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2019年05月24日

教科書には載らない近代科学者たちの自然支配の言葉

西洋科学が自然を征服・支配することを目的としていたとする証拠がある。
『十六世紀文化革命』「第10章-15.近代科学の攻撃的性質」(山本義隆著 みすず書房)によると、17~18世紀の科学者たちは自然を征服・支配しようとして、次のような言葉をその著作に記しているとのことである。
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【フランシス・ベーコン】1561~1626
「自然の秘密もまた、技術によって苦しめられるとき、よりいっそう、その正体を現す」
「自然研究の目的は、行動により自然を征服することにある」
「技術と学問は自然に対する支配権を人間に与える」
「自然は自由を失い、奴隷となり、束縛を受けなければならない」
「人間の知恵と力が一つになったとき、自然は切り裂かれ、機械と人間の手によって、それまでの姿をくずされ、押しつぶされ、型にはめこまれるだろう」

【ガリレオ】1564~1642
自然支配魔術のパトロンであるメディチ家の庇護を受けて木星の衛星を発見。メディチ星と名付けて「メディチ殿下のご庇護により私が発見したのですから、メディチ星と名付けたとしても、誰が咎めましょう」とコジモ・メディチに捧げる。
また、自然界には存在しない真空中での落下という理想化状態に人工的に近づけて、落下運動の実験を行う。
しかし、「落下運動の加速度の原因が何であるのかについて研究することは適当ではない。そのことで得られるものはわずかしかない。私が求めているのは、その原因は何であれ、加速運動の性質を研究し説明することである」と、なぜ落下するのか?という原因追求は捨象。
また「自然という書物は数学の言語で書かれており、数学的手段がなければ人間の力ではその言葉を理解できない」と書き、落下運動の数学的法則性を読み取ることに課題を限定。

【デカルト】1596~1650
「私たちは自然の主人公で所有者のようになることができる」

【ロバート・ボイル】1626~1691
「私は元素の混合によって生ずるといわれている諸物体そのものを試験し、それらを拷問にかけてその構成原質を白状させるために忍耐強く努力した」

【ジョセフ・グランヴィル】1636~1680
「自然は、より穏やかな挑発では明かすことのできないその秘められた部分を、巧みに操られた火の暴力によって自白する」

【ニュートン】1642~1727
ニュートンは自然支配魔術を研究していた。彼は自然支配魔術の「隠れた力=遠隔力」である万有引力を法則化したが、万有引力が存在する原因を「非物体的で生命ある知性をもった偏在する存在者=神」と書いて、本質追求は棚上げにした。
※ニュートンの錬金術研究書を購入した20世紀の経済学者のケインズは、「ニュートンは理性の時代の最初の人ではなく、最後の魔術師だ」と発言している。
※ニュートンは世渡り上手だったようで、晩年は造幣局長官に就任している。

【カント】1724~1804
自然界には存在しない真空中での落下という理想化状態に人工的に近づけようとしたガリレオの実験に対して、その意義をカントは次のように述べている。
「理性は一定不変の法則に従う理性判断の諸原理を携えて先導し、自然を強要して自分の問いに答えさせねばならない。そのことを自然科学者が知った」
「それはもちろん自然から教えられるためであるが、しかしその場合に、理性は生徒の資格ではなく本式の裁判官の資格を帯びるのである」

【ミシェル・シュヴァリエ】1806~1879
「弱く貧弱な存在にすぎない人間は、機械の助けを借りて、この無限の地球上に手を広げ、大河の本流を、荒れ狂う風を、海の満ち干をわがものとする。地球の脇においたら一つの原子にすぎない人間が、その地球を従順に働く召使にしてしまう」
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このように近代の科学者たちは、自然を「実験」という拷問にかけることによって、その仕組みを白状させ、征服しようとしたのである。
自然に対する攻撃と征服。それが近代科学が当初から目指してきたものである。それが近代科学に刻印されている以上、原爆・原発をはじめとして、近代科学がトコトン自然を破壊し続けてきたのも必然である。

ところが、こうした科学者たちの言葉が学校の教科書に載ることはない。
以下は、高校世界史の教科書『詳説世界史』(山川出版2006年版)の「科学革命と近代的世界観」についての記述である。
「17世紀のヨーロッパは科学革命の時代とよばれるほど、近代的合理主義の思想や学問が本格的に確立されて、自然界の研究が進歩した。天体運動の観察から出発して万有引力の法則をとなえ、近代物理学の基礎をうちたてたニュートンは、この時期を代表する自然科学者である。また、事実の観察を重んじ、そこから一般法則をみちびく帰納法による経験論を説いたイギリスのフランシス=ベーコン、数学的な論証法をもちいる演繹法による合理論をうちたてたフランスのデカルトらが、近代哲学への道をひらき、その後も、新しい世界観を確立する努力が続いた。」
「イギリスの経験論と大陸の合理論は、18世紀末のドイツの哲学者カントによって総合された。カントは、人間の認識能力に根本的な反省を加えて、ドイツ観念論を確立した。」

近代科学者・哲学者たちが残した言葉と見比べてみよう。この教科書の記述は、近代科学の正体を隠すための騙しではないか。

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2019年05月24日

ルネサンスの自然支配魔術からニュートンの万有引力へ

自然を支配するためのルネサンス自然魔術に、実験的論証と数学的推論が加わって、ニュートンの万有引力が生まれ、近代物理学が始まったという説を紹介する。山本義隆著『磁力と重力の発見2(ルネサンス)』の説である。

