5%B9%B4%E5%89%8D%20%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A8%E3%83%B3%E4%BA%BA.jpg" width="400" height="250" />
<span style="color:#000080;">有名なラスコーの壁画　15,000年前</span>

　
　
<strong><span style="color:#ff3300;">人類が言語を使い始めてから250万年~150万年。</span>

<span style="color:#ff3300;">ホモ・サピエンスの出現が約20万年前。</span>

<span style="color:#ff3300;">そして図象が描かれはじめたのが7万5000年以上の昔。</span></strong>
　
<span style="color:#000080;">そこから6万年経っても未だ文字の気配はありません</span>。

しかし、まだまだ人類にとって自然外圧は強く、洞窟で暮らしていた規模の小さな血縁集団＝<u>本源集団にとって、濃密な親和空間と同化能力によって、文字はなくとも集団内の意思疎通や共認形成には全く問題がなかった</u>と考える方が素直なのでしょう。


<span style="color:#6666ff;">次回もその後の文字以前～文字の世界を追っていきます☆お楽しみに</span> :m146: 


　
<span style="color:#CC6600;">＜参考図書＞
『文字講話Ⅰ』　白川静　著　平凡社
『文字の歴史』　ジョルジュ ジャン著　「知の再発見」双書
『文字の起源』　カーロイフェルデシ・パップ著　岩波書店
</span>]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>「共認運動の実現構造とネットの可能性　」その⑦～錯誤の根は、古い武力闘争のパラダイムにある～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/000765.html" />
   <id>tag:bbs.jinruisi.net,2010:/blog//1.765</id>
   
   <published>2010-03-11T12:28:03Z</published>
   <updated>2010-03-11T14:48:17Z</updated>
   
   <summary>  前回までの記事：  :m270:  「共認運動の実現構造とネットの可能性」その①　～社会制度の最基底部の「婚姻」を議論できる場が無い～   :m270: 「共認運動の実現構造とネットの可能性」その②　～ネットにおけるツールの進化～  :m270:  「共認運動の実現構造とネットの可能性」その③　～潜在思念は、ネットに収束するか？～   :m270: 「共認運動の実現構造とネットの可能性」その④　～変革課題VS逃避解脱～  :m270: 「共認運動の実現構造とネットの可能性　」その⑥～チンケな運動（要求運動の終焉）～ に引き続き、今回も「共認革命シリーズ」から紹介します。 シリーズ６回目の今回は、 「共認革命７　錯誤の根は、古い武力闘争のパラダイムにある」 を紹介しながら、社会運動、要求運動が衰退してきたのは何故かを見ていきたいと思います。 いつも応援ありがとうございます。   ...</summary>
   <author>
      <name>koukei</name>
      
   </author>
         <category term="Ｅ 8　日本" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bbs.jinruisi.net/blog/">
      <![CDATA[ 
前回までの記事：
 :m270:  「共認運動の実現構造とネットの可能性」その①　～社会制度の最基底部の「婚姻」を議論できる場が無い～
  :m270: 「共認運動の実現構造とネットの可能性」その②　～ネットにおけるツールの進化～
 :m270:  「共認運動の実現構造とネットの可能性」その③　～潜在思念は、ネットに収束するか？～
  :m270: 「共認運動の実現構造とネットの可能性」その④　～変革課題VS逃避解脱～
 :m270: 「共認運動の実現構造とネットの可能性　」その⑥～チンケな運動（要求運動の終焉）～

に引き続き、今回も「共認革命シリーズ」から紹介します。
シリーズ６回目の今回は、

「共認革命７　錯誤の根は、古い武力闘争のパラダイムにある」

を紹介しながら、社会運動、要求運動が衰退してきたのは何故かを見ていきたいと思います。

いつも応援ありがとうございます。
<a href="http://blog.with2.net/link.php?556883" target="_blank"><img alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"src="http://bbs.jinruisi.net/blog/banner_04.gif" border="0" /></a> <a href="http://history.blogmura.com/in/073662.html" target="_blank"><img height="15" alt="にほんブログ村 歴史ブログへ" src="http://history.blogmura.com/img/history80_15.gif" width="80" /></a>
]]>
      <![CDATA[<blockquote>共認革命７　錯誤の根は、古い武力闘争のパラダイムにある

<span style="font-size:110%;"><span style="font-size:130%;">この私権社会(→その延長の市場社会)は、そもそも掠奪闘争⇒武力支配によって形成された。従って、私権時代の革命＝体制転換は、常に武力闘争を必要としてきた。実際、私権時代(とりわけ古代・中世・近世)において、<span style="background:#FFDBA4">体制転換＝革命の歴史は武力闘争＝戦争の歴史</span>であり、武力に拠らない革命など存在しない。（注：武力は体制転換の必要条件であって、充分条件ではない。従って、単に王朝or政権の交代に過ぎない「革命」が、歴史には無数に刻まれている。）</blockquote></span></span>
<img alt="070701%2520Liberte%2520guidant%2520le%2520peuple.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/070701%2520Liberte%2520guidant%2520le%2520peuple.jpg" width="205" height="170" /><img alt="%E3%82%BD%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%88%E9%9D%A9%E5%91%BD.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E3%82%BD%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%88%E9%9D%A9%E5%91%BD.jpg" width="205" height="170" /><img alt="chn0910140935000-p7.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/chn0910140935000-p7.jpg" width="205" height="170" />


<blockquote>それは、近代においても同じである。その後進性＝非近代性ゆえに近代思想に立脚し切れず、相対弱者であるという厳しい所与の状況から武力革命の路線をとるしかなかった諸国においてのみ、革命は(その善悪はともかくとして)実現された。しかし、先進国＝近代国家で武力革命が実現した国は、どこにも無い。</blockquote>


<blockquote>ところで、戦争であれ革命であれ、武力闘争とは文字通り命をかけた闘いであり、窮極の実践活動であるとも云える。その残影か、社会運動と云えば示威行動(デモや集会)というイメージが残されているが、それなどはもともとの武力闘争における行軍や行進を真似たものであろう。とにもかくにも世間の目を引く為には、「決起」するしかなかった時代のスタイルである。</blockquote><img alt="amr0803041839010-p1.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/amr0803041839010-p1.jpg" width="310" height="180" /><img alt="%E9%81%8B%E5%8B%95.bmp" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E9%81%8B%E5%8B%95.bmp" width="310" height="180" />



<blockquote>しかし、逸早く市場拡大の道を歩み、国富(国力)を市場拡大に依存するに至った先進国では、既に戦前(前世紀初頭)の段階で、戦争であれ革命であれ、弱者側(独・日や労働者・農民)の武力闘争による勝利の可能性は、とっくに無くなっていた。それは、<span style="background:#FFDBA4">武力によって統合された武力社会から、人々の共認によって統合される共認社会に既に移行</span>していたからであり、<span style="background:#FFDBA4">かつその最強の課題共認が豊かさ追求＝市場拡大だった</span>からである。
そして’70年、貧困の消滅をもって、先進国の社会運動は終焉した。</blockquote>

<img alt="untitled.bmp" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/untitled.bmp" width="225" height="140" /><img alt="SCT_IMG1.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/SCT_IMG1.jpg" width="195" height="140" /><img alt="061127_photo.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/061127_photo.jpg" width="195" height="140" />

 :m268: 先進国の社会運動終焉第一弾　<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=224525"target="_blank">「先進国の社会運動の終焉過程」</a>より
前世紀初頭より市場拡大へ舵を切った先進国において、弱者による武力革命の勝利可能性が無くなった段階。

ここで、資本主義を採用した国家の一群に対する弱者（敗者）側の対抗策が、共産主義（中ソ）やファシズム（独）、軍国主義（日本）だった。しかし、豊かさ追求（私権の獲得）という最強の課題共認のもとでは、私権闘争のエネルギーを最大化する資本主義というシステムに勝てるわけもなく、それらが生まれた当初から既に敗北が運命づけられていたと言える。

 :m268: 終焉第二弾
'70年の貧困の消滅であり、日本であれば団塊世代の全共闘運動が最後の社会運動だと言える。それまで、現実には敗北の連続であっても、貧困という外圧が原動力となり、弱者による身体を張った体制転換運動は続いていた。貧困の消滅と同時に序列崩壊が始まるので、一見、全共闘運動は規模としては大きい。しかし、運動の肉体的な目的である豊かさの実現は既に達成されてしまったため、体制による鎮圧の後は運動を継続するエネルギーも失せ、団塊世代は一斉にマイホーム収束に転じ、後に続いて三無主義（無気力・無感動・無関心）のシラケ世代が訪れる。

こうして、まず勝利の可能性が封鎖され、次いで原動力たる私権欠乏が衰弱することによって、先進国の旧い社会運動の命脈は尽きた。

 :m281: 社会運動が機能しなくなったので、これからの社会はどのように変革するように社会に働きかけていくべきなのでしょうか？　次回に扱いたいと思います。

]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>人類の進化　６　ネアンデルタール人は「野蛮」だったか？　人類の生活をどう復元するか</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/000764.html" />
   <id>tag:bbs.jinruisi.net,2010:/blog//1.764</id>
   
   <published>2010-03-10T11:09:08Z</published>
   <updated>2010-03-10T14:49:45Z</updated>
   
   <summary>　前回の記事では、「ヒトはいつから言葉を話し始めたのか」について扱いました。直接証拠が残らない人類の生活をどう復元する？という課題に対しては、一つ一つ分かっている事実を積み重ねて論理整合性を取っていくという作業が必要です。 　今回は、「ネアンデルタール人は野蛮だったか？」という彼らの生活ぶりについて考えてみたいと思います。        　  ...</summary>
   <author>
      <name>kato</name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bbs.jinruisi.net/blog/">
      <![CDATA[　前回の記事では、「ヒトはいつから言葉を話し始めたのか」について扱いました。直接証拠が残らない人類の生活をどう復元する？という課題に対しては、一つ一つ分かっている事実を積み重ねて論理整合性を取っていくという作業が必要です。

　今回は、「ネアンデルタール人は野蛮だったか？」という彼らの生活ぶりについて考えてみたいと思います。


<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/vp751_1m.html" onclick="window.open('http://bbs.jinruisi.net/blog/vp751_1m.html','popup','width=327,height=450,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bbs.jinruisi.net/blog/vp751_1m-thumb.jpg" width="327" height="450" alt="" /></a>



<a href="http://blog.with2.net/link.php?556883" target="_blank"><img alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"src="http://bbs.jinruisi.net/blog/banner_04.gif" border="0" /></a>  
 <a href="http://history.blogmura.com/in/073662.html" target="_blank"><img height="15" alt="にほんブログ村 歴史ブログへ" src="http://history.blogmura.com/img/history80_15.gif" width="80" /></a>  
　 
]]>
      <![CDATA[少し古い投稿になりますが『るいネット（<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=4997">リンク</a>）』より紹介します

<blockquote>　何万年もの過去に、人類がどのように生活をしていたかを、推測するにはどうすればいいのか？
　このことを、ネアンデルタール人を例に考えてみたいと思います。

　ネアンデルタール人は、約13万年前～3万年前にかけてヨーロッパや中東の各地にすんでいたとされる旧人の一種です。
　この時代、地球は氷河期の真っ只中で、極寒の気候と狩猟生活とにより、筋肉隆々のずんぐりとした体型であったといわれています。

　今までネアンデルタール人ら旧人は、そのまま新人へと進化していったといわれていたのですが、最近では、ネアンデルタール人を絶滅していった人種とみなす見方も出てきました。
　理由は、ネアンデルタール人の容姿などがあまりにも現生人類とは異なり原始的だから、また、ネアンデルタール人はクロマニヨン人の出現とともに姿を消したことから、より高度な文明をもった新人によって、旧人が滅ぼされたという説もあります。 </blockquote>

<blockquote>■■「野蛮でのろまな」人間？

　ネアンデルタール人が最初に発掘されたのは１８６６年、ドイツのネアンデルタールの谷です。
　その後、フランスのラ・シャペローサンという洞窟からかなり完全な骨格が発見され、それを最初に調べたフランスのブールの結論はネアンデルタール人というのは洞穴の中に住んでいる非常に現代人と違った野蛮なのろまな人間である、というものでした。

　のろまというのは、膝の曲がり加減であるとか首もちょっと曲がって前のほうに傾いているとか、その他もいろんなことを挙げています。
　（こういう根拠は間違いであったと現在は全部否定されています。）

　しかし、このようにブールが初めにネアンデルタール人が現代人と系統の異なる野蛮な人類であると発表したもんですから、それがいろいろな進化論に反対するような一般に利用されたのです。
　ネアンデルタール人が現代に子孫を残さずに絶滅したという考えは、いまだに世界中の学会に残っています。</blockquote>


　ナショナルジオグラフィック によれば、現代人とネアンデルタール人のゲノムは99.5%一致しているとのことです。これは30億ものDNA塩基対のうちの、0.03％の解析結果に過ぎませんが、99.5%の一致と言うのはかなり近い値です。（チンパンジーとヒトは98.5%の一致）
　
　少し前までネアンデルタール人の姿と言えばこんな感じでしたが…

<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/Neanderthaler_Funds.html" onclick="window.open('http://bbs.jinruisi.net/blog/Neanderthaler_Funds.html','popup','width=400,height=360,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bbs.jinruisi.net/blog/Neanderthaler_Funds-thumb.jpg" width="400" height="360" alt="" /></a>

　最近ではこんな復元図もあります。寒冷地対応で、色白の赤毛碧眼だったという設定。

<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/477px-Neanderthal_childs.html" onclick="window.open('http://bbs.jinruisi.net/blog/477px-Neanderthal_childs.html','popup','width=318,height=400,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bbs.jinruisi.net/blog/477px-Neanderthal_childs-thumb.jpg" width="318" height="400" alt="" /></a>

<blockquote>■■多様な石器類

　しかし、いろいろな発見されてきた科学的な証拠を突き合わせますと、そういう考えは根本的に間違いであると思います。

　ネアンデルタール人の石器は中期旧石器という石器の考古学的な編年の一部に相当します。
　この特徴は何かといいますと、前期旧石器のほうは非常に大型のものを主体としたコア＝ツールという、石を余分なところを打ち欠いて芯のところを使うのが主ですが、中期旧石器になると剥がした部分、これをフレイク、薄片といいますが、この薄片をまたさまざまに工夫していろんな二次的な加工を縁に施す、多種多様の石器が非常に発達してきます。
　これはネアンデルタールの時代の文化のレベルを表していて、生活が非常に多様化したということと結びついて考えられるのです。

　中期旧石器とその後のクロマニョンなどの新人の持っていた後期旧石器文化というものは当初は全く急激に入れ替わったという見方がされていて、それがブールのネアンデルタールが絶滅したという考えに結びついているのですが、こういう石器をヨーロッパで研究している先史学の大家であるボルドーはその後の詳細な調査の結果、中期旧石器と後期旧石器は連続していると明確に述べています。
　それでネアンデルタール人が絶滅したという根拠はなくなっていると考えられるのです。</blockquote>

<blockquote>■■言葉を話せたか？

　アメリカのリーバーマンは、舌と口腔からなる発生器官で喉頭から咽頭にいたる空間的スペースがネアンデルタール人では足りない。
　だからこういう人類は現代人並みの巧みな発音は不可能であると言っています。

　しかし、彼の復元図には、（意図的かわかりせんが）欠陥があります。普通、骨の間にあるべき、椎間板が描かれていないのです。椎間板を加えれば、人間らしい言語を発声するに十分な可能なスペースがあるのです。また、ネアンデルタール人の脳の容積は現代人とほとんど変わりません。

　決定的な証拠としてはネアンデルタール人の舌骨が発見されたということです。舌骨というのは、下顎の後ろの下の方にあって、たくさんのところと筋肉で結び付けられていて、いろいろな筋肉が言語を使用するときに役に立つ機能を持っているのですが、イスラエルのケパラという旧人の遺跡から、今まで知られていなかったネアンデルタール人の舌骨が極めて優秀な保存状態で発見されたのです。
　いくら人類に近いゴリラ・チンパンジーのような類人猿であっても、人間の舌骨の形と全く違うのですが、ネアンデルタール人の舌骨は現代人のものとよく似ています。
　こういうことからみてネアンデルタール人が現代人にほぼ近いほどの繊細な言語を操っていたということが想像できるわけです。</blockquote>


　このほかにも、遺伝子的には言語能力はあったというデータもあります。これまでの研究によると、ネアンデルタール人のDNAと現生人類との間では、FOXP2と呼ばれる“言語遺伝子”の同じバージョンが共有おり、この遺伝子は言語能力の発達に関与しているため、ネアンデルタール人は会話が可能だったということも考えられるというものです。（<a href="http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=17272094&expand">リンク</a>）

<blockquote>■■多人数による共同狩猟

　もう一つは彼らの遺跡から出てくる、彼らが狩猟をして食べたという動物です。

　旧人の段階になりますと、彼らが狩猟をして食べた動物の種類が変わってきます。彼らが一番たくさん取っているのはシカとかカモシカで、このようなものは原人段階ではあまり出てきません。
　シカやカモシカはご存知のように草食動物で極めて警戒心の強い逃げ足の速い動物で、小人数の狩猟ではなかなか捕まえることができません。ところがネアンデルタール人はこのような動物を大量に捕まえて食料にしていたのです。

　これは彼らの狩猟活動というのが相当多人数の共同活動で出来上がっていたということの間接的な証拠になると思います。</blockquote>

<blockquote>■■死者に花を捧げていた

　イラクに、シャニダール遺跡というネアンデルタール人の遺跡があるのですが、ここで遺体のまわりの土を花粉分析にかけたところ、これが全部きれいな花の咲く種類の花粉でした。
　植物の花粉というのはまわりの殻が非常に化学的に安定で長時間残るのですが、それを顕微鏡で見ますとその植物の種類まで判定することが出来るのです。それらの植物は今でもあの辺り一帯には見ることができますが、遺体のあった遺跡の周辺の土には花粉はない、七種類ぐらいのきれいな花の咲く種の花粉ばかりが遺体の周りに集中していることがわかったのです。

