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DNAでたどる日本人の成り立ち2 人口構成比の試算

DNAでたどる日本人の成り立ち1 [1]で、崎谷満著『DNAでたどる日本人10万年の旅』より、Y染色体のDNA多型分析による日本人の成り立ちを概略押えたので、それをもとに日本人を構成する人々がいつ、どれくらいやってきて、どのように増加していったのかの試算を行いました。想定の仕方によっていくつもの試算パターンがあり得ますが、ここでは1パターンのみを示します。
九州、四国、本州の平均値と思われる構成比を以下のように想定しています。
各地域の単純平均より、東京の人口比の大きさから東京比率をやや重視した比率にしています。またO3系統のうち漢民族に特異なO3eは、上記著書では「東京で9%」という記述のみで他の地域は不明だが、無視できない比率であり、かつO3とO3eは流入時期および民族が異なるので、分けて試算しています。O3は縄文後期に雑穀農耕を持ち込み、O3eは古墳時代以降の支配氏族。
              九州  四国  東海  関東  東北     平均値
                   徳島  静岡  東京  青森     (想定)
C3(旧石器シベリア)   8   3    2    2    0   C3   3
C1(縄文期貝文文化)   4   10    5   1   8   C1   5
D2(縄文文化)       26   26   33   40  39   D2  34
N(ウラル系)         4    7    2    0   8        3
O2b(長江文明)     32   33   36   34  31   O2b 33
O3(華北)         26   21   20   23  15   O3  14
                                     O3e  8
応援よろしく  by岡
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九州、四国、本州の時代別合計人口
九州、四国、本州合計の人口データは鬼頭宏著『人口から読む日本の歴史 [3]』(グラフはここ [4]を参照)による。資料では8100年前以降の人口しかないので、それ以前および試算に必要なポイント年代で資料にない場合は引用者にて補完した。
2万年前の人口を0として、C3系統以下、順次各系統が流入し、各年代・各系統固有の増加率でもって増加し、現在の構成比になったとする。
まず、人口計および増加率は以下のようで、各期間毎の年間UP率を見ると、縄文期は0.05%、最大で0.1%、中期以降は寒冷化により人口減少した。弥生期から古墳期にかけて0.2%弱~0.4%弱と拡大第1期を形成している。拡大第2期が江戸期の0.8%弱、そして第3期が明治以降の1%弱。
その期から現在までの通期年間UP率は、人口グラフが二次曲線型なので近年ほど大きくなっている。この値は各系統の流入時期がいつかによって、通期年間UP率および流入人口を予測するのに使用した。
                       各期間毎の その期から現在までの
 時代            人口計   年間UP率  通期年間UP率
旧石器末 2万年前     0
       1.8万年前   0.03万   0.0282
縄文草創 1.5万年前   0.07万   0.0485
       1.2万年前   0.30万   0.0527
       1.0万年前   0.86万   0.0447
縄文早期 8100年前    2.01万   0.0572    0.1074
縄文前期 5200年前   10.56万   0.1007    0.1354
縄文中期 4300年前   26.12万  -0.0411    0.1426
縄文後期 4000年前   23.09万  -0.0868    0.1564
縄文晩期 3000年前     9.69万  -0.2453    0.2375
       2900年前    7.58万   0.1875    0.2541
弥生早期 2400年前    19.34万   0.1874    0.2680
弥生後期 1850年前    54.17万   0.3368    0.2919
古墳前期 1650年前   106.13万   0.3867    0.2865
奈良時代 1280年前   451.22万   0.1144    0.2571
慶長5年  400年前  1226.59万   0.7761    0.5663
享保6年  285年前  3125.99万   0.0358    0.4771
明治6年  135年前  3301.02万   0.9875    0.9875
平成17年  現在   12077.86万
流入人口の想定
流入人口は、流入年代の古いものから以下のように想定した。なお、ある時期に流入した人口は毎年平均してやってきたとして試算している。現在までの通期年間UP率は、各期間毎の増加率を設定して得た試算結果の通期値。
系統    流入時期と流入人口              現在までの通期年間UP率
C3  2万年~1.8万年前に 250人(年平均0.1人)      0.0479%
D2  1.5万年~4000年前に 3000人(年平均0.3人)    0.0987%
C1  1.2万年~1万年前に 800人(年平均0.4人)      0.0744%
   1.2万年~1万年前に 500人(年平均0.25人)     0.0741%
O3  4000年~2400年前に 4000人(年平均2.5人)    0.242%
O2b 2400年~1850年前に 1万人(年平均18.2人)     0.3453%
O3e 1850年~1280年前に 1万2000人(年平均21.1人) 0.382%
各年代の系統別人口構成比
以上の想定のもとで、各年代ごと、系統ごとに人口増加率を設定し試算すると、以下の結果が得られる。
 時代            人口計   C3  D2  C1     O3  O2b O3e
旧石器末 2万年前     0
       1.8万年前   0.03万  100
縄文草創 1.5万年前   0.07万  100
       1.2万年前   0.30万   57  43
       1.0万年前   0.86万   36  42  14   8
縄文早期 8100年前   2.01万   27  49  15   8
縄文前期 5200年前   10.56万   12  72   10   6
縄文中期 4300年前   26.12万   8   75   11   6
縄文後期 4000年前   23.09万   8   75   11   6
縄文晩期 3000年前    9.69万   7   72   10   6    5
       2900年前    7.58万   7   70   10   6    6
弥生早期 2400年前   19.34万   7   67  10   6   11
弥生後期 1850年前   54.17万   6   60    9   5   15   5
古墳前期 1650年前  106.13万   5   58    8   5   16    7    1
奈良時代 1280年前  451.22万   5   52    8   4   16   13   2
慶長5年  400年前  1226.59万   4   41    6   4   16   25   5
享保6年  285年前  3125.99万   3   37    5   3   15   30   6
明治6年  135年前  3301.02万   3   37    5   3   15   30   7
平成17年  現在   12077.86万   3   34    5   3   14   33   8

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