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2020年09月17日

これからの共同体社会はどのように創られていくのか-15

前回、かつての共同体においていかに重層的な人間関係が形成されるかを紹介し、学びとは知識だけではなく、現実の人間関係はどうあるべきか、自分たちが生きている世界をどうとらえるかという根底的なものであることを述べた。

現代の欠陥として挙げられる人間関係の忌避は、そもそも闘争忌避という問題に置き換えられる。つまり、共に闘わなければならない状況にあることに気づいていない、考えていないに等しい。かろうじて、生産課題として、企業などの集団での闘争がある程度である。今回は、この闘争課題という次元でこれからの共同体社会をとらえていきたい。

いま、時代の転換期において、食い扶持としての生産課題にとどまっていては何も変わらない。闘争という次元がますます高まっていき、地球規模の諸問題をどう解決するのかという課題を突き付けられている。つまり闘争とは、皆が安心して生きるための課題であると捉え返すことができる。であれば、皆が共有し、皆が取り組むべき課題である。専門家に任せておしまいというわけにはならない。これまでの私権をめぐる競争原理という次元を超えた難問であるともいえるし、だれでも担えるという可能性のある闘争ともいえる。

その為には、共同体という集団をベースに闘争課題を昇華させていかなければ、分断された個人では胡散霧消となってしまう。例えば、健康という課題にたいしても善良な医師が個人レベルで提唱しても、巨大な製薬利権の前には治療法など一蹴されてしまうような事例は枚挙にいとまがない。私権をめぐる闘争課題を超えて、自然の摂理や生命原理に即した回答が求められる以上、人類の起源から適応してきた共同体という集団が必要である必然性はそこにある。

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2020年09月17日

学校は『百害あって一利なし』

 

 

学校は『百害あって一利なし』

明治以降の学校教育の歴史を総括すれば、そのように断言できるのではないかと思います。

このように言うと、「えっ、百害ってどんな害?」「一利か二利くらいはあるのでは?」「友達もできるし」と反論の声が聞こえてきそうですね。何故学校は『百害あって一利なし』と断言できるか。

大きく3点の事実があります。

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2020年09月10日

これからの共同体社会はどのように創られていくのか-14

前回、教育は共同体の核心をなし、絶対に手放してはならない集団の課題でであると述べた。そして寺子屋や職人の事例から、まさに現実の外圧に適応する為の本質的な教育(学び)がなされていたことを紹介した。

一方、現代は共同体が解体されて教育が外注されて知識のみ教える学校というものに堕落してしまったともいえる。同一年齢で密室に隔離され、先生という絶対的な存在と対峙しなければならないところでは、まともな感覚、能力が形成されないだろうことは想像に難くない。

今回は、かつての村落共同体においていかに重層的な人間関係が形成されるかを紹介したい。学びとは知識だけではなく、現実の人間関係はどうあるべきか、自分たちが生きている世界をどうとらえるかという根底的なテーゼに応えていくものだろう。

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2020年09月08日

日本の家族形態①~戦前の家制度から核家族へ~

核家族について数回に亘り考えていきたいと思います。
日本の家族形態を近年で見てみると、戦前、戦後、現代と大きく変化してきています。
戦前の地域社会と繋がっていた家制度(大家族)時代から現代の核家族化時代では人々の生活、精神にどんな変化が生じてきているのでしょうか?
まずは、家族形態の変化について確認していきます。リンクより

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ファミリーと呼ばれる日本の家族形態の変化の特徴

■戦前から終戦までの歴史と変容
戦前の日本の家族は、家制度に基盤をおき、地域社会はもとより、国家とつながる「イエ」を形作っていた。
「家制度」は「家」と「家父長制」の二つを大きな要素としていた。
「イエ」という親族集団の一体的結合と継続的発展を重視し、家族の人々を「イエ」に従属する存在とみなした。 家父長権の相続(家督相続)、本家・分家などの階層性、それらを対外部的にひとまとまり(ウチ)としてとらえる心性・制度であった。