　これはネアンデルタール人が遺体を埋葬したと同時に、その葬儀に当たって遺体にきれいな花をささげたということの何よりの証拠です。つまり、死者を悼む生命観とこまやかな美的感覚を持っていたことを示しています。</blockquote>

<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2043j.html" onclick="window.open('http://bbs.jinruisi.net/blog/2043j.html','popup','width=520,height=347,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bbs.jinruisi.net/blog/2043j-thumb.jpg" width="520" height="347" alt="" /></a>

<blockquote>■■高度な集団生活

　シャニダールには萎縮してしまって片手の先がない人がいましたが、その人は４０歳ぐらいの年齢で死んでいることがわかりました。
　片手がないということは日常生活が非常に不便で、特に当時の採集狩猟文化の中では食料を得る上でまともに働くことの出来ない個体がいたことを示しています。

　これは男性ですが、この人が当時としては長寿のほうである４０まで生きるということが可能であったということは、そのような身体障害があってまともな生活能力のない人間でも、周りの人間に支えられて生きていたということを強力に物語っているのです。

　こういったことからも、ネアンデルタールの社会の成り立ちというものを推察することが出来るのです。

　ようするに旧人の段階にいたって人類は、きわめて人間らしい生活の水準に達していたことがわかるのです。
　遠い時代でも、いろんな生活の痕跡から見て、ネアンデルタール人が、今日からみて、十分人間らしい状態に達していたということが結論づけられる、というわけです。
　
　参考資料：佐倉　朔 「死の認識と葬儀の発生 」</blockquote>

　

　現生人類とネアンデルタール人が共通の祖先から枝分かれしたのは、遺伝子の違いから約37万年前だと言われています。出土した遺跡や骨格などから類推される事象を積み上げていくと、当時の人類とそれほど大きな文明の隔たりは無かったのではないかと思われます。したがって、彼らが滅びたのは現生人類との単純な種間闘争ではなかったことも類推できます。

　また、DNA解析の結果から、ネアンデルタール人に現生人類との混血の証拠は見られない（<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB%E4%BA%BA#cite_note-5">リンク</a>）ようですが、これには異論もあるようです。

　ネアンデルタール人と現生人類（クロマニヨン人）の交配の有無については、お互いの生息域が重なっていたのがヨーロッパ地方のみであることから、事実の追求にバイアスがかかっているとの話も聞きます。と言うのも、『交配の事実』＝『ヨーロッパ人（白人）はネアンデルタール人との混血種』となり、万物の長たる白人には耐え難いことだからです。このような優性思想は過去に『ピルトタウン人事件<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%E4%BA%BA">リンク</a>（人類発祥の地はイギリスである）』と言う捏造事件も生み出してしまいました。

　何事も、「全ての固定観念を捨てて事実の追求に向う姿勢」が大切です。次回はシリーズ最終回と言うことで、「人類の拡散と絶滅」　について追求します。　　


]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>「共認運動の実現構造とネットの可能性　」その⑥～チンケな運動（要求運動の終焉）～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/000761.html" />
   <id>tag:bbs.jinruisi.net,2010:/blog//1.761</id>
   
   <published>2010-03-09T14:50:18Z</published>
   <updated>2010-03-11T12:43:41Z</updated>
   
   <summary>前回までの記事：  :m162: 「共認運動の実現構造とネットの可能性」その①　～社会制度の最基底部の「婚姻」を議論できる場が無い～  :m162: 「共認運動の実現構造とネットの可能性」その②　～ネットにおけるツールの進化～  :m162: 「共認運動の実現構造とネットの可能性」その③　～潜在思念は、ネットに収束するか？～  :m162: 「共認運動の実現構造とネットの可能性」その④　～変革課題VS逃避解脱～ に引き続き、今回も「共認革命シリーズ」（９年前！！ :shock: ）から紹介します。 シリーズ５回目の今回は、「共認革命６　チンケな運動（要求運動の終焉）」を紹介しながら、要求運動の現在について見ていきたいと思います。 いつも応援ありがとうございます。  ...</summary>
   <author>
      <name>minene71</name>
      
   </author>
         <category term="Ｅ 8　日本" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bbs.jinruisi.net/blog/">
      <![CDATA[前回までの記事：
 :m162: <a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000739.html?i=200&c=400&m=9050"target="_blank">「共認運動の実現構造とネットの可能性」その①　～社会制度の最基底部の「婚姻」を議論できる場が無い～</a>
 :m162: <a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000745.html?i=200&c=400&m=9050"target="_blank">「共認運動の実現構造とネットの可能性」その②　～ネットにおけるツールの進化～</a>
 :m162: <a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/000754.html#more?i=200&c=400&m=9050"target="_blank">「共認運動の実現構造とネットの可能性」その③　～潜在思念は、ネットに収束するか？～</a>
 :m162: <a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/000760.html?i=200&c=400&m=9050"target="_blank">「共認運動の実現構造とネットの可能性」その④　～変革課題VS逃避解脱～</a>

に引き続き、今回も「共認革命シリーズ」（９年前！！ :shock: ）から紹介します。

シリーズ５回目の今回は、<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=9050"target="_blank">「共認革命６　チンケな運動（要求運動の終焉）」</a>を紹介しながら、要求運動の現在について見ていきたいと思います。

いつも応援ありがとうございます。 
<a href="http://blog.with2.net/link.php?556883" target="_blank"><img alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"src="http://bbs.jinruisi.net/blog/banner_04.gif" border="0" /></a>
<a href="http://history.blogmura.com/in/073662.html" target="_blank"><img height="15" alt="にほんブログ村 歴史ブログへ" src="http://history.blogmura.com/img/history80_15.gif" width="80" /></a>

]]>
      <![CDATA[つい１０年ほど前までは、かろうじて労資間闘争を目にすることがありましたが、今ではその活力は私権の衰弱と共に衰退してしまいました。
また、「ウーマンリブ」をはじめとする女性運動も同じです。
当時、女の商品化（奴隷化？）の反発から「女性にも私権獲得の機会を！」とする運動は、自由・平等などの観念に相まって賛同者を獲得していきました。

しかし、これらの運動の「今」はどうでしょう？
まず労働組合ですが、組合の組織率は年々低下（ :m118: 下のグラフ）しています。
多くの人は私権獲得よりも仕事での安定や充足を求め、就労前のアンケートでは「生きていく上で最低限の賃金でいい」という意識が登場するにまで変化してきました。
<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E7%B5%84%E5%90%88%E5%93%A1.html" onclick="window.open('http://bbs.jinruisi.net/blog/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E7%B5%84%E5%90%88%E5%93%A1.html','popup','width=801,height=397,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E7%B5%84%E5%90%88%E5%93%A1-thumb.gif" width="250" height="123" alt="" /></a>
※<a href="http://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/roushi/kiso/08/kekka.html"target="_blank">厚生労働省</a>より

女性運動も、女性主導という色彩は薄まり「男女共同○○」の様に変化してきました。
女性単独という意識が薄れ、「共同」という互いに意見し合う・尊重するという傾向となりました。

そんな中で、旧態然として権利の獲得を声高に叫んでいる「組合活動」「女性運動」に対する違和感になっているのだと思います。

この意識潮流の構造が、分かり易く書かれた記事がありますので紹介します。
<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=9050"target="_blank">共認革命６　チンケな運動（要求運動の終焉）</a>

<blockquote>社会的な問題意識の高い人々の中には、環境その他のサークルで活動している人も多い。しかし、どのサークルも参加者は少なく、ネットワーク化も進んでいない。従って、それらの活動が大きな運動に盛り上がってゆく感じがしない。何より、それらの活動の集積が社会を変えていくとは思えない。だから、普通の人は参加する気になれない。</blockquote>

<blockquote>この悪循環の根は、古い運動(論)のパラダイムにある。
´70年、貧困が消滅した途端に、思想は輝きを失い、無思想・無関心が蔓延していった。思想の終焉である。そして、思想の終焉と共に、運動は閉塞していった(ex.´70年以降の社・共の凋落は、誰の目にも明らか)。
その原因が、豊かさ追求(貧困からの脱出)と、それを正当化した近代思想(自由・個人・人権)と、それに導かれた要求運動というパラダイム全体の終焉であることは明らかである。ところが、今なお多くの運動が、とっくに輝きを失った近代思想に依拠し続けている。それでは、誰も(ごく一部の人しか)「運動」に参加してこないのも当然だろう。</blockquote>
<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/60012e99.jpg"><img alt="60012e99.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/60012e99-thumb.jpg" width="250" height="166" /></a>
<blockquote>もともとこの社会(市場社会)は、近代思想(恋愛・自由・個人・人権etc)に導かれて成長してきた。その同じ思想に立脚して、体制を転換させることなど出来る訳がない。にも拘らず、(新しい思想を構築しようとはしないで)「運動」を存続させようとすれば、身近で具体的な運動目標を結集軸にするしかなく、(もともとが体制と同じ思想に立脚しているので)身近な運動目標に埋没すればするほど体制に絡め取られて、体制の補完物になってゆく。</blockquote>

<blockquote>つまり、各運動団体は、今や夫々に体制の部分部分の穴埋め補修の役割を担うことによってかろうじて存続しているだけなので、自分たちの運動を統合するネットワークさえ形成できないのである。これでは、全国民的な運動NWに発展してゆける訳がない。
注：この点は、新しい運動である筈の、環境運動も同じである。
云うまでもなく環境破壊・肉体破壊の原因は、市場拡大にある。にも拘らず、市場拡大を推進してきた旧思想に代る新理論を構築できず、当の旧思想に依拠したままなので市場の補完運動に堕し(それではごく一部の人しか参加しないので)、環境運動のNW化さえ出来ないでいる。</blockquote>
<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/on.jpg"><img alt="on.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/on-thumb.jpg" width="250" height="187" /></a>


右肩上がり :m135: の成長期では<span style="color:#ff3300;"><span style="font-size:130%;">「反」</span></span>の運動や活動は成果を上げることができ、存在意義もあったといえます。
しかし、市場が縮小過程に入った今、私権の衰弱と共にその存在自体が無意味になってしまったのです。

先にも書いたように、多くの人は私権獲得よりも仕事での安定や充足を求めている事はだれの目にも明らかです。



]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>日本婚姻史１～その５:弥生時代前期の婚姻制度【持ち込まれた私婚制】</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/000763.html" />
   <id>tag:bbs.jinruisi.net,2010:/blog//1.763</id>
   
   <published>2010-03-08T10:24:08Z</published>
   <updated>2010-03-09T18:29:07Z</updated>
   
   <summary>日本の交叉婚の特殊性において、縄文人は、総偶婚という婚姻様式により、男･女の性的欠乏を解消し、集団内・外の争いの基となる自我を完全に封印してきた様子を見てきました。 総偶婚の本質とは、ひとことで言えば、どのような相手であれ仲間として受け入れる「肯定性」にあるといえるのではないでしょうか。 一方、現在の一対を前提とした婚姻制（私有婚）は、窮屈なだけでなく排他的な色彩を附帯しています。 今回は、この婚姻様式の変化が、どのようにしてもたらされたのかを明らかにしたいと思います。 　　　応援よろしくお願いします :roll:  　　　   ...</summary>
   <author>
      <name>naoto</name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bbs.jinruisi.net/blog/">
      <![CDATA[<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/000756.html">日本の交叉婚の特殊性</a>において、縄文人は、総偶婚という婚姻様式により、男･女の性的欠乏を解消し、集団内・外の争いの基となる自我を完全に封印してきた様子を見てきました。

総偶婚の本質とは、ひとことで言えば、<span style="color:#6666ff;">どのような相手であれ仲間として受け入れる「肯定性」</span>にあるといえるのではないでしょうか。

一方、現在の一対を前提とした婚姻制（私有婚）は、窮屈なだけでなく排他的な色彩を附帯しています。

今回は、この婚姻様式の変化が、どのようにしてもたらされたのかを明らかにしたいと思います。

　　　応援よろしくお願いします :roll: 

　　　<a href="http://blog.with2.net/link.php?556883" target="_blank"><img alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"src="http://bbs.jinruisi.net/blog/banner_04.gif" border="0" /></a> <a href="http://history.blogmura.com/in/073662.html" target="_blank"><img height="15" alt="にほんブログ村 歴史ブログへ" src="http://history.blogmura.com/img/history80_15.gif" width="80" /></a> 
]]>
      <![CDATA[ 　 <a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=39688">日本における私権時代への移行</a>
  　<a href="http://www.jinruisi.net/blog/2007/05/000171.html">群婚の崩壊</a>
  　<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2006/11/000064.html">苗（ミャオ）族って？</a> 　　       《参照》

　　　【<span style="color:#ff3300;">中国春秋・戦国時代の戦乱を逃れて江南人が渡来した。
　　　　この渡来人＝弥生人が、水稲稲作と私有意識→戦闘と妻問婚を持ち込んだ。</span>】
<blockquote>日本における私権時代への移行は、渡来人の価値観と制度がターニングポイントとなっていることが既に明らかになっている。この移行期における変化の推移を具体的に抑えていきたいと思う。学界では弥生時代を作ったのは北方民族であるという説が有力なようだが、実際は２段階であった可能性が高い。

まず2300年前後に日本に稲作を持ち込んだ部族は江南人と考えられる。
江南人とは中国の長江の下流及びその南部にいた人々を指す（当時の呉・越）。そして弥生時代を領導したのは彼らではないかと考えられる。当時の大陸（中国）は、群雄割拠の時代である。
2500年前に中国は斉・普・楚・呉・越の五国に分かれ相争っていた。

その後2400年前には楚が長江全域を制覇していく。
つまり当時既に呉越両国は押され気味であった可能性が高く、散発的に落ち武者が難を逃れて移住していた可能性が高い。
つまり最も早ければ2500年前から既に江南人は（少数）九州その他に漂着していた可能性がある。そして稲作の伝播ルートから考えて、南朝鮮を経由した可能性が高い。

更にその後2400年前に制圧された（滅亡した）江南人は新天地を求め、次々と日本に漂着したのではないか？（この漂着は最大2100年前まで約400年に亘った可能性がある）彼らはそれぞれ日本に少数の集団として定住する（一部は縄文集落に受け入れか？）。</blockquote>

<blockquote>彼らは戦乱の最中にあった部族である。かつ水稲農耕の技術と鉄器を持ち、租税制（階級支配）を既に経験している。当初は彼らは少数で、縄文人に対しての戦闘は行わなかったと考えられる。それどころか部分的には縄文集落に受け入れてもらい高い技術力をもって、世代を経て指導的立場に立ったことも考えられる。それは縄文人の受容れ体質から考えて充分にあり得る。加えて縄文末期は寒冷化の過程にあり、ピーク時に比して西日本では人口は1/4に激減。つまり食糧確保や生産力増強の必要があったのである。</blockquote>

<blockquote>紀元前2、3世紀の頃に移入された水田農耕の普及は、社会関係を複雑にし、孤立した氏族集落体から部族連合体への道がひらけはじめた。前2世紀の「漢書」には「楽浪海中有倭人、分為百余国」などとあり、部族（氏族の集まったもの）が百あまり、まだ部族連合も結成されずにばらばらに散在していた。3世紀ごろになると邪馬台国が出現し、30余国の部族連合がみられると「魏志」にいう。

<span style="color:#ff3300;">このような段階でもなおクナド婚は威力を発揮し、部族連合の一つの動力</span>となったが、その方式に特記すべき変革がおこった。</blockquote>

<blockquote>それは<span style="color:#ff3300;">神前集団婚から神前婚約がはじまり、それによって男が女の部落へ通う妻問形態の個別婚を生み出したこと</span>であった。

1）神前婚約については、「常陸風土記」の筑波山の条に、「俗言にいう。筑波の峯の会に、ツマドヒノモノを得ざれば、児女とせず」とあり、これは筑波山のカガヒに、婚約の贈り物がもらえないような女は、女として値打ちがないという意味。

2）「武烈伝」には、影姫という女がツバイチの市場の歌垣で求婚して欲しいと男に言っている記事があるが、歌垣での婚約を正式としたことが分かろう。なお、この影姫の場合、求婚の男が二人いたので、闘歌によって解決したことがみえている。求婚者間の闘歌は当の女と会衆との面前で勝敗が決せられるが、それが同時に神の裁きの意味にもなったであろう。

3）遠江国榛原郡川根村とその国境の駿河国志太郡伊久身村では、毎年旧正月7日から8日の朝にかけて、若い男女が入会山にのぼってヒヨドリ踊りという歌垣式乱舞をするが、そのとき好きな相手があれば婚約が成立し、神聖な婚約とされて尊重された。両部落にとってはいわば神前婚約クラブであった。</blockquote>

　  　

　　　　　　　　　　<img alt="%E8%8B%97%E6%97%8F.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E8%8B%97%E6%97%8F.jpg" width="448" height="336" />


　　　　　歌垣って何？と思われた方のために補足しておきます。
　　　　　【歌垣】
<blockquote>男女が集会し相互に掛合歌をうたうことによって求愛し，あるいは恋愛遊戯をする習俗で，年中行事あるいは儀礼として行われることが多い。

分布は古代日本のほかに，現代では中国南部からインドシナ半島北部の諸民族において濃密であり，フィリピンやインドネシアにも類似の掛合歌が行われている。

中国貴州省南東部のミヤオ族の場合では，歌垣はミヤオ語で遊方といい漢語では揺馬郎という。 村には遊方を催す場所が，村はずれの山の背に決められており，2月2日の敬橋節のような祭日や農閑期に行われる。毎晩8時か9時ごろから，夜中の1時か2時ごろまでつづく。女は15～16歳，男は16～17歳になると参加できる。60～70組の恋人が集まり，互いに向かい合って手をつなぎ，軽やかに裏声で恋歌を対唱し，愛情を伝え合い，他の組の邪魔はしない。

