NEW ENTRIES
LINKS
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK

2008年12月07日

中山太郎の「日本婚姻史」から~共同婚~☆2☆

shiseki07.jpgはやいもので、今年も残すところあとわずかとなりました。 ばたばたと忙しくて心に余裕のなくなる時期ですが、昔の日本の大らかな婚姻制に触れると、大きな視点でものが考えられるようになるかも m050
また、このブログでも、たくさんの追求投稿で日本人とは何か?の解明が進んでいますが、昔からの積み重ねである婚姻にかかわる風習等を紹介することで、日本人解明の一助になればいいなぁ Very Happy とも考えています。
画像は泊屋(若者宿)です。こちらからお借りしました。

ではでは、いつもの応援ポチ m023 をお願いします。

ブログランキング・人気ブログランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログへ

中山太郎の「日本婚姻史」から~共同婚~☆2☆の続きを読む

2008年11月20日

中山太郎の「日本婚姻史」から~共同婚~

以前に投稿してから、2年近くたってしまいましたが、中山太郎の「日本婚姻史」を再度読み始めました。図書館でその都度借りるのは大変なので、思い切って Shocked (約6000円!)古本屋さんで購入しました。福岡の古本屋さん m061 からはるばる大阪までやってきてくれましたので、中身を要約して少しずつご紹介したいと思います。

その前に、応援ポチ m023 をお願いします m027

ブログランキング・人気ブログランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログへ

中山太郎の「日本婚姻史」から~共同婚~の続きを読む

2008年11月16日

外圧状況から見る日本婚姻史 ~群婚の崩壊~

前回、縄文時代では小さな自分達だけの族内婚が、集団が分裂拡大する中で、周囲の集団との和協の為に、族外婚に移行するのを見てきました。 「外圧状況から見る日本婚姻史1」

さて今回は、「日本婚姻史4 群婚の崩壊」の項を追求してみたいと思います。

時代は、 m083 縄文時代から m161 水田耕作 m162 が普及する m019 弥生時代(前3世紀~3世紀、~大和時代に繋がる)の婚姻制の変化です。

ポチット↓お願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ

外圧状況から見る日本婚姻史 ~群婚の崩壊~の続きを読む

2008年10月20日

日本の婚姻制度は、どのように変遷してきたのか?(江戸~明治~昭和~平成)Vol.6昭和後期(1970年~)

シリーズでお届けしている「日本の婚姻制度の変遷」の 「昭和後期(1970年~)」です。

「Vol.5昭和戦後(~1970年)」前回のでは、戦後、貧困脱出の可能性が開かれ時代での、婚姻制度を次のように見てきました。 概要は次のように成ります。

・国民全員の、私権獲得競争→所得倍増→市場拡大
・私権獲得競争の正当化理論が必要⇒個人を中心とする民主・自由・平等・平和の概念が普及。
・性闘争(私権闘争の源泉)の美化⇒恋愛至上主義。
・その結果、見合い結婚→恋愛結婚 に急変してきた。

m270 明治からの結婚変遷は、大きく分けると次のように成ります。
■生活の為の結婚          │■私権獲得の為の結婚   │
 集団課題子孫を残す課題  ⇒ │ 私益≒豊かさ獲得課題  │ ⇒その後はどの様
 →集団が決める見合い婚     │ →個人が決める恋愛結婚 │  になったの?

m270 ↓ポチットお願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ

日本の婚姻制度は、どのように変遷してきたのか?(江戸~明治~昭和~平成)Vol.6昭和後期(1970年~)の続きを読む

2008年10月03日

「日本の婚姻制度は、どのように変遷してきたのか?(江戸~明治~大正~昭和~平成)Vol.5 昭和戦後(~1970年)編」

kiminonawa2.jpg 

シリーズでお届けしています「日本の婚姻制度の変遷」ですが、今回は「昭和戦後(~1970年)編」です。 
 

 戦後から昭和初期は、戦争によって著しく落ち込んだ経済が、国内外ともに急速に上昇し、庶民の生活は苦しいながらも貧困脱出の可能性が一気に広がった時代である。 tikara

 また、その可能性が広がると同時に、民主・自由・平等・福祉・平和などの概念や、恋愛至上主義が瞬く間に庶民の間に広がっていく時代でもある。 


 文化面では、恋愛ものも盛んに作られるようになり、「障害のある恋物語 m022 」の中で最も有名なのが『君の名は』(菊池一夫原作)である。 

 昭和27年から29年(1952~54)にかけて、NHKラジオ第一で放送され一世を風靡、放送時間帯は、全国の銭湯の女湯がガラ空きになったという伝説まで生んだ。 


 昭和29年から翌年にかけて3部作の映画(佐田啓二、岸恵子主演)となり、延べ3000万人を動員。
 結ばれそうで結ばれないハラハラドキドキのメロドラマに女性たちは夢中になり、岸恵子のアラブ人のようなストールの巻き方は、「真知子巻き m021 」と言われて大流行し、映画のロケ地には観光客が押し寄せるという社会現象を生んだ。 


応援よろしく m034
   ↓
ブログランキング・人気ブログランキングへ
にほんブログ村 歴史ブログへ

「日本の婚姻制度は、どのように変遷してきたのか?(江戸~明治~大正~昭和~平成)Vol.5 昭和戦後(~1970年)編」の続きを読む

2008年09月20日

阿波地方の「夜這い婚」~盆踊りと「ボボイチ」

このブログでもよくとりあげられている「夜這い婚」ですが、今日は徳島県・阿波地方のかつての村落共同体にみられた「夜這い婚」を紹介します。

徳島県立図書館HPの「デジタルライブラリ」のコーナーで、阿波学会の発行している『阿波学会紀要』の見ることが出来ます。。

阿波学会とは、県内の総合学術調査を行うために、徳島県立図書館が中心になって徳島県内30の学術団体を糾合した学会連合。毎年1市町村を対象として調査を行い、その成果は12月に対象市町村で開かれる発表会で報告されると同時に、『阿波学会紀要』として刊行されています。『阿波学会紀要』は、聞取り調査・文献調査などにより、かつての徳島県の村落の様子を記録した資料です。第1号の発行が1954年、最新号は2007年に発行された第53号です。

紀要には「婚姻習俗」に関する調査報告が8件あるのですが、興味深いことにどの調査にも「ヨバイ」の風習があっとこが当たり前のように書かれています。かつての阿波地方の村落共同体では「夜這い婚」は普遍的な婚姻様式であったようです。

今日は、郷土研究発表会紀要第22号(1976発行)『神山町周辺の婚姻習俗』から「夜這い婚」の記録を紹介します。神山町周辺には、「ヨバイ」のほか、盆踊りで行われる「ボボイチ」と呼ばれる性規範があったようです。

 ↓↓応援よろしくお願いします m034 m034
ブログランキング・人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ

阿波地方の「夜這い婚」~盆踊りと「ボボイチ」の続きを読む

2008年09月11日

DNAでたどる日本人の成り立ち2 人口構成比の試算

DNAでたどる日本人の成り立ち1で、崎谷満著『DNAでたどる日本人10万年の旅』より、Y染色体のDNA多型分析による日本人の成り立ちを概略押えたので、それをもとに日本人を構成する人々がいつ、どれくらいやってきて、どのように増加していったのかの試算を行いました。想定の仕方によっていくつもの試算パターンがあり得ますが、ここでは1パターンのみを示します。

九州、四国、本州の平均値と思われる構成比を以下のように想定しています。
各地域の単純平均より、東京の人口比の大きさから東京比率をやや重視した比率にしています。またO3系統のうち漢民族に特異なO3eは、上記著書では「東京で9%」という記述のみで他の地域は不明だが、無視できない比率であり、かつO3とO3eは流入時期および民族が異なるので、分けて試算しています。O3は縄文後期に雑穀農耕を持ち込み、O3eは古墳時代以降の支配氏族。

              九州  四国  東海  関東  東北     平均値
                   徳島  静岡  東京  青森     (想定)
C3(旧石器シベリア)   8   3    2    2    0   C3   3
C1(縄文期貝文文化)   4   10    5   1   8   C1   5
D2(縄文文化)       26   26   33   40  39   D2  34
N(ウラル系)         4    7    2    0   8        3
O2b(長江文明)     32   33   36   34  31   O2b 33
O3(華北)         26   21   20   23  15   O3  14
                                     O3e  8

応援よろしく m030  by岡
ブログランキング・人気ブログランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログへ

DNAでたどる日本人の成り立ち2 人口構成比の試算の続きを読む

2008年09月09日

「女性は結婚しなくても幸せ」55%、「結婚した方が良い」65%

 「女性は結婚しなくても幸せ」55%…読売調査より

「女性は結婚しなくても幸せな人生をおくることができる」と思う人は55%で、「そうは思わない」は39%にとどまることが、読売新聞社の年間連続調査「日本人」でわかった。
 
1978年の調査では「女性は結婚しなくても幸せ」という考えに賛成の人は26%に過ぎず、「反対」が50%を占めていたが、この30年で結婚への意識は変化した。

 今回の調査は「結婚観」をテーマに9、10日に面接方式で実施した。
 「結婚したら男性は仕事、女性は家庭のことに専念するのが望ましい」と思う人は30%で、「そうは思わない」は68%となった。「男性は仕事を追い求め、女性は家庭と家族の面倒をみる方が互いに幸福だ」という意見への賛否を聞いた78年の調査では、「賛成」71%、「反対」22%だった。

 ただ、「人は結婚した方がよい」と思う人は65%で、「必ずしも結婚する必要はない」の33%を大きく上回り、結婚そのものは肯定的に受け止められていた。「結婚した方がよい」は、5年前の03年の54%から11ポイント増え、結婚は望ましいと考える人が急増した。

(2008年8月27日03時06分 読売新聞)

この意識潮流はどういうことなのか?考えてみました。

%E8%BE%B2%E5%A9%A6.jpg

↓ポチット、お願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

「女性は結婚しなくても幸せ」55%、「結婚した方が良い」65%の続きを読む

2008年09月02日

藤原道長の結婚~前婿取婚の事例~

Fujiwaranomichinaga%5B1%5D.jpg
以前、2007年06月19日の岡さんのシリーズ記事で「日本婚姻史7 前婿取婚~飛鳥奈良平安(初)~」があります。

