RANKING
にほんブログ村 歴史ブログへ
NEW ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK

2021年05月27日

共同体社会にむけて右脳をどう開放していくか

前回は、現代の閉鎖独占社会における欠陥が左脳しか作用していないことと、その中身が硬直していることから右脳を開放する理由はそこにあるとし、共同体社会にむけて、本来の人類の意識構造に触れた。

いま、右脳を開放すること、この一点につきる。前回も紹介した、赤子の事例や子供の外遊びなどは右脳が開放された状態であり、その活力には目を見張るものがある。今回は、左脳偏重に陥った現代人の意識からいかに右脳を開放していくか、その方法を探りたい。

重要なのは、言葉=観念のみしか動いていないことからいかに右脳の共認回路やさらに奥にある本能回路とつなげていくか、そしていかに実際に行動するかということのようだ。ノウハウだけ知っていても意味はない。

 

 

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2021年05月21日

共同体社会にむけて人類の意識構造を押さえる

現代はいかに閉鎖独占で抑圧された社会であり、そこからいかに離脱すべきか前回までのシリーズで扱ってきた。貧困という絶対的な生存圧力を解消した今、もはや現実を形成していく力は人々の意識にあるといっても過言ではない。それを阻害しているのは古い固定観念(支配観念)と、古い支配圧力とそれに基づく様々なパンデミックという自作自演の捏造された企みに過ぎない。今回のコロナ禍はまさにそういう状況を呈している。

そういう企みに踊らされて、どうやら人類は、ここまで生き延びてきた真の力を見失っているのではないだろうか?それが閉鎖独占された様々な場で刷り込まれて思考が硬直しているからそうならざるを得ない。であればその硬直を解くことで再生するはずだが。

今回は人類の脳の構造から、再生の可能性を探りたい。

動物は外圧に適応するため、行動を制御する機能として神経機能を統合して脳に進化したが、哺乳類段階まで来ると大脳新皮質が形成され、後天的な学習記憶がその生存の成否を規定することとなった。そして樹上世界で外敵闘争がなく、必然的に同類闘争が主たる外圧となった真猿段階では共感機能をベースに共認機能を最先端機能として獲得するに至る。端的に言えば集団の結束力が生存を左右する。これは相手の意識(期待)と自己の意識(その期待に応えること)が一致し、そのこと自体で充足するという新機能の獲得であった。人類の共同体もこの構造が原点にある。

さらに人類ははじめから樹上という楽園を失って洞窟で隠れ住まざるを得なかったため、同類どころか外敵や自然外圧と対峙する極限状況に陥る。そこで集団内の相手のみならず、世界全体に対して一体化して(そして同化し期待する)という画期的な世界観に至ったようだ。世界との一体化という究極の至福感こそが人類にとっては唯一最大の活力となったことは想像に難くない。これは右脳で行われているらしい。その認識方法を起点として精霊⇒言霊⇒言葉という観念化を左脳で作り上げてきたようである。ここで重要なのは、まともな思考方法はこの右脳と左脳が連携して作動することにある。現代の閉鎖独占社会における欠陥は左脳しか作用していないことと、その中身が硬直していること。右脳を開放する理由はそこにある。

今回は、その右脳の機能やそれを開放することで共同体社会の人類の意識に触れてみたい。

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2021年05月20日

世界の婚姻制度~インドの結婚式は子づくりのための儀式~

世界の婚姻制度シリーズの第4弾。
前回は「インド」の婚姻事情を調べ、「ほぼ見合い婚」という日本では信じられない事実を発見しました。

婚姻制度の可能性が少しずつ見えてきた感じがするので、今回もより詳しくインドの婚姻に迫っていきたいと思います!