ベトナム北部のバクニン省の農村では，旧暦3月5日から12日までの村の鎮守の祭りには，毎晩集会所での儀式が終わったあとで，若い人たちは村の門のそばの繁みの下で掛合歌をやった。対になって歌い，その内容は愛をテーマとしていた。それから恋人たちは隠れたところに行って交わったが，その際，少女の同意なしに連れて行くことはできなかった。こうして親密になった二人は，祭日後，結婚することができた。

このような歌垣は，元来は集団的な成年式だったと考えられている。歌垣で婚約し，その後，多くの場合は収穫後に結婚式を挙げるというのが古い形式であったろう。この歌垣を催す民族には焼畑耕作をやっているものと，水稲耕作を営むものとの両方が含まれているが，おそらく元来は山地の焼畑耕作文化の要素であったろう。

<span style="color:#ff3300;">中国南部では，歌垣の習俗とほぼ重なって，結婚しても夫妻は別居し，しばらく一方が他方のところに通い，子どもが生まれてから同居する不落家の習俗が分布し，日本の妻問い婚を思わせる。</span></blockquote>

どうやら、日本の「妻問婚」の原形は、「歌垣」であると考えて良さそうです。
それでは、いよいよ、今回の記事で強調しておきたいポイントをあげたいと思います。

<blockquote>ここで、<span style="color:#ff3300;">何よりも重要なことは、彼らが持ち込んだ最大のものは稲作などではなく、「私権意識と私権制度」であることである。あるいは母系制で縄文人がまだしも受容れやすい、妻問い婚という婚姻制度であるとはいえ、私婚制度を持ち込んだことである。</span>そのようにして西日本では（とりわけ九州地方）私権化した弥生人が勢力を増大させ本格的侵攻を開始する。その結果各地に部族国家が乱立する。（おそらくその過程では残存する縄文部族は山間等僻地に後退したのだろう。）そのような時代が弥生時代（前期）なのではないだろうか？
その後弥生時代後記（1800～1700年前）に北方民族が本格的に襲来することで、広域の国家成立（大和）への道を辿っていたのではないか。</blockquote>

このように、妻問形態の個別婚が新しい時代の正式の婚姻制として表面化してきますが、大衆的には「夜這い」にみられる群婚原理も根強く持続していくことになります。

弥生時代前期の婚姻制は、縄文時代の婚姻制との融合的な色彩が強く、まだ排他性は薄いようですが、これを下敷きとして、後期には、北方民族のもたらした婚姻制を受け入れていくことになります。この北方民族のもたらした婚姻制が、現代の父系一対婚に繋がる本流ではないでしょうか？

次回は、そこを明らかにするために、弥生時代後期の婚姻制をみていきたいと思います。
]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>日本語の成り立ち（文字編）５～平仮名・片仮名の発明～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/000762.html" />
   <id>tag:bbs.jinruisi.net,2010:/blog//1.762</id>
   
   <published>2010-03-06T11:30:05Z</published>
   <updated>2010-03-07T08:00:50Z</updated>
   
   <summary><![CDATA[当シリーズ３『漢字の輸入と格闘』～４『万葉仮名の発明；縄文以来の言霊を生かす』で【漢字の日本語化】過程を追いかけてきました。 今回は、引続き平安期における仮名の進化【平仮名＋片仮名の発明】を押さえた上で、漢字の国語化の過程をおさらいしておきたいと思います。 ◆平仮名の発明～以下Wikipedia「平仮名」から引用　 すでに8世紀末の正倉院文書には、字形や筆順の上で平安時代の平仮名と通じる、なかば草体化した万葉仮名が見られる。9世紀中頃の『藤原有年申文』（867年）や同時期の『智証大師病中言上艸書』などの文書類にも見られる、これら省略の進んだ草書の万葉仮名を、平仮名の前段階である草仮名（そうがな）と呼ぶ。宇多天皇宸翰『周易抄』（897年）では、訓注に草仮名を、傍訓に片仮名を、それぞれ使い分けており、この頃から平仮名が独立した文字体系として次第に意識されつつあったことが窺える。 9世紀後半から歌文の表記に用いられていた平仮名が、公的な文書に現れるのは、醍醐天皇の時代の勅撰和歌集である古今和歌集（905年）が最初である。その序文は漢文である真名序と平仮名で書かれた仮名序の二つが併記された。 万葉仮名で使われた漢字と草仮名と平仮名 ◆片仮名の発明～以下Wikipedia「片仮名」から引用 片仮名の起源は、9世紀初めに奈良の古宗派の学僧が漢文を和読するため、訓点（引用者注；漢文を訓読するために、漢字の上や脇などに書き加える文字や符号、ヲコト点・返り点・送り仮名・ふり仮名など）として万葉仮名を付記したものに始まると考えられている。それらは余白に小さく素早く記す必要があったため、字形の省略・簡化が進んだ。片仮名はその発生より、僧侶や学者によって漢字の補助として使われることが多く、ごく初期から仮名交文に用いた例も見られる。 万葉仮名で使われた漢字と片仮名の対応 ◆漢字の日本語化年表 ・B.C.1500年以前；中国(殷(商))で「亀甲獣骨文字」漢字が誕生 ・B.C.221年；中国(秦)の始皇帝による「焚書坑儒」～文字・言語の統一 ・220年頃；現在も用いられている「明朝体の起源となる楷書」が確立 ・この頃から；「金石文」が刻まれた青銅器や金印などが中国から日本に持ち込まれる ・3c後半；(百済経由で持ち込まれた)『論語』『千字文』に対面(古事記&日本書紀による) ・(3cころの遺物に、漢字と思しきものが書かれている) ・443年；国内で漢字を銅鏡に刻み始めた(隅田八幡神社人物画像鏡;503年とする説もある) ・471年；万葉仮名的に漢字を使い始める(稲荷山古墳金錯銘鉄剣;531年とする説もある) ・629年～『万葉集』の和歌が詠まれ始め～木簡に万葉仮名で墨書？(難波宮跡出土) ・712年；『古事記』献上される ・8c半ば；『万葉集』編纂？(～完成は806年) ・8c末頃；万葉仮名→草仮名に変化；平仮名の起源 ・9c初め；漢文和読のための訓点；片仮名の起源 ・9c後半；和歌で平仮名使用が女性に広まる ・905年；『古今和歌集』編纂；平仮名による序文あり ・10c半ば；平仮名が現在に近いものになる ・12c：片仮名が現在に近いものになる ポチッとしてから続きをどうぞ！...]]></summary>
   <author>
      <name>nandeyanen</name>
      
   </author>
         <category term="Ｆ　日本人の起源" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bbs.jinruisi.net/blog/">
      <![CDATA[当シリーズ<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000755.html">３『漢字の輸入と格闘』</a>～<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000758.html">４『万葉仮名の発明；縄文以来の言霊を生かす』</a>で【漢字の日本語化】過程を追いかけてきました。
今回は、引続き平安期における仮名の進化<span style="color:#FFAE35;">【平仮名＋片仮名の発明】</span>を押さえた上で、漢字の国語化の過程をおさらいしておきたいと思います。

<span style="font-size:130%;"><span style="color:#ff3300;"><strong>◆平仮名の発明</strong></span></span>～以下<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BB%AE%E5%90%8D">Wikipedia「平仮名」</a>から引用　
<blockquote>すでに<span style="background:#FFE3E3">8世紀末の正倉院文書には、字形や筆順の上で平安時代の平仮名と通じる、なかば草体化した万葉仮名</span>が見られる。9世紀中頃の『藤原有年申文』（867年）や同時期の『智証大師病中言上艸書』などの文書類にも見られる、これら<span style="background:#FFE3E3"><strong>省略の進んだ草書の万葉仮名を、平仮名の前段階である草仮名（そうがな）と呼ぶ</strong>。</span>宇多天皇宸翰『周易抄』（897年）では、訓注に草仮名を、傍訓に片仮名を、それぞれ使い分けており、この頃から平仮名が独立した文字体系として次第に意識されつつあったことが窺える。
<span style="background:#FFE3E3">9世紀後半から歌文の表記に用いられていた平仮名が、公的な文書に現れるのは、醍醐天皇の時代の勅撰和歌集である古今和歌集（905年）が最初</span>である。その序文は漢文である真名序と平仮名で書かれた仮名序の二つが併記された。
<img alt="%E5%B9%B3%E4%BB%AE%E5%90%8D.png" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E5%B9%B3%E4%BB%AE%E5%90%8D.png" width="295" height="288" />万葉仮名で使われた漢字と草仮名と平仮名</blockquote>

<span style="font-size:130%;"><span style="color:#ff3300;"><strong>◆片仮名の発明</strong></span></span>～以下<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E4%BB%AE%E5%90%8D">Wikipedia「片仮名」</a>から引用
<blockquote>片仮名の起源は、<span style="background:#C8FFFF">9世紀初めに奈良の古宗派の学僧が漢文を和読するため、<strong>訓点（引用者注；漢文を訓読するために、漢字の上や脇などに書き加える文字や符号、ヲコト点・返り点・送り仮名・ふり仮名など）として万葉仮名を付記</strong>したもの</span>に始まると考えられている。それらは余白に小さく素早く記す必要があったため、字形の省略・簡化が進んだ。片仮名はその発生より、僧侶や学者によって漢字の補助として使われることが多く、ごく初期から仮名交文に用いた例も見られる。
<img alt="%E7%89%87%E4%BB%AE%E5%90%8D.png" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E7%89%87%E4%BB%AE%E5%90%8D.png" width="295" height="326" />万葉仮名で使われた漢字と片仮名の対応</blockquote>

<span style="color:#ff3300;"><span style="font-size:130%;"><strong>◆漢字の日本語化年表</strong></span></span>
<span style="color:#800080;">・B.C.1500年以前；中国(殷(商))で「亀甲獣骨文字」漢字が誕生
・B.C.221年；中国(秦)の始皇帝による「焚書坑儒」～文字・言語の統一
・220年頃；現在も用いられている「明朝体の起源となる楷書」が確立
・この頃から；「金石文」が刻まれた青銅器や金印などが中国から日本に持ち込まれる
・3c後半；(百済経由で持ち込まれた)『論語』『千字文』に対面(古事記&日本書紀による)
・(3cころの遺物に、漢字と思しきものが書かれている)
・443年；国内で漢字を銅鏡に刻み始めた(隅田八幡神社人物画像鏡;503年とする説もある)
・471年；万葉仮名的に漢字を使い始める(稲荷山古墳金錯銘鉄剣;531年とする説もある)
・629年～『万葉集』の和歌が詠まれ始め～木簡に万葉仮名で墨書？(難波宮跡出土)
・712年；『古事記』献上される
・8c半ば；『万葉集』編纂？(～完成は806年)
・8c末頃；万葉仮名→草仮名に変化；平仮名の起源
・9c初め；漢文和読のための訓点；片仮名の起源
・9c後半；和歌で平仮名使用が女性に広まる
・905年；『古今和歌集』編纂；平仮名による序文あり
・10c半ば；平仮名が現在に近いものになる
・12c：片仮名が現在に近いものになる</span>

<a href="http://blog.with2.net/link.php?556883" target="_blank"><img alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"src="http://bbs.jinruisi.net/blog/banner_04.gif" border="0" /></a><a href="http://history.blogmura.com/in/073662.html" target="_blank"><img height="15" alt="にほんブログ村 歴史ブログへ" src="http://history.blogmura.com/img/history80_15.gif" width="80" /></a>ポチッとしてから続きをどうぞ！]]>
      <![CDATA[◆ここで再度<a href="http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog221.html">『国際派日本人養成講座>平成13年一覧>国柄探訪>121 日本思想>210.3 古代>800 言語>漢字と格闘した古代日本人』</a>より抜粋引用します。
<blockquote>８．カタカナ、ひらがなと訓読みの発明

漢字という初めて見る文字体系を前に、古代日本人が直面していた危機は、<span style="background:#FFFFA4">文字に書けない日本語とともに自分たちの「言霊」を失うかも知れない</span>、という恐れだった。しかし、古代日本人は安易に漢語に乗り換えるような事をせずに漢字に頑強に抵抗し、なんとか<span style="background:#C8FFFF">日本語の言霊を生かしたまま、漢字で書き表そう</span>と苦闘を続けた。

そのための最初の工夫が、漢字の音のみをとって、意味を無視してしまうという知恵だった。英語の例で言えば、mountainを「末宇无天无」と表記する。「末」の意味は無視してしまい、「マ」という日本語の一音を表すためにのみ使う。万葉集の歌は、このような万葉がなによって音を中心に表記された。

さらにどうせ表音文字として使うなら、綴りは少ない方が効率的だし、<span style="background:#FFE3E3">漢字の形を崩してしまえばその意味は抹殺できる。そこで「末」の漢字の上の方をとって「マ」というカタカナが作られ、また「末」全体を略して、「ま」というひらがなが作られた。漢人の「末」にこめた言霊は、こうして抹殺された</span>のである。
日本人が最初に接した文字は不幸にもアルファベットのような表音文字ではなく、漢字という表語文字だったが、それを表音文字に改造することによって、古代日本人はその困難を乗り越えていったのである。

しかし、同時に漢字の表語文字としての表現の簡潔さ、視覚性という利点も捨てきれない。mountainをいちいち、「末宇无天无」と書いていては、いかにも非効率であり、読みにくい。そこで、今度は漢字で「山」と書いて、その音を無視して、moutainと読んでしまう「訓読み」という離れ業を発明した。こうして「やま　の　うえ」という表現が、「山の上」と簡潔で、読みやすく表現でき、さらに「やま」「うえ」という日本語の言霊も継承できるようになったのである。</blockquote>

◆日本人は<span style="color:#800080;"><strong><span style="font-size:130%;">縄文以来の本源性を継承</span></strong></span>しつつ、大陸からの影響を受けながらも、<span style="color:#800080;"><strong><span style="font-size:130%;">自律的に独自の観念を発達させてきた。</span></strong></span>
この<span style="background:#C8FFFF">本源性の基盤は<span style="color:#ff3300;">【大和言葉＋漢字＝日本語】</span>にある</span>のではないでしょうか？]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>「共認運動の実現構造とネットの可能性」その④　～変革課題VS逃避解脱～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/000760.html" />
   <id>tag:bbs.jinruisi.net,2010:/blog//1.760</id>
   
   <published>2010-03-05T01:32:05Z</published>
   <updated>2010-03-05T16:42:46Z</updated>
   
   <summary> 前回までの記事： 「共認運動の実現構造とネットの可能性」その①　～社会制度の最基底部の「婚姻」を議論できる場が無い～ 「共認運動の実現構造とネットの可能性」その②　～ネットにおけるツールの進化～ 「共認運動の実現構造とネットの可能性」その③　～潜在思念は、ネットに収束するか？～ に引き続き、今回も、９年前に投稿されたるいネット記事「共認革命シリーズ」から紹介します。 シリーズ４回目の今回は、「共認革命５　変革課題VS逃避解脱」を紹介しながら、現在のネット生活の中身（ネット利用状況）について見ていきたいと思います。 いつも応援ありがとうございます。    ...</summary>
   <author>
      <name>echo</name>
      
   </author>
         <category term="Ｅ 8　日本" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bbs.jinruisi.net/blog/">
      <![CDATA[<img alt="gazou1.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/gazou1.jpg" width="140" height="140" />

前回までの記事：
<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000739.html"target="_blank">「共認運動の実現構造とネットの可能性」その①　～社会制度の最基底部の「婚姻」を議論できる場が無い～</a><a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000745.html"target="_blank">
「共認運動の実現構造とネットの可能性」その②　～ネットにおけるツールの進化～</a><a href=" http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/000754.html#more"target="_blank">
「共認運動の実現構造とネットの可能性」その③　～潜在思念は、ネットに収束するか？～</a>
に引き続き、今回も、９年前に投稿されたるいネット記事「共認革命シリーズ」から紹介します。

シリーズ４回目の今回は、<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=8536"target="_blank">「共認革命５　変革課題VS逃避解脱」</a>を紹介しながら、現在のネット生活の中身（ネット利用状況）について見ていきたいと思います。

いつも応援ありがとうございます。 

<a href="http://blog.with2.net/link.php?556883" target="_blank"><img alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"src="http://bbs.jinruisi.net/blog/banner_04.gif" border="0" /></a> 
<a href="http://history.blogmura.com/in/073662.html" target="_blank"><img height="15" alt="にほんブログ村 歴史ブログへ" src="http://history.blogmura.com/img/history80_15.gif" width="80" /></a>

]]>
      <![CDATA[　　　　　　　<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=8536"target="_blank">
「共認革命５　変革課題VS逃避解脱」</a>

<blockquote>
☆ネットでも、相変わらず逃避解脱(H系や出会い系やゲーム系)が中心である。
※私権圧力からの逃避というパラダイムにある限り、H系・出会い系・ゲーム系・チャット系の中身それ自体の空疎化は避けられない。しかも、それらは現実逃避であるが故に、実生活から断絶した虚の生活である。
現状は、仲間圧力(の中に混在する私権的なるものと)の葛藤ゆえに、ゲーム逃避etcの引力はまだまだ根強いが、私権の全面衰弱が進行してゆけば、いずれは空虚感・空疎感が強まり、実生活と繋がった中身のあるサイトへと移行してゆく。


図解
<img alt="okada010822.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/okada010822.jpg" width="556" height="126" />


●変革課題の顕現化と逃避集合(マイナス解脱)の空疎化は、同時並行的に進行する。
●変革期待⇒評価共認の顕現圧力は、中身共認・課題共認を潜醸し、それら潜在期待がネットに収束する。
●ネット上では、倒錯観念や説明思考は敬遠され、潜在思念に基づく探求思考や実感投稿が歓迎される。
</blockquote> 
 

<spanstyle="color:black"><b>☆現在のネット生活の中身とは？この10年間でネットはどう変わってきたのか？</b></span>

○現在、感覚レベルでも、ネットは随分と日常生活と繋がりを持つようになってきました。日頃の活動（仕事・生活）で思いつくままに上げてみると、
・メール、資料データのやり取り
・調べ物・検索
・ブログ、MM、SNS、Twitter・・・
・ニュース・天気予報
・質問と回答
・ショッピング（本の購入など）、オークション
・ホテルや乗車券の予約
・地図情報の入手
・時刻表、乗り換え案内
・グルメ情報
・ネットバンク
　・・・・・等々、色んな場面でネットを利用していることに気づかされます。