●西洋において魔術は古代以来廃れたことはないが、中世キリスト教社会では魔術は異端として抑圧されていた。一方、同じ超自然的現象でも、教会に都合の良い聖人(キリストやモーセ)の行為は「奇蹟」として肯定された。

●ルネサンス期(15世紀後半)に魔術が復活する。
印刷書籍の登場、新興ブルジョアジーの台頭によってキリスト教のイデオロギー支配が揺らぎ始める。商人や職人や役人といった新興の都市市民が力を獲得し、現世利益の追求へ向かった。それがルネサンスの原動力となり、ルネサンスの人文主義者は古代ローマの共和制やギリシャの都市国家の市民生活に生の理想を求め、人間中心主義が登場する。
この人間中心主義が魔術を復権させる。
ルネサンスの想念は「人間は一切を認識し万物に君臨しうる、自然の主人にして支配者になりうる」いうものであり、それは中世における神と人間の関係を根本的に改める。神には許されていた奇蹟を人間が行使することも許される。それはまさしく魔術である。
15世紀後半に魔術思想を復権させた中心はフィレンツェのプラトン・アカデミーであり、それは新興財閥メディチ家の始祖コジモ・デ・メディチの庇護で形成された私的なサークルである。メディチが魔術を庇護したのは、魔術の力で自然と人間社会を支配したいという欲望(権力的野心)に突き動かされていたからであろう。
この人間中心的な魔術思想は都市市民層の現世利益の追求意識に訴えかけ、西欧の知識人にも急速に広がってゆく。

●中世魔術との違い(自然に内在する力を発見し使役する自然魔術)
15世紀後半に復活したルネサンス魔術は、悪魔や天使の恣意により魔術や奇蹟が生じるという中世の魔術(ダイモン魔術)と区別され、自然魔術と呼ばれた。それは超自然的なものではなく、自然の内在する「隠れた力」の法則を発見し使役するものである。
自然魔術の世界像は有機体的世界像、すなわち、天上世界の事物と地上世界の事物が宇宙の精気を介して相互に影響をおよぼしあい交感しあっている巨大な有機的統一体であるというものである。人間は地上における(磁石によって代表される)諸物体のあいだの共感と反感の関係を組み合わせてその力を利用し、天の影響を人間に有利な方向に向けさせることさえ可能となる。それがルネサンスの自然魔術であった。それは、共感と反感の関係を読み取り操作する術であり、けっして超自然的なものではなかった。従って、それなりに経験的で技術的で実践的なものに変わっていった。
とりわけ、磁力の力はまさに「隠れた力」の典型であり、「自然魔術」における恰好の研究対象となった。

●観察や実験、数学的推論という手法を生み出した16世紀自然魔術
自然を学ぶことで人間が宇宙の力・自然のエネルギーを使役しうるという信念が公然と語られるようになった。その後の科学技術の推進力の一つは、このルネサンスの魔術思想に発しているが、ここから直線的に近代科学が生まれたわけではない。15世紀の魔術思想家たちは古代信仰・文章信仰に捉われており、実際に磁石で実験してはいない。その限界を越えたのは16世紀の思想家である。 

15世紀の魔術は宗教的で思弁的で言葉の世界に閉じこもる傾向にあったが、16世紀の魔術は経験的で数学的でかつ実践的な性格を有し、さらに職人たちによって担われてきた技術と結びつく傾向を示している。そして、帰納的観察や実験という近代実証科学の方法は、「隠れた力」を操作する「自然魔術」の方法として、17世紀科学革命にさきがけて16世紀に登場した。
このようにして16世紀後半には魔術思想は、実験的方法と数学的推論に基づき、技術的応用を目的とした「自然科学の前近代的形態」へと変貌する。それは、文献魔術から実験魔術への転換である。とりわけ磁力と静電気力は、魔術思想の根拠にある「隠れた力」の典型と見られていたがゆえに、経験的で実験的な自然魔術の格好のテーマであった。

●遠隔力→万有引力の土台となった魔術思想
近代科学に至るには、実験的論証と数学的推論の二つの方法の確立とともに、遠隔作用としての万有引力概念の獲得が必要であったが、数学的推論も実験的方法も魔術に対立するものではなかった。むしろ、自然魔術は数学的で技術的な性格を帯びるとともに、経験的観察と実験的方法を生み出していった。さらに、魔術思想の内に機械論や原子論の還元主義が密かに導入されることによって、力に対する合理的説明の要求も生じてくる。とりわけ、船乗りや職人や軍人たちによって観測の対象とされてきた磁力は、他方では魔術師たちの研究対象とされ、遠隔作用としての万有引力概念を生み出す土台となった。

デッラ・ポルタの『自然魔術』は、磁力の定量的測定の可能性を探ることで力の作用圏という概念を語り、数学的関数で表される力という近代物理学における力概念の理解への端緒を開いた。のみならず、磁石をめぐる古代からの言い伝えを実験により否定し、自然認識に対する中世的な秘匿体質から脱皮し、魔術の脱神秘化・大衆化を計ったことにおいて、『自然魔術』は近代科学を準備するものであった。デッラ・ポルタにより、ルネサンスの魔術思想は近代の科学技術思想にあと一歩の所に到達した。
自然界は諸事物とその相互作用からなり、人は観察を通してその力を知ることができるという魔術思想は、ケプラーやニュートンによる近代物理学のキー概念ともいうべき万有引力概念を準備するものとなったのである。

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2019年05月23日

自然の支配視→分子時計をはじめとする生命機械論

分子時計による年代推定は当てにならない
この分子時計説は、生命を機械と見做す生命機械論が前提となっている。
「分子時計」という言葉がその象徴である。分子の変異速度一定という発想も、分子を一定速度で時を刻む機械時計と見做しているからこそ生まれる。
では、この生命機械論はどのようにして西洋で登場したのか?