今日は、その具体的な事例として、ブログ「壺齋閑話」さんの記事を引用させていただきます。
同ブログ内「古代人の結婚式:婿取り婚の儀式」より。

藤原道長の結婚~前婿取婚の事例~の続きを読む

2008年09月01日

DNAでたどる日本人の成り立ち1

DNA分析より、日本人を構成する人々がいつ、どれくらいやってきて、どのように増加していったのかの試算に取り組みたいと思います。
まずは、崎谷満著『DNAでたどる日本人10万年の旅』より、Y染色体のDNA多型分析から日本人の成り立ちを概略押えたい。

Y染色体はAからRまでの18の系統に分けられる。
下表の( )内の数字は分岐推定年代で、単位は年前。
赤字のが日本まで辿り着いた主な亜型で、出アフリカの3系統のいずれもが今でも日本列島で存続・共存し多様性を保持していることは、世界的に見て非常に珍しく、歴史上の不思議といえるようだ。(他ではかつて存在した系統も壊滅した例が見られる。)

Y────┬─A(42,800) アフリカ固有
(90,420) └─BR┬─B(36,800) アフリカ固有
     (82,000) └─CR┬─(27,500) CRは出アフリカ第1グループ
          (68,500) ├─DE──┬(13,000) DEは出アフリカ第2グループ
                 │(38,300)└E
                 └─F─┬─G Fは出アフリカ第3グループ
                (53,000)├─H
                       ├─I
                       ├─J
                       └─K─┬─L
                      (35,600)├─M
                             ├─┬(8,830)
                             │  └(17,500)
                             └─P─┬─Q
                            (29,900)└─R

応援よろしく m030  by岡
ブログランキング・人気ブログランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログへ

DNAでたどる日本人の成り立ち1の続きを読む

2008年08月30日

「日本の婚姻制度は、どのように変遷してきたのか?(江戸~明治~大正~昭和~平成)Vol.3 大正編」

Very Happy シリーズでお届けしています「日本の婚姻制度の変遷」ですが、今回は「大正編」です。
「明治編」では、政府による法制化がすすめられ、男女の性関係が「良妻賢母」「貞操観念」などの観念によって、次第に窮屈なものへとなっていきました・・・。
その記事はこちら m117 http://bbs.jinruisi.net/blog/2008/08/000420.html


ではその後、大正時代に入りどの様になっていったのでしょうか?
仲間で調べ、議論してみました。

%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%80%80%E3%83%A2%E3%83%9C.gif
m175 「モダンボーイ」
三つぞろえのダブダブのズボンに蝶ネクタイ、イギリス紳士ふうにコウモリ傘を持った二人


m027 m027 m027 応援、よろしくお願いします
ブログランキング・人気ブログランキングへ
にほんブログ村 歴史ブログへ

「日本の婚姻制度は、どのように変遷してきたのか?(江戸~明治~大正~昭和~平成)Vol.3 大正編」の続きを読む

2008年08月29日

北鮮の高句麗の婚姻制

日本人の起源に関係する遊牧騎馬民族匈奴の婚姻制は一夫多妻制で、嫂(あによめ)婚制、姉妹婚制を伴うものでした。
それが半牧・半農の烏恒・鮮卑では、略奪婚→婿入りして2年間労役→その後夫方へ嫁取り(その際、住居や生活用品は全て妻の家が整える)、というように母系に父系が入り込む折衷型となります。

では、北鮮の高句麗は?
高句麗(ツングースの夫余)は烏恒・鮮卑より母系色を強く残しており、後漢書では『妻問婚』と称しています。

後漢書の高句麗伝
婚姻は妻問い婚で、子供が成長した後に(夫の家に)連れて帰る

応援よろしく m030  by岡
ブログランキング・人気ブログランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログへ

北鮮の高句麗の婚姻制の続きを読む

2008年08月21日

首都圏は「弥生系」7割 日本人ルーツの研究に新手法、ミトコンドリアDNAから構成比

母親から子供に受け継がれるミトコンドリアDNAの型の分布から、「縄文系」「弥生系」の構成比を求める計算式を住斉筑波大名誉教授が考案した。2008年08月04日 産経新聞ニュースより紹介します。

l_sk_dna.jpg

応援よろしく m030  by岡
ブログランキング・人気ブログランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログへ

首都圏は「弥生系」7割 日本人ルーツの研究に新手法、ミトコンドリアDNAから構成比の続きを読む

2008年08月14日

大正ロマンの「恋愛至上主義」  ~日本人は初めて「結婚」を「個人」の目的とした~

「恋愛」って言葉も、明治時代の輸入品 m021 「LOVE」の翻訳語です。
それまで、日本人は m021 「LOVE」を知らなかったのです。
10018564852.jpg
映画「タイタニック」からお借りしています。

↓ポチット

ブログランキング・人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ

大正ロマンの「恋愛至上主義」  ~日本人は初めて「結婚」を「個人」の目的とした~の続きを読む

2008年08月12日

「薮入り」と言う言葉が有りました。">お盆と言えば、帰省。昔は「薮入り」と言う言葉が有りました。

聞いたことがありますか?  m008 薮入り(やぶいり) m008 と言う言葉

「薮入り」とは七月十六日(旧暦)の行事。もともと、嫁が実家に戻る事を「藪入り」といっていたが、江戸・元禄の頃から奉公人が主人から暇を貰って故郷に帰る事をいうようになった。 「薮入り」の語源は、藪の深い故郷に帰るからという説が一般的であるが、父を養う為に生家に戻るから「養父(やぶ)入り」という説もあるそうだ。

江戸時代、丁稚(でっち)と言って、子どもたちは15歳前後から商家を選んで奉公(住み込みの働き)に出ていました。当時の奉公人たちは例年、お盆と正月の十六日には主人から小遣いをもらって、親もとへ帰ることができました。この休みを、「薮入り」と言いました。

丁稚奉公とは、商人の労働力確保の制度でありながら、一方で教育制度でもありました。

↓ポチットを先ず、お願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ

お盆と言えば、帰省。昔は<span style="color:#ff3300;">「薮入り」</span>と言う言葉が有りました。の続きを読む

2008年08月07日

日本婚姻史12 寄合婚~明治大正昭和~

日本の婚姻制度(明治以降)が時代を追って投稿される予定とのことで、参考のため日本婚姻史11 嫁取婚~室町安土桃山江戸~の続きをざくっと紹介します。いろんな角度からの豊富なレポートを期待しています。

一 寄合婚のめばえ

寄合婚というもの
寄合婚とは、母系型でも父系型でもなく、男女が平等な人格と権利をもって自由結合する個人型の一夫一婦制をいう。欧米ではすでに数世紀を経過した形態だが、日本では明治から萌芽が見られ、昭和憲法以来表面化の過程にある。
婿取式は氏族が保障し、嫁取式は家が保障し、寄合式は社会が保障することで結実するが、社会保障は欧米においてもいまだ完備にはほど遠い。

応援よろしく m030  by岡
ブログランキング・人気ブログランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログへ

日本婚姻史12 寄合婚~明治大正昭和~の続きを読む

2008年07月17日

日本の婚姻制度は、どのように変遷してきたのか?(江戸~明治~大正~昭和~平成)

m143 江戸時代の大衆・農民は、若衆宿や娘宿があり夜這い婚による総偶婚だった。

が、明治からどのようにして現在の結婚様式に成ってきたのか?知っていますか?

m143 意外と分かっていないので、仲間と話合ってみました。

今回を始めとして、数回のシリーズ予定で順を追って,追求してみたいと思います。

m143 ご期待ください。

↓ポチットお願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ

日本の婚姻制度は、どのように変遷してきたのか?(江戸~明治~大正~昭和~平成)の続きを読む

2008年07月15日

沖縄に伝わる一人前の女性の資格行事

世界各地には一人前と認めてもらうための資格試験のような行事があちこちに存在しています。ただ、その多くは男性の為のものが多く、『勇者』 tikara としての資格試験が多いように思います。

今日は日本の沖縄に伝わる、女性の為の一人前の資格試験 m101 と思われる行事について紹介したいと思います。場所は沖縄の本島から離れた久高島と言うところに伝わる「いざいほう」と言う行事です。

先に進む前に今日も応援をお願いよろしくお願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

沖縄に伝わる一人前の女性の資格行事の続きを読む

2008年05月21日

「来訪神信仰」~「外者歓待の思想」

m143 民間の習俗には、昔ながらの「神の嫁」の流れを示す生活があった。これが神社などの祭礼などに出てくる「一時上臈(いっときじょうろう)」とか「一夜官女(ひとよかんじょ)」とかいわれる女性である。 m143 大嘗祭(大嘗祭)のときに「五節の舞姫」が舞を舞う。これなども、おそらく儀式化し、形式化する以前は、宴会と舞姫と、まれびとの間に行われた、聖なる結婚を意味する物であったろう。

「性の民族史」池田弥三郎著より
%E8%88%9E%E5%A7%AB.bmp

つまり、日本文化では、祭りの折に、神と聖なる結婚をする巫女を「一夜妻」と呼んだという文化があったと言う。

さらに書籍の中に、折口信夫氏の「まれびと論」と書かれてあり、少し調べてみました。

↓ポチットお願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ

「来訪神信仰」~「外者歓待の思想」の続きを読む

2008年05月20日

人身御供としての女性を捧げた『一時上臈』

日本古来から伝わる神事などがそのまま尋常の生活にも入り込み、民衆の生活に息づいている慣わしはいろいろあります。しかし、その中にはもともとの意味合いがまったく異なる意味に変ってしまう場合もあります。たとえば「一夜妻」などはその典型事例で、もともとは神を迎える巫女を指した言葉だったものが、近世以来遊女を意味する言葉に変ってしまいました。

その一方で、「一時上臈(いっときじょうろう)」や「一夜官女(ひとよかんじょ)」といったもののように神の嫁としての流れを残し、今でも神社の祭礼に出てくるものもあります。

今日はそのうち「一時上臈」の祭りに注目し、そこでの男女の役割の変化についてみてみたいと思います。

いつものようにポチッと応援よろしくお願いします。ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

人身御供としての女性を捧げた『一時上臈』の続きを読む

2008年04月24日

「子守り歌」は貧富の差がもたらした悲しい歌だった・・・

Very Happy 「京都の農村で村落共同体が、崩壊した時代。」http://bbs.jinruisi.net/blog/2008/03/000374.html koukeiさん
でも紹介されているように、村落共同体が明治以降に急激に崩壊していきました。
その背景には、市場の拡大があります。