○前回に引き続き、<a href="http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/statistics/data/090407_1.pdf"target="_blank">平成２０年「通信利用動向調査」結果（総務省）</a>より、ネットの利用状況データを以下に紹介します。

<blockquote>
１ インターネット等の普及状況

（１） インターネット利用者数及び人口普及率 （個人）
 過去1年間にインターネットを利用したことのある人は推計で９，０９１万人と、前年に比べ２８０万人の増加。人口普及率は７５．３％となった。 個人がインターネットを利用する際に使用する端末（「パソコン」「携帯電話・ＰＨＳ等」「ゲーム機・ＴＶ等」）を見ると、それぞれ前年に比べて利用者数が増加しているが、特に、「ゲーム機・ＴＶ等」からのインターネット利用者が２０９万人増（対前年比５８．４％増）と急速に拡大している。

<img alt="figure4.gif" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/figure4.gif" width="552" height="300" />

</blockquote> 

<blockquote>
２ 個人・世帯におけるＩＣＴ利用の進展状況

（１） インターネットの利用目的 （個人） 
インターネットの利用目的については、パソコンからの利用は「企業・政府等のホームページ（ウェブ）・ブログ（ウェブログ）の閲覧」が５６．８％と最も高い。一方、携帯電話からの利用は「電子メールの受発信」が５４．５％と最も高くなっており、機器の特性に応じた利用を行っていることがうかがえる。

（２） インターネットにより購入・取引した商品・サービス （個人）
 インターネットにより商品等の購入や金融取引をしたことのある人の割合は、５３．６％（対前年０．９ポイント増）。購入・取引した商品・サービスをみると、男女ともに約半数がデジタルコンテンツを購入している。デジタルコンテンツ以外では、男性は「趣味関連品・雑貨」（３７．５％）、女性は「衣料品・アクセサリー類」（４３．８％）が突出して多くなっている。

（３） インターネットで商品を購入する理由 （個人） 
インターネットで商品を購入する理由として、過半数の人が「店舗の営業時間を気にせず買い物できるから」（５５．９％）、「店舗までの移動時間・交通費がかからないから」（５０．１％）を挙げており、時間・空間の制約のなさを利点として挙げている。

<img alt="figure5.gif" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/figure5.gif" width="552" height="462" />
</blockquote>

（以上、<a href="http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/statistics/data/090407_1.pdf"target="_blank">平成２０年「通信利用動向調査」結果（総務省）</a>より引用）


ネットの普及状況としては、平成11年の利用者数2706万人・人口普及率21.4％から、平成20年時点では利用者数9091万人・人口普及率75.3％と、この10年間で個人・企業において着々と広がってきているようです。
また、ネットの利用目的も、HP閲覧・メール・商品サービスの利用等々、実生活（現実）の役に立つものが上位を占めています。
10年前にネットサイトの中心を成していた逃避解脱系(H系や出会い系やゲーム系)のサイトは、今や利用比率から見てもあきらかに少数派に衰退してきているのではないでしょうか？

まさに、<span style="color:blue"><b>今やネットが「実生活と繋がった中身のある＝現実の役に立つ」ツールとして人々の収束先となっている</b></span> :m034: ことが伺えます。

また、例えばこの間の小沢vs検察報道に対するブログでの追求など、<spanstyle="color:black"><b>マスコミの流す情報ではなく本当のことは何なのか？みんなどう感じているのか？と、ネットによる事実探索、社会収束が進行している:m034: </b></span>と言えそうです。

<spanstyle="color:black"><b>☆<a href="http://blog.trend-review.net/blog/2010/02/001538.html"target="_blank">「遊びの失速」</a>が顕現化した現在。変革課題の顕現化⇒ネットへの収束⇒探求思考や実感投稿⇒共認形成へと、共認運動の実現に向けたネット利用が今後ますます進展していくのではないでしょうか？</b></span> :m034:  :m045:  :m048: 

]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>「共認運動の実現構造とネットの可能性　」その③～潜在思念は、ネットに収束するか？～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/000754.html" />
   <id>tag:bbs.jinruisi.net,2010:/blog//1.754</id>
   
   <published>2010-03-04T11:43:47Z</published>
   <updated>2010-03-04T13:25:03Z</updated>
   
   <summary>前回の記事： 「共認運動の実現構造と、ネットの可能性」その①　～社会制度の最基底部の「婚姻」を議論できる場が無い～ 「共認運動の実現構造とネットの可能性　」その②　～ネットにおけるツールの進化～ に引き続き、「潜在思念は、ネットに収束するか？」を探っていきます。 まずは、前回に引き続き９年前に投稿されたるいネットの記事「共認革命シリーズ」から紹介します。 今日もポチッとお願いします。 :m118:  :D  :m118:     ...</summary>
   <author>
      <name>gabor</name>
      
   </author>
         <category term="Ｅ 8　日本" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bbs.jinruisi.net/blog/">
      <![CDATA[前回の記事：
<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000739.html" target="_blank">「共認運動の実現構造と、ネットの可能性」その①　～社会制度の最基底部の「婚姻」を議論できる場が無い～</a>
<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000745.html" target="_blank">「共認運動の実現構造とネットの可能性　」その②　～ネットにおけるツールの進化～</a>
に引き続き、「潜在思念は、ネットに収束するか？」を探っていきます。

まずは、前回に引き続き９年前に投稿されたるいネットの記事「共認革命シリーズ」から紹介します。

今日もポチッとお願いします。 :m118:  :D  :m118: 
<a href="http://blog.with2.net/link.php?556883" target="_blank"><img alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"src="http://bbs.jinruisi.net/blog/banner_04.gif" border="0" /></a> <a href="http://history.blogmura.com/in/073662.html" target="_blank"><img height="15" alt="にほんブログ村 歴史ブログへ" src="http://history.blogmura.com/img/history80_15.gif" width="80" /></a> 


]]>
      <![CDATA[<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=8535" target="_blank">共認革命４　潜在思念は、ネットに収束するか？</a>
<blockquote>●本源回路の、本源的(根源的)な作動＝つながり欠乏といい人収束。
本源回路の、私権的(習慣的)な作動＝逃避の解脱収束とスター評価収束。

●本源収束＝つながり・広がり欠乏や応望収束とは、脳内の(絶対本能に近い)絶対回路の作動である。しかし、現実の家族や学校や職場etc私権集団のしがらみの中では、本源回路を充足させる事が、できない。だが、ネットなら、それら一切の私権集団のしがらみから離脱して、云わば純粋無垢で、より広がりのある関係を形成できる。実際、既に、即返信(＝応望)の規範や否定のタブーが、(未確立ながら)形成されている。
つまり、ネットは私権集団のしがらみから脱却しようとする、本源的(脱自我)かつ社会的(広がり)な集合の場である。</blockquote>

現状におけるインターネットの普及状況を見てみよう！総務省の「平成２０年通信利用動向調査の結果（概要）」より引用します。

<blockquote>１ インターネット等の普及状況

（１） インターネット利用者数及び人口普及率 （個人）

過去1年間にインターネットを利用したことのある人は推計で<span style="color:red"><b>９，０９１万人</b></span>と、前年に比べ２８０万人の増加。<span style="color:red"><b>人口普及率は７５．３％</b></span>となった。 個人がインターネットを利用する際に使用する端末（「パソコン」「携帯電話・ＰＨＳ等」「ゲーム機・ＴＶ等」）を見ると、それぞれ前年に比べて利用者数が増加しているが、特に、「ゲーム機・ＴＶ等」からのインターネット利用者が２０９万人増（対前年比５８．４％増）と急速に拡大している。</blockquote>
　　　　<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E6%99%AE%E5%8F%8A%E7%8E%87.gif"><img alt="%E6%99%AE%E5%8F%8A%E7%8E%87.gif" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E6%99%AE%E5%8F%8A%E7%8E%87-thumb.gif" width="512" height="461" /></a>

<blockquote>（２） インターネット利用率 （個人）

インターネットの世代別の個人利用率を見ると、<span style="color:red"><b>１３歳～４０歳代までは９割を超えている</b></span>が、６０歳以上になると、利用率が低くなっている。 また、所属世帯年収別にみると、低所得者ほどインターネットの利用率が低くなっている。</blockquote>

　　　　<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/l4101030.png"><img alt="l4101030.png" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/l4101030-thumb.png" width="659" height="461" /></a>

驚くべき数字であることがわかる。今の40代までの人が今後歳を経て行くと、ほぼ90%以上の国民がネットと関わりを持つまでに普及することになります。また、この数字は、単に興味があるというレベルではなく、明らかに可能性収束した形であると思います :m027: 

<blockquote>
●ネット生活は、(つながり・広がりを求めて)まず注目すべき人や活動や情報を探索することから始まるが、それは、今何が起きようとしているのかを注視する(真猿の同類闘争時にも匹敵する)社会探索に他ならない。
と同時に、それは自分たちの新たな場＝ネットの可能性の探索でもあり、その期待に応えて続々と新しいサイトが生み出されている（但し、まだまだ極めて不充分なものしか無い）。</blockquote>

インターネットのあり方も大きな変化を見せている！
ホームページ(掲示板）(1995年)
     :m118: 
ブログ(2002年)
     :m118:
ソーシャルネットワーク(ex.mixi)(2004年)
     :m118:
ツイッター(twitter)(2008年)と変化してきています。この変化も、より多くの人と繋がれる方向へと進化してきたとも言えます :m027: 

<blockquote>
●私権圧力からの逃避としての個的生活は、私権が衰弱するにつれて中身がとことん空疎化し、無意味になる。
↓
☆いずれ、中身の無い個的生活より、中身のあるネット生活の方が、有意義になる。
↑
●ネットに参加して、互いに実感を語り合うこと自体が、緩やかな中身共認・課題共認を形成してゆく。</blockquote>

いまや、インターネットはテレビに変わる貴重な情報源である。個的生活は私権の終焉とともにとことん衰弱し、無内容になっています。だからこそ、中身のない個的生活より、中身のあるネット生活＝事実収束や認識収束へと人々の意識は明確に変化していると思います。ネットへの関わりも、より多くの人と実感をすり合わせていけるツイッターへの変化も見逃せません :m027: 

<blockquote>
逃避集合(マイナス解脱)＝私権圧力から逃避して群れる若者は遅れている。⇒いずれ、ネット生活者になるが、解脱収束かドグマ収束で×。
充足集合(プラス解脱)＝私権圧力を軽く超えて、仲間充足に向かう本源派。⇒周りの実関係の空疎化は避けられず、中身（課題）と広がりを求めて、いずれはネットに参加する。
</blockquote>

インターネット創設期は、発信力の強い旧人＝ドグマ人間によるものが多くありました。そして、解脱逃避先としてのインターネットの役割があったのも周知の事実でしょう。しかし、その時代も解脱である以上、そう長くは続くものではなく、今や、解脱よりも情報収集への役割をインターネットに求める人の方が多いでしょう！

また、しがらみという極めて狭い世界では窮屈であり、そのしがらみを越えて実関係が結べるインターネットの可能性が見て取れます。

2001年の投稿ですが、人々の潜在思念からどう進んでいくのか？を予見した内容ですが、ここまでしっかり現実の世界も進んで来ていることに驚きです。これが次代を
読む認識力であると感じました :m027: 

次回は、この広がっているネット生活の中身はどのようになっているのかを具体的に見て行きたいと思います。

by　復讐の叫び]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>日本婚姻史１～その４:日本の交叉婚の特殊性</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/000756.html" />
   <id>tag:bbs.jinruisi.net,2010:/blog//1.756</id>
   
   <published>2010-03-03T00:51:04Z</published>
   <updated>2010-03-03T06:06:53Z</updated>
   
   <summary> 前々回と前回にわたって、縄文時代の婚姻制【兄妹総偶婚⇒交叉総偶婚】の流れを、気候風土や集団内墓地の埋葬形態などから解明してきました。 【総偶婚】 集団ごとの男達と女達が分け隔てなく交わりあう婚姻様式。 約1万年前、採集･漁労部族はこの総偶婚によって（期待・応合充足を破壊する）性闘争を完璧に解消し、自我回路をほぼ完全に封印していた。日本においては村内婚（夜這い婚）の形で、昭和30年代頃まで農村部で存続していた。 『るいネット定義集』より引用 前回、世界の交叉総偶婚を婚姻形態を図解でも紹介しましたが、日本の交叉総偶婚の婚姻形態は世界の交叉総偶婚の中でも少し変わっているようです。 今回は、日本の縄文時代の交叉総偶婚とはどういったものだったのか？その特殊性について紹介したいと思います。 続きに行く前に、応援よろしくお願いします。:m071:  :m071:  :m071:  :m113:   :m118:  :m118:  :m118:  :m118:  :m118:    ...</summary>
   <author>
      <name>yidaki</name>
      
   </author>
         <category term="Ｅ 8　日本" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bbs.jinruisi.net/blog/">
      <![CDATA[<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E5%A6%8A%E5%A8%A0%E3%81%97%E3%81%9F%E5%9C%9F%E5%81%B6.jpg"><img alt="%E5%A6%8A%E5%A8%A0%E3%81%97%E3%81%9F%E5%9C%9F%E5%81%B6.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E5%A6%8A%E5%A8%A0%E3%81%97%E3%81%9F%E5%9C%9F%E5%81%B6-thumb.jpg" width="300" height="263" /></a>

<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000749.html#more">前々回</a>と<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000757.html">前回</a>にわたって、縄文時代の婚姻制<strong><span style="color:#ff3300;">【兄妹総偶婚⇒交叉総偶婚】</span></strong>の流れを、気候風土や集団内墓地の埋葬形態などから解明してきました。

<blockquote>【総偶婚】
集団ごとの男達と女達が分け隔てなく交わりあう婚姻様式。
約1万年前、採集･漁労部族はこの総偶婚によって（期待・応合充足を破壊する）性闘争を完璧に解消し、自我回路をほぼ完全に封印していた。日本においては村内婚（夜這い婚）の形で、昭和30年代頃まで農村部で存続していた。
<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=400&t=12">『るいネット定義集』</a>より引用</blockquote>

<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000757.html">前回</a>、世界の交叉総偶婚を婚姻形態を図解でも紹介しましたが、日本の交叉総偶婚の婚姻形態は世界の交叉総偶婚の中でも少し変わっているようです。

今回は、日本の縄文時代の交叉総偶婚とはどういったものだったのか？その特殊性について紹介したいと思います。

続きに行く前に、応援よろしくお願いします。:m071:  :m071:  :m071:  :m113: 
 :m118:  :m118:  :m118:  :m118:  :m118: 
<a href="http://blog.with2.net/link.php?556883" target="_blank"><img alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"src="http://bbs.jinruisi.net/blog/banner_04.gif" border="0" /></a> <a href="http://history.blogmura.com/" target="_blank"><img height="15" alt="にほんブログ村 歴史ブログへ" src="http://history.blogmura.com/img/history80_15.gif" width="80" /></a> ]]>
      <![CDATA[<span style="background:#FFDBA4"><span style="font-size:130%;"><strong>★日本の交叉総偶婚【クナド婚】とは？</strong></span></span>

<strong>■クナドとは？</strong>
<span style="color:#ff3300;"><strong>クナグという古語は性交を意味します。</strong></span>（『<a href="http://www.jinruisi.net/blog/2006/12/000068.html">トツグ、マク、クナグ</a>』参照）
「允恭紀」にマクナギ、「霊異記」に婚合をクナガヒ、「今昔」にクナグ、「続古事談」に「妻をば人にクナガレて」などという表現があります。つまり<span style="color:#ff3300;"><strong>クナドとはクナギドコロ、すなわち婚所を意味します。</strong></span>

<strong>■クナド婚とは？</strong>
クナドの神なるものは、数ヵ村共有のヒロバや入会山や交通の要路（いわゆるヤチマタや物々交換の市場）や村の入口に祭ってある石神であるが、その性格は一面が交通の神、他面が性の神という複雑さをもっています。

クナドは文字通り神前共婚の場所ですが、そのことによって他群と交通し結びつくことになる場所でもあります。<span style="color:#ff3300;"><strong>原始段階では性交は同族化を意味します。排他的な異族の間では性の交歓だけが（ときには性器の見せ合いだけでも）和平への道であり、理解への道であり、村つくり、国つくりの道でもあったようです。</strong></span>
詳しくは、<a href="http://www.jinruisi.net/blog/2007/05/000164.html">『日本婚姻史３　族外婚』</a>を参照

<strong><span style="color:#ff3300;">祭事の折など、数ヵ村共有のヒロバ（広場）に集まり、男達と女達が分け隔てなく交わりあう交叉総偶婚という婚姻形態を取っていたようです。</span></strong>

<span style="background:#FFDBA4"><span style="font-size:130%;"><strong>★海外の交叉総偶婚とは厳格に規範化された婚姻制度</strong></span></span>

交叉総偶婚（族外婚）の典型はオーストラリアのアボリジニ先住民族に見られます。、Ａ群の全男子はＢ群の全女子と夫婦、Ｂ群の全男子はＡ群の全女子と夫婦というものです。有名なカミラロイのように四群からなるもの、八群からなるものなどいろいろあるが、基本的には二群式が原則です。

<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E7%B7%8F%E5%81%B6%E5%A9%9A%E5%A9%9A%E5%A9%9A.jpg"><img alt="%E7%B7%8F%E5%81%B6%E5%A9%9A%E5%A9%9A%E5%A9%9A.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E7%B7%8F%E5%81%B6%E5%A9%9A%E5%A9%9A%E5%A9%9A-thumb.jpg" width="300" height="630" /></a><a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2009/10/000685.html">図解引用先</a>

上図のように、海外の交叉総偶婚とは厳格に規範化された婚姻制度となっています。

<span style="background:#FFDBA4"><span style="font-size:130%;"><strong>★なぜ交叉総偶婚という厳格な規範化がなされたのか？</strong></span></span>