■終戦から1950年代まで
太平洋戦争の終戦を機に、民法の改正により家制度は廃止された。 経済復興と給与労働者の増加により、家庭は家内労働の場という側面が薄まり、家庭の教育的役割が強調されていく。

■現代の家族
1950年代以降の家族変動の最も顕著なものは単身世帯の増大である。 つまり、現代の家族には、同居親族数が減少し核家族化が進んだこと、共同体の力の減退に伴って家族の基盤に変容が生じたこと、の二つの特徴があげられる。 合わせて、夫婦の共働きも一般化しつつある。
それによって、育児や子育てが保育園や学童クラブ、地域の野球やサッカー、スイミングスクールなどのスポーツクラブ、学習塾などに一時的に委託されることも増えてきた。家族の機能の分散化ともいう。 また、共働きに伴う性別役割分業の問題、老親の扶養の問題も表面化してきた。

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2020年09月03日

これからの共同体社会はどのように創られていくのか-13

このシリーズも回を重ねてきたが、現状の政治状況や行政の体たらくを見るにつけ、共同体を創造していく必然性を、まさに強く感じる今日この頃である。
前回は、まともに外圧をとらえそれに適応していくためには、自立した集団で受け止め、課題を乗り越えることが不可欠だあることを述べた。現政権とは対極であろうことは皆さんも同意されるところではないだろうか。

今回は、共同体としての課題として教育(学び)のあり様に踏み込んでいく。人類史上、自集団が教育機能を包摂していることが当然のことであり、哺乳類一般に拡張しても、この事実は当てはまる。ところが、現代の学校制度は、集団が解体されて肝心の教育機能が外注化されてしまったことを示す。

逆に、生産集団としての企業などには社訓や掟などの規範を共有することや実際仕事上での指導により教育機能を残しているところもある。これは均一化、平準化して本当に必要な追求力を奴隷を再生産するたぐいの学校制度では現実の課題に対して役に立たないことを示唆している。

やはり、教育は共同体の核心をなし、絶対に手放してはならない集団の課題と捉えるべきである。そこで、かつての村落共同体の「寺子屋」、そして「職人」の技能における学びを探っていく。

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2020年08月25日

日本古来の性文化に学ぶ(1) ~夜這いは生存本能に基づく集団の知恵~

過去の日本の性文化では、集団婚や寝宿、村社会としての夜這い慣習など、乱交文化は半ば公認だった。
「嫉(そね)み」とは女が疾(わずら)い、「妬(ねた)み」とは「石のような女」と言う意味で妬(ねた)みと書く。その二つが合わさって嫉妬(しっと)が生まれる。そして男が嫉妬すると「女々(めめ)しい」と成る。 正に、性愛においての肉体的独占欲を象徴する言葉が、嫉妬なのである。

☆日本古来の性文化はどのようなものだったのか? 
在野の小説家・未来狂冗談氏の「私の愛した日本の性文化」(リンク)を紹介します。

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●夜這いは、愛すべき日本人の知恵だった
昔、「夜這い」と言う、ロマンチックな響きを持つ性風俗が日本の農漁村のほぼ全域にあった。いや、その昔の上代の頃には貴族社会でさえ「夜這い」はあった。夜這いこそ私の愛したおおらかな日本の性文化である。

ここで原生人類の本能的生殖行動と現代の倫理規範の矛盾をご紹介して置く。現代日本人の倫理感覚では、「夜這い婚」の一妻多夫形態など到底理解できないかも知れない。だが、実は「種の保存」を優先する自然界では人間の生殖倫理の一夫一婦制の方が異例である。例えば一番人間に近い類人猿・チンパンジーなどの生殖行動を見ても判る通り、オス達は一頭の発情期のメスに順番に群がり、メスは一日に何頭ものオスと交尾する。

