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2008年09月01日

DNAでたどる日本人の成り立ち1

DNA分析より、日本人を構成する人々がいつ、どれくらいやってきて、どのように増加していったのかの試算に取り組みたいと思います。
まずは、崎谷満著『DNAでたどる日本人10万年の旅』より、Y染色体のDNA多型分析から日本人の成り立ちを概略押えたい。
Y染色体はAからRまでの18の系統に分けられる。
下表の( )内の数字は分岐推定年代で、単位は年前。
赤字のが日本まで辿り着いた主な亜型で、出アフリカの3系統のいずれもが今でも日本列島で存続・共存し多様性を保持していることは、世界的に見て非常に珍しく、歴史上の不思議といえるようだ。(他ではかつて存在した系統も壊滅した例が見られる。)
Y────┬─A(42,800) アフリカ固有
(90,420) └─BR┬─B(36,800) アフリカ固有
     (82,000) └─CR┬─(27,500) CRは出アフリカ第1グループ
          (68,500) ├─DE──┬(13,000) DEは出アフリカ第2グループ
                 │(38,300)└E
                 └─F─┬─G Fは出アフリカ第3グループ
                (53,000)├─H
                       ├─I
                       ├─J
                       └─K─┬─L
                      (35,600)├─M
                             ├─┬(8,830)
                             │  └(17,500)
                             └─P─┬─Q
                            (29,900)└─R
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日本人のY染色体亜型は主に以下の6系統に分けられる。各系統記号の後ろの( )内に引用者にてタイプ名を付けているが、故地や文化の担い手を示し、由来は後述する。
沖縄・北海道は異質なので、九州・四国・本州のみを扱う。
                沖縄  九州  四国  東海  関東  東北  北海道
               南  北      徳島  静岡  東京  青森  アイヌ
C3(旧石器シベリア)   0  0   8   3    2    2   0    13
C1(縄文期貝文文化) あり あり  4   10    5    1   8    0
D2(縄文文化)      4  39  26  26   33   40   39    88
N(ウラル系)        0   0   4    7    2    0   8    0
O2b(長江文明)     67  30  32  33   36   34   31    0
O3(華北)         あり 16  26   21   20   23  15    0
(注)O2bには少数のO2aも含む。O3には少数のO3eも含む。著書では100%にならないところがあったので引用者にて一部補正。誤差範囲に収まるものはママ。
日本に辿り着いた主な亜型の経路・時期・故地
C系統
                            (2万年前)
                         ┌→一部はアメリカ大陸へ
アフリカ→インド→東南アジア→シベリア┼→C3サハリン経由で北海道→本州へ
               │        └→C3朝鮮半島から九州→本州へ
               │            
               └─(ルート不明)───→(縄文早期)C1南九州へ
C3系統はユーラシア大陸東部に広く見られ、特にシベリアなどの北方系に高い集積が見られる。アルタイ系のトゥングース系、モンゴル系、テュルク系が高頻度。
C3系統は、後期旧石器時代晩期にシベリアで細石刃文化を担ったヒト集団で、2万年前にサハリン経由で北海道・本州に至る経路と、中国東北部→朝鮮半島を経由して九州・本州に至る経路の二つからやってきた
C1系統は日本にのみ見られ、移動ルートも不明。航海術と貝文土器を携えて新石器時代早期に日本列島の南部に達した貝文文化の民と考えられ、南方島嶼部から黒潮に乗って北上してきた可能性が想定される。
D系統
アフリカ→インド→東南アジア→華北→朝鮮→(新石器1.5~1.2万年前)D2日本へ
               │
               └─────→D1・D3チベット・ビルマへ
D系統はユーラシア大陸東部に限局する分布を示し、D2系統は日本列島のみに特異的に見られる(朝鮮半島ではほぼ消滅してしまった)。新石器時代に華北→朝鮮半島を経て九州に達し、その後本州を経て北海道まで達する縄文文化の中心的な担い手と考えられる。
NとO系統
N系統の分岐は比較的新しく8800~6900年前で、分布はユーラシア北西部のウラル系に特徴的な系統。一部は華北から朝鮮半島→日本へ達したが、彼らの意義については今後の検討が必要。
             ┌─→(新石器8,830年前)華北─→朝鮮─→日本へ
             │
             │          ┌→O3e漢民族・シナチベット族
             │          ├→O3cミャオ族・ヤオ族
             │          │
             │      ┌→O3華北─→(5000年前~)日本へ
             │      │   ↓押されて
アフリカ→インド→東南アジア→O2長江──→(弥生2400年前)O2b日本へ=倭人
                     │       (一部は朝鮮経由で日本へ)
                     │
                     └────→O2a越人は南西の東南アジアへ
O系統もユーラシア大陸東部に限局しており特異。O系統は1万7500年前あるいは1万700年前に分岐し、8100年前に移動を開始している。
O2a系統は華南から東南アジアに高い集積が見られ、日本列島では低頻度である。
O2b系統は南琉球・八重山諸島(67%)と朝鮮半島(51%)で高い集積を示し、日本列島でも20~30%とある程度の頻度で見られる。O2aともある程度重複している。O2b系統は3300年前に分岐し、2800年前に移動を開始している。
O2系統は華南の長江文明を担った人々で、春秋戦国時代(2700~2200年前)、華北の黄河文明の膨張を受け、呉の滅亡(前473年)、越の滅亡(前334年頃)によって四散していった。
南西へ移動し東南アジアへ広がった人々がO2a系統(一部O2b系統)の越人、北東へ向かい山東半島から朝鮮半島、さらに九州へ渡って行った人々がO2b系統の“倭人”と推定される。つまり、2400年前頃から日本列島に入ってきた渡来系弥生人がO2b系統。少数の集団が何回にも分かれて細々と九州に辿り着いたと推定されている。
O3系統は華北の漢民族に特に高い集積を示し、その周辺に向かってなだらかに低下しながら、チベット、モンゴル、満州、さらに華南、東南アジア、朝鮮半島から日本列島へと、言語境界を越えていろいろな民族の間に広がっている。華南、東南アジアで発祥し、早い時期に北へ移動、5000年ほど前から漢民族・中原勢力の膨張とともに黄河上流域から今度は南へ東へと移動した。(引用者注:D2系統とともに日本へも渡来したと想定する。)
O3系統の亜型であるO3e系統は漢民族に特異性が高く、シナ・チベット語族にも広く認められる。東京で9%である。(O3c系統はミャオ・ヤオ系に高い集積が認められるが、日本ではほとんど見られない。)
古墳時代、飛鳥時代、奈良時代を通して、日本列島では黄河文明の影響が強くなってきた。黄河文明を担う漢民族O3系統、特にO3e系統が少数ながら流入してきたことが推定される。

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