前回の記事は、縄文中期に発展した事実事象から、縄文人の凄まじい観念進化に着目しました。
今回は、縄文中期における観念進化の背景に迫るため、当時の外圧状況を追求していきます。
①温暖化による人口の増加
事実としては、縄文中期の5,500年前頃から急激に人口が増加したことが判明しました。
この当時の気温は、現在よりも平均気温が2~3度高かったとされており、温暖化が人口増に至った最も大きな要因と考えられます。
人口は、縄文前期終盤からの約1,000年で約2.5倍(26万/11万)も増加した事になります。
この事実から、集団(集落)が増えた事は容易に想像できます。ただし、集団規模の大型化は、人口増だけでは説明できない課題として残ります。
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②人口分布と人口密度から想定される縄文中期の集団規模
次に、人口分布に着目すると、縄文前期から中期にかけて東日本に集中して人口が増えていることが分かります。縄文中期の遺跡の出土が東北地方に多い事と繋がってきますね。
人口密度は、一番密集した地域(3~4人/㎢)で北海道の南富良野町や陸別町と同規模にあり、現在の小さな町に匹敵する集団規模が形成されていたといえます。ゆえに、近距離で複数の集団(集落)が形成され、集団(集落)間での交流が頻繁に行える状況だったと仮定できそうです。
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③火山立地から想定される東日本への人口集中
先程の人口分布から、西日本では、縄文後期まで人口増加していないことも着目したい点です。
そもそも、温暖化により人口が増加しているのであれば、西日本の方が暖かく暮らしやすいのでは?と疑問が残るためです。東日本への人口集中は、温暖化以外の別要因があるはずです。
そこで、日本特有の外圧(環境)=火山大国であることから、火山の立地に着目しました。
すると、人口同様、火山の分布も東日本と九州に集中し、西日本には火山が無い事が分かりました。
縄文人は、自然災害としての火山の側面だけでなく、周囲が豊かな土壌と豊富な水が多い事を理解し、火山周辺を定住拠点としたと仮説が立てられ、結果的に東日本に集中したと考えられます。
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今回は、主に縄文中期の日本の外圧状況を整理しました。
縄文中期は、温暖化による人口増加と、火山周辺を定住拠点としたことで東日本に人口が集中し、各集団(集落)が近接する事で集団規模や集団間の関係性も大きく発展した時代ではないかと考えられます。
次回は、縄文中期の集団関係がどのように発展したか、縄文人の特性に迫りながら、追求していきます!