その理由は「確実な種の保存の為」で、メスが依り強くて優秀な精子にめぐり逢う目的で「自然がそうした生殖行動を選択させていた」と言う立派な理由が在るからだ。これは「種の保存」のメカニズムが主体の自然な生殖行動であるから、オスメスの生殖機能には目的に添った違いが在る。当然、オスの方は次と交代させる為に肉体的に一度の射精で終わるが、メスの方は連続交尾を受け入れられる構造をしている。

つまり生物としての原生人類は、「確実な種の保存の為」に、本能的に「虚弱精子劣性遺伝」や「XY染色体の劣勢遺伝」などを知っていた事になる。そうした人類発達の歴史の中で培われた原始の生殖行動の記憶としての残滓(ざんし/残りかす)が、時代と伴に変化しながら辿り着いたのが「夜這い婚」だった。言うなれば、元々の人間の原始生殖行動は本来それに近い理由で「群れ婚」に拠る一妻多夫形態が自然な遠い記憶で、それが「夜這い婚」のルーツである。

その結果、女性が一家の家長で家の財産を引き継ぎ、男性が女性の家に通って来る「妻問い婚」が生まれ、「呼ばう」が「夜這い」となった。つまり「夜這い婚」や「歌垣(うたがき)」、「暗闇祭り」などは、「種の保存」の為に知恵を絞った安全装置だった。しかし現代日本人の倫理感覚は一夫一婦制で、「虚弱精子劣性遺伝」や「卵子の老化問題」は、人権問題も絡む為に余り考慮しないから、子に恵まれない家庭も増えている。

これはあくまでも「人類も生物」としての自然の法則だけで捉えた見解であるが、如何なる社会性を鑑みても「滅亡してから気が付いた」では遅いのではないか? 「夜這い」や「寝宿制度」などに代表される当時の身内感覚(共同体意識)の「村落共同体的性規範」を、現在の倫理観で安易に評価して決め付けないで欲しい。村落の者が「村落共同体的性規範(夜這いや寝宿制度)」を行っていても、妙見信仰から始まった信仰行事の一環から始まった事で、宗教的な戒めの考え方が無い常識の範疇であり、そう異常な事には思われなかったからである。

人類は基本的な本能として他の生物同様に「生存本能」を備えている。この生存本能の発露が「食欲」であり「性欲(種の保存本能)」であり、二次的なものとして危険を避けたり危険に立ち向かう為の「恐怖心」や「闘争心」なども無視出来ない右脳的な生存本能である。そうした右脳的な生存本能の一つとして、人類はその種としての生い立ちから、「恐怖心」や「闘争心」を共有する事で、生存率を上げる為に「共に生きる(共生意識)」と言う強い「帰属本能(群れ意識)」を持ち合わせて生まれて来る。

つまり人類は、「帰属本能(群れ意識)」を満足させないと、精神的安定を得られない。そしてその「帰属本能(群れ意識)」は価値判断や心(精神)の安定に影響を与え、良きに付け悪きに付け「人生」と言う固体の一生に影響する。実は、「帰属本能(群れ意識)」を裏打ちして保障していたのが、同じく「生存本能」に関わる「性欲(種の保存本能)」の結果とも言うべき「性交」と言う行為だった。「性交」と言う行為は、「恐怖心」や「闘争心」とは好対照に位置付けられる「癒し」や「信頼の共有」に繋がるからである。つまり誓約神話(うけいしんわ)や人身御供伝説が語り継がれた村落共生社会では、思想環境が違うから帰属意識愛でも性交が出来た。

従って日本に於ける村社会の性規範は、「帰属本能(群れ意識)」に起因する共生主義の磨き上げられた珠玉の結晶だったのではないだろうか? 今回「夜這い」を取り上げたのは、現在の社会が「本当に豊かに成ったのか?を、問う鍵に成る」と考えたからである。

物質的には、なるほど目に見えて豊かになった。その代わり、私権だけが飛びぬけて主張されるようになり、人と人の繋がりと言う「精神的な豊かさ」を、数多く失っては居まいか?ばかげた事に、私権を中心に発想する事しか考えられなくなり、国、地域、近隣、と破壊が進み、家族と言う最小単位でさえ破壊の危機に直面しているのではないだろうか?

