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2022年12月17日

【縄文人の特性】縄文中期に見る縄文人の著しい観念進化とその背景①


前回の記事
に引き続き、「縄文土器」からも縄文人の特性を検証すべく、様々な土器を調べました。
年代ごとに整理すると、文様が豊かで実用性よりも装飾性に特化した火焔式土器は、縄文中期(5500年~4500年前頃)に顕著だと判明しました。

縄文土器のデザインの移り変わり

画像は、コチラからお借りしました。

そこで、「縄文中期に何が?」と、他の事象も調べたところ、様々な観念進化が縄文中期から急激に発展したことが見えてきました!
縄文中期に発展したた代表的な事実事象として、以下の①~④を取り上げます。

 

①集落と建物の大型化

青森県の山内丸山遺跡(5,900~4,200年前)を代表例に、縄文中期は数多くの集落が形成され、集落も建物も大型化していきました。集落は、長さ32m、幅10mに及ぶ大型竪穴住居を始め、多くの住居群が形成される等、当時の建築技術力の高さにも驚かされます。

画像は、JOMON ARCHIVES(コチラ)を加工して作成しました。

 

②翡翠(ヒスイ)文化の登場(約5,000年前)

縄文中期に形成された集落の多くでは、翡翠を加工して作られた装飾品が数多く出土されました。
翡翠が産出されない集落からも出土されたことから、集落(集団)間交流が活発に行われていたと考えられます。

画像は、JOMON ARCHIVES(コチラ)を加工して作成しました。

 

③環状列石の登場(約5,000年前)

集落と同様、環状列石も数多く発見(北海道と東日本に顕著)されています。一説には、暦を正確に把握し、クリやクルミの収穫期、タラやサケの豊漁期の精度を高めるためとされています。一方で、装飾品類(土器等)が環状列石の周囲で出土したことから、祭事の場との説もあります。

画像 は、JOMON ARCHIVES(コチラ)を加工して作成しました。

 

④数字の認識(約5,000年前)

縄文中期移行の竪穴住居では、柱の間隔が35㎝で割切れる箇所が多く見受けられました。当時の建築技術力の高さは、35㎝を基準(通称:縄文尺)とした数字(比)の概念が誕生したからではと考えられます。同様に、土偶の文様からも自然数列(1~12)を認識できます。

画像は、コチラからお借りしました。

 

いかがでしょう?今回は、主に縄文中期に発展した事実事象を整理しました。

1万年以上続いた縄文時代の内、なぜ縄文中期に発展=観念進化が著しかったのか?

縄文中期は、単に集団規模が大きくなったのではなく、土器や翡翠から装飾品が豊かになり、集団間交流が活発化する事で、集団関係の在り方も大きく変化した時代ではないか?と考えられます。

次回は、縄文中期に日本がどのような外圧状況にあったかに照準をあて、観念進化の背景と当時の縄文人の特性に迫っていきます!

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