次第に自給自足では生活が困難になった農家(小作人)は、労働力にならない m103 小さなを、農奉公として地主等家に雇って貰うしかない状況になりました。(もちろん男児も例外ではない)
の主な仕事は、赤ん坊の守りをする事で、身体も未成熟な子供が赤ん坊の面倒を見るという今では想像も付かない事だったのです。

その時代背景がもたらしたのが「子守り歌」です。

これまで「子守り歌」とは、優しく癒される様なイメージでしたが、歌詞の内容と史実を合わせてみると、とんでもなく辛く暗いものだった事を知りました。

Crying or Very Sad こういう現実を、歌で紛らわすしかなかったというのつらさが伝わってきます。


Smile 今日は、その子守り歌でもよく知られている「五木の子守歌」を紹介したいと思います。

untitled.bmp


m118 m118 まずはポチットお願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

「子守り歌」は貧富の差がもたらした悲しい歌だった・・・の続きを読む

2008年04月22日

寝殿造りは、平安前・中期の母系制を考慮した平面だった。

ある本にあった記述に「寝殿造り」のプランニングについて、その意味を解いたものがあった。
それに興味が沸いたので、自らもその意味について調べてみた。

bunka06_5.jpg
(六条院復元模型)


m118 m118 まずはポチットお願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

寝殿造りは、平安前・中期の母系制を考慮した平面だった。の続きを読む

2008年04月21日

一夜官女祭り(悲話の伝説)・・・別の解釈

大阪の西端、西淀川区に鎮座する野里住吉神社において、毎年二月二十日に一夜官女の祭りを行っています。

この御祭は、若い娘が人身御供として神に奉げられる悲しい伝説に基づいていると言われています。
その内容とは、

↓↓ポチお願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

一夜官女祭り(悲話の伝説)・・・別の解釈の続きを読む

2008年04月01日

婚姻のならし運転!?「ケイコニヤル・カセイニヤル婚姻【長崎県対馬市】」

長崎県対馬市では、嫁入り前の「ならし運転」とも言える様な婚姻様式があったようです。(昭和25年ころのフィールドワークでの報告)
m021 ケイコニヤル婚姻
m020 カセイニヤル婚姻です。
%E5%AF%BE%E9%A6%AC.jpg
m116 対馬

近代(明治時代)以降、日本でも「結婚」というのが法制化されていきました。
もともと一般庶民は母系制ベースの婚姻形態であり、強制的に父系制に換えていくという事は、なかなか受け入れられるものではなかった・・・。

また、農村や地方ではそれが顕著で、つい最近まで独自な制度・慣習が残っていた事が、色々な書物で紹介されています。
改めてそれらの事象をみると当時の過渡期であることを意味し、母系という安心基盤から抜け、不安な空間でどう馴染んでいくか?(強制圧力をどうするか?)という試行錯誤の現れだったのでは無いでしょうか。

※そうであろう慣習の事例は、このブログでも紹介されてます。
m057 m058 「明治時代、日本の庶民である娘・若者達はデートをして相手を決めていた。」
m057 m058 「寝屋子制度(若者宿)」が残る答志島[三重県]


今日はその「ケイコニヤル・カセイニヤル婚姻」を紹介している「婚姻覚え書き」瀬川清子薯(昭和三十二年)から一部引用したいと思います。

m118 続きを見る前に、こちらもヨロシク!
ブログランキング・人気ブログランキングへ
にほんブログ村 歴史ブログへ

婚姻のならし運転!?「ケイコニヤル・カセイニヤル婚姻【長崎県対馬市】」の続きを読む

2008年03月25日

京都の農村で村落共同体が、崩壊した時代。

土地の『共同所有』とその構成員の『共同労働』に基づく」村落共同体が、明治以降に急激に崩壊してきた過程を多くの貴重な写真も含めて紹介しているサイトがありました。ご紹介します。

↓↓その前にポチットをお願いします。

ブログランキング・人気ブログランキングへ
にほんブログ村 歴史ブログへ

京都の農村で村落共同体が、崩壊した時代。の続きを読む

2008年03月22日

【番】と【衆】

%E3%81%84%E3%82%8D%E3%82%8A.bmp%E7%AB%88.bmp

日本の村落を調べていると、大きく東日本西日本で生活様式に伴って共同体のあり方そのものが異なることが分かりました。生活習慣や文化についても西と東で異なるものが数多くありますが、民俗学では、以下のように言われていたりします。 Cool

m027 東北日本は、双系的な同族制村落 m027
m027 西南日本は、父系的な年齢階梯制村落 m027

とのことです。一体どういう意味なのか? Shocked (東北日本と西南日本の境界線は続きでどうぞ) Very Happy
気になった方は、続きに行く前にいつものポチっとお願いします。 m118 Very Happy m118
ブログランキング・人気ブログランキングへ
にほんブログ村 歴史ブログへ

【番】と【衆】の続きを読む

2008年03月15日

「寝屋子制度(若者宿)」が残る答志島[三重県]

Shocked 三重県の伊勢市にうかぶ答志島には、「寝屋子制度(若者宿)」と言われる慣習が残されています。その歴史は古く、100年以上も前からあっと言われています。

答志島は離島の中でも良い漁場を持った漁業の町で、漁師町という共同社会の中では、人々が力を合わせないとなにもすることができなかった。
ましてや、昔は機械などなにもなくすべてを人力に頼らなければならなかった。

この様な背景から「寝屋子制度(若者宿)」が始まったと伝えられています。

Rolling Eyes では、その生活の様子やシステムはどうだったのか?を紹介したいと思います。

tousimap.jpg
<答志島>

m118 m118 応援ヨロシク!!
ブログランキング・人気ブログラ</p>

<p>ンキングへ
にほんブロ</p>

<p>グ村 歴史ブログへ

「寝屋子制度(若者宿)」が残る答志島[三重県]の続きを読む

2008年03月14日

明治時代、日本の庶民である娘・若者達はデートをして相手を決めていた。

昭和10年に、九州長崎の西方100kmに浮かぶ五島の島々に,民俗学者の「瀬川清子」が訪れた。
そして、地元のおばあちゃんたちに、若い頃の「村の娘の結婚」について聞いている。

今から約120年位前だから、今の若者からすると4~5世代前の日本の娘たちである。

あなたも、当時の日本の「娘達の結婚」について、おばあちゃんの話に、耳を傾けてみませんか?

↓ポチットお願いします
にほんブログ村 歴史ブログへ

明治時代、日本の庶民である娘・若者達はデートをして相手を決めていた。の続きを読む

2008年02月28日

かつて日本では、子供は神の子であった。

m005 昔の日本人は、子供をどのように認識していたのだろうか?

宮田登氏の『老人と子供の民俗学』(白水社、1996) では、「七歳までは神の子」と、当時の子供観を解説してる。 Shocked

どういう内容を紹介します。

↓その前にポチットお願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ

かつて日本では、子供は神の子であった。の続きを読む

2008年02月27日

「ひな祭り」と「婚期」って関係あるの?

m230 m230 m230 3月3日は「ひなまつり」ですね。

select3.gif
コンパクトになった雛飾り

世間では、ひな祭りを祝うための雛人形を飾ったり、各地で様々なイベントが行われていたりで、ちょっとしたお祭りムードの様です。また、それに便乗してあれやこれやの工夫も菓子メーカー等で繰り広げられています。

それはさておき、良く昔の人は
「3日を過ぎても雛飾り(人形)を片付けていないとお嫁に行けなくなる」
という話をしていました。皆さん聞いた事はありませんか?
私の家でも、良く姉がそう言うことを言われていたことを記憶しています。
(ちなみに姉は晩婚だったので、少し信じてしまいましたが・・・。)

本当にお嫁に行けなくなるのでは?と思ったことはありませんか?

この先の話はこちらをポチポチっとしてからどうぞ。
m118 m118 m118
ブログランキング・人気ブログランキングへ
にほんブログ村 歴史ブログへ

「ひな祭り」と「婚期」って関係あるの?の続きを読む

2008年02月26日

3月3日:桃の節句の意味とは

3月3日の m142 ひな祭り、桃の節句 m143 は、五節句の一つです。
momo-150.jpg
皆さん m161 五節句 m162 って知っていますか?

m284 江戸時代に、五節句を式日(儀式を執り行う日、祝日)として制定して庶民に広がったらしいのですが、何故 式日に決めたんでしょうか?

 ↓先ずはポッチット お願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへ

3月3日:桃の節句の意味とはの続きを読む

2008年02月25日

桃の節句にはどんな意味があるのか

%E9%9B%9B%E7%A5%AD%E3%82%8A.jpg
(晃月人形HP「桃の節句は五節句のひとつ」より)

もうすぐ3月になりますね。3月3日には、女の子のいるご家庭ではお雛さまを飾って雛祭りをしますね。 Very Happy 今日は雛祭り桃の節句についてその由来を調べてみました。

桃の節句は端午の節句などと並んで5節句のひとつです。
もともとこれらは季節の変わり目で、奇数の重なる日(=奇数(陽)が重なると陰になるとしてそれを避けるための避邪の行事を行った)を取り出して、季節の旬の植物から生命力を貰い邪気を払う目的の為だったようです。つまりは女の子の為の祭りでも、男の子為の祭りでもなかったわけです。それがなぜ、3月3日は女の子の為の祭りになったのでしょうか。

いつものように応援よろしくお願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

桃の節句にはどんな意味があるのかの続きを読む

2008年02月02日

かかあ天下ってどういう意味なの!?

jiorama.jpg

Evil or Very Mad 妻が実権 tikara を握っていて、 Sad 夫が尻に敷かれている状態として 『かかあ天下』 って言葉があると思っていました。

例えば辞書にも、『妻の権力がつよくて、夫の頭があがらないこと』『広辞苑』
           『夫より妻のほうがいばっていること』『日本語大辞典』
となっている。

でも、そんな嫌な女性の姿ではなく、ちゃんと生活や地域に根ざした女性の姿や背景から生まれた言葉のようです。 Very Happy (いろんな説があるようですが...)