戦前の日本社会は子沢山が一般的で、親が余り一人の子に愛情を注げなかったが、それでも子供達は「まとも」に育った。それに引き換え、戦後の日本社会は少子化で親はタップリ愛情を注げる筈なのに、子供達が「まとも」に育たない。我輩に言わせれば、その「まとも」に育たない原因は、戦後日本が採用した米国型自由主義化に拠って「群れ社会」から「孤独社会」に悪変してしまったからに違いないのである。

昔は、私権を中心に発想していたのは「権力者階級」だけである。庶民は物質的には貧しかったが、互いに信じ合え、皆助け合って素朴でやさしい庶民生活が営まれていた。村社会、それは共用権的な生活意識であり、根本的な共生主義で成り立っていて、その原点にあったのが、「夜這い」の精神である。

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2020年08月20日

これからの共同体社会はどのように創られていくのか-12

前回は、権力社会の中で、政略結婚というシステムをバネに私権の中枢に食い込む勢力を紹介した。私有婚という旧い価値ではあるけれども、当時の時代の圧力に集団原理にとって基底的な婚姻を用い、生き残りをかけての闘争であった。つまり、婚姻制も社会にかかる圧力によって規定され、個人の感情発ではなく、今後の共同体としての在り様を共有した婚姻制を創らなければ持続できないことが示唆された。今回は、これからの社会にとって、外圧に適応して持続していく重要性を押さえておきたい。

現状の社会システムでは、集団といってもことごとく課題を分断した存在であるので、まともに社会外圧をとらえて適応することが困難である。これについてはこのシリーズの初回で述べた。もはや国家に依存した寄生集団に成り下がっていては突破できないし、国家や市場を支配する勢力自体、現在の諸問題を解決する力はすでにない。つまり、まともに外圧をとらえそれに適応していくためには、自立した集団で受け止め、課題を乗り越えることが不可欠なのである。

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2020年08月20日

縄文時代の性充足~男性の精力も女性のイキやすさも桁違いだった!~

今回は縄文人の知られざる(?)性生活について紹介します。
縄文人はタフでテクニシャン!
男性は絶頂を、女性はオーガズムをコントロールできたことにより、一度性行為を始めると一晩中セックスをすることが出来ていたそうです!
また、セックステクニックの修得にも貪欲で、どのようにすればもっと気持ちよくなれるのか?と日々追求していたそうですが、学びの方法は他の人の性生活を観察して真似、それにより技術を向上させていたそうです。
知れば知るほど驚きです☆
以下 リンク より

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■縄文時代の性生活に対する考え方

縄文人といえば縄文土器や土偶などを生み出し、豊かな自然と共存して主に狩りや漁をしながら生活していた人類です。そんな縄文時代が1万年以上続いた背景には、「縄文人が他の時代と比べて性生活に対して積極的だったからだ」という考え方があります。 というのも、縄文人の平均寿命は約15歳と非常に短命だったからです。種を存続させるためには子孫を残すしかありませんし、それこそ息をするように自然に、セックスが日常化していました。生まれた子供の大半は大きくなる前に命を落としてしまうことを考えると、縄文人にとっての性生活は、暮らしていくうえで非常に大きなウエイトを占めていたと考えられます。 また現代と比べて男性の精力も女性のイキやすさも桁違いだったと言いますから「種の存続」という大きな目的をのぞいても、男女ともセックスに対してとても積極的だったことは間違いないでしょう。