ここは仮説ですが、日本と違い他民族や他人種との同類闘争の中で、集団統合の観点から軋轢を避け厳格が規範化がなされたのかも知れません。
日本の場合、弥生時代に入るまで、他民族との接触がなかったため、日本独自の交叉総偶婚が成立したのかもしれません。

<span style="background:#FFDBA4"><strong><span style="font-size:130%;">★日本の独自の交叉総偶婚【クナド婚】は、おおらかな婚姻制度</span></strong></span>

<blockquote>日本では、二群単位とは限らず、二群でも三群でもが集落をなし、その中央に祭祀施設のあるヒロバをもち、そこをクナド（神前の公開婚所）とし、集落の全男女が相あつまって共婚行事をもつことによって、族外婚段階を経過したと考えられます。

<strong><span style="color:#ff3300;">日本は特殊で、実母子間の禁婚のみが顕著で、父系（父・娘）や兄妹の禁婚は元来なかったとされています。</span></strong>交叉婚は厳密には兄妹婚のタブー（勿論父・娘もタブー）をもって成立しますが（世界史的にはそう）、<strong><span style="color:#ff3300;">日本は複数群のヒロバでの共婚ですから、兄妹婚黙認の交叉婚</span></strong>と考えているわけです。それまでの氏族内兄妹婚からすると、他氏族と交わるわけですから一見兄妹婚タブーと映りますが、厳密に貫徹するためには、兄妹同士が当たる可能性のある共婚にはならないのでは、というのが根拠です。他氏族との交わりが優先されたのは確かでしょうが、<strong><span style="color:#ff3300;">何ともルーズな婚姻制</span></strong>だと思います。
（るいネット「<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=22267">日本の交叉婚の特殊性</a>」より引用）</blockquote>

<strong><span style="color:#ff3300;">日本の交叉総偶婚は兄妹婚黙認の【拡大総偶婚】とでもいうべき世界史的にも非常に希な形態です。</span></strong>

集団の人数が増えても、充足・集団統合から婚姻形態が決められ、縄文人の共同性や期待応望によるみんなの充足に重きが置かれていた事がわかります。

＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

以上が、縄文時代の婚姻制度でした。

しかし、渡来人が入ってきた弥生時代は、【拡大総偶婚⇒対偶婚（一対一の関係）】へ劇的に変わって行きます。この変化には、私有意識や私権観念が流入してきた事を意味すると思われます。
次回は、弥生時代の婚姻制度を追求していきます。

ご期待ください :m049: 
]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>人類の進化　５　観念機能の進化 ～言語の起源～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/000759.html" />
   <id>tag:bbs.jinruisi.net,2010:/blog//1.759</id>
   
   <published>2010-03-02T11:00:00Z</published>
   <updated>2010-03-02T15:36:20Z</updated>
   
   <summary>　  　画像は「生物史から自然の摂理を読み解く」よりお借りしました。 　 前回の記事では初期人類の観念機能獲得の前夜と言える猿人段階の脳進化を扱いました。 約７００万年前の猿人が 　①歩行訓練における共認機能の発達 　②食生の肉食化（死肉食） 　③遺伝子の変化。により知能発達＝脳進化を遂げて言ったのです。 そして「二足歩行」でさらに脳の高機能化をはかった種が観念機能の獲得に至った、 と記述しました。 今回は知能発達した猿人がいつから言語を話し始めたのか調べてみました。 “るいネット”の「ヒトはいつから言葉を話し始めたのか」と言う投稿を紹介します。 その前にクリックして応援して下さい。 　 :m118: 　　 :m118: 　　 :m118:    ...</summary>
   <author>
      <name>mukai</name>
      
   </author>
         <category term="Ａ　人類の起源を探る" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bbs.jinruisi.net/blog/">
      <![CDATA[　<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E8%84%B3%E5%AE%B9%E9%87%8F%E3%81%AE%E6%8E%A8%E7%A7%BB.html" onclick="window.open('http://bbs.jinruisi.net/blog/%E8%84%B3%E5%AE%B9%E9%87%8F%E3%81%AE%E6%8E%A8%E7%A7%BB.html','popup','width=749,height=670,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E8%84%B3%E5%AE%B9%E9%87%8F%E3%81%AE%E6%8E%A8%E7%A7%BB-thumb.JPG" width="374" height="335" alt="" /></a>
 　画像は「<a href="http://www.biological-j.net/blog/2009/06/000773.html">生物史から自然の摂理を読み解く</a>」よりお借りしました。
　
<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000750.html">前回</a>の記事では初期人類の観念機能獲得の前夜と言える猿人段階の脳進化を扱いました。
約７００万年前の猿人が
　①歩行訓練における共認機能の発達
　②食生の肉食化（死肉食）
　③遺伝子の変化。により知能発達＝脳進化を遂げて言ったのです。
そして「二足歩行」でさらに脳の高機能化をはかった種が観念機能の獲得に至った、
と記述しました。

今回は知能発達した猿人がいつから言語を話し始めたのか調べてみました。
“<a href="http://www.rui.jp/">るいネット</a>”の「ヒトはいつから言葉を話し始めたのか」と言う投稿を紹介します。

その前にクリックして応援して下さい。
　 :m118: 　　 :m118: 　　 :m118: 
<a href="http://blog.with2.net/link.php?556883" target="_blank"><img alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"src="http://bbs.jinruisi.net/blog/banner_04.gif" border="0" /></a><a href="http://history.blogmura.com/in/073662.html" target="_blank"><img height="15" alt="にほんブログ村 歴史ブログへ" src="http://history.blogmura.com/img/history80_15.gif" width="80" /></a> 
]]>
      <![CDATA[<span style="background:#A4FFA4"><blockquote>　　
●<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=19909">ヒトはいつから言葉を話し始めたのか（１）</a>
　
言語の起源についての究極要因や直接要因を考える前に、人類学の成果からの基礎的な事実を少し押さえてみたいと思います。

ヒトがチンパンジーとの共通祖先から分岐したのは約600～500万年前と言われていますが、もちろん当初から言語が使えたとは考えられていません。

約400～300万年前に生息し、すでに二足歩行していたとされるアウストラロピテクス属では、体重が24～60㎏、脳容量が約400ｃｃで体に対する脳容量はチンパンジーやゴリラよりやや大きい程度です。左前頭葉にブローカ野（発話を司る言語野）の痕跡が見られず、言語を操ることはできなかったと考えられています。

約250～150万年前のホモ・ハビリスは、主に右手で道具を扱い、すでに「利き腕」が存在していたことが知られています。脳容量は最大775ｃｃでブローカ野の痕跡も見られ、簡単な言語を操っていたのではないかと推察されています。

しかし、ホモ・ハビリスよりやや新しい190～130万年前の地層から、9歳の少年にして身長160ｃｍ、脳容量880ｃｃを有する骨格が出土したホモ・エルガスターについて、この化石の報告者は彼らが言語を話せなかっただろうと結論付けています（詳しい根拠は分からないのですが）。

さらに下って、しばらくの間、現生人類の直系祖先と目されていた180～20万年前のホモ・エレクトス（ジャワ原人、北京原人の系統）では、脳容量800ｃｃから後期では1000ｃｃをゆうに超え（現生人類は約1350ｃｃ）、言語を使用していたと推察されています。ただし、この種も厳密には現生人類に直結しない共通祖先からの派生種と考えられています。

現生人種ホモ・サピエンスは約20万年前に出現したと考えられていますが、脳の形態や大きさは現代人と変わりありません。私たちは20万年前の脳を今も使っていると言えるようです。</blockquote></span>

以上をまとめると
⇒約600～500万年前ヒトがチンパンジーとの共通祖先から分岐したが、当初から言語
　が使えたとは考えられていません。
⇒約400～300万年前のアウストラロピテクス属には左前頭葉にブローカ野（発話を司
　る言語野）の痕跡が見られず、言語を操れなかったと考えられています。
⇒約250～150万年前のホモ・ハビリスはブローカ野の痕跡も見られ、簡単な言語を
　操っていたのではないかと推察されています。
⇒190～130万年前のホモ・エルガスター（９歳の少年）はしゃべれなかっただろう、
　と記されていますがその後の研究により　　　によりしゃべれなかったのではなく、
　器用にはしゃべれなかっただけだと言うことが分かっています。
⇒さらに下って、180～20万年前のホモ・エレクトス（ジャワ原人、北京原人の系統）
　では、言語を使用していたと推察されています。

　<img alt="%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%83%8F%E3%83%93%E3%83%AA%E3%82%B9.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%83%8F%E3%83%93%E3%83%AA%E3%82%B9.jpg" width="115" height="150" /><a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AB.jpg"><img alt="%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AB.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AB-thumb.jpg" width="125" height="150" /></a><a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%B9.jpg"><img alt="%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%B9.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%B9-thumb.jpg" width="136" height="150" /></a>　　
　　　ホモ・ハビリス　　　　　ホモ・エルガステル　　　　ホモ・エレクトス

<span style="background:#A4FFA4"><blockquote>　　
●<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=19912">ヒトはいつから言葉を話し始めたのか（２）</a>
　
言語の有無は直接証拠が残らないので推測するしかないのですが、アウストラロピテクス属から脳容量が倍増した約200万年前の前後は、かなり注目すべき時代のように思います。

現生人類に至る約500万年の間に、現在知られているだけで20弱に上る「ヒト科の種」が盛衰を繰り返していたことが分かっています。特に、この200万年前から前後100万年間は、現在のチンパンジーなどと比べてもかなり知能が高かったであろう４～５種のヒトが同時並存していた可能性も考えられるのです。

前出のホモ・エルガスターは、「二次的晩熟性」と呼ばれる肉体的変化を遂げています。これは、母体に負担をかけずに大容量の脳の成長を実現するため、脳が極小の状態で新生児を生み、出産後の１年間に急速に脳成長させるもので、現在では人類のみに見られる成長様式です。

また、約180万年前のホモ・ハビリスと同定された化石の中には、手が長く足が短いという樹上適応型の体系に逆戻りした個体も見つかっているようです。

種間闘争圧力の時代とみるか、適応放散の時代とみるか微妙なところですが、言語能力をはじめ、僅かな知能の差が淘汰圧となって、現生人類に至る進化の方向性を決定付けたのがこの時期と言えるかも知れません。

参考資料：「神に迫るサイエンス」角川文庫、
　　　　　　　「複雑化する人類進化の系統」朝日総研リポートNo．150</blockquote></span>
　
サルや小鳥でも鳴き声で仲間に危険を知らせたり、異性や親を呼んだりするのである程度の意思疎通を行なっていると思われます。
しかし、そういうものは本能的な行動に近いもので、人間の言語とはかけ離れている。
違いはそういう鳴き声には文法体系がないということです。
単なる本能的な合図と、複雑な文法体系をそなえた人類の言語とはあまりに遠い。
　
イヌを見たときに、イヌという固定名詞をあてはめて認識し、反対にイヌと記号(文字)を見てイヌの姿を思い起こすと言った観念機能が「言語」だと思う。
　
初期人類を見た時、ホモ族の胸骨には、発声に関係する大きな違いがある。
２５０万年前のアウストラロピテクスの胸骨の形は真っ直ぐだが、ホモ・エスガステルの胸骨は膨らんでいる。発声機能の基本である、呼吸を調整するための神経はホモ・エスガステル以降に発達しているのだ。
　
そして、さらに注目すべきなのは、脳の大脳皮質、前頭葉の活動だという。この部分はサルからヒトへの変化において、脳が最も、拡大している部分だ。
この前頭葉は前述した言葉の基本となる記号化を担当している。
記号化とはものごとを置き換えて認識する力といえるかもしれない。
　
カリフォルニア大学のケビン・ディーコン博士は人類の脳の驚異的な発達は言語によるものだという仮設を唱えている。脳と言語が共通化したというのだ。
前頭葉の発達が、記号と記号を結合して文章を作り出す言語能力に繋がったという。
　
一度このシステムが出来上がると脳と言語はお互いに影響しあって進化する。
脳は言語に合わせて、記号化の神経網を発展させ、そして言語は脳により、適した、
かたちに変化していくという。
　
つまりお互いに影響しあって、脳と言語能力は爆発的に進化したと、ディーコン博士は考えている。
　
小脳、胸郭、そして大脳皮質。人類の言語能力は、２００万年の長い年月の積み重ねのなかで、育まれた能力だ。それが私たちホモサピエンスの時代を迎えて、爆発的進化を遂げたのだ。
　
<span style="background:#FFFFA4"><strong><span style="font-size:110%;">200万年以上に亙る踊り（歩行訓練）と、サル時代に獲得した共認機能を自然対象へ振り向けた祈りの結果、人類は観念機能を獲得し、言葉や道具を使えるようになった。人類は200万年前にはほぼ直立できる（→頭の重量を支えられる）まで進化し、また道具や言葉の使用によって生存条件＝食糧事情を改善できた。これらによってさらに脳を大きくすることが可能となり（猿人の約２倍）、より知能を発達させた原人に進化して行ったのである。</span></strong></span>
　
次回は今回の「言語」と同様に直接証拠が残らない人類の生活をどう復元するか？
という問題を、ネアンデルタール人を例に考えてみたいと思います。
　
]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>日本語の成り立ち（文字編）４～万葉仮名の発明；縄文以来の言霊を生かす～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000758.html" />
   <id>tag:bbs.jinruisi.net,2010:/blog//1.758</id>
   
   <published>2010-02-26T14:33:35Z</published>
   <updated>2010-02-26T15:43:23Z</updated>
   
   <summary>前回の～漢字の輸入と格闘～では、漢字との格闘経緯を俯瞰しました。 今回は、5C(or6C)日本国内で漢字を書き出して間もない万葉仮名の発明？と、それゆえに生じた更なる格闘過程を紹介したいと思います。 まず万葉仮名については、Wikipediaによると＞実際の使用が確かめられる資料のうち最古のものは、大阪市中央区の難波宮（なにわのみや）跡において発掘された652年以前の木簡である。「皮留久佐乃皮斯米之刀斯（はるくさのはじめのとし）」と和歌の冒頭と見られる11文字が記されている。＜ 　木簡の写真とその写し ＞しかしながら、さらに古い5世紀の稲荷山古墳から発見された金錯銘鉄剣には「獲加多支鹵（わかたける）大王」という21代雄略天皇に推定される名が刻まれている。これも漢字の音を借りた万葉仮名の一種とされる。漢字の音を借りて固有語を表記する方法は5世紀には確立していた事になる。＜ この「漢字の音を借りて固有語を表記する方法」の‘産みの苦しみ’については… その前に  応援よろしく！ ...</summary>
   <author>
      <name>nandeyanen</name>
      
   </author>
         <category term="Ｆ　日本人の起源" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bbs.jinruisi.net/blog/">
      <![CDATA[前回の<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000755.html">～漢字の輸入と格闘～</a>では、漢字との格闘経緯を俯瞰しました。

今回は、5C(or6C)日本国内で漢字を書き出して間もない<span style="color:#ff3300;">万葉仮名の発明</span>？と、それゆえに生じた<span style="color:#ff3300;">更なる格闘</span>過程を紹介したいと思います。

まず万葉仮名については、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E8%91%89%E4%BB%AE%E5%90%8D">Wikipedia</a>によると＞実際の使用が確かめられる資料のうち最古のものは、大阪市中央区の<span style="color:#800080;">難波宮（なにわのみや）跡において発掘された652年以前の木簡</span>である<span style="color:#009933;">。「皮留久佐乃皮斯米之刀斯（はるくさのはじめのとし）」</span>と和歌の冒頭と見られる11文字が記されている。＜
<img alt="%E9%9B%A3%E6%B3%A2%E5%AE%AE%E5%87%BA%E5%9C%9F%E6%9C%A8%E7%B0%A1%EF%BC%92.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E9%9B%A3%E6%B3%A2%E5%AE%AE%E5%87%BA%E5%9C%9F%E6%9C%A8%E7%B0%A1%EF%BC%92.jpg" width="150" height="263" />　木簡の写真とその写し

＞しかしながら、<span style="color:#800080;">さらに古い5世紀の稲荷山古墳から発見された金錯銘鉄剣</span>には<span style="color:#009933;">「獲加多支鹵（わかたける）</span>大王」という21代雄略天皇に推定される名が刻まれている。これも漢字の音を借りた万葉仮名の一種とされる。<span style="color:#ff3300;"><span style="background:#C8FFFF">漢字の音を借りて固有語を表記する方法は5世紀には確立</span></span>していた事になる。＜
<img alt="%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E9%89%84%E5%89%A3%E9%8A%98.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E9%89%84%E5%89%A3%E9%8A%98.jpg" width="300" height="112" />

この<span style="color:#CC6600;"><strong>「漢字の音を借りて固有語を表記する方法」の‘産みの苦しみ’</strong></span>については…
その前に <a href="http://blog.with2.net/link.php?556883" target="_blank"><img alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"src="http://bbs.jinruisi.net/blog/banner_04.gif" border="0" /></a><a href="http://history.blogmura.com/in/073662.html" target="_blank"><img height="15" alt="にほんブログ村 歴史ブログへ" src="http://history.blogmura.com/img/history80_15.gif" width="80" /></a> 応援よろしく！
]]>
      <![CDATA[以下『日本語の歴史』2006年 山口仲美著「Ⅰ漢字にめぐりあう」から抜粋引用します。
<blockquote>漢字を借りて日本語を書き表せば良い。けれども、そんなにうまく行くわけがありません。～（中略）～
また日本語には、多くの助詞・助動詞があり、それが実質的な意味を持つ単語に膠で接着したようにくっついて、文法的な役割を示しています。「膠着語」と呼ばれる言語の一つです。一方、中国語には、日本語の助詞・助動詞に該当するようなものがとても少ない。文法的な役割は、実質的な意味を持つ単語の順序で表します。「孤立語」と呼ばれる言語の一つです。
こんなふうに、異なる系統の言語の「文字」を借りてしまったために、日本人は日本語を書き表すのに、相当な苦労を払わねばならなくなった。<span style="background:#FFE3E3">表記に苦しむ日本人の姿は、『古事記』の序文に伺えます</span>。『古事記』の序文はこう訴えます。

