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2022年12月23日

【原始日本の共同体性6】なぜ族内婚から族外婚へ移行したのか。集団間を統合するための婚姻?②

長野県与助尾根遺跡18832.pdf (chino.lg.jp)からお借りしました

 

 

共同体社会と人類婚姻史 (jinruisi.net)の続き

しかし、自部族の男女で結びつきたいという心理も強くあるだろうが、そのままにすると、相手部族の男女と結びつきが弱くなりかねず、遠心力になりかねないから、基本、相手部族としかだめということになっているのではないか。

族外婚とは集団間の同類圧力が次第に高まってくる時代に必要とされた、婚姻の在り方なのではないかと思われます。

■ただし、最初に書いたようにこれは中国やオーストラリアで見られた族外婚の例。日本の族外婚については以下の記述が続いている。日本の族外婚は中国などの例とはかなり様相が違う。

>族外婚の典型としては、近い頃までオーストラリアに見られたという俗があり、それによると、A群の全男子はB群の全女子と夫婦、B群の全男子はA群の全女子と夫婦という形態のものらしい。これを多く の学者たちは、婚姻階級制とも云っているようで、二群からなるもの、または有名なカミラロイのように四群からなるもの、八群のものなど色々あるが、基本的には、やはり特定の一群の全男子は、他の特定の 一群の全女子としか通婚してはならないという原則、つまり二群式の原則に貫かれているという。後に見る中国の族外婚方式も同類である。<

ところが日本では、二群単位とは限らず、二群でも三群でもが集落をなし、その中央に祭祀施設のある ヒロバをもち、そこをクナド(神前の公開婚所)とし、集落の全男女が相集まって共婚行事を持つことに よって、族外婚段階を経過したと考えられる( 『日本歴史』一(昭和三七年)坪井清足「縄文文化論」に よると、長野県与助尾根遺跡は東西二群に分かれた興味深い集落構成のようである) 。 <

日本では、族外婚段階でも、全男女があいまって共婚行事をもったようだとのこと。これは、日本では古くからの婚姻様式を残してきた、より本源的なそれを残してきたと言える。同類圧力が次第に高まる時代であっても族内・族外全員での一体化充足を守ってきたと言えるかもしれない。

 

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