続きの前に、いつものポチっと宜しくです m118 Very Happy m118
ブログランキング・人気ブログランキングへ
にほんブログ村 歴史ブログへ

かかあ天下ってどういう意味なの!?の続きを読む

2008年02月01日

日本の男女は、どのようにして相手を見つけるの?

m132 晩婚や未婚が問題となり、どうすればよいのかが、少子化社会問題から端を発して議論されだしてきた。

50年前は、殆んどの男女が「お見合い」で結婚した。つまり、社会が相手を準備してくれたのだ。しかし、自由恋愛時代になって、夢の大恋愛の末に結婚する時代になるはずが、今や日本の社会は男女が結婚しない社会に向かって走り出している。その結果の少子化は、社会の存続が危ぶまれるところまで来ている。
↓ポチットお願い済ます。
ブログランキング・人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ

日本の男女は、どのようにして相手を見つけるの?の続きを読む

2008年01月31日

5000円札の女性肖像 誰だか知っていますか?

15101.jpg

【樋口一葉】日本の女流作家(1872-1896)樋口一葉の肖像は、日本銀行券としては女性で初めて紙幣の肖像に採用された。2004年11月1日より発行中の新五千円札に使用されている。

m057 5000円札に載っている日本初の婦人「樋口一葉」ですが、皆さん知っていますか?

m058 私は、昔の専業女流作家で「たけくらべ」を書いた程度しか知りませんでした。

m060 調べてみると、当時(大正時代)の世相~男女関係などが垣間見れます。

↓↓ポッチットお願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

5000円札の女性肖像 誰だか知っていますか?の続きを読む

2008年01月16日

結婚する日本人が、減少中!!

現代のような一夫一婦制の形態は、数ある形態の一つであり、その証拠に世界の民俗や昔の日本では、様々な婚姻形態があった。

その事を、色々な事実の提示で このm146 サイト m147 でも紹介してくれています。

現代の一夫一婦制=(一対婚)が不変であると言うことが勘違いである事が、データーによって示されています。

それは「未婚」と言う婚姻形態(?)が日本で急拡大している!と言う事実です。

つまり、ほとんどの人が「結婚」すると言う社会常識(≒規範)が、崩壊し始めていまるのです。 Shocked

↓↓ポチットお願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

結婚する日本人が、減少中!!の続きを読む

2008年01月14日

結婚適齢期ってなに?

%E7%94%B7%E6%80%A7.jpg%E5%A5%B3%E6%80%A7.jpg
こんばんは。このサイトのことを人に話すと、「どうして『婚姻』とか『共同体』のことをテーマにしてるの?それを調べてどうするの?」とよく聞かれます。 m002

改めて言うまでもなく、現代の日本での婚姻様式は一夫一婦制ですね。でも、みんな実感しているように、法律上はそうだけど、現実の社会を見渡すと『一夫一婦制』って本当に成り立っているの?形式的にはそうであっても別居生活している人もいればセックスレスも増え続けているし、その一方で不倫話なんかもよく耳にします。 m081

そんな「現実」をみると、そもそもなぜ一夫一婦制になったんだろう?って疑問に思いませんか。

すでにこのブログでいくつも紹介されているように田舎のおじいさん、おばあさんに聞けばちょっと一昔だと夜這いの風習があったり、必ずしも一夫一婦制ではなかったようですね。 Shocked

そんなところからも、かつてはどのような婚姻様式だったのだろう。そしてそれはどのような要因からそうなったのだろうか。そこには人類にとって必要不可欠な理由があったのではないか、という仮説から、世界の婚姻史と、それを規定する一番の理由が存在しそうな集団そのものについて調べてみようとしているわけですね。

というわけで、今日は『結婚適齢期』について調べてみました。
単なる法律上の決まりごととしてではなく、何をもって『適齢』とみなすのか、その歴史の一端を見てみたいと思います。

独身の人も、既婚の人も、今が適齢期ではないかと焦っている人も、ポチッと応援してから先にお進みください nihi ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

結婚適齢期ってなに?の続きを読む

2008年01月10日

白川郷とドラヴィダに共通した長子のみ嫁取・次男以下妻問

白川郷の婚姻様式は、長子(アニ)のみ嫁取り、次男以下は妻問い(夜這い)なんですね。インド南西部ナーヤル・カーストとの共通性が気になりますね!?
今日は白川郷の補足をします。(赤松啓介『村落共同体と性的規範』より)

01763s.jpgまず次男以下の妻問い(夜這い)です。
大家族では、男も女も家を離れることを絶対に禁じていた。ツマドイは当人同士と周囲の黙認があるだけで、法的には何の規制もない。ただ彼らの間では「手ジルシ」を与えたが、内縁の契約ということだろう。しかし同じムラの男なら、手ジルシも出さないことがあったらしい。
  銀のかんざし 貰うた夜さり
    じつがあるなら 前掛けおくれ

「銀のかんざし」よりも「前掛け」が手ジルシになったのである。こうすると、だいたい生涯続いたようだが、ずいぶん放縦な者もいたらしい。しかし子供ができると人情つながりで、男の方からシンガイ稼ぎでいろいろと贈ったようである。
(写真は、世界遺産ひだ白川郷より。)

応援よろしく m030  by岡
ブログランキング・人気ブログランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログへ

白川郷とドラヴィダに共通した長子のみ嫁取・次男以下妻問の続きを読む

2008年01月03日

夜這いが衰退したのなんで?資本蓄積編

何で「夜這い婚」は衰退したの?②』に夜這いが解体したのは、「資本主義の侵入、商品流通の社会構造の変革が根本的素因と思われる。」とあり、続けて

明治政府は、封建領主ですらしなかったような、まさに掠奪的地租を賦課して農村を荒廃に導いたのである。それは予定されたことで、いわゆる資本の原始蓄積、産業の資本造出のための手段であることは明らかであった。かくして土地を奪われた農民は都市へ流出し、産業資本のために安価な労働力を提供する貧民として定着する。

とあるが、具体的にはどのような地租で、資本蓄積はどのようにして行われたのでしょうか?地租改正は『何で「夜這い婚」は衰退したの?☆特別編☆』を参照してもらい、ここでは資本蓄積を見て行きましょう。貨幣制度の近代化および央銀行(日本銀行)の設立が大きくからんでいたのです。

応援よろしく m030  by岡
ブログランキング・人気ブログランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログへ

夜這いが衰退したのなんで?資本蓄積編の続きを読む

2008年01月02日

長男しか結婚できない(?)婚姻制度

m148 新年になりました。 新たな次代にどんどん変化している世界、日本です。 m149
ところで、世界中の民俗には様々な婚姻制度が有りますが、日本にも驚くべき婚姻制度が明治時代まで、あったようです。mrran さんの「結婚形態と生産形態(白川村等)」を読んで、もう少し調べてみました。

m146

長男のみが嫁をむかえて一家の跡継ぎとなり、その他の男子は、実家に居候しながら好きな女性の家に通い、生まれら子供は女性の実家の一員とされました。家長夫婦と長男夫婦の直系家族を中心に、長男以外の男子,他家の長男の嫁とならなかった女子とその子供たちを取り組みながら、一家の人数が膨れ上がりました。最大例では、明治45年の明治末期に40人の家族が暮らしていたという記録があります。

m147 カルチャー はっとりNO2より

↓ポッチットを、お願い。
ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

長男しか結婚できない(?)婚姻制度の続きを読む

2008年01月01日

神々を崇めた「お正月」

m161 m161 あけましておめでとうございます。 m162 m162

「お正月」は、今やクリスマスの次に来る単なる「イベント」の感があります。が、本来の継承されてきた日本の儀式としての「お正月」とは、どの様な文化であったのかを調べてみました。

私も今まで、このような疑問を持った事がありませんでした。調べてみると、現代の市場社会の消費文化とは全く違った、自然に感謝しながら生きていた日本人を感じることが出来ました。

%E5%88%9D%E6%97%A5%E3%81%AE%E5%87%BA.bmp
↓ポチッとお願い
ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

神々を崇めた「お正月」の続きを読む

2007年12月31日

何で「夜這い婚」は衰退したの?☆特別編☆

こんにちは。
以前、3回にわたって、“何で「夜這い婚」は衰退したの?”をエントリーしたまりもです。こちら→ m036
今回は、そのときに残った疑問、

食うに困る m117 都市へ出てゆくということになったのは何で m052

について書いてみたいと思います。
まずはこちら をポチッ m034 とお願いします m001
m118 m118
ブログランキング・人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ

何で「夜這い婚」は衰退したの?☆特別編☆の続きを読む

2007年12月27日

村の働き手~海女

ama16.jpg
今では婚姻と言うと男女がいっしょに住むことを当たり前のように想像しますが、婚姻関係を結んだあともしばらくの期間、または一生別々の家で暮らす形態があったようです。

しかもその理由を調べてみると、嫁が村の働き手として非常に重要な存在であり tikara 、その意味で生家から”嫁"に出すことをしなかったようです。

今日は能登半島の北、日本海に浮かぶ舳倉島(へくらじま)の海女のことを書いた本からその様子を見てみたいと思います。
ポチッと応援よろしくお願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

村の働き手~海女の続きを読む

2007年12月25日

婚姻形態と生産形態(白川村等)

shirakawa111.jpg

一対婚と夜這いの併存形態(白川郷)

で白川郷の夜這い(婚姻形態)を紹介していますが、今日はそれに関連して農村部における婚姻形態(嫁取りの位置づけ)となるヒントを紹介します。

突然ですが“テマ”って何のことを指していると思います?
実は“テマ”とは“嫁”のことなんです!
なんで嫁のことを“テマ”って言うんでしょうかね?

続きは↓これをクリックしてから進んでね!
ブログランキング・人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ

婚姻形態と生産形態(白川村等)の続きを読む

2007年12月12日

日本は子育上手の先進国だった

かつての日本は、と言わざるを得ないかもしれませんが、子育て上手の先進国であったようです。しかもそれは外国人からそのような評価をもらっていたようですね。

その秘密はどこにあったのでしょうか?