~これまでの記事はこちら~
▶世界の婚姻制度~スウェーデン人は「結婚しない!?」~
▶世界の婚姻制度~スイス人は国際結婚が主流!?~
▶世界の婚姻制度~インド人は見合い婚が8割!~

5d47d1cf2600004f000464a5

みんなが「子孫繁栄」にまっしぐら。 インドの結婚式に参列したら「結婚」の意味を考えさせられた。より引用

◆インドの結婚の目的は、ズバリ「子づくり」

今回私が参加させてもらったのは、15年近くお互いに顔見知りという20代の2人の結婚式だった。歩いて5分ほどの家に住んでいるご近所同士で、新婦の姉が新郎と学校の同級生だったらしい。

インドの結婚の目的は、ズバリ「子づくり」。儀式における全てが、若い男女が子どもをもうけるための重要なプロセスとして設計されていることに、私は衝撃を覚えた。

また、インドの結婚式に参列して印象的だったのは、日本が過去のものとしはじめている伝統的な性別役割分業だ。儀式のスタイルも、その準備も、全てに「男の仕事」「女の仕事」というカルチャーが見てとれる。

まず結婚式がとにかく長い。日本ではせいぜいお昼頃から始まって数時間といったところだろうか。しかし、インドの結婚式はとにかく伝統的な儀式が数日にわたって延々と続くのだ。私は、メインの儀式の当日の朝から参加させてもらった。まず、家の庭に大量の水とお花を用意して、家族全員が新郎にお花入りの水を浴びさせるところから始まる。そんな細々とした取り決めが山のようにあり、様々な儀式をこなしていくことになる。

儀式を取り仕切るのは、女性たちだ。新郎の母親や従姉妹がぞろぞろと10人ぐらい出てきて、ワイワイと、そしてテキパキと全ての儀式の準備をこなす。この地域ではいまだに専業主婦が多く、男性が外に働きに出て、女性が家のことを完璧に取り仕切っている。数日間続く儀式の間、男性たちはまるで空気のように振る舞い、何かを手伝うわけでもなく、邪魔になりそうなタイミングを察知してはその場から消えていった。

なんで男性は何もしないのか? と尋ねると「家のことをやるのが私の役割だから。それに彼らにやらせたら大変なことになるわよ」と笑っていた。

やや脱線してしまうが、インドの女性たちは女性同士で極めて強固なコミュニティを形成している。遠い東の国からきた私に対しても、とてもインクルーシブで、一緒に過ごした数日間、いつも私が孤立しないように誰かが一緒にいてくれた。こうやって女性たちが団結して家を守るのだなと、感心してしまう。

日本で結婚式というと、新郎新婦が場を用意して、みんなをもてなすのが一般的ですが、インドでは、二人のために親族総出で場づくりをするようです。

◆「ファーストナイト」をみんなでお膳立て…。

さて、メインの儀式が迫ってきた。

伝統的なアレンジマリッジの風習に則って、二人がやっと顔を合わせるのは、新郎が新婦の親を目の前にして、「彼女を一生養っていく」という誓いをたてた後だ。新郎が誓いをたてると、二人の間を隔てていた布が取り払われ、初めてお互いの顔を知ることになる。今回の新郎新婦のケースのように、もともと知り合いであることもあるが、儀式は伝統に則って遂行される。

なんといったらいいか、まるで下見に行かずに不動産を契約するようなものだなと驚愕させられる。どんなものが出てくるかわからないのに、その人を一生養う誓いを立てるというのはどんな気分なんだろうかと、見ているこちらとしては、悶々と考えさせられてしまう。

何よりも生々しいのが「ファーストナイト」と呼ばれる儀式である。結婚式の翌日に新婦が初めて新郎の家にやってくるのだが、その日の夜が、二人が過ごす初めての夜、通称ファーストナイトだ。

夕方をすぎると、これまた家の中で粛々と儀式が進行される。この儀式が何とも独特だ。既婚の女性たちと新郎新婦の二人の間でココナッツの実を行き来させるのだ。一体どういう儀式なんだろうと思い聞いてみると「子どもを授かることを祈る儀式よ。インドでの結婚の目的は”これ”だから。」と儀式の準備を取り仕切っていた新郎のいとこがニヤニヤしながら教えてくれた。

そのあとさらに、何やらそわそわした空気が漂い、新郎新婦のスキンシップを促すためにあれやこれやのゲームが続く。

天井から吊るしたリンゴを新郎が新婦を抱っこしてとるゲームだったり、新郎の足の上に新婦の足を重ねるゲームだったり・・・ 次第に二人の物理的距離が近くなっていく。

新郎新婦は前日の儀式で初めて顔を合わせているので、ファーストナイトではまだ心理的にも距離がある。初対面の人と一緒に夜を過ごす前に、ふたりが仲良くなるための儀式なのだった。そして、二人は新郎の部屋に消えていった。