<img alt="%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98%E5%BA%8F%E6%96%87.JPG" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98%E5%BA%8F%E6%96%87.JPG" width="100" height="300" />原文は左図；真福寺本『古事記』
 :roll: 記者注）『古事記』は、711年天武天皇の命を受けた太安万侶（おおのやすまろ）が書き記し、翌年献上された日本最古の歴史書とされている。

句読点を付して引用します。
<strong>「上古之時、言意並朴、敷文構句、於字即難、已因訓述者、詞不逮心、全以音連者、事趣更長。　是以今、或一句之中、交用音訓、或一事之内、全叵以録。　即辞理叵見、以注明、意況易解、更非注。」</strong>
「山口氏訳；昔は心が素朴だったので、文章にすることがとても難しい。<span style="background:#FFFFA4">漢字を使って述べてみると、どうも心に思っていることが十分にあらわされていない</span>。そこで漢字の音だけを借りる方式で述べてみると、恐ろしく文章が長くなってしまう。困った挙句、この『古事記』は、<span style="background:#C8FFFF">表意文字としての漢字に、音だけを借りた漢字を交ぜて書く</span>ことにします。また、<span style="background:#C8FFFF">事柄によっては表意文字としての漢字を連ねて書きます</span>。その場合、文脈がとりにくい時は、「注」をつけてわかりやすくしました。意味がとりやすい時は、「注」は加えません。」</blockquote>

また、<strong>漢字に、それ以前から話していた「やまとことば」の読み（いわゆる訓読み）をあてる</strong>ことも、かなり早くから行われていたようです。
引き続き『日本語の歴史』から引用します。
<blockquote>漢字が表意文字だったことが幸いしました。とにもかくにも「やまとことば」を漢字に当てはめることができるのです。たとえば<span style="background:#FFE3E3">「山」という漢字を受け入れる。同時に「サン」という中国音も受け入れる。次に「山」を意味する「やまとことば」を当てはめて、「やま」とも読む。</span>こうすれば日本語を表すために漢字が使えるのです。一見すばらしい工夫に見えます。
ところが、これは漢字一字に対して複数の読みを与えてしまったことになるのです。～（中略）～韓国では日本と同じように中国から漢字を取り入れましたが、漢字とその発音を受け入れただけです。日本のように、該当する自国の言葉をその漢字の読みに振り当てることはしませんでした。これが普通の受け入れ方です。
～（中略）～
<span style="background:#C8FFFF"><strong>漢字の特徴である表意性をそぎ落として、音としてだけ使う以外に方法はなさそうです。ここに「万葉仮名」と呼ばれる漢字の新たな使用法が生まれました</strong>。</span>
～（中略）～
でも、<span style="background:#FFFFA4">漢字はもともと意味を持った文字ですから、どうしても、意味が匂い出してしまう</span>ことがあります。</blockquote>
以降は、同書から記者にて要約

<strong><span style="color:#6666ff;">音だけ借りるつもりが「漢字の意味が匂い出して、本意を邪魔してしまう」と感じていた古代日本人も、その後は、万葉集につづられている和歌を詠んだりして、漢字に親しみ、戯れる中で、漢字⇒万葉仮名を「自分たちの言葉」として手なづけていきます。</span></strong>

「戯書」と呼ばれる万葉仮名を用い、「二八十一」と書いて「にくく（憎く/81=9×9）」という言葉を表したり、「向南山」と書いて「きたやま（北山）」という言葉を表しているところから、古代人の茶目っ気振りと、<span style="background:#FFE3E3">楽しみながら漢字を使っている</span>さまが想像できます。

<strong>漢字の輸入～５ｃ頃までは、それまでの「やまとことば（≒縄文語・弥生語）」と対極にある＝歯ごたえのある漢字を噛み砕くのに苦心、格闘していたが、万葉仮名を発明し（訓読みをし出し？）た５～７ｃ頃には漢字に同化≒国語化し出し、万葉集の８ｃ頃には漢字と戯れ、見事に使いこなし出している。</strong>

<span style="color:#800080;"><strong><span style="font-size:130%;">外来語である漢字を忠実に吸収し、縄文以来のやまとことばと融合させ、その言霊を守った。</span></strong></span>

このことが<span style="color:#ff3300;">、<span style="background:#A4FFA4">日本語の柔軟性（適応力・進化力）と、表現の自在性を育んだ</span></span>のではないでしょうか？
現在、日本語が『ハイブリッド言語』と呼ばれるようになる原点はここにあるような気がします。

次回は、引き続き～平仮名・片仮名の発明～の予定です。お楽しみに♪
]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>日本婚姻史シリーズ１～その３：縄文時代の婚姻制を探る</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000757.html" />
   <id>tag:bbs.jinruisi.net,2010:/blog//1.757</id>
   
   <published>2010-02-23T14:55:12Z</published>
   <updated>2010-02-25T11:04:36Z</updated>
   
   <summary> 縄文時代まで遡って、日本の婚姻制を紐解いていくシリーズ。 前回は、縄文人集団の在り様を規定する外圧状況（気候・地理的条件・食料事情・etc）を追求していきました。 今回は、東アジア全体を俯瞰しながら、当時の人類（縄文人）の婚姻制を追求してみたいと思います。といっても、１万年以上前の婚姻制であり、およそ現代の常識・価値観とかけ離れています。そこで今回は、文化人類学の概念を、図解を交えながら展開していきたいと思います。  :m118:  :m118: 応援お願いします :m027:  :m027:   ...</summary>
   <author>
      <name>matuhide</name>
      
   </author>
         <category term="Ｅ 8　日本" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bbs.jinruisi.net/blog/">
      <![CDATA[ <a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/venus2_1.gif"><img alt="venus2_1.gif" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/venus2_1-thumb.gif" width="168" height="227" /Align="left" Hspace="20" Vspace="20"></a>縄文時代まで遡って、日本の婚姻制を紐解いていくシリーズ。
<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000749.html#more">前回</a>は、縄文人集団の在り様を規定する外圧状況（気候・地理的条件・食料事情・etc）を追求していきました。

今回は、<strong>東アジア全体を俯瞰しながら、当時の人類（縄文人）の婚姻制を追求</strong>してみたいと思います。といっても、１万年以上前の婚姻制であり、およそ現代の常識・価値観とかけ離れています。そこで今回は、文化人類学の概念を、図解を交えながら展開していきたいと思います。

 :m118:  :m118: 応援お願いします :m027:  :m027: 
<a href="http://blog.with2.net/link.php?556883" target="_blank"><img alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"src="http://bbs.jinruisi.net/blog/banner_04.gif" border="0" /></a><a href="http://history.blogmura.com/in/073662.html" target="_blank"><img height="15" alt="にほんブログ村 歴史ブログへ" src="http://history.blogmura.com/img/history80_15.gif" width="80" /></a> ]]>
      <![CDATA[先ずは、新石器時代（＝採集・漁労生産時代）、東アジア諸部族の婚姻様式を俯瞰してみます。
<blockquote><a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=1&t=8">『実現論（採取時代の婚姻様式）』</a><span style="color:#000000;"><Br>東アジアの黄色人（モンゴロイド）をはじめとして、世界人口の過半を占めていた採集・漁労部族は、仲間の解脱収束→性欠乏の上昇に対して、皆が心を開いた期待・応望の充足を更に高める方向を目指し、部族内を血縁分割した単位集団（氏族）ごとの男（兄たち）と女（妹たち）が分け隔てなく交わり合う、<span style="background:#FFDBA4">総偶婚規範</span>を形成した（但し、氏族を統合している部族レベルでは首雄集中婚が踏襲されている事例が多いので、正確には上部集中婚・下部総偶婚と呼ぶべきだろう）。<Br>なお、その後同類闘争の緊張圧力が高まると、再び集団統合力を強化する必要から、氏族ごとの閉鎖性を強め分散力を強める<span style="background:#FFDBA4">兄妹総偶婚</span>は廃止され、部族内で定められた他の氏族の異性たちと交わり合う<span style="background:#FFDBA4">交叉総偶婚</span>に移行してゆく。</span>

<a href="http://jitugenron.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_d60c.html">『実現論勉強会（採取時代の婚姻様式・図解）』</a>
<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E7%B7%8F%E9%81%87%E5%A9%9A%EF%BC%92.JPG"><img alt="%E7%B7%8F%E9%81%87%E5%A9%9A%EF%BC%92.JPG" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E7%B7%8F%E9%81%87%E5%A9%9A%EF%BC%92-thumb.JPG" width="360" height="209" /></a></blockquote>

<span style="background:#FFDBA4">交叉総遇婚</span>とは、同じ集団内（母方の親族）の婚姻関係をタブーにし、決められた集団に男が通う形態となります。<Br>集団が閉鎖性を帯びないように、Ａ集団の男たちはＢ集団の女たちと、Ｂ集団の男たちはＣ集団の女たちと、というように相手を決めていくのが普遍的。父親は別集団で生活しているので、母方の兄弟が養育することになります。
<a href="http://www.jinruisi.net/blog/%E6%AF%8D%E7%B3%BB%E4%BA%A4%E5%8F%89%E5%A9%9A%E5%9B%B3%E8%A7%A31.html" onclick="window.open('http://www.jinruisi.net/blog/%E6%AF%8D%E7%B3%BB%E4%BA%A4%E5%8F%89%E5%A9%9A%E5%9B%B3%E8%A7%A31.html','popup','width=559,height=223,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.jinruisi.net/blog/%E6%AF%8D%E7%B3%BB%E4%BA%A4%E5%8F%89%E5%A9%9A%E5%9B%B3%E8%A7%A3-thumb.JPG" width="450" height="179" alt="" /></a>

では、縄文期の日本列島も、上記の交叉総遇婚であったといえるのか？　このことについて、縄文集落の埋葬形態から婚姻様式を探る記事を紹介したいと思います。
<blockquote><a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=19613">るいネット『集落内墓地の埋葬形態から婚姻様式を考える』</a><Br>　<span style="color:#000000;">田中良之氏の研究によると、縄文～５世紀後半までは男女問わず、同じ集落内でも近い血縁関係にある死者を近くに埋葬する傾向が強いようです。<u>縄文期は（母系・父系の特定はできない）兄･弟･姉･妹･従兄弟･従姉妹が同じ場所に埋葬されていることが多く</u>、近親関係が無い（薄い）配偶者と思われる女性の人骨が、父系の墓地の近くに埋葬されるようになるのは古墳時代以降だということです。<Br>　こうして双系の兄妹を近くに葬る縄文の埋葬形態は、未開時代のタヒチなどポリネシア原住民に近いようにも思われます。以上から、日本古代の婚姻について以下の２つの仮説が考えられます。</span><Br>

<strong><span style="color:#000000;">・１つ目は、「兄妹婚」「従兄妹婚」などのように単位集団（氏族）内に婚姻関係が内包されており、婚後も男女双方が集団内に留まっていた。<Br>・２つ目は、婚姻関係は単位集団（氏族）を超えて結ばれたが、男女どちらかが相手の集団に移動して一緒に住まうような固定形態ではなく、その都度移動して交流していた。</span>　</strong>　　</blockquote>
以上、縄文時代の交叉総遇婚について探ってみました。但し、東アジアをはじめ、採集・漁労部族に見られる交叉婚と日本の交叉婚は、婚姻規範の中身が異なったようです。<Br>次回、日本の交叉婚の特殊性について追求していきます。]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>日本語の成り立ち（文字編）３～漢字の輸入と格闘～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000755.html" />
   <id>tag:bbs.jinruisi.net,2010:/blog//1.755</id>
   
   <published>2010-02-19T19:26:13Z</published>
   <updated>2010-02-19T20:32:19Z</updated>
   
   <summary>前々回と前回の記事で、日本語（文字）は造語能力に優れており、新しい or 外国で生まれた事物まで→柔軟に翻訳→自前の概念にする＝対象に同化しやすい言語であることがわかりました。 今回は、中国から漢字を輸入して【日本語化】していく過程を追いかけてみたいと思います。 ◆中国における漢字のルーツは、B.C.1500年ころ中国・殷（商）時代、亀の甲羅や牛や鹿の骨に刻まれた「亀甲獣骨（略して甲骨）文字」まで遡ることができます。 B.C.1300年ころ以降は、同様の文字が青銅器などの金属や、石に刻まれるようになり、「金石文」と呼ばれています。 以降、春秋戦国時代にかけて中国各地で多様に変化していきますが、B.C.221年、始皇帝が秦を建てるとともに、焚書坑儒を通して文字・言語の統一を図ります。 その後、前漢～新を経て～後漢（～A.D.220）末期には、現在も用いられている「明朝体の起源となる楷書」が確立していたと考えられています。 ◇日本が漢字を取り入れていくのには段階があります。 古事記や日本書紀では、3C終わりころに『論語』や『千字文』に対面したことが記されていますが、もっと以前から中国から持ち込まれた青銅器や金印などに刻まれた金石文を眼にしているはずで、中国と往来していた倭人には「漢字を読解できる人がいた」と考えることもできます。 3Cに書かれた漢字と思しきものが書かれた遺物も発見されていますが、   ↑↑熊本県玉名市柳町遺跡の４世紀初頭の井戸から出土した木製短甲の棒状留め具の黒い痕跡 「田」という文字の一部に見えるが真偽のほどは… ↑↑三重県嬉野町片部遺跡の４世紀初めの流水路跡の小型丸壺の土器の口縁部の線刻 ◇実際に日本国内で漢字を書いたことがはっきりしているのは5～6C。 朝鮮半島で王朝を築いていた百済は、高句麗、次いで唐・新羅からの軍事的圧力が強まる中で、倭国との同盟関係を強化しています。 百済王の后は倭人の中から選ばれ、その王子が王位に付くまでの間、倭が王子を人質として預かっていたこと、仏像・経典を携えて諸博士が渡来している（仏教伝来）ことなどから、国内でも漢字での記述がなされていたと考えられます。 ↑↑5～6Cに製作された和歌山県橋本市隅田八幡神社の人物画像鏡 Wikipediaによる大意「癸未（きび、みずのとひつじ）の年八月十日、大王と男弟王が意柴沙加（おしさか）の宮におられる時、斯麻が長寿を念じて開中費直（かわちのあたい）、穢人（漢人）今州利の二人らを遣わして白上同（真新しい上質の銅）二百旱をもってこの鏡を作る」 極東の地、日本列島も、大陸での玉突き略奪の同類闘争圧力に晒されるようになり、海外と文書でやりとり＝漢字を用いはじめたのだと思われます。 ポチッとしてから続きをどうぞ！ ...</summary>
   <author>
      <name>nandeyanen</name>
      
   </author>
         <category term="Ｆ　日本人の起源" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bbs.jinruisi.net/blog/">
      <![CDATA[<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000737.html">前々回</a>と<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000748.html">前回</a>の記事で、日本語（文字）は<strong><span style="background:#FFE3E3"><span style="color:#6666ff;">造語能力に優れ</span></span></strong>ており、新しい or 外国で生まれた事物まで→<strong><span style="background:#C8FFFF"><span style="color:#ff3300;">柔軟に翻訳</span></span></strong>→自前の概念にする＝<strong><span style="background:#FFE3E3"><span style="color:#6666ff;">対象に同化</span></span></strong>しやすい言語であることがわかりました。
今回は、中国から漢字を輸入して【日本語化】していく過程を追いかけてみたいと思います。

<span style="color:#CC6600;">◆中国における漢字のルーツは、B.C.1500年ころ中国・殷（商）時代、亀の甲羅や牛や鹿の骨に刻まれた「亀甲獣骨（略して甲骨）文字」まで遡ることができます。
B.C.1300年ころ以降は、同様の文字が青銅器などの金属や、石に刻まれるようになり、「金石文」と呼ばれています。
以降、春秋戦国時代にかけて中国各地で多様に変化していきますが、B.C.221年、始皇帝が秦を建てるとともに、焚書坑儒を通して文字・言語の統一を図ります。
その後、前漢～新を経て～後漢（～A.D.220）末期には、現在も用いられている「明朝体の起源となる楷書」が確立していたと考えられています。</span>

◇日本が漢字を取り入れていくのには段階があります。
古事記や日本書紀では、3C終わりころに『論語』や『千字文』に対面したことが記されていますが、<span style="background:#C8FFFF">もっと以前から中国から持ち込まれた青銅器や金印などに刻まれた金石文を眼にしているはずで、<strong>中国と往来していた倭人には<span style="color:#ff3300;">「漢字を読解できる人がいた」</span></strong></span>と考えることもできます。

3Cに書かれた漢字と思しきものが書かれた遺物も発見されていますが、
 <img alt="%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%80%E5%8F%A4%E3%81%AE%E6%BC%A2%E5%AD%97%EF%BC%92.gif" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%80%E5%8F%A4%E3%81%AE%E6%BC%A2%E5%AD%97%EF%BC%92.gif" width="400" height="91" /><img alt="%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%80%E5%8F%A4%E3%81%AE%E6%BC%A2%E5%AD%97%EF%BC%91.gif" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%80%E5%8F%A4%E3%81%AE%E6%BC%A2%E5%AD%97%EF%BC%91.gif" width="185" height="91" />
↑↑熊本県玉名市柳町遺跡の４世紀初頭の井戸から出土した木製短甲の棒状留め具の黒い痕跡

<img alt="%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%80%E5%8F%A4%E3%81%AE%E6%BC%A2%E5%AD%97%EF%BC%93.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%80%E5%8F%A4%E3%81%AE%E6%BC%A2%E5%AD%97%EF%BC%93.jpg" width="200" height="132" />「田」という文字の一部に見えるが真偽のほどは…
↑↑三重県嬉野町片部遺跡の４世紀初めの流水路跡の小型丸壺の土器の口縁部の線刻