いろいろ調べてみると、やはり「共同体」「集団」といった言葉がキーワードになっていそうです。外国人の目にも子育て上手と写ったのは、いったいどのような状況だったのでしょうか。

日本は子育上手の先進国だったの続きを読む

2007年12月01日

良妻賢母の、日本の妻?

m066 妻は【掃除】【洗濯】【食事のしたく】など、どのくらい分担しているか?面白いDATAを見つけました。 m030 m027
日本、韓国、フィリピン、アメリカ、イギリス、ドイツについてのアンケート調査がありました。
1982年 → 2002年の変化値が見られます。日本の妻は、 m148 「良妻賢母」 m149 で頑張っているのです。
↓まずはポチットお願い
ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

良妻賢母の、日本の妻?の続きを読む

2007年11月14日

村落共同体で、香典は「お米」だった。どうしてか.....?

m282 香典は香奠ともいい、仏事においては香を献ずることから、香華の料として亡くなった人に供える金銭や物品のことをいう。現在では香典というと現金だが、かつては金銭よりも葬儀に用いる食品、なかでも米を供える地域は多かった。


m282 近親の人はその関係に応じて多額の香典を負担するが、これは米などの食品も同じであった。とくに米の場合、一俵香典といって俵で供える慣習が関東、中部、九州など各地でみられる。

%E7%94%B0%E6%A4%8D%E3%81%88.gif

  ↓ぽっちっと、お願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

村落共同体で、香典は「お米」だった。どうしてか.....?の続きを読む

2007年10月19日

みんなが思いをひとつにした労働歌

民謡にも様々なジャンルがありますが、今回は起源が旧いと言われている『田植え歌』を紹介したいと思います。

少しネットで探してみるだけで、全国各地で様々な『田植え歌』があるようです。 Shocked
歌でも歌いながら一斉にやらないと単調な作業ゆえ、トテモ辛いのは皆さん想像の通りです。それは1人でやるよりも、共同作業というやり方に意識を変えることで、重労働は一変して楽しい作業となっていた様です。

特に検地が行われ制度として納税義務が強化させられるやいなや、さらに辛い作業となったことは明らかで、より一層田植え歌はその意味を強くしたのだと思います。

img_news.jpg

tikara tikara tikara 今日はその歌詞を一部紹介します。

まずは、ポチっと。 m118 m118 m118
にほんブログ村 歴史ブログへ

みんなが思いをひとつにした労働歌の続きを読む

2007年10月17日

婚姻形態と「美白」

「肌の透き通るような美人」という表現。
現代ではあまり使われなくなりましたが、それでも「美人」という観念の中に「美白」という意識が今でも見え隠れしています。
江戸時代の美人画や、京都の舞妓さん、写真の博多人形などなど・・・

そのルーツは何だったのだろう?と調べてみると、当時の婚姻様式の影が垣間見えるなかなか興味深い事実があったので、紹介したいと思います。
%E5%8D%9A%E5%A4%9A%E4%BA%BA%E5%BD%A2.bmp

婚姻形態と「美白」の続きを読む

2007年10月03日

諸外国より進んでいた江戸の教育事情

江戸の暮らしを考察する上で、あまり話題に上ってこない「子ども」達の存在。
色々と調べていく上で密接に関わってくる「寺子屋」の存在があります。
皆さんご存じの通りですが、町ぐるみでその運営がされていた事に加え、その存在がもたらした日本の教育の水準(識字率)は、諸外国を抜きん出たものだった様です。

今日はその寺子屋をはじめ、江戸における教育事情を紹介してみたいと思います。

02-02.jpg02-01.jpg

  にほんブログ村 歴史ブログへ

諸外国より進んでいた江戸の教育事情の続きを読む

2007年09月20日

江戸幕府公認の、男対象の性風俗場は吉原だけだが、女対象は七場所あった?!

参勤交代制度に直接縛られなかった階級,「士」以外の「農工商」の場合には、「日本の伝統的民俗」を引き継いで、古来からの自由を満喫した。当然のことながら女性たちは「武士の論理」などを無視して、物見遊山・芝居・信心などを口実に、男性を「囲ったり」、陰間茶屋に「通ったり」、女性グループでの観光旅行などでも性的享楽を大いに楽しんだ。

「お世継ぎのつくりかた」~大奥から長屋までの江戸の性と統治システム~(鈴木理性著) に面白い文面がありました。

%E5%9B%A3%E5%8D%81%E9%83%8E.jpg
「国立歴史民俗博物館」<異界万華鏡>よりお借りしました。

江戸幕府公認の、男対象の性風俗場は吉原だけだが、女対象は七場所あった?!の続きを読む

2007年09月19日

元禄の大阪商人は、恋愛~心中に共感した。

m281 江戸時代の、商売の中心地「大阪」には、江戸文化よりも、より庶民的な生活が有ったのではないか?
そう思って調べてみると「元禄文化」がありました。

m282 確かに、学生の頃に歴史の授業で、そんなのがありましたね。

%E6%9B%BD%E6%A0%B9%E5%B4%8E%E5%BF%83%E4%B8%AD.bmp
浄瑠璃:曽根崎心中 「ロック曽根崎心中」さんからお借りしました。

にほんブログ村 歴史ブログへ

元禄の大阪商人は、恋愛~心中に共感した。の続きを読む

2007年09月18日

江戸時代の下り酒

江戸時代のもう一方の中心地、上方。今日はこの上方に目を向けてみました。 Rolling Eyes
この時代、文化は総じてまず上方で栄え、やがて江戸に流れてきたといわれています。そんな上方の暮らしを色々見てみたいのですが、そこでまず、食生活にまつわる話からいってみたいと思います。

お祝いの場に必ずといっていいほど出されるお酒。庶民の間で一番のお祝い事としてされていたものの一つに婚礼がありますが、ここで出されるようなお酒とは一体どのようなお酒だったのでしょうか。 m103
江戸時代の“ブランド”酒について調べてみました。

まずはいつものように応援宜しくお願いします
にほんブログ村 歴史ブログへ

江戸時代の下り酒の続きを読む

2007年09月06日

江戸性文化の吉原とは、何だったのか

吉原遊郭は、幕府公認で遊女屋を集めての遊郭を公許した施設。吉原の町で自治統治して、政府に上納金を納めていた。
しかし、いつも違法な遊女屋(それらが集まったところを岡場所と呼んだ)との競争を繰り返していた。法律で規制され廃止されるまで、300年続いた。江戸前期は主に金持ち武士が対象だったが、後期は主に金持ち商人を対象とした。他の遊女屋との競争対策として、吉原遊郭は高級化・幻想化路線を歩んだようで、その象徴が「花魁」であった。

1249964523.jpg
「古典和装しらゆき」より

ポチポチお願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

江戸性文化の吉原とは、何だったのかの続きを読む

2007年09月05日

江戸の「士農工商」の序列は実際には無かった。

江戸時代の序列制度と思っていた士農工商は、江戸庶民の共同社会をかいま見る中でその序列(特に農工商)では統合されていない事に気付いた。

少し調べてみると・・・、

士農工商(しのうこうしょう)とは、儒教において社会を構成する主要な身分(官吏・百姓・職人・商人)の上下関係を指す概念である。日本では「士」は「侍」に置き換えられ、工と商に区別はなく一括して町人と認識されており、百姓(農)と「町人」との間に序列はなかった。
江戸時代の諸制度に実際に現れる身分は、武士を上位にし、その下に「百姓」と「町人」を並べるものであった。この制度では、百姓を村単位で、町人を町単位で把握し、両者の間に上下関係はなかった。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

で納得。るいネットにも幾つか紹介されていました。
実際、士農工商は武士以上の身分差は有った様ですが、下級武士以降、農民、大工、商人に上下関係は区別されなかったのが実態の様です。
その一例として、それぞれの生活(家計)を紹介しているサイトを見つけたので紹介したいと思います。
横並びの生活水準が伺えます。 m078 m078 m078

ブログランキング・人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ

江戸の「士農工商」の序列は実際には無かった。の続きを読む

2007年09月04日

宵越の金を持たない?!

m161 江戸時代の庶民生活に関して仲間と話しあいました。「宵越の金を持たない」と粋がった江戸子。現代では考えられない金銭感覚?!それは何故か? m162

%E9%95%B7%E5%B1%8B%E3%80%80%E5%A4%AA%E7%A7%A6.jpg%E9%8A%AD%E5%BD%A2%E5%B9%B3%E6%AC%A1%E3%81%AE%E5%AE%B6.jpg

『長屋』と『銭形平次の家』 < たび日記 太秦映画村の巻 からお借りしました>

まずは、ポチットお願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

宵越の金を持たない?!の続きを読む

2007年08月23日

江戸の庶民は、堅苦しい見合いは嫌だったようです。

江戸時代の庶民の結婚。適齢期を見てみると、男の結婚は二十代半ばから三十代前半くらいで現在と余り違いが無いのに対して、女の結婚は二十歳前後で結婚するのが普通だったといわれています。なので、女性の方はかなり早い結婚だったといえます。

結婚に至るまでの経緯は、庶民は意外と自由恋愛が多かったといわれています。

『江戸町民の生活』からの引用

ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

江戸の庶民は、堅苦しい見合いは嫌だったようです。の続きを読む

2007年08月22日

共同生活を営む江戸庶民のトイレ事情とは?

江戸の裏長屋の生活を見ると、なんと狭いスペースにいろんな人達が仲良く暮らしていたようですね。 Very Happy 寝泊り以外の生活の多くを共同で使っていたようですが、では一体トイレ事情はどうだったのでしょうか。まさか現代のように水洗トイレ・・・・?ということはなかったようですが、しかしここにも当時の人々の知恵が生かされているようです。

今日はどうぞ食事の前にお読みください。 m071
よかったら今のうちにポチとお願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ

共同生活を営む江戸庶民のトイレ事情とは?の続きを読む

2007年08月21日

江戸の自治組織「木戸番」ってどんな人?