以下、『Study Support』第4講 機械論的自然観 人間中心主義」「第7講 西洋自然観の変遷」によれば、西洋の自然観は次のように変遷し、生命機械論は17世紀のデカルトが創始したとのこと。

【古代ギリシアの自然観】
アリストテレスは、あらゆる自然的事物は、事物の素材の内部には、それがどのようなものかを決める性質(形相)がある。物の素材はその形相が正しく立ち現れるように、その目的に向かって絶えず運動し発展している。この「目的に向かって絶えず運動し発展している」ものが自然であり、人間も運動し発展し続ける自然の中の存在にすぎない。
この自然観では、自然は人間を離れて独立して存在するものであり、それ自体が常に目的に向かって生成・発展・運動していく生命あるもの(有機的自然)である。但し、自然は人間と離れて自立して存在するといっても、近代的二元論のように対立関係にあるものではなく、人間は自然の内部に包み込まれる。

【中世キリスト教の自然観】
自然も人間も神によって造られたものだが、神は自然を支配して統治するものとして人間を造ったとしている。神の下に人間、その下に自然という階層になっており、自然は人間の利用のために創られている。この「人間は自然を利用するものである」という考え方が近代合理主義自然観につながる。

【近代の自然観=自然を支配するための機械論】
中世までは自然の中にある種の目的や意志が宿っていると考えられていたが、自然は定められた法則通りに動くだけの、巨大な機械と捉えられるようになった。そして、自然はすべて微小な要素(原子や分子)などから構成され、それが定められた法則どおりに動くだけなので、人間は自然を一つ一つの要素にバラバラに分解することができるという要素還元主義が生まれた。
デカルトの物心二元論によって自然は人間と対立するものとされ、「中心」に位置する心や精神を持つ人間は、心や精神を持たない「周縁」の自然を要素に還元してその原理や法則を発見し、自然を征服していくことが人間の知性の勝利であるとされた。
こうして、人間が自然を一方的に支配し加工し搾取する人間中心主義=自然の支配視が登場した。

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2019年05月21日

★「戸籍制度」がある日本は、世界でも珍しい

江戸時代から明治時代になり、 中央集権の国家体制の下、様々な制度が作られました。
その一つが「戸籍法」です。
これにより家族制度が大きく転換し、人々の意識にもじわじわと浸透していきました。

「戸籍制度」は、私たち日本人には当たり前のような存在ですが、世界で見てみると非常に珍しい制度のようです。 以下リンクリンク より紹介します。

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■海外の戸籍制度
ご存知の方も多いとは思いますが、いわゆる「戸籍」があるのは日本、韓国、台湾の3国です。
韓国については、現在のように家族の中での身分を表す公証制度となったのは日本によって統治されていた時期です。

戸籍とは違いますが、ドイツには「家族簿」というものがあり、家族単位の身分登録が行われています。(他に事件別登録もあったと記憶しています。)この家族簿はナチス時代に人種政策に用いるため導入されたものです。
ただし家族簿には筆頭者が無く、夫婦は書類上平等な形で記載されています。
その他に家族単位の登録を行っているのはスイスです。

家族単位での登録は、国民の管理を目的に導入されているのが目立ちます。これらの国では、国による個人の姓への干渉が比較的強いようです。ドイツも別姓が選べるようになりましたが、婚姻時の姓の指定についてはこまごまとした決まりがあります。

個人単位での登録を行っているのはスウェーデン、オランダです。

人間を単位にした登録ではなく、事件別(出生、結婚、死亡)の登録を行っている国もたくさんあります。完全に事件別で、個人の身分変動を一覧できない仕組みになっているのがカナダ、アメリカです。これらの国では州によっては婚姻にあたって姓の選択の届出が必要ですが、多くは特に干渉していないようです。

事件別登録を行ってはいるけれど、附表などを用いてその後の身分変動を記録し、個人登録に近いことをしているのがイギリス、フランス、中国、旧ソ連諸国です。これらの国はもともと姓の変動が無かったり、法律で管理するような習慣が無かったりします。

現在の中国の身分登録制度は「戸口」と言い、これは日本の戸籍と住民登録制度の両方の機能を併せ持つものなのです。
実際の生活単位を元に登録されるので、一人暮らしの人は「戸主」になりますし、集合住宅などに住んでいる場合はそこの住民全体を一つの「戸口」に登録する事もできます。

というわけで、日本や韓国の親族を中心とする戸籍とは性質がだいぶ違うのです。それで、いわゆる「戸籍」がある国、には入れませんでした。
ちなみに、戸籍がある国でも、台湾は中国に近い制度ではないかと思います。