<span style="color:#000080;">◇実際に<span style="background:#FFE3E3"><strong>日本国内で漢字を書いたことがはっきりしているのは5～6C</strong></span>。
朝鮮半島で王朝を築いていた百済は、高句麗、次いで唐・新羅からの軍事的圧力が強まる中で、倭国との同盟関係を強化しています。
百済王の后は倭人の中から選ばれ、その王子が王位に付くまでの間、倭が王子を人質として預かっていたこと、仏像・経典を携えて諸博士が渡来している（仏教伝来）ことなどから、国内でも漢字での記述がなされていたと考えられます。</span>

<img alt="%E4%BA%BA%E7%89%A9%E7%94%BB%E5%83%8F%E9%8F%A1.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E4%BA%BA%E7%89%A9%E7%94%BB%E5%83%8F%E9%8F%A1.jpg" width="420" height="268" />
↑↑5～6Cに製作された和歌山県橋本市隅田八幡神社の人物画像鏡
<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%85%E7%94%B0%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E4%BA%BA%E7%89%A9%E7%94%BB%E5%83%8F%E9%8F%A1">Wikipediaによる大意</a>「<span style="color:#009933;">癸未（きび、みずのとひつじ）の年八月十日、大王と男弟王が意柴沙加（おしさか）の宮におられる時、斯麻が長寿を念じて開中費直（かわちのあたい）、穢人（漢人）今州利の二人らを遣わして白上同（真新しい上質の銅）二百旱をもってこの鏡を作る</span>」

極東の地<span style="background:#C8FFFF">、<strong>日本列島も、<span style="color:#ff3300;">大陸での玉突き略奪の同類闘争圧力</span>に晒されるようになり、海外と文書でやりとり＝漢字を用いはじめた</strong></span>のだと思われます。

<a href="http://blog.with2.net/link.php?556883" target="_blank"><img alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"src="http://bbs.jinruisi.net/blog/banner_04.gif"border="0" /></a><a  href="http://history.blogmura.com/in/073662.html" target="_blank"><img height="15" alt="にほんブログ村 歴史ブログへ" src="http://history.blogmura.com/img/history80_15.gif"width="80" /></a>ポチッとしてから続きをどうぞ！
]]>
      <![CDATA[◆ここで再度<a href="http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog221.html">「国際派日本人養成講座>平成13年一覧>国柄探訪>121 日本思想>210.3 古代>800 言語>漢字と格闘した古代日本人」</a>より抜粋引用します。
<blockquote>３．文字のなかった言語
漢字が日本に入ってきたのは、紀元後２世紀から３世紀にかけてというのが通説である。その当時、土器や銅鐸に刻まれて「人」「家」「鹿」などを表す日本独自の絵文字が生まれかけていたが、厳密には文字体系とは言えない段階であった。

しかし、言語は本来が話し言葉であり、<span style="background:#FFE3E3">文字がなければ原始的な言語だと考えるのは間違い</span>である。今日でも地球上で４千ほどの言語が話されているが、<span style="background:#FFFFA4">文字を伴わない言語の方が多い</span>。文字を伴う言語にしても、そのほとんどは借り物である。

アルファベットは紀元前２千年頃から東地中海地方で活躍したフェニキア人によって作り出されたと言われているが、ギリシア語もラテン語もこのアルファベットを借用して書けるようになった。現代の英語やロシア語も同様である。逆に言えば、<span style="background:#FFDBA4">これらの言語もすべて文字は借り物</span>なのである。

わが国においても文字はなかったが、神話や物語、歌を言葉によって表現し、記憶によって伝えるという技術が高度に発達していた。今日、古事記として残されている神話は、古代日本人独自の思想と情操を豊かにとどめているが、これも口承によって代々受け継がれていたのである。

４．古代日本にアルファベットが入っていたら
アルファベットは表音文字であるから、どんな言語を書くにも、それほどの苦労はいらない。現代ではベトナム語も、マレー語もアルファベットを使って表記されている。

<span style="background:#C8FFFF">古代日本人にとっても、最初に入ってきた文字がアルファベットだったら、どんなに楽だったであろう。</span>たとえばローマ字で「あいうえお」を書いてみれば、a  i  u  e  o /  ka ki ku ke ko /  sa si su se so  などと、「a i u e o」の５つの母音と、「k s …」などの子音が単純明快な規則性をもって、日本語のすべての音を表現できる。漢字が入ってきた頃の古代の発音は現代とはやや異なるが、この規則性は変わらない。日本語は発音が世界でも最も単純な言語の一つであり、<span style="background:#C8FFFF">アルファベットとはまことに相性が良い</span>のである。

５．<span style="background:#FFE3E3">日本語は縁もゆかりもない漢語と漢字</span>
ところが幸か不幸か、日本列島に最初に入ってきた文字は、アルファベットではなく、漢字であった。「漢字」は黄河下流地方に住んでいた「漢族」の話す「漢語」を表記するために発明された文字である。そしてあいにく漢語は日本語とは縁もゆかりもない全く異質な言語である。

語順で見れば、日本語は「あいつを殺す」と「目的語＋動詞」の順であるが、漢語では「殺他」と、英語と同様の「動詞＋目的語」の順となる。

また日本語は「行く、行った」と動詞が変化し、この点は英語も「go, went gone」と同様であるが、漢語の「去」はまったく変化しない。発音にしても、日本語の単純さは、漢語や英語の複雑さとは比較にならない。<span style="background:#FFDBA4">似た順に並べるとすれば、英語をはさんで漢語と日本語はその対極に位置する</span>。

さらにその表記法たる「漢字」がまた一風変わったものだ。一つの語に、一つの文字を与えられている。英語のbigという語「ダー」を「大」の一字で表す。bigという「語」と、ダーという「音」と、大という「文字」が完全に一致する、一語一音一字方式である。さらに、英語では、big, bigger, bigness、日本語では「おおきい」「おおきさ」「おおいに」などと語が変化するのに、漢語はすべて「ダー」と不変で、「大」の一字ときちんと対応している。漢字は漢語の特徴をまことに見事に利用した最適な表記法なのである。

<span style="background:#A4FFA4">たまたま最初に接した文字が、日本語とはまったく異質な漢語に密着した漢字であった所から、古代日本人の苦闘が始まる。</span>

６．漢字との苦闘
漢字に接した古代日本人の苦労を偲ぶには、イギリス人が最初に接した文字がアルファベットではなく、漢字であったと想定すると面白いかもしれない。英語の語順の方が、漢語に近いので、まだ日本人の苦労よりは楽であるが。

イギリス人が今まで口承で伝えられていた英語の詩を漢字で書きとどめたいと思った時、たとえば、"Mountain"という語をどう書き表すのか？　意味から「山」という文字を使えば、それには「サン」という漢語の音が付随している。「マウンテン」という英語の荘重な響きにこそ、イギリス人の心が宿っているのに、「山」と書いたがために「サン」と読まれてしまっては詩が台無しである。

逆に「マウンテン」という「音」を大切にしようとすれば、「魔運天」などと漢字の音だけ使って表記できようが、それぞれの漢字が独自の意味を主張して、これまた読む人にとっては興ざめである。

<span style="background:#C8FFFF">英詩には英語の意味と音が一体になった所に民族の心が宿る。それが英語の言霊である。古代日本人にも同じ事だ。漢字は一語一音一字という性質から、それ自体に漢人の言霊が宿っており、まことに他の言語にとっては厄介な文字</span>であった。

７．言語と民族の心

こういう場合に、もっとも簡単な、<span style="background:#FFE3E3">よくあるやり方は、自分の言語を捨てて、漢語にそのまま乗り換えてしまう</span>ことだ。歴史上、そういう例は少なくない。

たとえば、古代ローマ帝国の支配下にあったフランスでは、４世紀末からのゲルマン民族の大移動にさらされ、西ゲルマン系フランク人が定住する所となった。<span style="background:#FFFFA4">フランク人は現代のドイツ語と同じ語族に属するフランク語を話していたが、文化的に優勢なローマ帝国の残した俗ラテン語に乗り換えてしまった。</span>これがフランス語の始まりである。

英語も１０６６年フランスの対岸からやってきたノルマン王朝に約３００年間支配され、その間、フランス語の一方言であるノルマン・フランス語が支配階級で使われた。英語はその間、民衆の使う土俗的な言語のままだった。今日の英語の語彙の５５％はフランス語から取り入れられたものである。そのノルマン人ももとはと言えば、900年頃にデンマークからフランス北西岸に植民したバイキングの一派であり、彼らは北ゲルマン語からフランス語に乗り換えたのである。

こうして見ると、民族と言語とのつながりは決して固定的なものではなく、<span style="background:#FFFFA4">ある民族が別の言語に乗り換えることによって、その民族精神を失ってしまう</span>、という事がよくあることが分かる。前節の例でイギリス人が漢語に変わってしまったら、「やま」を見ても、"mountain"という語と音に込められた先祖伝来の言霊を全く失い、「山」「サン」という漢人の心になってしまっていたであろう。

８．カタカナ、ひらがなと訓読みの発明
漢字という初めて見る文字体系を前に、古代日本人が直面していた危機は、<span style="background:#FFDBA4">文字に書けない日本語とともに自分たちの「言霊」を失うかも知れない</span>、という恐れだった。しかし、<span style="background:#C8FFFF">古代日本人は安易に漢語に乗り換えるような事をせずに漢字に頑強に抵抗し、なんとか日本語の言霊を生かしたまま、漢字で書き表そう</span>と苦闘を続けた。

そのための最初の工夫が、漢字の音のみをとって、意味を無視してしまうという知恵だった。英語の例で言えば、mountainを「末宇无天无」と表記する。「末」の意味は無視してしまい、「マ」という日本語の一音を表すためにのみ使う。万葉集の歌は、このような<strong>万葉がな</strong>によって音を中心に表記された。

さらにどうせ表音文字として使うなら、綴りは少ない方が効率的だし、漢字の形を崩してしまえばその意味は抹殺できる。そこで<strong>「末」の漢字の上の方をとって「マ」というカタカナが作られ、また「末」全体を略して、「ま」というひらがなが作られた</strong>。<span style="background:#FFFFA4">漢人の「末」にこめた言霊は、こうして抹殺された</span>のである。

日本人が最初に接した文字は不幸にもアルファベットのような表音文字ではなく、漢字という表語文字だったが、それを表音文字に改造することによって、古代日本人はその困難を乗り越えていったのである。

しかし、同時に漢字の表語文字としての表現の簡潔さ、視覚性という利点も捨てきれない。mountainをいちいち、「末宇无天无」と書いていては、いかにも非効率であり、読みにくい。そこで、今度は漢字で「山」と書いて、その音を無視して、moutainと読んでしまう<span style="background:#FFE3E3">「訓読み」という離れ業を発明した</span>。こうして「やま　の　うえ」という表現が、「山の上」と簡潔で、読みやすく表現でき、さらに「やま」「うえ」という日本語の言霊も継承できるようになったのである。

９．日本語の独自性と多様性
こうして漢字との格闘の末に成立した日本語の表記法は、表音文字と表語文字を巧みに使い分ける、世界でももっとも複雑な、しかし効率的で、かつ外に開かれたシステムとして発展した。

それは第一に、「やま」とか、「はな」、「こころ」などの神話時代からの大和言葉をその音とともに脈々と伝えている。日本人の民族文化、精神の独自性はこの大和言葉によって護られる。第二に「出家」などの仏教用語だろうが、「天命」というような漢語だろうが、さらには、「グローバリゼーション」や「ＮＧＯ」のような西洋語も、自由自在に取り入れられる。 多様な外国文化は「大和言葉」の独自性のもとに、どしどし導入され生かされる。

外国語は漢字やカタカナで表現されるので、<span style="background:#C8FFFF">ひらがなで表記された大和言葉から浮き出て見える。したがって、外国語をいくら導入しても、日本語そのものの独自性が失われる心配はない。その心配がなければこそ、積極果敢に多様な外国の優れた文明を吸収できる。</span>これこそが古代では漢文明を積極的に導入し、明治以降は西洋文明にキャッチアップできた日本人の知的活力の源泉である。

多様な民族がそれぞれの独自性を維持しつつ、相互に学びあっていく姿が国際社会の理想だとすれば、日本語のこの独自性と多様性を両立させる特性は、まさにその理想に適した開かれた「国際派言語」と言える。この優れた日本語の特性は、我が祖先たちが漢字との「国際的格闘」を通じて築き上げてきた知的財産なのである。</blockquote>

◆古代日本人の「漢字との格闘」過程は、おおむね想像できたでしょうか？
次回以降で、漢字との格闘過程を段階ごとに区切って掘り下げてみたいと思います。
]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>人類の進化　４　観念機能獲得 前夜  ～猿人段階～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000750.html" />
   <id>tag:bbs.jinruisi.net,2010:/blog//1.750</id>
   
   <published>2010-02-17T03:30:37Z</published>
   <updated>2010-03-04T15:25:05Z</updated>
   
   <summary> 先が読めない現代にあって、私たちの足元から確認しようという試み「人類の進化」シリーズ。これまで、 『人類の進化－１　　ヒトは何種類いたのか？』 『人類の進化－２　　２足歩行は人類を形成した主要因ではない』 『人類の進化　３　人類進化の主要動因は過酷な生存圧力からの観念機能の発達』 と、お話をしてきました。 私たちのご先祖様を含めて、類人猿は様々に枝分かれし、適応を試みてきました。約700万年前から見て、二足歩行していたと思しき亜種はわかっているだけで２７種。なかには同時代に並存していたと考えれらる種までいます。しかし、700万年後に生き残ったのは唯一 ホモサピエンス＝人類だけでした。この事実は何を意味するのでしょう。 前回までの記事で、私たち人類を人類たらしめているのは、観念機能であることが浮かび上がってきました。二足歩行の上、さらに脳の高機能化をはかった種が観念機能の獲得に至ったわけです。 今日は、その前夜　猿人段階でのご先祖様にスポットを当ててみます。るいネットの関連投稿【人類の拡散と観念機能の進化①～猿人段階～】(西谷さん)を紹介します。 ↓↓↓応援よろしくお願いします↓↓↓   ...</summary>
   <author>
      <name>hayabusa</name>
      
   </author>
         <category term="Ａ　人類の起源を探る" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bbs.jinruisi.net/blog/">
      <![CDATA[<img alt="01.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/01.jpg" width="460" height="285" />

先が読めない現代にあって、私たちの足元から確認しようという試み「人類の進化」シリーズ。これまで、
<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/01/000736.html">『人類の進化－１　　ヒトは何種類いたのか？』</a>
<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000744.html">『人類の進化－２　　２足歩行は人類を形成した主要因ではない』</a>
<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000746.html">『人類の進化　３　人類進化の主要動因は過酷な生存圧力からの観念機能の発達』</a>
と、お話をしてきました。

私たちのご先祖様を含めて、類人猿は様々に枝分かれし、適応を試みてきました。約700万年前から見て、二足歩行していたと思しき亜種はわかっているだけで２７種。なかには同時代に並存していたと考えれらる種までいます。しかし、700万年後に生き残ったのは唯一 ホモサピエンス＝人類だけでした。この事実は何を意味するのでしょう。

<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000746.html">前回</a>までの記事で、私たち人類を人類たらしめているのは、<span style="color:#ff3300;"><strong>観念機能</strong></span>であることが浮かび上がってきました。二足歩行の上、さらに脳の高機能化をはかった種が観念機能の獲得に至ったわけです。

今日は、その前夜　猿人段階でのご先祖様にスポットを当ててみます。<a href="http://www.rui.jp/">るいネット</a>の関連投稿<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=127170">【人類の拡散と観念機能の進化①～猿人段階～】</a>(西谷さん)を紹介します。

↓↓↓応援よろしくお願いします↓↓↓
<a href="http://blog.with2.net/link.php?556883" target="_blank"><img alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"src="http://bbs.jinruisi.net/blog/banner_04.gif" border="0" /></a> <a href="http://history.blogmura.com/in/073662.html" target="_blank"><img height="15" alt="にほんブログ村 歴史ブログへ" src="http://history.blogmura.com/img/history80_15.gif" width="80" /></a> ]]>
      <![CDATA[<blockquote>先日の<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=600&c=200">なんでや劇場</a>「人類の拡散」に出席した。
今回、最大の気づきだったのは人類の拡散過程と、観念機能の進化は密接に関係していると言うこと。
今回のなんでや劇場の中で得られた認識に、調べたデータや事例を付け加えて、この拡散過程と観念機能の進化過程を整理してみる。

１．猿人段階（約700万年前～200万年前（一部150万年前まで））
　　（サヘラントロプス属→オロリン属→）
　　アルディビテクス属（ラミダス猿人）→アウストラロピテクス属
　　→パラントロプス属（絶滅）　　

　　脳容量平均　　　：約４００ｃｃ前後＝現生チンパンジー並
　　石器の使用　　　：なし
　　生息域と移動状況：アフリカ全域？
　　　　　　　　　　　（化石発掘は東～南アフリカが中心）　
　　　　　　　　　　　アフリカ大陸からの移動は一切ない

　猿人段階では、観念機能上重要な前頭葉の発達度合いは低く、言語をつかさどるブローカー野も未発達であることから、言語能力はせいぜい現生チンパンジーレベル程度。石器も使用していないことから、観念機能はまだ獲得されていないと考えられる。

しかし、猿人段階でも知能発達＝脳の進化は確実に起こっている。
事実、アウストラロピテクス・アファレンシス（４００万～３００万年前）→アフリカヌス（３００万～２５０万年前）→パラントロプス・ボイセイ（２５０万年前～１５０万年前）と時代が進むにつれて、平均脳容量が約３８０ｃｃから５００ｃｃ前後まで発達している。

この知能発達＝脳進化の原因は大きく３つ考えられる。

１つは、<strong>歩行訓練における共認機能の発達</strong>。
　完全な２足歩行の形跡は、５００万年前のラミダス猿人段階で確認されるが（サヘラントロプス属・オロリン属はまだナックルウォークに近い）当時の人類は言ってみれば「ヨチヨチ歩き」の段階で（それほど２足歩行はバランスが悪い）、日常的に歩行訓練を行っていたと考えられる。この直立歩行訓練の中で親和充足・解脱充足を得ることで、（猿時代に獲得した）共認機能を発達させて行った。