時には生々しく感じるほどに徹底して、子どもをもつための合理的選択として機能する彼らの結婚。その始まりの儀式としての結婚式であった。インドでの結婚の目的はとにかく単純明快、子どもをもつことだ。そのために男性が仕事をして、女性たちが家庭を守る。女性側の家族は経済的に支えてくれる適当な男性を探し、男性側の家族は子どもを産み家庭のことを完璧にこなしてくれる女性を探す。お互いのニーズが一致した適当な相手と適当なタイミングで結婚するのだ。それは着実に人口も増えるなと、納得してしまう一連のイベントである。

わたしたち人間も生物として捉えたときに、集団を継続するためには子孫を残すことが何よりも大切です。インドでは、この子孫を残す過程も大切にしているのを感じます。そのための男女の役割もはっきりとしています。

当たり前のような流れですが、実は現代の日本では個人の自由が行き蔓延してしまっているがゆえに、結婚も子育てもすべて個人任せですよね。
なんだか、インドの女性たちの一致団結感が羨ましくなってきました。

次回はより深くインドの結婚事情に迫っていきたいと思います。

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2021年05月14日

閉鎖独占からの離脱~お役所という独占管理システムから自主自立

現代の自由市場社会にあって、国家としての管理システムである行政機関がある。自由を標榜する社会では不整合がいたるところで起こりうるが、国民や企業などからの税の搾取、治安維持、保健衛生、教育、資源エネルギー、防災等多岐にわたり管理圧力が働く。これを国家を頂点とするお役所が独占して実践している。

この圧力はさまざまな法制を伴い年々強まっている。昨今のコロナ騒動然り。しかし、その圧力は歪んだものであり違和感を感じる人も多いのでないだろうか? その背景には、親方日の丸意識の上に、近代思想の中核である平等や権利意識を原則とした閉鎖独占の融通の利かないシステムがある。だれもが納得できる現実に即した施策は決して上から押し付けられたものではないはず。人類として、社会構造として自主性を回復するには母体となる共同体が不可欠となる。

現代は国家に依存せざるをえない社会的な役割をはく奪されてしまった個々の群でしかなく、それを権利意識でごまかしているにすぎないのかもしれない。そして、ますますお役所の管理圧力が強くなっていき、誰しもが疲弊していく自滅構造に陥っている。

だからこそ、社会的な役割を持った共同体の再生が、その殻を破る可能性を持つ。そのような可能性のあるき時を今回も紹介したい。

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2021年05月13日

世界の婚姻制度~インド人は見合い婚が8割!~

世界の婚姻制度シリーズの第3弾。
これまでヨーロッパの紹介が続いていましたが、今回はアジアへ移りたいと思います。

世界第2位の人口がいる、インド。
多数の宗教とカースト制度が強くのこるイメージがありますが、人口が多い秘訣はどこにあるのか。
探っていきたいと思います。

~これまでの記事はこちら~
世界の婚姻制度~スウェーデン人は「結婚しない!?」~
世界の婚姻制度~スイス人は国際結婚が主流!?~

pexels-photo-1760721

インド人の5つの恋愛・結婚事情。お見合婚が80%に達する実際とは より引用

■インドのカースト制度に縛られた相手探し

インドには多数の宗教とカースト制度と呼ばれる階級制度があります。カーストというのは職業の世襲制です。
親が低いカーストであれば、その子どもも同じカーストに留まります。

よく日本の江戸時代の士農工商のような身分制度だと説明する人がいますが、そうではありません。代々にわたって、そのカーストから抜け出ることはできません。
唯一、IT業界ではカーストを問わないということなので、将来はそれを突破口にして少しでも改善の方向にいくのではないでしょうか。

カースト制度は法律上は70年前に廃止されたのですが、3000年間たった今もインド人の日常生活や心の中に慣習として根強く残っています。
自分の属するカーストに「満足する」というカースト的考え方は、つまるところ上位のカーストの身分を保つためのものであるので、カースト意識は今後も完全になくなりはしないでしょう。