江戸の長屋事情vol.2?です。
昨日koukeiさんが長屋の共同体を紹介して頂きました。人情溢れる感じがして、できればタイムスリップしてその生活に触れてみたいものです Wink Wink

さて、その江戸には町人が50~60万人いたとも言われており、その治安は町奉行(他、町年寄)が受け持っていました。しかし、その数は町人に対してかなり少なく、とうてい管理できるものでは無かったようです。
そこで機能していたのが長屋の共同体=自治組織です。
屋主(大家)・店子(テナント、借屋主)が組織したり雇ったりしたのが tikara 「自身番」や tikara 「木戸番」です。

さて前置きが長くなりましたが、この自治組織の最末端である tikara 「木戸番」の役割について紹介したいと思います。

edo_migoto.gif%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%94%E3%83%BC.jpg
↑木戸番・夜の顔   ↑長屋での生活(「登別時代村」HPより)

応援宜しく!! Very Happy Very Happy

ブログランキング・人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ

江戸の自治組織「木戸番」ってどんな人?の続きを読む

2007年08月20日

江戸庶民は、長屋の共同体で、精神的に豊かに生活していた。

江戸時代の中期以降は、生産力が上昇して江戸の都市は市場経済が拡大し100万人都市となっていたようです。江戸周辺の地方からは多くの労働力としての人材が江戸にやって来ました。その多くは農家や漁師の次男や三男などです。そして、彼らが住んだのが落語でもおなじみの m187 「裏長屋です」。此処では「大家と言えば親同然。店子と言えば子供同然」と言うことが言われます。それは、、、、
↓まずは、ポチットお願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

江戸庶民は、長屋の共同体で、精神的に豊かに生活していた。の続きを読む

2007年08月16日

日本婚姻史11 嫁取婚~室町安土桃山江戸~

日本婚姻10 擬制婿取婚~鎌倉南北~のつづき。ついに嫁取婚=家父長婚に転換します。

嫁取婚のおこり
嫁取婚の遠い前兆は、母系氏族制の胎内における父系観念の発生にあった。そして事実上の発芽は長い婿取婚の内部でいろんな外貌をとって現れた。日本婚姻史7 前婿取婚~飛鳥奈良平安(初)~スエ婚は形の面で、日本婚姻史8 純婿取婚~平安(中)~以降の略奪、召上、進上婚は形質両面で特筆すべきで、婿取婚の終滅期の擬制婚は形の面ではほとんど嫁取婚であった。

こうしてみてくると、嫁取婚を担ったのは、武家層の略奪、召上、進上婚であり、スエ婚や擬制婚は、形だけ順応し、原理的にはそれに抵抗していた保守的婚姻形態だったといえよう。

日本婚姻史11 嫁取婚~室町安土桃山江戸~の続きを読む

2007年08月12日

「三くだり半」とは妻(女)にとって哀れな書状だったの?

『三くだり半』とは離縁状の代名詞であり、それを差し出された妻は哀れそのものというイメージが、定着されていました。 Sad
しかし、高木侃氏による離縁状の分析から見えてくるのは、その多くが男(夫)からの一方的(専権的)なものとは違い、妻に対して配慮があった(非専権的)とされる記述が紹介されており、当時のおおらかな男女関係を重ね合わせてみても、そちらの方がイメージに合い、「妻は哀れそのもの・・・」というイメージはそぐわない事が分かります。 Confused
(参考:江戸時代の結婚~制度から見た男女の地位~

030605-01-4.jpg
「↑三下り半」

応援よろしく!
ブログランキング・人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ

「三くだり半」とは妻(女)にとって哀れな書状だったの?の続きを読む

2007年08月09日

100余年間だけが、日本では婚前交渉が非難された!

 新書マップ 29.歴史 江戸時代の結婚・家族・歴史 読書ガイドから

『江戸の花嫁 : 婿えらびとブライダル』(森下みさ子著、中公新書)は、結婚事情を通して、江戸時代の社会と女性像を描写する。

森下が描く江戸時代もまた、婚前交渉など以ての外、夫の顔も知らぬまま結婚するのが当たり前だった戦前とひと続きと疑っていない者にとっては、驚きの連続である。

現代でもそうした側面が強く残っているが、江戸時代において結婚は個人の結びつきではなく、家と家のものであり、恋愛などという甘っちょろいものが入る余地はなく......


先に、ポチットをお願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

100余年間だけが、日本では婚前交渉が非難された!の続きを読む

2007年08月07日

江戸の女子教育は男よりも高水準だった?!

『以前から様々な人が言っているが、江戸時代の社会の実態は、もの凄く誤解されているそうである。江戸時代といえば「貧しい農村」である。百姓は厳しい年貢に苦しみ、喰うに事欠き、赤子は間引きされ、娘は苦界に売られていく、と相場は決まっている。

教育やテレビの力というものは恐ろしいもので、今さらそんなことを言われても、小学校や中学校で習った歴史や『水戸黄門』が描く歴史像からは、なかなか抜け出すことができない。

女性の地位についてのイメージも例外ではない・・・・
ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

江戸の女子教育は男よりも高水準だった?!の続きを読む

2007年08月06日

日本人の「裸体と性」、江戸時代から幕末の西洋人の目にはどう映ったか?

こんにちは。
koukeiさんが投稿されていた渡辺京二さんの『逝きし夜の面影』より、今日は江戸~幕末時代の庶民には当たり前だった【混浴】をもとに、西洋人の目にそこで見た光景がどのように映ったかを紹介してみたいと思います。

私自身もビックリ Shocked
なかなか現代の日本においても見られなくなった光景がそこにはあったようです。
少しタイムスリップしながら、当時の庶民になりきってご覧になってください。

いつものように応援の方もよろしくお願いします。 tikara nihi
ブログランキング・人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ

日本人の「裸体と性」、江戸時代から幕末の西洋人の目にはどう映ったか?の続きを読む

2007年08月01日

日本婚姻史10 擬制婿取婚~鎌倉南北~

12000680_TakamuraItue.jpg日本婚姻史9 経営所婿取婚~平安(末)~のつづき。とうとう群婚にはじまる全原始婚の最終段階、擬制婿入婚を迎えました。写真は『日本婚姻史』の著者:高群逸枝。熊本の文学者たちより。

擬制婿取婚というもの
承久の乱(1221)ごろから南北朝(1336)ごろまでにみられる擬制婿取婚は、文字どおり婿取婚を擬制するもので、内実は夫家の本第に妻を迎え入れるもの。夫家の本第を妻の領と観念し、従って妻と不同火族である夫方の一族の退居を要求し、しかる後に夫を婿とる方式の婚礼である。

日本婚姻史10 擬制婿取婚~鎌倉南北~の続きを読む

2007年07月26日

キリスト文化のハリスは日本性文化に驚いた。

Shocked 180px-Townsend_Harris.jpg
『タウンゼント・ハリス』
ペルーの黒船の後に、日本に訪れて開国を実現させる。日米修好通商条約を締結して初代駐日公使となり、5年9ヶ月日本にいた。聖公会信徒で妻子はなく生涯独身。

ハリスが日本に来て、日本の性の大らかさに、驚き Shocked 軽蔑する Confused 様を  m058 渡辺京二「逝きし世の面影」の中で、書かれている。

まずは、ポチットをお願いします。ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

そこには、欧米の「恋愛→結婚」と言う文化である欧米の m021 「LOVE」と言う観念と、 m023 「夜這い」と言う観念で代表される開放的で性を共有する日本の文化の違いである。

キリスト文化のハリスは日本性文化に驚いた。の続きを読む

2007年07月24日

江戸の庶民は、恋愛と現実の結婚とは、別物と考えていた

田舎の村落共同体では、村の男女が性を共有する「夜這い婚」があったが、都市部の江戸はどうなっていたのかと思っていたら、

『江戸の恋:「粋」と「艶気」に生きる』 著者である田中優子がホームページで m020 「結婚」 m022 について、コラムを書いている。江戸の庶民の男女関係が垣間見れて面白い。

例えば、江戸の庶民は、恋愛は大らかな性文化としてエンジョイしていたらしい。しかし、結婚は別の物で、極めて現実的なもので、楽しみとしての恋愛とは全く別物と考えていたらしい。 Rolling Eyes
%E5%95%86%E5%AE%B6%E3%81%AE%E5%A8%98%EF%BC%88%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%BE%8C%E6%9C%9F%EF%BC%89.jpg
商人(10代)の娘
続きは・・・・
まずは、ポチット お願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

江戸の庶民は、恋愛と現実の結婚とは、別物と考えていたの続きを読む

2007年07月20日

日本婚姻史9 経営所婿取婚~平安(末)~

日本婚姻史8 純婿取婚~平安(中)~のつづき。いよいよ婚所が妻家を離れて女系排除の動きが出てきます。そして夫宅へ妻を迎え入れてもよいという考え方さえ生じはじめます。

経営所婿取婚とは
経営所の語は、寛治(11世紀)白河院時代から保延(12世紀)鳥羽院時代にみられる。経営とは婚主による婚礼の執行をいい、経営所とは婚礼の場所のこと。これまでは婚主が自家で婿取婚礼を執行したのでことさら経営所の語を用いる必要はなかったが、この期になると別の所を借り受けて婚礼の場所とするようになったので、その場所を経営所と呼ぶようになった。

日本婚姻史9 経営所婿取婚~平安(末)~の続きを読む

2007年07月19日

何で「夜這い婚」は衰退したの?③

m243 いよいよ今回で最後です Razz

急速に衰退してゆく「夜這い婚」は、その後どうなってしまったのでしょう m052

今回も、続きを読む前に、こちらをポチっ m034 とお願いします m027
     m118         m118
ブログランキング・人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ

何で「夜這い婚」は衰退したの?③の続きを読む

2007年07月15日

日本婚姻史8 純婿取婚~平安(中)~

日本婚姻史7 前婿取婚~飛鳥奈良平安(初)~のつづき、純婿取婚です。
母系婿取婚は、アメリカ大陸や南アジア~太平洋地域に広く見られ、チンパンジー以外のサルもメス残留・オス移籍の母系制なので、普遍性の高い形態かもしれません。

一 純婿取婚というもの
ムコトリ婚のおこり
婿取婚は、妻問婚で通ってきた男を、妻方の生活体に組み入れようとするところから起こるもので、男の妻方への住みの固定化といえる。婿取婚は、妻屋側からの婿への労働力の需要によるとされ、荘園制社会では、生産力の増大とともに、男の労働力が要求された。長者層では、その地域の各戸の小世帯を崩壊させて自家の下人化したり、自家の娘や下人らの娘に通ってくる婿を住みつかせたと考えられる。

注:9~12世紀の平安時代の特徴は、中央における藤原摂関家を中心とした貴族政治と、その社会的基盤である荘園制社会とそこでの武士団の形成。中央と地方の動向は、密接に関連した表裏関係にあった。

日本婚姻史8 純婿取婚~平安(中)~の続きを読む

2007年07月13日

妻問婚のイメージとは?

「日本婚姻史シリーズ」では、日本の婚姻史の変遷を、岡さんが詳細に綴ってもらっています(非常に濃い! tikara )。

その中の一つに日本婚姻史7 前婿取婚~飛鳥奈良平安(初)~
がありますが、その妻問い婚のイメージを膨らませるようなエピソードを見つけたので、引用したいと思います。

よろしくどうぞ m118 m118
ブログランキング・人気ブログランキングへ
にほんブログ村 歴史ブログへ

妻問婚のイメージとは?の続きを読む

2007年07月12日

江戸時代の士農工商、各々の婚姻制はどうだったんだろう?