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注:韓国の戸籍制度は、2008年に廃止になっています。

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2019年05月16日

人類のオランウータン起源説⇒ラマピテクス起源説

チンパンジー起源説に対して、現生人類に最も近いのはオランウータンだとする主張がいくつも提起されている。

●オランウータンと人類は身体的に酷似している。
以下、「Journal of Biogeography」に掲載された論文の骨子(米バッファロー科学博物館ジョン・グレハン氏とピッツバーグ大学ジェフリー・シュワルツ氏)「National Geographic」2009.6.23
人間をチンパンジーと結び付ける遺伝的な証拠によって、この事実は軽視されてきたが、遺伝的な証拠そのものに欠陥がある。
2005年、チンパンジーのゲノム解読によって人間とチンパンジーは遺伝学的に96%同一であることが証明されたというが、DNA鑑定は人間とチンパンジーのゲノムのごく一部しか調べておらず、しかも、多くの動物が共有する古いDNAの形質が人間とチンパンジーの類似点として挙げられている。
それに対して、身体的な特徴に注目すると、オランウータンの方が類似点が多い。人間とオランウータンは固有の身体的な特徴を少なくとも28個共有する。チンパンジーは2つ、ゴリラは7つしか共有していない。

オランウータンと人類が共有する特徴は、
【1】エナメル質が厚く表面が平らな大臼歯、他の動物より非対称な右脳と左脳、前腕の軟骨と骨の比率に大きな差があること、肩甲骨の形など。
【2】人間に固有のものとされてきた口蓋の穴が、オランウータンにもある。
【3】人間とオランウータンは他の動物より乳腺が広範囲に分布している。
【4】ともに最も髪を長く伸ばす動物である。他の霊長類と違って、生え際が存在し、そこから目の上まで髪を下ろす。
【5】アフリカやヨーロッパで発掘された古代の類人猿の歯とあごに、オランウータンのような特徴がある。

それらの類似点を踏まえてシュワルツ氏らは、人間とオランウータンは共通の祖先を持ち、現存するアフリカの類人猿はそこに含まれていないとする。
人間の祖先はオランウータンに似ており、約1300万年前、アフリカやヨーロッパ、アジアに広く分布していたと推測。その後、気候や環境が変化して多くの種が絶滅し、アジアの種とアフリカの種は独自に進化したとしている。
ロンドンの自然史博物館アンドリュース氏はチンパンジー起源説だが、「チンパンジーと人間を結び付けるような(身体的)特徴は皆無に等しい。ほとんど分子的な証拠のみに基づいて結び付けられている」と言う。

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他にもある。
●目の構造と、顔の形態に雄雌の性差がある。
白目と黒目は、ヒトとオランウータンだけだという。
「オランウータンとヒト、形態から考える」京都大学野生動物研究センター幸島教授
ヒトの目の特徴は、
【1】黒目の外側の「露出強膜」が白い
【2】目の中で露出強膜(白目)の占める割合が大きい
【3】目の輪郭が横長
大部分の霊長類が露出強膜をこげ茶色にしているなかで、ヒトだけがまったく色素がない。
白目の大きさは「白目が大きいほど黒目が小さくなり、黒目を動かせる余地が広がる」「体が大きいほど、目玉だけを動かして見る方向を変えたほうが効率が良い」といわれているが、もうひとつ、白目がある理由として「視線を強調する狙いがあるのではないか」と指摘している。「目は口ほどにものを言う」ことからも、ヒトにとって言葉以前に視線は相手の感情を読み取るコミュニケーション機能だ。
幸島教授によると、こうした指摘は形態が似たオランウータンにもできそうだという。
オランウータンはしばしば相手をじっと見つめ、何か考え込む様子をすることから「森の哲人」と呼ばれている。樹上で互いに見たり見られたりすることでコミュニケーションをとっているのではないか、というのが幸島教授の推測だ。
さらにオランウータンの特徴である顔の性差が出るのが目の周辺であることにも着目。年を取るにつれて雄と雌の間で顔の色や特徴の違いが出てくることを指摘。

●血液型の多様性(特にO型があるのはオランウータンと人間のみ)
以下、「日本人は何処から来たか」の要約。
オランウータンは、A型、B型、O型、AB型(人間と同じ)。チンパンジーはほとんどA型、O型がまれで、B型は皆無。ゴリラはB型のみ。オランウータンの祖先のテナガザルにはA型、B型、AB型だけでO型がない。
血液型は多様性の獲得。O型はA型、B型両方に抗体をもっている。逆にA型とB型はO型に対する抗体が無い。O型は最後に生まれた血液型であろう。
とすれば、オランウータンと人間がO型を有しているということは、両社の親近性を示している。 東南アジア人にはO型が多いという。

●分子系統学の手法の一つ最節約法で解析すると、人類とオランウータンには共通祖先がいたという結果が出る。
最節約法については分子系統学の基礎
以下、「ヒトに最も近いのはオランウータン?:異説・珍説の扱い方」の要約。
最節約法を使って、現存大型霊長類(ヒト、チンパンジー、ボノボ、ゴリラ、オランウータン)とアフリカ、アジア、ヨーロッパの化石大型類人猿との間での(形態形質による)系統関係を調べた。
解析の結果、現存大型霊長類は単系統で、二つの姉妹群(ヒト+オランウータン、チンパンジー・ボノボ+ゴリラ)が検出された。ヒト+オランウータンには、化石人類および中新世の類人猿が含まれていた。
つまり、ヒトとオランウータンには(アフリカの類人猿をのぞく)共通祖先がいた可能性がある。
その共通祖先は、少なくとも1300万年前までは広い分布をもっており、その後の分断分布によって、東アフリカのヒト科人類や、スペインから東南アジアに分布する中新世の類人猿へとなった可能性がある。