最近増えつつある自由恋愛は、都会に住む高学歴で裕福な上位カーストに所属している人たちに限られています。
そして、たとえ恋愛できても結婚まで発展するケースは多くありません。

インドでは、
80%がヒンドゥー教徒
残りはイスラム教徒、シーク教徒、仏教徒
などです。

ヒンドゥー教徒の彼女がイスラム教徒の彼とつきあい、結婚したいと願ったらどうなるでしょうか。
あるいは、自分より低いカーストの彼と結婚したいと思った場合、どんな障害が待ち受けているのでしょうか。
おそらく、親や親せきに大反対され、事件にまで発展することは、インドでは日常茶飯事でニュースで度々報じられます。

 

個人間よりも、家族間の繋がりを大事にする

多くのインド人は、見合い結婚で釣り合いの取れた結婚相手を選ぶ方が恋愛結婚よりも良いと考えています。
その理由は、インドでは結婚は家族間の繋がりであり、個人間の繋がりよりも優先されるからです。
家族のきずなはとても強いものがあります。大家族制度なので両親、兄弟、子ども、孫、時には親せきの人までが一緒に住んでいます。
14~15人家族もめずらしくありません。

たいていのインド人家庭は暖かく、子どもたちも素直に育っている場合が多いです。すれていない、といった方があっているかもしれません。
子どもは親を大切にするし、親を悲しませるようなことは極力避けようという態度がみえます。親が勧める結婚に間違いはない、という確信をもっているようです。

違うカースト間の結婚は、文化が違いすぎて難しいということは、インドに住んでいた経験がある筆者には納得がいきます。
宗教行事や親せきづきあい、食事(上位カーストは菜食主義)など、日々の暮らしに直結した細々としたことが違います。

 

■インドでは親が結婚相手を決めることが多い

親が子供の結婚相手をアレンジするのはインドでは普通です。
見合い婚は8にも達します。
世界の平均が55%なので、異常に高いことがうかがえます。
でも、離婚率が1.1といいますから、インド人にとってはこのシステムは正しく、好都合なのかもしれませんね。

ただし、最近の新しい潮流としては、「お見合いサイト」が人気とのこと!
親が決めるのではなく、ネットを利用して相手を定めるシステム。
ただし、その中身は日本とは異なるものになっているようです。

お見合いサイトが若者に人気

最近、若者に人気なのがお見合いサイトです。
プロフィールの登録欄には年齢、宗教、母語、所属カースト、給料、職業、居住国、在外インド人(NRI)、「バツイチ」「子持ち」「死別」などを記載します。

それは自分と「釣り合う・同等の」相手を見つけることであって、日本のように「気に入った人」「好みの人」を見つけるためではありません。
インターネットの普及により、見合い婚が以前よりも増えたということです。

検索する方も、年齢別、カースト別、出身地別、職業別、給料別に検索でき、自分の条件に合った相手を瞬時に探せるようになりました。
もちろん有料ですが、月額1000円~1200円と低額です。

驚くのは、一切まわりに隠さず、大っぴらに堂々と行われていることです。
登録者は本人でなくてもよいので、最近は親や親せきの人が勝手に登録し、登録した親同士が連絡を取り合い、当の結婚する男女の全く知らないところで話が決まっていたということも多々あるようです。

 

星占いを重要視

インド人は結婚が決まる前に必ず星占いをしてもらい、その結果を重要視します。
インド占星術はその始まりが定かではないほど古いものです。
輪廻転生の思想に基づいていて、カルマ(過去の世での行為は、良い行為にせよ、悪い行為にせよ、いずれ必ず自分に返ってくる、という因果応報の法則)の考え方が重要視されるのです。

少し難しくなりますが、インド占星術はヴェーダという自然科学系の学問の一つです。
それはアーユルヴェーダ(医学)とヨーガ(健康学)と思想、概念、理論を共有しています。
その中で輪廻転生という思想があるのですが、人間は「肉体」「心」「魂」を備えた全人格的存在であるとしています。
輪廻転生とカルマの思想を軸としたインド占星術は、長きにわたってインド人の心の平安を支えてきたものと言えます。
人生最大の行事である結婚を決めるにあたり、占星術師に見てもらうことは、インド人にとって、ごく自然な、当たり前のことなのです。