■セックステクニックの習得に貪欲だった縄文人

縄文人は狩りや漁を効率よく行うため、また木の実などの採集をスムーズに行うためにさまざまな石器を作り生活を豊かにしていました。美しい模様が刻まれた火焔型土器を作るなど、縄文時代には現代人が驚くほど進んだ技術力が存在していました。そんな縄文人たちは性生活、特にセックステクニックの習得にも貪欲でした。 子孫を増やすためのセックスとはいえ、縄文時代を生きる人々にとってセックスは毎日の恒例行事のようなものですから、そこに自然と「セックスを楽しむ気持ち」が生まれてもおかしくありません。むしろ「どのようにすればもっと気持ちよくなれるのか?」という素朴な疑問への答えを日々探っていたのではないかと推測できます。

■縄文時代の性生活は主に昼間おこなわれていた

現代人は本当の真っ暗闇を知りません。夜中でも電灯の光が地面を照らし、昼も夜も完全に暗闇に閉ざされることはほぼありません。しかし縄文時代にはもちろん電気などありません。昼は明るい太陽に照らされていても、夜はただ闇が広がるばかりです。 獰猛な動物も数多く生息している中での性生活は、命の危険をともないます。そのため、縄文時代に生きる人々は昼間に性生活を行っていたと想定されています。昼間で周囲の状況がわかる状態であれば、仮に獣に襲われても即座に対処することができるからです。

■縄文人に羞恥心はなかった?

他人に見られて恥ずかしいと思う気持ちを「羞恥心」といいます。縄文時代を生きる人々の中に羞恥心がなかったわけではないでしょう。ただ、性生活を昼間におこなうことに対して、羞恥心を持っていたかどうかは疑問です。 縄文時代を生きる人々にとって性生活は、この先も「縄文人」という種族が生き残っていくために必要不可欠な手段であるからです。「自分がセックスしているところを他人に見られて恥ずかしい」と言っている場合ではありません。また羞恥心よりも他人の性生活を観察して真似ることによって、セックスの技術を向上させていたとも考えられます。

■縄文時代は野外プレイが当たり前

縄文時代を生きた人々が主に昼間に性生活を持っていたのだとしたら、野外プレイは当然の流れとして理解できます。現代人の感覚で考えれば、屋外でプレイするなんてとんでもないと思うでしょう。しかしよく考えてみてください、縄文時代に存在した限られた居住スペースの中で、安全に性生活をおこなうことは非常に困難であったと言わざるを得ません。 周囲に生息する動物たちの存在もありますから、外の状況がわからない屋内で性生活を営むことは非常に危険なことであったと言うこともできるでしょう。むしろ周囲がよく見渡せる木の影や森の中で立ちながらセックスをしていたと考える方が自然です。

■驚愕の性生活!定期的に行われていた乱交パーティー

縄文人の血を絶やすまいと、現代よりも確実に「性」そのものや「性生活」に対するハードルが低かったと考えられる縄文時代ですから「セックスしたい」と思ったらその場で即座にセックスがスタートしたということもよくあったと言われています。 夜には火を囲んで性欲にあふれた男女がつどい、パートナーの交換をしながら夜な夜な乱交パーティが開かれていたという痕跡も残されているというから驚きです。現代人の感覚を持ち出すと眉をひそめてしまうような場面ですが、縄文時代に生きる人々の中ではそれが「種を保存するための重要な儀式」として根付いていました。

■縄文時代にオナニーは存在したのか?

縄文時代に生きた男女にとって性生活は欠かせないものでした。何よりも縄文人の血を絶やさないようにするために必要なものでした。そんな縄文時代にあって、自分で自分の性欲を満たすためだけに行われる「オナニー」は存在したのでしょうか?答えは「イエス」です。 縄文時代に作られたと思われる、木や石でできた性具が世界各地で発見されています。女性は男性と本格的な性生活に入る前に、自ら処女膜をやぶることで男性器に血が付着するのを防いだ、つまり獣に襲われる危険を防いだとされる説も存在します。

■謎多き縄文時代の性生活は実に奔放だった!