(※分子系統学は条件設定によって如何様にも結論が変えられるので決定的な証拠にはならないが、分子系統学的にも人類とオランウータンの共通祖先説が成立することを示している)

●1960年代まではインドのラマピテクスの化石(1400~800万年前)の歯列や犬歯・臼歯が人類に似ていたので、ラマピテクスが人類の祖先とされていたが、1980年代以降、分子系統学によってこの説は葬られ、チンパンジー起源説一色となった。そして、ラマピテクスはオランウータンの祖先と看做されるようになった。「1960年以前は人類アジア起源説」
しかし、オランウータンと人類が近縁なのであれば、葬り去られたラマピテクス起源説の方が正しかったのではないだろうか。
少なくとも、当てにならない分子時計法しか根拠がないチンパンジー起源説よりも事実に近いと思われる。

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2019年05月14日

精子半減をどうする!?① ~少子化の元凶は化学物質~

日本で不妊症に悩むカップルは5.5組に1組といわれ、何らかの不妊治療を受けている人は50万人近いと推測されています。不妊は女性だけの問題とみなされがちですが、乏精子症や無精子症などの男性不妊も決して少なくなく、不妊は男女を問わず深刻な問題となりつつあります。

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◆人類の精子が50年で半減している

戦後、男性の精子が激減してします。それは、世界的な傾向です。約50年で人類の精子は半減したというのですから、おだやかではありません。1940年にくらべて1990年までに精子数は約1億2000万匹(1ミリリットル当たり)が約6000万匹に激減していたのです。これはデンマークのスカケベック博士が世界21カ国、約1万5000人も精子を精査した結果です。さらに博士は「睾丸腫瘍が3倍に増えている」と警告します。さらに「毎年約2%の勢いで減り続けて25年後には約3000匹になる」可能性まで指摘しています。

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わずか半世紀で人類全体の生殖能力が半減したというのは由々しき事態です。その元凶として研究者たちは環境ホルモンの影響を強く疑っています。それは、内分泌系攪乱物質と呼ばれ、ホルモン作用を乱す化学物質です。それが自然界のオスをメス化させているのです。ダイオキシン、PCBなど戦後の石油化学工業は、それまで地球上に存在しなかった化学物質を多種多様、大量に生産してきました。それらは医薬品、農薬、化粧品、食品添加物、化学建材、合成洗剤、プステック添加物などで、身の回りに溢れています。これら人工化学物質は、一見、生活を豊かにしたように錯覚させています。しかし、それらは人体や環境を恐ろしいレベルにまで汚染しているのです。

◆戦後50年でプラスチックの生産量は900倍

たとえば日本でのプステック生産量は戦後50年間で900倍と爆発的に増えています。そして、プラステック添加物として数十万トン単位で大量使用されてきたフタル酸エステルやビスフェノールAなどは、まぎれもない環境ホルモンなのです。ドイツでは、すでに少なくとも400種類以上の化学物質を環境ホルモンと認定しています。それ以外の多くの化学物質も環境ホルモン作用が疑われています。まずは、化学物質をできるだけ体内に入れない生き方が大切です。

環境ホルモンの最悪効果は疑似〝女性ホルモン〟作用です。超微量でも体内に入ると男性を女性化させるのです。これが世界中の男性の精子を激減させていることは、間違いありません。精子激減は、日本の男性では、さらに深刻です。98年、帝京大学医学部の報告はショッキングです。体育系の男子学生34人の精子を調べたら、「不妊症レベル」をクリアしていたのは、たった1人(3%)だったのです。WHO(世界保健機構)は「不妊症」の基準を定めています。それは①精子数2000万匹以上。②精子活性度50%以上。この基準をクリアしないと「不妊症」と認定されます。それは「妊娠最低レベル」の数値です。しかし、精力旺盛なはずの学生たちの33人(97%)は「不妊レベル」だったのです。この実験を行なった押尾茂講師は、他の実験でも20代男性で正常精子を持つのは50名中2名だった、と報告しています。やはり、結果は同じだったのです。

98年、大阪の不妊治療専門のIVFクリニックの調査も同じです。19歳から24歳までの若者60人中57人(95%)に、奇形精子など「異常率」が10%を超えていました。10%を越えると「不妊原因」となります。さらに「精液過少症」が43%、「乏精子症」が40%……と、信じられない数値が続きます。「これら精子異常は不妊治療を受けている患者より、さらに劣っていた」(同クリニック:『日本不妊学会』報告 98/11)20歳前後の若者95%が精子異常などで不妊レベルだった……。大阪IVFクリニック報告は衝撃的です。
【参考】fine-club.project「50年で精子半減」(リンク

次回は、この精子半減をどうする!?について追求していきます。

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2019年05月14日

★明治期庶民がどのようにして新しい家族制度を受け入れたのか

 

江戸時代は、庶民の結婚スタイルは自由であり、混浴の銭湯が社交場であったとか、主婦が行う期間限定のレンタル妻という職業や、隠れた人気職業は「妾」だったetc…男女関係においても、とても大らかな時代でした。
それが明治時代に入ると西洋文化を取り入れた近代化が進められ、人々の生活が大きく変化していきました。中でも、新しくできた家族制度について庶民たちはどのように感じ、受け入れていったのでしょうか?
リンク より紹介します。