 

ヨーロッパや日本では、「自由恋愛」という価値観が一般的でしたが、打って変わってインドでは、「見合い婚」が主流ということが分かりました。

それは、古くからつづくカースト制度に縛られている事情もありますが、その根底には集団を継続させるための婚姻という、集団発の意識が今も根強く息づいているからだと思います。

インドの婚姻事情については、まだまだ深く掘り下げられそうので、次回も続けて紹介ていきます。

 

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2021年05月13日

性のエネルギーは肉体を超えて通い合う ~プロローグ~

キリスト教の『聖書』では、男性的な「父なる神」が独りで世界を創ったと教えられています。それとは対象的に、日本の『古事記』では、イザナギ・イザナミの夫婦神が「まぐ合い」によって国土を生み出すという国産み神話が語られています。

但し、同じ『古事記』の中でその後の二神は、イザナミが死んで黄泉の住人となり、それをイザナギが追いかけて会いにいった時の行き違いがもとで、手のひらを返したように壮絶なケンカ別れをして終わっています。独りで戻ってきたイザナギは、現代まで神道の最高神とされているアマテラスなどの代表的な神々を独りで産んだことになっているので、結局は『聖書』と同じ流れについてしまったことになります。

天地創造 イザナギイザナミ

★なぜ、男女をいがみ合せるような物語が必要になったのでしょうか?

以下、夏目祭子・著『あなたが目覚める愛と性のギフト』より

人々が手本に仰ぐ神々が、男女でいがみ合って仲違いしたということは、人類の意識に「男女は分かり合えない」という封印がかけられたことを象徴しています。そこから、男女のエネルギー循環の環が崩れたのです。それはつまり、人の世の「和」が崩れたということ。

互いを充たし合う循環ではなく、「男性が女性のエネルギーを搾取する仕掛け」が社会に組み込まれたのです。その中で女性は、男性に奪われ、辱められるという被害者意識が育ち、一方で男性は、判断も行動も自分がリード役を引き受けなければならないという重圧を背負ったきました。

だから女性は、男性の被害者。
だから男性は、女性が重荷。

これは、同じ人間という仲間同士でいがみ合うための仕掛けなのです。互いに相手を、理解し合えない別の人種だと思い込まされること。この仕掛けは、性別が同じ者同士にも応用されて、男女それぞれの優劣の物差しで競争意識が刺激され、「力のある勝ち組」と「力のない負け組」との対立が演出されて、助け合いを難しくしてきました。

なぜ、人々をいがみ合せるような仕掛けが存在するのでしょう?
それは、物質文明の始まりとともに、少数の権力者は、大勢の人々の意識を自分の思いどおりの方向へマインドコントロールするための策略を必要としていました。彼らにとっては、人々が結束して大きな力を持つことがないように、お互いに反目し合ってバラバラでいてくれた方が都合がいいのです。

同性同士が心から信頼し合い、性的にではなくても親密に触れ合うことから生まれる安らぎと快感。それは、性的なパートナーと喜びに満ちた絆を結ぶための土台になるもの。それが揺らぐような、嫉妬と対立意識をかき立てる情報が、この世界ではせっせと広められてきました。

そして、男女が性欲から結びつくことはたやすいけれど、そこに罪悪感や恥の意識がまぶしつけられ、暴力的でエネルギーの奪い合いにつながるような方法でしか交われないないなら、そこからは決して深い安らぎは得られないし、高らかな歓びの境地へはたどり着けません。そうして、大勢の人々の性のエネルギーが抑圧されると、スイッチ一つで「怒り」の感情へと切り替わります。つまり怒りっぽくなるということ。