江戸時代から、明治時代への転換時期に、時の明治政府は西洋文化に後れを取っては、日本が危ない(植民地化される)と言う危機意識で一杯であった。そして欧米文化の緊急輸入が政策的になされた。

明治政府は、士農工商を廃止して、政府主導で日本本来の婚姻制を急変させました。

『この時期に統制や規制が盛んなのは、裏返せば、実態がいかに(統合者からみれば)乱れていたかを物語っています。従って、当時の庶民への習俗(特に性習俗)への弾圧や抑圧の実態が判れば、逆に一般庶民の性意識も見えてくると思います。』
 るいネット「文明開化の民俗信仰の介入」

江戸時代のおおらかだった婚姻制 m162 から、現在の一対婚 m252 への移行である。

江戸時代の士農工商、各々の婚姻制はどうだったんだろう?の続きを読む

2007年07月08日

何で「夜這い婚」は衰退したの?②

%E7%B4%85%E8%91%89.jpg前回の続きです Very Happy

共同体を維持してゆくための実践的方法論である「夜這い」は、その後どうなったのでしょうか m052
今回もるいネットから、明治時代のお話を紹介します m060

今回も、続きを読む前に、こちらをポチっ m034 とお願いします m027
       m118
ブログランキング・人気ブログランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログへ

何で「夜這い婚」は衰退したの?②の続きを読む

2007年07月05日

何で「夜這い婚」は衰退したの?①

このブログでもよくとりあげられている「夜這い婚」。共同体みんなが充足するための優れた婚姻システム m001 であり、つい最近(昭和30年代頃)まで、残っていた村もあったほど m019 それなのに、なぜ衰退してしまったのでしょう m052 m052

すご~く疑問だったのですが、るいネットから、夜這いとその衰退について詳しい投稿を見つけました Very Happy それを3回に分けてご紹介したいと思います m059

続きを読む前に、こちらをポチっ m034 と押して下さいねm027
       m118
ブログランキング・人気ブログランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログへ

何で「夜這い婚」は衰退したの?①の続きを読む

2007年06月27日

「主婦」と言う言葉が、中流サラリーマンの「奥さん」と言う憧れを感じる語感だった時代があった。

「主婦」と言う言葉は憧れの語感がある時代があった。 Shocked
その歴史を調べてみると…。

「戦前の都市中間層の世帯には、夏目漱石のように手もと不如意をつねにこぼすような家庭にも、下女の一人や二人はいたことが知られている。・・・・・「主婦」という言葉は、語源的には、ヨーロッパ語でも日本語でも「家の女あるじ」を意味していた。「主婦」であるための資格は、家長の妻であることとともに、下働きの「女子衆(おなごし)」や親族の女性を配下に従え、それに采配をふるう家政の指揮監督権を握っていることであった。しかし、都市化と核家族化の進展の過程で、「主婦」の大衆化(と地位の低下)が起きる。核家族の中の「主婦」は、下女を失うだけでなく、拡大家族の中にいた他の成人女性メンバーをも失った。今や家族中の唯一の成人女性メンバーとなった主婦の肩に、すべての家事労働がかかってくる。こうして世帯内の家事専従者としての「主婦」が成立する。アン・オークレー流に言うなら、「主婦」とは「家事使用人を失った家長の妻」のことである。」(上野[1991:138-139])

まずは、ポチットお願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

「主婦」と言う言葉が、中流サラリーマンの「奥さん」と言う憧れを感じる語感だった時代があった。の続きを読む

2007年06月25日

「愛し合うから結婚」そして結婚したら「家族には愛情があってしかるべき」こんなの常識(?)

何時からか、「お父さんは子育てを手伝って、家族を愛して楽しい家庭を作るべきである」と言う意識が世の中に広まってしまいました。 m013
アメリカのタイガーウッズは「子供が生まれる時は、メジャー大会でも休む」と言っていますが、アメリカ社会では、追認されているようです。 m187

日本でも、アメリカ文化を追いかけて「恋愛至上主義」で結婚した後は、引き続いて「家族愛至上主義」が続きます。

何時から、こうなってきたのでしょうか? 
ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

「愛し合うから結婚」そして結婚したら「家族には愛情があってしかるべき」こんなの常識(?)の続きを読む

2007年06月21日

「性におおらか」なのに「男女交際が無かった」とは??

日本の性はおおらかだったことは、みなさんよくご存知ですよね nihi それとkoukeiさんの日本に「男女交際」は無かった?!っていうのがイマイチピンと来なくって、ブログ仲間といろいろ話し合ってみました m027

続きを読みたい方は、こちらをクリックしてからどうぞ m023
     m118
ブログランキング・人気ブログランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログへ

「性におおらか」なのに「男女交際が無かった」とは??の続きを読む

2007年06月19日

日本婚姻史7 前婿取婚~飛鳥奈良平安(初)~

日本婚姻史6 妻問婚の番外編の続き、いよいよ婿取りの前段階です。

一 前婿取婚というもの
時代は大化改新(646年)が、部族連合社会を崩壊させ、はじめて都市ができて田舎と対立、またはじめて律令という成文法が布かれ、行政区画がなり官僚制も始まった。財産制、特に土地所有制も共有から私占(私有)に移った。

しかし、大化改新は政治革命で社会革命ではなかったため、共同体も崩壊されつくされずに半壊れとなっただけで、このような共同体の妻屋において妻問婚も継続していた。前婿取婚は、貴族も庶民も、妻問いから婿取りへの過程にあって、通い(別居)と住み(同居)が相半ばしていた状態。

日本婚姻史7 前婿取婚~飛鳥奈良平安(初)~の続きを読む

2007年06月14日

日本に「男女交際」は無かった?!

現代日本の「恋愛至上主義」は、ほんの50年前では珍しい考えでした。 Shocked

私の両親が結婚した時代(戦後の1950年ごろ)は、結婚と言えば親が決めた相手か、見合い結婚。私の両親は、一目見てその後は結婚式だったそうです。

それがあっという間(50年間)に、男女関係はいわゆる昔の少女漫画のような、胸が時めく夢のような恋愛 m021 をして、恋焦がれた相手と恋愛時代 m023 を経た上で結婚に至るという夢を抱くようになりました。そして結婚式は人生最大のイベントで、その後の結婚旅行は海外へと、お金の掛かる恋愛が市場社会によってさらに加速されてしまったようです。そして、日本では、恋愛という過程を経てから結婚すると言う婚姻制度(≒「恋愛至上主義」)に変わってしまいました。

ポチットお願いします。↓ Razz
ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

日本に「男女交際」は無かった?!の続きを読む

2007年06月07日

男子禁制って?

koukei さんの、性を集団で規制する社会の中の、

日本においても少し前までは立派な「女人禁制」文化があった。

を見て、じゃあ「男子禁制」もあるのでは m052 と思って調べてみました m072

続きを読む前に、クリックよろしくお願いします m023
  ↓
ブログランキング・人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ

男子禁制って?の続きを読む

2007年06月05日

日本婚姻史6 妻問婚の番外編

日本婚姻史5 妻問婚~大和時代~で、妻問婚が、有力共同体が弱小共同体を征服するのに活用された、つまり「記・紀」「風土記」等にみられる大国主、景行、ヤマトタケル、応神等の国作り物語は妻問い説話でもある、と書きましたが、少し詳しく紹介します。番外編として、高群逸枝が『日本婚姻史』の10年前に書いた『母系制の研究』(1953年)より抜粋します。

●本論序章「一夫多妻制」
古代の一夫多妻(妻問婚)は、後代のそれとは全く類を異にした母家単位の現象としてはじめて正しく理解さるべきものである。大国主命の婚姻形態を後代の一夫多妻と同様に見て古代女権の卑小を論ずるが、事実はむしろ反対であって、同命を取巻くいわゆる妻妾群は後代のごとき無能力な存在ではない。いずれも一国一氏の女君であり女長であることは、高志の渟川比賣にせよ、因幡の八上比賣にせよ、其他出雲風土記、播磨風土記等に見ゆる諸姫が、その土地々々の名を負う貴族であり、女神である例を見れば肯けるのである。古代の一夫多妻(妻問婚)はかくのごとき女君達、一国一地方の領主達との結合であるところに意味があるのであって、これによってはじめて国作り工作が成就するのである。

日本婚姻史6 妻問婚の番外編の続きを読む

2007年05月31日

性を集団で規制する社会

マヌス族について述べられている下記の文章の内容は、少し前の日本でもあった文化であるような気がしました。
このブログ内の「性否定社会」ってホントに存在したの?(1) sachiareさん5月28日

①『基本的には性交は男性にとって、女性の穢れに触れる危険な行為とされている。性交のにおいにふれただけで男性が重い病気になるという話がある。女性器や月経血にまつわる女の穢れを忌み嫌う。』

②『少なくとも表向きは内なる性欲を遠慮なく全開させるような形で性を楽しむという考え方はまったく見られない。・・・・女性器や男性器の名称を聞いても、彼らは恥ずかしがってなかなか教えてくれない。』

Rolling Eyes 「性否定の社会」と言えるのかな~?そしたら、日本も「性否定社会」? と少し考えてしまいました。
まずポチットをお願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

性を集団で規制する社会の続きを読む

2007年05月23日

日本婚姻史5 妻問婚~大和時代~

日本婚姻史4 群婚の崩壊 の続きで、妻問婚のはじまりです。
ツマドヒ婚の起こり
妻問婚は、氏族共同体に照応して、群婚と併存しながら成長してきた個別婚的婚姻制。いわゆる対偶婚で、身柄や生活の根拠が各自の氏族にあり、夫は妻方に通ったり(別居-妻問い)、滞在したり(妻方同居-婿取り)するが、その結合は弱く、離合が容易である。氏族が生活組織の単位であり、夫婦関係はいわば恋愛関係である。

ここでの夫婦関係は、「家ゆすりて取りたる婿のこずなりぬる」(枕草子)というように、容易に「床去り」「夜離れ(よがれ)」ができ、女の側でも男を「門から帰す」と、それで簡単に離婚が成立した。

初期の妻問婚の祖型は、群婚の崩壊でみた神前婚約によって男が女の家に通う個別式の形態にあったといってよい。しかし、この形態には群婚原理が付着している点(神が婚主である点、一対一の婚姻に群婚的な連帯性から副夫や副妻がからんでいる点)で、まだ前段階のものであった。むしろこれから誘発され、非公式の形をとって、男が忍んで女を妻問いする自由恋愛の俗を派生したところに、妻問婚の表面化が見られた。