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庶民にとって暮らしの中で最も身近な位置にある家族制度が、明治期になりどのように変わり受け入れられていったかを調べてみました。
江戸時代の家族は、以下のような姿でした。

●江戸時代中期頃になると、新田開発などが進み小農が自立するようになり、人口の大多数を占めていた農民の中では比較的小規模な直系家族が形成されるようになっていました。

●農民に次いで人口の多かった武士は、長男相続・親と長男夫婦の同居・都市居住のサラリーマンで妻は専業主婦という家族形態が主流でした。(近代以降の家族の原型になるものでした)

●一方、都市部に暮らしていた庶民(町人)たちは長屋の共同体的な世界に暮らしながら、基本は小家族あるいは単身所帯でした。

さて、明治維新を経て、西欧列強に伍してゆくために中央集権体制の国民国家の形成を目指して様々な制度が作られていきました。
家族制度に直接繋がるものとしては、明治4年制定の戸籍法があり、明治6年に地租改正と徴兵令が定められました。
戸籍法によって戸主が定められ、地租改正で土地の権利が定められると戸主名義の財産となっていきました。また、徴兵制が成人男子を対象にしていて、一時、戸主の免役があったことから、長男相続へと方向付ける原因のひとつになったようです。
その後、明治23年に教育勅語が発せられ、明治31年に家族制度を明文化した民法が制定されました。
教育勅語については、当時回付された西欧流の民法草案に対して、家族の中に権利規定などを持ち込むべきでないという考えを持った保守層などがその制定を強く働きかけたようです。
明治民法は、欧米列強と付き合い、治外法権を撤廃させるために欧米流の法制度を制定するという色彩が濃かったようです。そのため、国内では様々な議論があり、家族法関連の規定についてはある意味骨抜きにされた条文で制定されました。
このあたりの事情については、ざっと以下のようです。

●明治民法は、 元老院の審議によって多くの条文を削除されて実効力を削がれた旧民法の条文をもとに、 明治前期に整備されていた戸籍制度を基礎にして、 戸籍に体現される 「家」 を基幹の家族制度として家族法の規定を整備した。 この結果、 日本民法は、 相続という効果を除けば、 戸籍の登録基準を定める法として主に機能するものになってしまった。

●明治民法は、 本来的な家族法としては無力な法であったけれども、 家制度を定めて家族の正統的なあり方を宣言することにより国民の家族意識を形成する法としては、 圧倒的に強力なイデオロギー的効果をもった。
当初は現在の住民基本台帳と同じように、 ひとつの屋敷ごとの住民登録として作成された戸籍は、 実際の生活を反映したものであったから、 もともと家制度は生活実態や感情と重なるものではあった。 しかし逆に、 明治民法の家制度や戸籍制度によってそれが制度化され、 その制度の側が国民の意識を形成したことも大きかった。

●家制度は国家公認のイデオロギーとして推進された。 明治民法立法以前は、 わが国では戸籍上も夫婦別姓であったのだが、 その記憶は瞬く間に遠のいた。

●明治民法そのものよりもあるいは戸籍制度や氏のほうが、 国民の家族意識形成に働いた力は大きかったかもしれない。
住民登録とも連絡しており公開原則のもとで本人の意思にかかわらず他人から容易にアクセスできる戸籍という家族簿は、 国民各人が人生の重要な場面で記載内容が問題とされる逃れられない身分証明でもあって、 その記載はさまざまな差別をもたらしうるものであったから、 戸籍の記載内容への関心は絶大なものであり、 その存在が国民の意識に重大な影響力をもつのも当然のなりゆきであった。

●第2次大戦後の民法改正はイデオロギー的にはたしかに大きな転換ではあったけれども、 実際には、 家意識は、 戦後改正による家制度の解体後も根強く残った。 それには、 氏の果たした機能が大きかったと思われる。 個人の表象である氏名は本人にとって人格権的な意味をもつ非常に重要なものであるから、 本人の意思に合致した変更であればともかく、 意思に反しても婚姻に伴って氏を変更させることは、 「家」 の変更として人々の意識に圧倒的な影響力をもたらしたであろう。
以上から見えてくるのは、戸籍法、地租改正、徴兵令、教育勅語、民法といった様々な法律、制度が制定されたとはいえ、新しい家族制度への変化の上では戸籍登録と婚姻に伴う氏の変更(庶民に名字が許されたのは明治になってから)という実態的な規定に基づく「家」の具象化が基礎になっていたと言えるようです。
そして、教育勅語で「親への孝行」などが教え込まれ、戸主の財産権の規定から民法での家父長の規定へと繋がる序列観念の浸透が「家」制度を補強するようになっていったと思われます。
江戸期の庶民(農民、町人)たちのおおらかな婚姻規範と共同体的なつながりの中に組み込まれていた家族は、明治期の西欧列強に伍するための中央集権体制の国民国家の形成を目指した法制度の制定と近代的な産業社会への移行という社会の変化の中で、「家」制度に基づく家父長の下に統率された家族へと変化していきました。

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2019年05月09日

分子時計による年代推定は当てにならない

サルの進化史・人類史年表(定説)を読み解く上で注意すべきことがある。
それは、ヒトとチンパンジーの分岐年代を400~600万年前とする定説をはじめとして、年代推定の根拠となっている分子時計法が、当てにならないということだ。