支配者たちは、使われずに余っている民衆の性エネルギーを、ある時は戦争へと駆り立てることで使わせ、戦争のない地域では、それを激しい経済競争や、あくなき消費欲へと向けさせてきたのです。20世紀以降、言葉にならない欲求不満を抱えた民衆の中には、行き場のエネルギーを、食べ物やアルコール、ドラッグ、ギャンブル、買い物などで晴らす「依存症」に陥る人たちが増え続けてきました。つまりそう、すべては「支配者たちが金儲けできる方向」へと誘導されてきたわけです。その結果が、今のような自然の循環を無視した環境破壊へとつながっているということ。

もし、この世界の人々の、誰もが性エネルギーを通じて全身全霊の歓びで充たし合うことができれば、戦争は必要なくなるし、環境破壊は終わります。だから私たちは、長年刷り込まれてきた、性エネルギーを後ろ暗く重苦しいものに変質させる、あらゆる封印を手放していく必要があるのです。

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2021年05月06日

閉鎖独占からの離脱~現代医療という象牙の塔は必要か?

前回の学校という閉鎖独占システムに続き、今回は、医療に焦点を当てて探ってみたい。現状の医療は、かなりの辺境地域にまで医療組織が行き渡り、また国民皆保険として制度上も負担がかからないようになっており、だれもが経済的な負担なく医療行為を受けられる。これはこれでよいことなのかもしれないが、これまで鬱積した問題もあらわになってきた。

本来医療は、医食同源といわれねように、日常生活の中で実践していくべき生活行為であり、心身のバランスを整えることが本質である。生物一般においても、闘争による負傷ではキズをなめて殺菌したり、捕食のエネルギーを控えて免疫機能が最大限発揮できるように発熱させたりと身体機能に医療的機能が備わっている。医療の現場で日々治療にあたっておられる方々は、「医療とは所詮、身体の持つ本来の修復機能、免疫機能を最大限生かすことしかできない」と喝破されている。大きく東洋医療においては、身体のバランスをいかに保つかという恒常性に焦点を当てて発展してきた。気、血などの流れの良し悪しを調整することなどに見て取れる。一方、西洋医療は、戦争などによる負傷に対する対症療法が軸であり、身体をあくまで機械的に分析し、機能障害を取り除くという方法である。

近代市場社会に至り、西洋医療を軸として国家ぐるみで医療体制を推進してきたが、背景には、市場拡大のための戦力維持としての医療であったといえるのではないだろうか? 抗生物質然り、ワクチン然り、ひどい場合は医原病といわれるようにマッチポンプを作り出して持続可能な制御方法ではないことが明らかになり、自然界からの逆襲が危惧される。このことは医療業界(背後には石油利権とつながる製薬業界)の利権拡大が医療を狂わせた要因であり、根本的には、西洋医学そのものの局所的(都合のいい部分しか問わない)思考方法が誤っていることを示している。また、行政をも操る利権については言わずもがなであり、数々の薬害が取りざたされてきた。そして、医療に携わる現場の組織の在り様も旧態依然として上意下達という支配被支配にも似た関係こそが現場の意欲をそいでいるのである。

医療もこのままではこれからの時代に適合しない。かつてはおばあちゃんの知恵袋という長年の経験に裏付けられた手法が共同体のなかに包摂されていたが、医療においてはそのように自分たちの手に取り戻すような抜本的な転換が必要である。

その可能性を示唆する記事を今回も紹介したい。

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2021年05月06日

世界の婚姻制度~スイス人は国際結婚が主流!?~

世界の婚姻制度シリーズの第2弾。

前回は北欧の国、スウェーデンを紹介しましたが、今回はヨーロッパの中心に位置する「スイス」について紹介していきます。

 

雄大なアルプスに囲まれたハイジの国、スイス。
一方、ヨーロッパの金融市場の中心でもある国ですが、その婚姻制度はどうなっているのでしょうか。

~前回の記事はこちら~
世界の婚姻制度~スウェーデン人は「結婚しない!?」~

large_back-view-bench-clouds-1417255

SWIより引用

スイスでは、婚姻手続きは戸籍役場を通じて行なう。双方とも18歳以上であることが条件であり、両者ともに婚姻を解消する権利を有する。多くのスイス人は民事婚と宗教婚の両方の式を挙げる。

