2022年12月09日
一夫一婦婚って本当?(2)~環状集落に見る「輪」に込められた想い~
縄文時代の婚姻様式はどのようなものであったか?前回は、一夫一婦派に対して反論を挙げました。
今回は「竪穴式住居とその集落」から縄文人の世界観にまで迫って、本当に一夫一婦婚だったのかを検証したいと思います。
そもそも家屋で5~6人の単位だったのか?なぜ5~6戸で1つの集落となっているのか、といったあたりです。
縄文時代の集落と言えば、環状集落です。
>日本列島の縄文時代早期(1万1500年前 – 7000年前)末から前期(7000年前 – 5500年前)初頭に成立し、中期(5500年前 – 4400年前)・後期(4400年前 – 3200年前)にかけて、主に東日本を中心に発達した集落(ムラ)形態の一つ。広場を中心に墓域(土壙墓群)と居住域(竪穴建物群や掘立柱建物群)が同心円状=環状に展開する構造を特徴とする。また秋田県の大湯環状列石(国の特別史跡・世界遺産)などのいわゆる環状列石(ストーンサークル)も、これを起源に成立した。(Wikipediaより引用)
ここで少し気になるのが、「輪」を成していることです。
中心に墓、ヒロバを持つ環状集落も輪になっていますし、竪穴式住居もみなで囲炉裏を囲います。他にも、盆踊りやキャンプファイヤー、円陣なども輪になっていますよね。
この「輪になる」に縄文人のこだわりを強く感じます。
なぜ輪を作るのか。輪に込められた想いとは何か、を追求します。
●輪に込められた思い。それは輪にあらず「らせん」にある!?
輪になると、秩序が保たれる状態になります。太陽も丸く、月も丸い、それに輪を描いているのが特徴です。
しかし一番秩序を保つのであれば、らせん(螺旋)のほうが安定します。
>DNAやタンパク質など、生き物の体を作っている高分子は、らせん構造をしています。なぜ、らせん構造をしているのかといえば、それが安定だからです。原子がつながった鎖の中に、お互いに引っ張り合うポイントがあって、それらは水素結合を作ろうとします。その一方、反発しあうポイントもあります。その両方のバランスをとる形、それが「らせん構造」なのです。(引用https://costep.open-ed.hokudai.ac.jp/like_hokudai/article/1014)
らせんを作ることでお互いのエネルギーは最大化され、安定化されるのです。
つまり本当は輪ではなく「らせん」を作りたかったのではないでしょうか。
キャンプファイヤーでいえば、火を中心に輪となって踊ると、火柱のように高く燃え上がるイメージが容易にできます。
とすると、縄文人は既にらせん構造を万物(自然など)に見出し、さらに万物と一体化する方向で、様々にらせん構造を作ったのではないか、と考えられます。
環状集落が墓とヒロバを中心に5~6戸の家屋で成しているのも、先祖の御霊が安定して流れる(循環する)道筋を作っていると言え、エネルギーが流れる道筋(循環の通り道)をみんなでつくったのではないかと推測できます。
中心に置くものは墓・火・柱・櫓などは想像しやすいですが、万物との一体化を軸に考えれば、中心に置くものが、なんでもいいとは言えません。これは洞窟にいた始原人類とは違う世界観であり、縄文時代の集団の精神的支柱になるものが中心になるのでしょう。
⇒それもこれも、エネルギーの最大化と安定が根底にあるという、縄文人の世界観を表しています。
以上から、竪穴式住居では4~5人で住まうべき理由が考えられ、集団でエネルギーが最大化する形になるには、若人宿や複数母子の家屋もあって良かったと思われます。大きさを理由に「一夫一婦の家族」が限界と捉えるのは早計なのです。
- posted by momoki at : 2022年12月09日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
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