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2023年03月31日

【古代西アジアの文明史④】西アジアにおける農耕牧畜集団の自然観の変遷

画像はコチラからお借りしました

前回(【古代西アジアの文明史③】縄文⇒弥生土器の変遷に見る、農耕の始まりによる世界観の変化)は、日本の土器の変化に照準を当ててその当時の世界観について追求しました。今回は、農耕が世界で初めて始まったとされる西アジアの農耕が始まった頃の世界観について掘り下げていきます。

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<西アジアの農耕の変化と世界観の変化>

●農耕初期時代(リンク)
西アジアでは、紀元前7000年頃から【天水農業】という人間が手を加えることなく、自然と一体化する中で行う農業が行われていました。この頃は、人間が自然と一体化しており、自然からのエネルギーを得て生活を行っていたということが分かります。

 

●西アジアの自然に対する転換(リンク
西アジアの自然に対する転換期として、今まで「天水農業」という自然と一体化しながら生きてきましたが、紀元前6000年頃に【灌漑農業】という水路を引き、水を人工的に供給することで行う農業(雨の量≒自然の動きに関係なく農作物を収穫できるもの)が行われるようになりました!

 

灌漑農業を行っていた時代には、自然は「一体化する相手(恵をそのまま活かす)」ではなく「コントロールすべき(集団の都合が良いように変えていく)もの」という意識が芽生え始めたことにより徐々に自然と一体化するエネルギーが低下していったのではないでしょうか?その1つの象徴として、土器の変化があります!

 

<西アジアの土器の変化>

・前回の記事でも少し触れましたが、西アジアの土器は彩文土器(ハラフ土器)という紀元前7000年頃に使用されていた土器が発見されています。そこから、紀元前4000年頃になると無文土器(ウルク土器)が出てきました。

・西アジアも彩文土器から無文土器になったのは、灌漑農業が始まった時。遊動的採集狩猟民から定住型採集狩猟民へ移行していきました。

 

自然外圧の変化(寒冷化・乾燥化等による居住範囲の減少)+同類圧力の高まり(人口密度増)により、限られた自然資源を集団で分け合うためには、自ら食糧を作り出す≒灌漑農業への発展が求められたと考えられます。

 

自然環境と社会状況(=外圧状況)によって文化(世界観)は変化していく。

人類はそのように進化をしてきたと思うと現代の人類が持っている世界観や受けている外圧は一体どのようなものなのでしょうか。

また日本で大きな集落は存在していましたが、西アジアのような階級制度や、都市といえる規模にはならなかったのはなぜでしょうか。

引き続き追求していきます!

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