「エロ過ぎる縄文時代のセックス事情」と題して、縄文人時代の性生活事情をひも解いてきました。現代の科学力を駆使しても謎が多いとされる縄文時代ですが、少しずつ明るみになってきた縄文人たちの性生活については、たしかに目をみはるものがあります。 昼間のセックス、屋外プレイ、定期的に開催される乱交パーティーなどは「種を存続させる」という目的があるからこそ広まった習慣でしょう。知れば知るほど興味深い縄文時代のセックス事情、これからさらに過激な内容が明るみになる日がくるのでしょうか。

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2020年08月16日

キリスト教による奴隷の婚姻制=一対婚

現代の結婚様式は「一対婚」が主要となっていますが、それはキリスト教が大きく影響しています。リンク リンク リンク
では、なぜキリスト教は一対婚を選んだのかについて解明していきましょう。

キリスト教は15~16世紀にかけて急激に拡大しています。
他の宗教と比較すると、異常とも言える程の拡大の仕方といえます。
この時代は、ヨーロッパ各国が他の国を侵略し、植民地化していく時代。
つまり、キリスト教は侵略と共に拡大していったと言えそうです。

そして、もう一つの特徴は、弱者(奴隷)のための宗教。
「精神世界の鉄人」エッセイ集より抜粋引用

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キリスト教の結婚式では、牧師さんが、厳粛に、
「神のあわせ給うところ、人、これを離すべからず」
と新郎新婦および、会衆に対して宣言します。
神前結婚式なのですが、この「人」という言葉は、元来は、「奴隷主人」のことだったそうです。そして、「新郎新婦」は、元来、「奴隷同士」だったというのが、昔の牧師さんの言葉だったそうです。
初期キリスト教は、イスラエルに始まるそうですが、その後、ローマ帝国の奴隷の間に多くの信者を獲得したようです。
当時の奴隷は、いろいろな待遇があり、全てが鎖に繋がれて重労働していたわけではなく、「下男」、「下女」、「家庭教師」、「芸人」などの自由にローマ市内を歩き回っていた奴隷もいたそうです。
そうすると、当然、恋愛をする恋人ができ、生涯を共に過ごしたいと思ったそうです。しかし、奴隷の身では、その保証がありません。奴隷主人から、「オマエ、今度、外国に売り飛ばすからな!」と言われれば、二人は別れて、まず死ぬまで再会することはありません。そういう境遇の中だったので、ほとんどの奴隷達は、恋愛をあきらめたそうです。
しかし、中にはあきらめきれないカップルがいて、その人たちは、「自分達も、人間らしく、結婚式を挙げたい」と強く願ったそうです。
でも、二人が「夫婦」であるということは、ローマ市内では、知人や家族が認めてくれるのですが、外国に売り飛ばされ、離れ離れになり、戸籍も証人もいなくなれば、誰も、「夫婦」だと認めてくれません。
そういう状態のカップルに、キリスト教の牧師さん達は、
「天上には、絶対的な神がいて、二人は、天国で再会できます。さらに、神があなた達の結婚に立ち会って証人になってくれますから、大丈夫ですよ。信者になれば、たとえ奴隷どうしでも、天国に戸籍簿があるから、立派に夫婦ですよ。」
と説いたそうです。上記の「人、これを離すべからず」というセリフは、「奴隷主人でも、二人の結婚を引き裂くことはできない」という意味だったそうです。
しかし、このセリフは、明日にもやってくるかもしれない「強制的な別離」の恐怖を、改めて思い出させるセリフでもあったようです。
現代の新郎新婦は、このセリフを、何も考えずに、聞き流しているようですが、当時の奴隷同士は、悲壮な気持ちで、結婚式で、聞いていたようです。

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上記のように、侵略によって確保した奴隷の心の安定(現世で報われなくても来世では幸福が約束されている。)を与える効果は絶大だったと言えると思います。
キリスト教は、元々は結婚禁止の宗教でした。特にカトリックの司祭は独身でしか成れなかったし、その地位を守るためには、一生独身を強いられました。(参照:「バルバロイ!」結婚(Marriage)) 