分子時計法とは、異種間のDNA塩基やタンパク質、アミノ酸の分子の違いに着目し、その分子変異を時計と見なして進化系統上の分岐年代を決める手法である。ミトコンドリアDNA解析やY染色体亜型分析など様々な手法があるが、共通するのは、分子の変異速度が一定であるという仮定が措かれていることである。例えば、化石記録から10万年前に分岐したと確定しているAとBという種のDNA塩基配列が10個違っていたとすると(分子変異速度が同じであるとして)Aと5個しか違わない種は5万年前にAから分岐したと推定される。
image
ところが、分子時計法は様々な矛盾を露呈している。

ヒトとチンパンジーの分岐年代が400~600万年前という定説も、分子時計法によるものだが、2001年にアフリカのチャドで発掘された猿人の化石は700万年前のものとされている。
また、種によって分子変異速度は異なることがいくつも報告されるようになった。
例えば、一般哺乳類よりもゲッ歯類は速く、サルは遅い。とりわけ、真猿は進化するほど分子変異速度が低下することがわかっている。
その結果、分子時計による分岐年代と古生物学的な推定年代とが大幅に食い違っている。
例えば、分子時計では1500万年前以前に分岐したとされるサルについては、化石年代はその1.5倍以上古い。分子時計で1000万年前以降の分岐と推定されるサルについては、化石年代はその2倍以上古い。このように分岐時期が新しいものほどズレが大きくなっており、人類の分岐年代も500万年前より古い可能性がある。(1960年代に分子時計法が登場する以前の人類学者は、人類の分岐を1000万年前以前と主張していた。)

こんなことになるのは、分子時計法が前提とする「分子の変異速度が一定」という仮定が、現実には有り得ないことだからである。
∵生物は外圧適応態であり、急激に外圧が変化すれば変異スピードは著しく早くなる。実際、カンブリア大爆発や哺乳類の適応放散をはじめとして、急速に進化する事例は生物史には無数にある。また、紫外線による破損やコピーミスをはじめとしてDNAの突然変異は日常的に起こっているが、それは修復酵素によって修復されている。その修復度合いも種や環境によって異なっており、分子の変異速度が一定になるはずがないのである。

「分子変化率は一定か~古生物学からの分子時計への疑問~」
この論稿の著者(古生物物学者の瀬戸口烈司氏)は、分子時計説を痛烈に批判している。
その骨子「分子時計は分子変化率一定の仮説に立脚しているが、実際は分子変化率は一定ではない。にもかかわらず、変化率一定の仮説をあてはめる分子時計は、科学的根拠がない。ところが分子生物学者たちは変化率一定の仮説に固執し、ヒトとチンパンジーの分岐時期は500万年という標語を繰り返している。分子時計の概念が提示された当初から、分子変化率一定の仮説には疑問が投げかけられてきたが、この仮説が覆されると分子時計の計算式が成立しないので、分子進化研究者はその疑問を無視し続けてきた。そして分子時計説に整合しないゲッ歯類を除外し、整合するものだけを集めてテストする。すると分子時計説に都合のよい結果が得られるが、その結果は分子変化率の一定性の証明にはなっていない。」

このように、分子の変異速度一定という仮定は、現象事実と照らしても、また論理的にも破綻している。にもかかわらず、分子時計年代がまかり通っているのが、生物学界の現状である。

さすがに、あまりにも矛盾が大きいので、分子生物学者の一部は、分子変異速度は一定ではないと認めつつあるが、彼らは分子変異速度という概念を温存したまま、種別の変異率を変えたり、統計的手法を用いるなどして、化石年代との辻褄合わせを図っている。しかし、ヒトとチンパンジーの分岐年代の辻褄を合わそうとすれば、オランウータンの分岐年代が古くなりすぎるなど、混迷を続けている。
『自然史ニュース』「ヒト進化で分子時計は正確?」

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2019年04月28日

人類史年表10万年前~5千年前(定説)

人類の起源を探る前提として、現在の定説となっている人類史年表(10万年前~5千年前)を掲げる。
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10万年  現代人(ホモ・サピエンス)がアフリカを出て拡散
      (7万年前との説も)
      (ミトコンドリアDNA分析では現代人の共通祖先の分岐年代14.3万年前±1.8万年)
       赤、黄と茶の中間色のオーカー(クレヨン)出土。線刻。
       イスラエルのカフゼーとスフールで埋葬痕跡
9万年  コンゴのカタンダ遺跡で骨製尖頭器。漁

7.5万年 南アフリカのブロンボス洞窟で赤色オーカーに幾何学模様の線刻
       →世界最古の抽象模様。シンボル操作能力の証左
       貝製ビーズも出土。骨器。錐か槍

7.3万年 スマトラ島トバ火山大噴火。地球気温が数年間3-3.5度低下
      (人類は一万人以下に激減)
      (ヒトDNA解析では遺伝多様性が失われ現人類に繋がる種のみ残った)

7万年  7万年前±1万3000年にヨーロッパ人と日本人の共通祖先分岐
       細石器。ネアンデルタール人、埋葬文化

6.3万年 アフリカ人、東ユーラシア人系統集団、西ユーラシア人系統集団、分岐

6万年  ナミビアのアポロ11遺跡より岩板に動物壁画
       ウクライナのモロドヴァ遺跡でマンモス骨の小屋or風除構造物

5万年  クロマニョン人。ホモ・サピエンスの出アフリカ
       イスラエルのカフゼー遺跡で線刻のある石片。

4.5万年 ケニヤのエンカプネ・ヤ・ムト遺跡よりダチョウの卵殻製ビーズ
       ユーラシアで骨角器。サフルで大型動物絶滅、人類狩猟説も

3.7万年 南仏アルデーシュのショーベ洞窟壁画。(約3万年前)