２つ目は、<strong>食生の肉食化（死肉食）</strong>。
　脳は大量のエネルギーを消費する為、栄養価の高い食生が必要不可欠になる。肉食は(肉体負荷が高い一方で）エネルギー量が高く、脳の発達の促進が可能になった。

３つ目は、<strong>遺伝子の変化</strong>。
　ＤＮＡ解析の結果、約３００万年前の猿人段階で全ての生物にセットされている「<strong>脳の発達を抑制する遺伝子</strong>」が欠損したことが解っている。（脳を発達させることは、出産負荷の増大、エネルギー負荷の増大など生命的負担が大きくなる為、発達を抑制する遺伝子が生物にはセットされている）この遺伝子が欠損したことで、本能的限界を超えて脳を発達させることが可能になった。

このように、猿人は観念機能の獲得には至っていないものの、後の観念機能獲得に繋がる脳進化・共認機能進化を図っていた。猿人段階は言わば「観念機能獲得の前準備段階」と言え、この猿人段階での知能発達の基礎があったからこそ、原人段階での観念機能獲得が可能になったと言っても過言ではない。

先述したように、脳の過度な発達は生物にとって負担が大きいが、人類（猿人）は、あえてこの危険な脳進化の道を選んだ。
実現論で語られているように、人類は「木から落ちた猿」であり、本能レベルでは全く外圧に対応できない最弱の生物だった。この逆境状況において可能性収束したのが、（本能ではなく）猿段階で獲得した共認機能の進化＝知能の発達だったのである。逆に言えば、本能では全く適応できない逆境状況こそが、知能発達の道を開いたとも言える。</blockquote>

上記の内容をいくつか補足しましょう。

<span style="font-size:110%;"><strong>【補足１】アゴを鍛えたパラントロプス属</strong></span>
私たちにつながる直接のご先祖様と概ね350万年前ほどに枝分かれした種がパラントロプス属です。彼らは、私たちとは別の進化の可能性を探りました。それは、<strong>アゴ(顎)</strong>です。彼らは、脳容量の拡大ではなく、木の根など非常に硬い物を食するため噛む力とアゴの骨を鍛えました。パラントロプス属の頭蓋はどうかというと……
<img alt="%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%82%A4.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%82%A4.jpg" width="200" height="307" />
目の上あたりで頭蓋が終わってしまって、おでこがない。現在のゴリラに似た頭蓋をしています。これは、<strong>噛む力を支える咬筋と側頭筋を大きく発達させたため</strong>です。

噛む動作は、筋肉によって下顎を持ち上げることで起こりますが、下顎を動かす筋肉、すなわち、咬筋と側頭筋は、一方は下顎の骨に、もう一方は頭蓋骨側のどこかに止まっていないといけません。特に、側頭筋に注目すると、その差は歴然としています。
私たちの側頭筋は、側頭骨(こめがみから後頭部にかけて)に止まっていますが、パラントロプス属の側頭筋は、なんと頭蓋骨の頂部に止まっていたと考えられています。彼らの頭蓋骨のてっぺんにあるトサカ状の突起、どうもここに側頭筋の端部が止まっていたらしい。

すると、どうなるか。噛めば噛むほど(下顎を引っ張り上げる反力によって)頭蓋骨は下に引っ張られます。彼らの咬筋と側頭筋は大変発達しており、噛む力は人類の成人の約３倍＝300kg(なんと、ライオンと同等！)はあったと言われています。
そんな力で頭蓋骨が下に引っ張られるのですから、頭蓋骨は上に向かって発達できません。おかげで、目から上の部分が完全につぶれた写真のような形に。噛む力の代償として、頭蓋＝脳が発達できなかったということですね。
パラントロプス属の末期は、石器を使用したのではないかとの推察もあるようですが、それが限界だったのでしょう。


<span style="font-size:110%;"><strong>【補足２】脳の発達を抑制する遺伝子</strong></span>
<strong>脳の発達を抑制する遺伝子</strong>、その名を「<strong>ＣＭＡＨ</strong>」といいます。この遺伝子は、大変興味深いことに、チンパンジーなど類人猿を含め人間以外の動物には存在しますが、なぜか人間にはないといいます。私たちのご先祖様が、進化の途上で失った遺伝子だというのです。
分析によると、この遺伝子を失ったのは、概ね200～300万年前。これはちょうど、私たちのご先祖様の脳容量が急速に拡大していく時期に重なります。まさに、外れた箍(タガ)に可能性収束したということでしょう。

しかし、このＣＭＡＨという遺伝子、他の動物がすべて持っているということは、余程重要な遺伝子だったに違いありません。その限定を解除してまで進化の可能性として収束するとは……。私たちのご先祖様は、それだけ極限まで追い込まれていた、すなわち、共認機能・観念機能に可能性を見出すしかなかったのだろうと察します。
(参考：<a href="http://www.jinruisi.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=68862">「遺伝子を失って進化した人類」</a>るいネット(田中素さん))


<span style="font-size:110%;"><strong>【補足３】人類の出産の特徴</strong></span>
人類の出産では、胎児が回転しながら出てきます。これを<strong>回旋</strong>といいます。実は、回旋を伴う出産タイプは、霊長類の中では人類だけが行っています。他のサルたちはグルグル回らず、ストレートに生むらしい。
この理由は、胎児の頭部の形状と骨盤および仙骨(背骨の一番下)の形状によります。母体の産道および骨格形状が位置によって異なるため、胎児は場所に応じて頭や体(胸郭)を回転させないと産道を通れないのです。

これは、<strong>二足歩行と頭蓋の拡大(脳容量の増大)に要因がある</strong>と考えられています。
二足歩行した結果、骨盤は上から見ると前後に狭く左右に長くなりました。一方、頭蓋は拡大して前後に長く左右に短い形状に進化しました。結果として、グルっと回転しながら出口までたどり着く必要が出てしまったのです。

具体的には、
骨盤上口では胎児は横を向かないと通れません。胎児は分娩のスタート時に横を向きます。一方、左右の坐骨棘と恥骨下角を含む骨盤腔中部では、坐骨棘の間よりも恥骨結合と仙骨の間の方が長い。骨盤下口でも同様。すなわち、骨盤の前後で、産道の形が90度ひねれているのです。結果、胎児は、骨盤を通り過ぎるまでに、横向きから90度回転して後ろ向きになります。頭部が骨盤を取りすぎ首まで出口に出た後、今度は、頭蓋とは90度バランスの異なる左右に大きい胸郭(肩をイメージすると良い)を通すために、更に90度回転します。

脳容量＝頭蓋の拡大と二足歩行の代償として、人類のお産は他の霊長類と比べてアクロバット。かなり無理をしてギリギリやっているのですね。(おかげで、他の介助なく一人で出産できなくなった、という推察もあるようです)

(参考：<a href="http://anthro.zool.kyoto-u.ac.jp/evo_anth/symp0206/nakatsuk.html">「骨から見たホミニドの出産の進化史」</a>中務　真人氏)
(参考：<a href="http://www.byoin.ne.jp/pc/modules/igaku/?%BD%D0%BB%BA%2F%C0%B5%BE%EF%A4%CA%CA%AC%CA%DA%A4%CE%B7%D0%B2%E1%2F%C2%E82%B4%FC%A1%CA%CA%DA%BD%D0%B4%FC%A1%CB">「■産道と児頭の回旋」</a> )


次回は、いよいよ脳容量増大が可能にした<strong>「観念機能」</strong>について、なかでも観念機能の代表格である言語機能に関連する内容を扱う予定です。

お楽しみに！！]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>日本婚姻史１～その２:日本人の原型を形作った縄文人を取り巻く環境</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000749.html" />
   <id>tag:bbs.jinruisi.net,2010:/blog//1.749</id>
   
   <published>2010-02-16T14:30:00Z</published>
   <updated>2010-02-16T14:48:16Z</updated>
   
   <summary>　シリーズ『日本婚姻史１』では、縄文時代にまで遡って婚姻の歴史を探り、その構造を明らかにして、社会秩序の崩壊⇒新秩序形成にむけての足がかりにしたいと考えています。 　第1回「日本婚姻史１～その１：縄文の婚姻性の根底部にあるもの～期待応合」 では、肢の指の先祖返りによって、樹の上に棲めるというサル時代の最大の武器を失い、想像を絶する逆境に陥った人類が、性闘争本能を完全に封印し、「なんとかして」という期待に応える「期待応合の共認圧力」を、男と女の紐帯として、婚姻関係や集団を形成してきたことを示しました。 画像はこちらよりお借りしました。 　これから数回に渡って、縄文時代の婚姻様式を探る予定ですが、「実現論　前史」には、採取時代の婚姻様式について次のように書かれています。  ポッチと応援お願いします。   :D         ...</summary>
   <author>
      <name>tama</name>
      
   </author>
         <category term="Ｅ 8　日本" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bbs.jinruisi.net/blog/">
      <![CDATA[　シリーズ『日本婚姻史１』では、縄文時代にまで遡って婚姻の歴史を探り、その構造を明らかにして、社会秩序の崩壊⇒新秩序形成にむけての足がかりにしたいと考えています。

　第1回<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000747.html">「日本婚姻史１～その１：縄文の婚姻性の根底部にあるもの～期待応合」 </a>では、肢の指の先祖返りによって、樹の上に棲めるというサル時代の最大の武器を失い、想像を絶する逆境に陥った人類が、性闘争本能を完全に封印し、「なんとかして」という期待に応える<span style="color:#ff3300;"><strong>「期待応合の共認圧力」を、男と女の紐帯として、婚姻関係や集団を形成してきたこと</strong></span>を示しました。
<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/joumon_hito.jpg"><img alt="joumon_hito.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/joumon_hito-thumb.jpg" width="400" height="321" /></a>
画像は<a href="http://native.way-nifty.com/native_heart/2006/08/post_1667.html">こちら</a>よりお借りしました。

　これから数回に渡って、縄文時代の婚姻様式を探る予定ですが、「実現論　前史」には、採取時代の婚姻様式について次のように書かれています。

 ポッチと応援お願いします。   :D 
 <a href="http://blog.with2.net/link.php?556883" target="_blank"><img alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"src="http://bbs.jinruisi.net/blog/banner_04.gif" border="0" /></a>  
 <a href="http://history.blogmura.com/in/073662.html" target="_blank"><img height="15" alt="にほんブログ村 歴史ブログへ" src="http://history.blogmura.com/img/history80_15.gif" width="80" /></a>  

]]>
      <![CDATA[　<blockquote><strong>観念機能（事実認識＝洞窟・貯蔵・火・調理具・戦闘具・舟・栽培・飼育）の進化</strong>によって生存力を強化した人類は、<strong>約１万年前、弓矢によって外敵と互角以上に闘えるようになった</strong>頃から洞窟を出て地上に進出する。そして地上に進出した人類は、忽ち外敵を駆逐して、繁殖していった。その結果、繁殖による集団の拡大→分化を繰り返した人類に、ようやく同類闘争の潜在的な緊張圧力が働き始める。とは言え採集部族や狩猟部族は、互いに贈物etc.を通じて友好関係の構築に努め、闘争を回避していた。  　 
　しかし、<strong>外圧が低下すると集団統合力が低下</strong>し、規範収束力も低下してゆく。同時に、外圧の低下につれて解脱収束（中心は性充足の欠乏）が強まってゆく。更に、集団規模が拡大したこともあいまって、原モグラ以来１億年に亙って踏襲してきた首雄集中婚を維持することが困難になっていった。<strong>こうして約１万年前、人類の雌雄（婚姻）関係は劇的に変化してゆく</strong>ことになったが、<strong>豊かな山野や海辺に進出して木の実などの採集や漁労に転じた採集生産の部族</strong>と、従来通り<strong>獲物の豊かな森林で狩猟を続けた狩猟生産の部族</strong>では、<strong>全く異なる婚姻規範を形成</strong>する。  　 
　東アジアの黄色人（モンゴロイド）をはじめとして、世界人口の過半を占めていた<span style="color:#ff3300;"><strong>採集・漁労部族は、仲間の解脱収束→性欠乏の上昇に対して、皆が心を開いた期待・応望の充足を更に高める方向を目指し、部族内を血縁分割した単位集団（氏族）ごとの男（兄たち）と女（妹たち）が分け隔てなく交わり合う、総偶婚規範を形成した</strong></span>（但し、氏族を統合している部族レベルでは首雄集中婚が踏襲されている事例が多いので、正確には上部集中婚・下部総偶婚と呼ぶべきだろう）。なお、その後同類闘争の緊張圧力が高まると、再び集団統合力を強化する必要から、氏族ごとの<strong>閉鎖性を強め分散力を強める兄妹総偶婚</strong>は廃止され、部族内で<strong>定められた他の氏族の異性たちと交わり合う交叉総偶婚</strong>に移行してゆく。<span style="color:#ff3300;"><strong>何れにしても、期待・応望充足を最大の活力源とする採集部族は、総偶婚によって期待・応望（＝共認）充足を破壊する性闘争を完璧に解消して終うと共に、総偶婚によって一段と期待・応望充足を強めたことによって、その充足を妨げる自我回路もほぼ完全に封印していった。</strong></span> <a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=1&t=8 ">「実現論　前史」</a>より </blockquote>

　<strong>日本人も東アジアのモンゴロイドですが、その普遍的な特徴と縄文人の特殊性を踏まえて、婚姻様式を理解するために、まず縄文時代の日本を取り巻く環境を抑えておきたいと思います。</strong>

<strong><span style="font-size:130%;">1)年代</span></strong>　
縄文時代は、年代でいうと今から<strong>約16,500年前（紀元前145世紀）から約3,000年前（紀元前10世紀）</strong>、地質年代では更新世末期から完新世にかけて日本列島で発展した時代

<strong><span style="font-size:130%;">2)気候</span></strong>
　最終氷期の約2万年前の最盛期が過ぎると地球規模で温暖化に向かった。しかし、<strong>最後の氷期である晩氷期と呼ばれる約1万3000から1万年前の気候は、数百年で寒冷期と温暖期が入れ替わるほどで、急激な厳しい環境変化が短期間のうちに起こった。</strong>
　それまでは、針葉樹林が列島を覆っていたが、西南日本から太平洋沿岸伝いに落葉広葉樹林が増加し拡がっていき、北海道を除いて列島の多くが落葉広葉樹林と照葉樹林で覆われた。コナラ亜属やブナ属、クリ属など堅果類が繁茂するようになった。また、<strong>温暖化による植生の変化は、マンモスやトナカイ、あるいはナウマンゾウやオオツノジカなどの大型哺乳動物の生息環境を悪化させ、約1万年前までには、日本列島から、これらの大型哺乳動物がほぼ絶滅してしまった</strong>。
　<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3">ウィキペディア</a> より

<span style="font-size:130%;"><strong>3)地理的状況</strong></span>
　<strong>このころ(洪積世初期およそ１万年まえ)の日本の地にはすでに大陸とつながりはきれて四方を海にかこまれた列島になっていた。</strong>この海を渡って大陸と往来することは、当時の列島とその周辺の社会の生産力では、まったく不可能でないまでも、きわめて困難であった。
　かくて<strong>日本列島の社会は、１万年ほども周辺の社会からほとんど孤立した形で独自の道を歩まねばならなかった。</strong>そして８千年ほど前に四国と九州からきれた形となり、その後も太平洋がわの海岸線が後退し、５千～６千年前から日本列島は地形も気候も動植物相も、現在と基本的には同じになっていた。（ブログ<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2009/08/000907.html">「縄文と古代文明を探求しよう！」</a> より）
<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/joumon_mura.jpg"><img alt="joumon_mura.jpg" src="http://bbs.jinruisi.net/blog/joumon_mura-thumb.jpg" width="550" height="442" /></a>

　<strong>この一万年あまりの縄文時代に日本人の特質が形作られ、日本の歴史が始まったと考えられます。</strong>それは次の２つの理由によります。
　
<blockquote>第一に、この時代に日本人種の原型が成立したと考えられる。
　<strong>縄文時代人は、日本列島が大陸からきりはなされてからは、日本列島の自然の諸条件に適応し、独自の人種的および文化的特徴をうみだした。</strong>
　彼らの遠い祖先が、大陸方面か東南アジアか、そのいずれに住んでいたか断定はできないが、数千年から一万年も違った自然的および文化的条件のもとで生活しているうちに、縄文時代人はその遠い祖先のなかまとは違った人種になり、現代日本人の原型となった、と考えられる。

第二に、<strong>日本語の核心が縄文時代に成立していたと考えられる。</strong>
　言語年代学によれば、いまの日本の本州等の言語と沖縄の言語とは、共通の祖語から、紀元前後に分かれて、それぞれ独自の発達をしたものと推定される。
そうだとすれば、両語に共通の核心部をもった日本祖語は縄文時代に存在していたとせねばならない。
　日本周辺の諸民族語で、日本語と親族関係を見出す事のできる可能性が多いのは、朝鮮語のみである。そこで、もし日・朝両語が親族であると仮定して、両語がその共通の祖語から分かれた時期を、言語年代学で推定すれば、それはいまから少なくとも3千5百年ないし、5千年以上も前、すなわち縄文中期以前であるという。

　<strong>こうして縄文時代には、現在の日本人の固有の生活領域である日本列島が形成されており、そこにまわりの諸種族とは違った独自の一人種とその言語、すなわち日本人と日本語の原型が成長し、その人々が未開を突き抜け、文明への道をきりひらいていった。</strong>まさに日本人の歴史がはじまったのである。（以上が井上清氏からの引用です。） ブログ<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2009/09/000911.html ">「縄文と古代文明を探求しよう！」</a>より</blockquote>

<strong>　およそ１万年の歳月を掛けて、日本人の原型を形作った縄文時代を探求することで、現代の日本人の意識の底流にある構造が理解できるようになり、これからの新秩序形成に必要な条件を明らかに出来るのではと考えています。</strong>

　第３回は、縄文人の集団の有り様（規模や住居など）を明らかにして行く予定です。


]]>
   </content>
</entry>

</feed>