日本婚姻史5 妻問婚~大和時代~の続きを読む

2007年05月13日

日本婚姻史4 群婚の崩壊

日本婚姻史3 族外婚 の続き。群婚(族外婚)の崩壊と妻問婚前夜です。
自然物採取から農耕段階へ進むと、集団婚であることを特徴とする族外婚から、母系制的対偶婚(個別婚)への道をひらきます。

紀元前2、3世紀の頃に移入された水田農耕の普及は、社会関係を複雑にし、孤立した氏族集落体から部族連合体への道がひらけはじめた。前2世紀の「漢書」には「楽浪海中有倭人、分為百余国」などとあり、部族(氏族の集まったもの)が百あまり、まだ部族連合も結成されずにばらばらに散在していた。

3世紀ごろになると邪馬台国が出現し、30余国の部族連合がみられると「魏志」にいう。このような段階でもなおクナド婚は威力を発揮し、部族連合の一つの動力となったが、その方式に特記すべき変革がおこった。それは神前集団婚から神前婚約がはじまり、それによって男が女の部落へ通う妻問形態の個別婚を生み出したことであった。

日本婚姻史4 群婚の崩壊の続きを読む

2007年05月04日

日本婚姻史3 族外婚

日本婚姻史2 族内婚 に続いて、もう一つの群婚である族外婚です。(高群逸枝著『日本婚姻史』より)

群の定着と族外婚
縄文前期ごろから群は定着し、生産力の増大、人口の増大から、かつては別れ去った分枝群もいまは隣り合って集落を作るようになる。この段階で群は族内婚から、隣群との族外婚に進む。(筆者注:氏族単位で集団分割した上で集団統合力強化のため、氏族間で交じり合う婚姻制に転換する。交叉婚ともいう。)

族外婚の典型はオーストラリアに見られ、A群の全男子はB群の全女子と夫婦、B群の全男子はA群の全女子と夫婦というもの。有名なカミラロイのように四群からなるもの、八群からなるものなどいろいろあるが、基本的には二群式が原則。

ところが日本では、二群単位とは限らず、二群でも三群でもが集落をなし、その中央に祭祀施設のあるヒロバをもち、そこをクナド(神前の公開婚所)とし、集落の全男女が相あつまって共婚行事をもつことによって、族外婚段階を経過したと考えられる。(筆者注:拡大族内婚とでもいうべき世界史的にも非常に希な形態です。「日本の交叉婚の特殊性」参照。)

日本婚姻史3 族外婚の続きを読む

2007年05月03日

日本婚姻史2 族内婚

日本の婚姻通史の続きで、一つづつ婚姻様式を紹介してゆきます。最初は群婚(族内婚と族外婚)のうち族内婚から。族内婚を明らかにするのは記録がなく難しいが、遺跡や遺物、遺語、招婿婚(婿入婚)から類推できる。(高群逸枝著『日本婚姻史』より)

共食共婚
原始の家は後代の固定的なそれと違って、移動的な群単位の血縁集団の段階だったと考えてよかろう。縄文早期の遺跡は数個の竪穴からなり、その一つは面積約25㎡、5~6人程度の収容能力で、まだ炉の跡もなく、移動性が濃厚に見られる。

群は必然的に孤立的で、洞窟や竪穴式・平地式住居に住み、共食共婚であったろう。つまり同じ火を囲み、同じ性を分け合っていた。共食共婚こそ同族の特権であり、連帯性の基礎であるとされたのであろう。古語のヘグイは共食、イモセは兄弟姉妹間の夫婦関係を意味するが、これらは群時代の共食共婚の俗をうかがわせる。

日本婚姻史2 族内婚の続きを読む

2007年04月10日

日本の婚姻通史

出自規則の転換要因のマードック説は大変面白かったです。このあたりを検証する意味でも、日本の婚姻史は参考になります。というのも世界の中でも日本は、群婚から母系氏族、そして父系制にダイナミックに転換した歴史が精緻に追跡できる、非常に希で興味深い民族だからです。どのようにして転換していったのか、シリーズでレポートしたいと思います。今日は婚姻通史を示します。参照:高群逸枝著『日本婚姻史』

原始(無土器・縄文)・族内婚―――――――┬―【群婚】群
原始(縄文・弥生)・・・族外婚―――――――┘       母系氏族
 ↓
大和〔古墳〕・・・・・・妻問婚 ――――<通い>┬―【対偶婚】父系母所
飛鳥奈良平安(初)・前婿取婚 ――┬婿取婚┘   <群婚的多夫多妻遺存>
平安(中)・・・・・・・純婿取婚―――┤ <住み>  <過渡的父系氏族=氏族崩壊>
平安(末)・・・・・・・経営所婿取婚―┤
鎌倉南北・・・・・・・擬制婿取婚 ――┘
 ↓
室町安土桃山江戸・・嫁取婚―――――――【一夫一婦(蓄妾)婚】父系<家父長>
 ↓
明治大正昭和・・・・・・寄合婚―――――――【純一夫一婦婚】双系<個人型>

日本の婚姻通史の続きを読む

2007年02月28日

アイヌ人は、妻を借りていた?

「アイヌ民族はシサム(和人)が渡来するより古くから日本列島に住んでいた先住民だよ、とエカシ(長老)・フチ(媼(オウナ))より伝えられています。  祖先は、この地をアイヌモシリ(人間の静かなる大地)と呼び、自然界をカムイ(神々)として謙虚に祈り、自然の恵みに感謝をし、「カムイありて我あり、我ありてカムイあり」との互助精神で、自然を改造・破壊・汚染することなく生活してきた民族です。」

アイヌ人は、縄文文化を維持して生きて来たと言われています。主に漁労や狩猟によって生きてきたようです。ですから自然への同化がアイヌ文化そのものです。自分さえ良ければいいといった自我性・わがままさは殆どなかったと思われます。私有財産も大した物はなく、質素で、自然に対しても感謝に満ちた生活です。
ブログランキング・人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ

アイヌ人は、妻を借りていた?の続きを読む

2006年12月08日

北方の苗(ミャオ)族と南方の倭族2

北方の苗(ミャオ)族と南方の倭族1 の続き。
大阪教育大名誉教授の鳥越憲三郎氏によると、苗族は4500年前頃に長江中流域に南遷し、倭族を蹴散らして国を建てる。
そして、戦乱で大陸全土が乱れた戦国春秋時代、倭族は追われてついに日本にも辿り着くことになる。

北方の苗(ミャオ)族と南方の倭族2の続きを読む

2006年12月07日

『トツグ、マク、クナグ』から見えてくるもの

m173 「日本婚姻史」(中山太郎)という本を読み始めました。(詳しくはこちらをどうぞ)

第一章「共同婚」の中の、第一節「共同婚を偲ばせる二三の古語」の中から、“とつぐ、まく、くなぐという古語の内容”がなかなか興味深かったので、ご紹介します。

こちらをクリックしてから、続きをお読み下さい m027
  ↓

ブログランキング・人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ

『トツグ、マク、クナグ』から見えてくるものの続きを読む

2006年11月09日

結婚をまとめるのは女の仕事?

みなさん、古代中国やインドなど、インターナショナルかつ考古学的な感じですね Very Happy わたしは、かなり地理的にも年代的にも身近な、日本の離島の婚姻についてのお話をご紹介したいと思います。

本日、たまたま見つけたのは、山口県の見島という離島の結婚のお話。

mishima.jpg


見島(みしま)は、山口県萩市に属する島。面積 7.73km、人口約1200人。 南側にある本村地区、北側にある宇津地区の2つからなり、本村の北側・払子には航空自衛隊の基地がある。見島郡に所属していたが明治29年(1896年)4月1日阿武郡に編入された。(Wikipediaより)

出典は、「わたしの見島」(原一男監督)というドキュメンタリー映画のために、スタッフが行ったフィールドワークをまとめた、「CINEMA塾」テキストリンクです。

続きを読みたい方は、↓をクリックしてからどうぞ m027

ブログランキング・人気ブログランキングへ   にほんブログ村 歴史ブログへ

結婚をまとめるのは女の仕事?の続きを読む

2006年10月19日

竪穴住居に住んでいた男女の関係は?

m043 縄文・弥生時代の男女関係について、ありましたよ。 m008 m008 興味深い内容です。
%E7%B8%84%E6%96%87%E5%9C%9F%E5%99%A8.jpg

「妻問婚」?とか、「クナド」?などで説明されています。
竪穴式住居の縄文時代も、現在と同じように一組の男女が夫婦( m189 )と、疑問に思っていたんですが、現在と同じ一対婚と言う仮説とは、大きく異なる男女関係の説がありました。詳しくは..........

竪穴住居に住んでいた男女の関係は?の続きを読む

2006年09月04日

一対婚と夜這いの併存形態(白川郷)

飛騨白川村の合掌造りは、40人程の大家族が住める住居ですが、寝室につながる夜這い用の出入り口が設けられていることでも有名です。家を継ぐのは長男だけで、それ以外は結婚せずに家に留まり血縁だけの大家族を形成します。

長男だけが家を継ぐ制度は、江戸時代の農民社会ではしばしば見られ、歴史の参考書では、「分地制限をはじめ、生活難からも分化不能の場合が多く、次・三男は独立の機会を失って長子に隷属する場合もしばしばみられたのである。」(山川出版社 詳説日本史)のように書かれています。私も、長男に生まれなかった人は悲惨だな、と思っていましたが、そんな杞憂は不要でした。

一対婚と夜這いの併存形態(白川郷)の続きを読む

2006年09月03日

婚姻が社会と切り離されて50年も経ってない

日本の婚姻史を調べてみると、集団や社会から切り離された婚姻や性関係は、ほんのこの50年くらいしかなかったようだ。

まず、庶民の生活の中で、縄文時代から昭和10年から30年頃まで受け継がれてきた、夜這い婚などの集団婚。それらは、村単位で性充足を高めるシステムで、男女老若既未婚をとわず、性の役割が与えられた。

子育ても、誰の子であろうと、娘の親が育てるというように、村の規範の中で育てられた。決して個人課題ではない。また、性や子育て規範を共有する単位(村)と、生産にかかわる規範を共有する単位(村)は一致していた。

このように、性や婚姻は社会とつながっていて、性自体が集団維持の課題のひとつであった。それゆえ、性をみんなの期待として、肯定的に捉えていた。

婚姻が社会と切り離されて50年も経ってないの続きを読む