同性カップルはスイスでは結婚することができない。しかし、正式なパートナーシップ制度には登録できる。これにより、年金、相続、納税に関して結婚したカップルと同じ権利と義務を手にすることになるが、養子縁組をする権利はない(ただしどちらかのパートナーの実子であれば可能)。外国で成立した同性婚は、スイスでは正式なパートナーシップとして認められる。

結婚式は許可証を受け取ってから3カ月以内に行なわなければならない。外国で法的に認められた異性婚またはパートナーシップ登録は、基本的にスイスでも認められる。

初婚の平均年齢は着実に上昇している。1970年には男性が26.5歳、女性が24.1歳だったが、今日では男性が32歳、女性が30歳となっている。

 1980年代半ば以降、夫婦の片方もしくは両方が外国人である婚姻の数が増えている。2015年には全体の半数以上(52%)に上った

一番の驚くべき点は、国際結婚の数です!

その背景には、実は移民が近代スイスの形成に大きく貢献してきたという歴史があります。
(第2次世界大戦以降、労働力を必要としたスイスは移民を積極的に受け入れてきました。経済が停滞し始めると、移民流入制限もしてきましたが、2014年末で、スイスの人口820万人に対して外国人は200万人=約25%。

バラ色のメガネでスイスを発見!より引用

■結婚生活に活かされるスイス外交の極意

もう一つ、移民組が皆同意したのは、スイスの議論の仕方や違いへの対処の仕方が、自国の文化とは異なっているということだ。ビラル・アル・サイフィさんは、「折り合いがつかない問題はない。私がここで学んだのは対話の文化批判を受け入れ、妥協点を模索するという文化だ。これはおそらく、議論や表現の自由、譲歩という価値観が確立されている政治システムと直接民主主義の性質によるものだろう」と話す。

ジェドゥ・シャリフさんは、それは教育システムと社会の文化によるものだという。「ここの人たちは、子供の頃から率直で恐れを知らずに生きている。ディベートと率直さは教育の柱だ」。

話を聞くこと落ち着いた姿勢でいること相手の意見を受け入れること相手のニーズを考慮すること、そして間違いを認めること。これらは夫と喧嘩をするときに最も素晴らしいと思う点だ。私は夫からこのような議論の仕方を学んだ。もちろんそれは、職場でコミュニケーションを取る際の一助にもなった」と、ローラ ・ チャベスさんは話す。

一方、日本人女性ユミ・リヒシュタイナーさんは、議論や喧嘩の仕方に二国間で違いを感じることはあまりなく、主に個人の特徴によるものだという。「でも面白いなと思ったのは、ここの人々は極力調和を保ち、衝突を避け、自分の意見を丁寧かつ間接的に伝えようとしているところ。これは服の選び方にも表れている。常にニュートラルで落ち着いた色を選ぶ。まるで調和を壊したり、他人の邪魔をしたりするのを恐れているかのようだ。日曜日は休息日という規則をしっかり守るのも特徴的。騒音を出さないよう、洗濯機を使うことも許されていない

 

■スイスの価値観:両刃の剣

シャリフさんの祖父が順応しなければならなかったもう1つのことは、時間と、その価値観だ。「時間を尊重し、私の妻と子供たちに十分な時間を割くのは慣れた。しかしスーダンの男性は、家事をしなくて良いとされている。また誰かと待ち合わせるときは、午後、としか言わない。そこには3時間の幅がある。ここでは家族のためにきっちりと予定を立て、家族同士であっても時間厳守が求められる。ここでは誰も時間通りだから、遅れると心配される

ビラルさんもまた、時間を守ることや法律を尊重することはポジティブな価値観と捉えている。だが、それが生活の中での自発性の欠如や驚きの要素の欠如につながることもあるという。それにはラウラ・チャベスさんも同意だ。「ここでの穏やかな自然の生活を素晴らしいと思うが、自発性、色、音楽、ダンスが恋しい。メキシコで音楽はどこにでも、時間に関係なく存在している」

オツィンガー博士は、スイス社会の価値観は「諸刃の剣」だと説明する。「安定性、安全性、法と時間の尊重は、移民にも高く認められた価値だが、同時に障害を生み出す。何かを売るために店を開こうとすると、証明書や許可証が必要になり、これらのポジティブなことがネガティブなことになってしまう」。