それが、宗教改革(プロテスタント分派)の前後から、その規律がなし崩しになり、最終的には「一対婚」のみ(離婚厳禁)を認めるようになっていきます。
特に奴隷という身分に於いては、何人もの妻を抱える経済的余裕はないですし、離婚を認めてしまうと「奴隷の子は奴隷」という出自管理も難しくなっていきます。
つまり、キリスト教は「一対婚」という婚姻制度を「秘蹟(ひせき)」という形で救済される形体を組み込み、支配者の侵略→奴隷の統合にとても都合の良い武器となり、爆発的(強制的)に広まっていった宗教と言えそうです。
現代では、「一生一人に添い遂げる」ということで一対婚(一夫一婦制)が美化されていますが、元々は奴隷を都合良く管理する婚姻形態にすぎないのだ。と認識を改める必要があるのではないでしょうか。

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2020年08月14日

言語の進化過程(10)  ~中国語における漢字の多様な利便性と、その結果としての構文の不明化

呉善花・著『漢字廃止で韓国に何が起きたか』によると、韓国の学校教育で「漢字廃止・ハングル専用政策」がとられるようになったのは、1968年春から。(それまでの韓国では小学校4年から漢字を教えていた。)
漢字廃止政策以後の韓国では、教科書をはじめ、新聞・雑誌・書籍からレストランのメニューに至るまで、漢字はほとんどその姿を消してしまっている。その結果、最初に顕在化したのは、膨大な同音異義語から起きる混混。さらに韓国では「概念を用いて抽象度の高い思考を展開すること」ができなくなっていると、同著で指摘している。

今回は、るいネットの記事から、中国で生まれた「漢字」に言及した記事を紹介します。(リンク

●中国語における漢字の多様な利便性と、その結果としての構文の不明化
漢字は世界の文字の中では異彩を放つ表意文字である。つまり、A・B・Cやい・ろ・はが表意文字=単なる記号でそれ自体は何の意味も持たないのに対して、漢字は一文字ずつ意味を持っている。そして、一つの意味内容を持った言葉を表す時、4文字も5文字もの文字を並べるより一文字の漢字の方が遥かに分り易い。

要するに、漢字は極めて便利である。従って、漢人は次々と漢字を作り出し、漢字だけで文章を作っていった。その結果、関詞(て、に、を、は)が無いので、その文字が主体句なのか対象句なのか述句なのかが見分け難くなり、文全体の中で推定するしかない。(但し、少ないながら、いくつかの前関詞(もちろん漢字)は使っている。)

おそらくそれは、漢字が共同体性を濃厚に残していた時代に作られたからだろう。共同体なら、互いに生まれた時から良く知っているので、容易に文意を掴み取ることができる。あるいは、外交や交渉の場において、多様な解釈の可能性を保つために、あえて関詞を切り捨てていったのかも知れない(て・に・を・はを使えば、論理が明瞭で、多様な解釈の余地は小さくなる。)

しかし、その後、共同体が破壊されても漢字だけを使い続けているので、中国語は相手の氏素性を良く知らないと文意を掴み取れない言語になって終った。現代でも中国人が常に「幣」という排他的な擬似共同体を作りたがるのは、おそらく漢字を使い続けている所為だろう。
それに加えて、「て・に・を・は」がないので論理性に乏しいという点も、中国語の弱点として挙げられそうである。

その点では、漢字と平仮名・片仮名を併用する日本語は、極めて高度な表現力と論理性を併せ持っており、本源時代が到来すれば新しい世界共通語になり得る可能性を秘めている。
なお、現在、絵文字という新しい表意文字が世界中で急拡散しつつある。この絵文字は、日本語に大量に残る情感詞を絵にしたものであるが、それが世界の言語をどのように変えてゆくことになるのか、注目される所である。

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