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2022年12月27日

高群逸枝の日本婚姻史5~原始時代の族外婚=クナド婚のはじまり

女夫(めおと)遺跡 松江市 画像はこちらからお借りしました。

高群逸枝の日本婚姻史4~原始時代の族制は、性別と年齢階級が基本

に続きます。

 

クナドという古語を御存じでしょうか。

『允恭紀(いんぎょうき)』にマクナギ、『日本霊異記』に婚合をクナガヒ、『今昔物語集』にクナグ、『続古事談』に「妻をば人にクナガレて」等とあり、クナドは性交を意味します。(クナギドコロは婚所の意。)

 

クナドの神というものは、複数の村の共有広場や、交通の要路に祭ってある石神であるが、その性格は一面が交通の神、もう一面が性の神とされています。これが意味するのは、他群と交通し、結び付く”かなめ”にはクナド=性交があり、原始時代では性交が同族化であり、和平の道であり、理解への道であり、村つくり、国つくりの道でもあったということ。

 

通説では、疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを防ぐとされる神とされますが、それはもう少し時代が進み、争いや支配が顕在化して以降に置き換わったと思われます。原初は、排除や防御ではなく、一体化や和平が本質だったでしょう。

 

これが意味することは、単一集団=村が独立していた時代から、複数の村が集合し結び付く=云わば原初の社会が登場する時代に、社会を形作る紐帯にあったのはクナグ=性交であるということ。現代社会を考えるうえでも非常に重要な意味をもっていると考えます。

以下、高群逸枝の日本婚姻史より要約します。

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■原始時代

②族外婚

生産力の増大、人口の増加により群は孤立性、移動性をなくし、かつては別れ去った分岐群も隣り合って集落をつくるようになる。この段階で当初は隣群との族外婚がはじまる。『世界史』の族外婚は、ある特定の一群の全男子は、他の特定の一群の全女子としか通婚してはならないとする原則に貫かれているが、日本では、二群でも三群でもが集落をなし、その中央のヒロバをクナド(神前の公開婚所)として集落の全男女が集まって共婚行事をもったと考えられる。通婚関係にある男女は各自別群に属しており、生まれた子は母の群で育てられる。これが母系氏族制の始まりとなる。

 

群婚は主として自然物獲得を基本的生業とする段階に照応するもので、定住化から農耕段階に進むにつれて社会関係が複雑になると、族外婚は広域化して外族との和平や政治的経済的ブロック拡大の動機がからむようになる。何故なら原始時代の性交は同族化を意味し、排他的な異族間では性の交歓だけが和平、理解の道だったからである。そこでヒロバの他にも交通の要路にクナドの神が祭られ、女性たちは乳房と陰部を露出した雄取式舞踏や歌の掛け合いによって、他部族の男性を誘惑して子ダネを獲得すると同時に、政治的経済的な同盟をも勝ち取った。このクナド婚が孤立した氏族集落体から部族連合体への道を拓くことになる。

 

尚、歌の掛け合いや踊りは招婿婚にも引き継がれ、ヨバイの際の昌和や相聞歌(そうもんか)となり、平安期には文使い(ふみつかい)の儀式となる。フミの方式は村では明治まで遺存し通い婚の序曲となった。日本の文学の起源はここにあり、和歌も族外婚の歌のやりとりから生まれたと思われる。

 

3世紀頃「ヤマト女王国」が出現し、クナド婚の威力も動力となって30余りの部族連合が結成されるようになると、クナド婚の方式に変革が起こって集団神前婚約が始まり、それによって男が女の部落へ通う個別形式の婚姻形態が派生する。これが新しい時代に照応する正式の婚姻制として徐々に表面化してくるが、それでも群婚原理は容易に断ち切れず、婚約相手の姉妹や兄弟が副妻、副夫となった。

 

つづきは次回・・・

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