3.5万年 クロマニヨン人大地母神崇拝(ヴィーナス像)、壁画
       日本で刃部磨製石斧(世界最古)

3万年  約3万-2万年以前 – ヒトがアメリカ大陸へ。氷河期にベーリング海峡は地続き

2.1万年  最終氷期(ウルム氷期)の最寒冷期。気温は年平均で7-8℃低下
       後、温暖寒冷の小さな波、長期で徐々に温暖化

2万年  ラ・ガルマ洞窟。絵、テントのような構造物。

1.6万年 東南アジア、スンダランドが海面上昇で徐々に後退
       ベーリング海峡海没、日本も徐々に島化
       縄文時代の始まり。縄文土器
       ラスコー壁画(約1万8000年-1万6000年前)
       絵の具の配合など、原始的な化学的な操作。石のランプ、松明の使用

1.5万年  アルタミラ洞窟壁画(約1万4000年-1万3000年前)
       BC12,000年頃、中国長江流域で陸稲稲作の開始

1.3万年 日本列島が大陸から完全に離れ、ほぼ今の形に
       中石器文化。マンモス、バイソンはいなくなっていた
       ツンドラステップは北方後退、樹林ひろがる。鹿、猪、鳥、魚介類、木の実
       弓矢の発明、石臼の普及。壁画の伝統は途絶
       BC11000年頃、最も古い神殿跡が、イェリコのテルの最下層から発見。

1.2万年 イスラエル、ヒラゾン・タクティット洞窟遺跡で人々の宴会の痕跡
       BC9,050年頃、シリアのテル・アブ・フレイラ遺跡で最古級のライムギ農耕跡
       BC9000年頃、パレスチナのイェリコやアスワドでコムギ類とマメ類栽培開始

1万年  最後の氷期(最終氷期)が終わったとされる

9000年 新石器時代
       農耕の開始。この時期より主に磨製石器が使われた
       西アジアから伝わった農耕、牧畜がヨーロッパでも開始
       土器、村落社会、贈与・流通システム、巨石文化
       フリント、石斧、琥珀、貝殻、金、銅、錫など
       BC8800年頃、銅製の小玉がイラクから出土、最古の銅製品
       BC8500年頃 – 長江流域で水田稲作がはじまる
       BC8300-7300年頃 パレスチナ、イェリコで周囲を石壁で囲った集落
       BC8000年頃 – 西アジアでヒツジ・ヤギ・ブタの飼育

5000年 エーゲ文明、エジプト文明、メソポタミア文明など

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2019年04月28日

人類史年表500万年前~10万年前(定説)

人類の起源を探る前提として、現在の定説となっている人類史年表(500万年前~10万年前)を掲げる。
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500万年 猿人出現。最初の人類(華奢型猿人、アウストラロピテクスなど)
       足の指形から二足歩行の可能性
       脳容積500 ml。一定の道具使用

300万年 地球寒冷化。 氷河時代開始

270万年 頑丈型猿人(パラントロプス)と原人(ホモ・ハビリス)分岐
       原人、言語使用か(左脳ブローカ野痕跡より)

260万年 前期石器時代はじまり
       石器で動物解体。死肉食。オルドヴァイ型石器

230万年 ホモ・ハビリス出現(脳の増大、歯の縮小化)
       狩りではなく、自然死or肉食獣が倒した動物を食べた

180万年 ホモ・ハビリスの出アフリカ。ユーラシアへの拡散

160万年 ホモ・エレクトス

78万年  最新の地磁気の逆転
       概ね70万年前から10万年周期の気候変動(氷期・間氷期)

60万年  アフリカ旧人。ネアンデルタール人と人類分岐

50万年  ヨーロッパ旧人、北京原人

30万年  ネアンデルタール人(30~23万年前頃。3万年前頃絶滅)
       脳容積1400 ml(ホモ・サピエンス同等以上)、言語使用
28万年  ケニアのバリンゴ遺跡でオーカー出土。顔料使用。石刃。すり石

25万年  中期石器時代(~5万年前)。尖頭器

23万年  温暖期ピーク。後、緩やかに寒冷化、14万年前頃氷期ピーク

20万年  ホモ・サピエンス出現。
      (16±4万年前のミトコンドリア・イブ。アフリカ出現、10万年前頃ユーラシア拡散)

14万年  氷期(リス氷期)ピーク。後、急速に温暖化
       海産資源の利用。漁。長距離移動・流通

13万年  温暖期ピーク。後、急寒冷化、約11万年前頃から緩上下、氷期へ
       初期のヒト属による火の利用。
      (日常広範囲で火の使用を示す証拠、約12.5万年前遺跡から)

10万年  現代人(ホモ・サピエンス)がアフリカを出て拡散
      (7万年前との説も)
      (ミトコンドリアDNA分析では現代人の共通祖先の分岐年代14.3万年前±1.8万年)
       赤、黄と茶の中間色のオーカー(クレヨン)出土。線刻。
       イスラエルのカフゼーとスフールで埋葬痕跡

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