スイスの国際結婚から見えてきた特徴として、もともとは文化の異なる移民をまとめるために、法や時間の厳守が徹底されてきたことがよく分かります。

例えば、スイスでは離婚をする際にも、厳しい制度があるようです。(協議離婚は2カ月、訴訟による離婚は2年必要。さらに10万以上の負担もかかる)

また、国の視点からみると、「守ること」に価値があるという常識が国民に浸透していれば、人々を操りやすいようにも感じられますね。

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2021年04月29日

世界の婚姻制度~スウェーデン人は「結婚しない!?」~

日本で結婚したい!となった場合。

大抵のケースが、「婚約→両親に挨拶→結婚式を挙げる&一緒に住む→こどもを産む」という流れが一般的です。
(できちゃった婚や事実婚も増えてはいますが、まだまだ少数派)

 

では、世界の婚姻制度ってどうなっているのでしょうか?
(世界の婚姻制度の最新状況を紹介していきます!)

 

過去の紹介はこちら▶世界の婚姻事情

 

第1回は、日本人が当たり前だと思っている結婚への価値観と180度と言ってもいいくらい異なる国として『スウェーデン』の事例から紹介していきます。

ちなみに、昔のブログでも紹介しています♪
現在、世界の婚姻形態は、どう成っているのでしょう?Vol.3 ~スウェーデン編~

 

marriage_2-768x512

理想を描かない?結婚しないスウェーデン人と離婚事情より引用

高福祉でほんわかした理想的なライフスタイルのイメージが強く、出生率も先進国の中では高いため、さぞ幸せな結婚生活を送っている人が多いのだろうと思われる北欧のスウェーデンですが、実は婚姻率がそれほど高くないことをご存知ですか?

スウェーデンではパートナー関係にある人たちの約半数が事実婚(サンボ)なのです。事実婚は同棲婚とも呼ばれていて、籍が入っていない事実上の婚姻関係にある状態のことで、スウェーデンでは事実婚のカップルが結婚しているカップルと同等の権利を得ることができるような法律制度になっています。

例えば結婚に際して起こりうる最も大きい変化の一つが子どもを持つことかと思いますが、スウェーデンでは事実婚の間に生まれた子どもと結婚間で生まれた子どもとには何の区別(差別)がなく、仮に両親が離別する際にも、結婚している夫婦の子どもと同じように子どもの権利が認められるのです

■なぜスウェーデン人は結婚しない?

スウェーデンは男女平等を大きく掲げていて、男性も女性も社会に出て家庭との両立を可能とする社会制度を確立してきました。その例として、男性も育児休暇を取ったり時短で働いたりすることができ、保育所や子どもの教育には税金が多く使われています。国からのいわゆる子ども手当もあるため、子どもを持った方が家計の収入が増えるというケースもよく耳にします。

これを知ると、そうです。スウェーデンの社会制度面だけで言うと、「結婚」に特段意味や意義がないというのが日本との大きな相違点なのです。

日本は一般的に男性の給料が女性より高く生涯労働年数も男性の方が長いですよね。女性は出産・育児で職場を離れることが多く、キャリア上不利になることがあるため収入面での自立が難しいケースが多く、さらに子どもがいる場合には生活費だけではなく教育費を支払うための収入確保が必須になると思います。そのため、日本では制度面での婚姻関係がその後の自身の人生にも子どもの人生にもとても大きな意味を持ち、結婚とは生涯で一番重要な「契約」ではないかと私は思います。

その点スウェーデンでは、個人ベースの課税制度のため、子どもがいてもパートナーに依存することがなく、例えば職を失ったりケガや病気になったとしても、個人として国からサポートを受けることが可能で、その際には婚姻ステータスや子どもの有無が基本的に関係しません。

こうした個人ベースの権利を享受するために、国民は毎月給料の約半分をも税金として支払っているのです。つまり婚姻に関して言えば、事実婚でも全く損をしない社会制度がスウェーデンにはあるのです。

 

■離婚はネガティブなこと?子どもにとって大切なのは?

日本ではまだまだ離婚はあまり望ましくないことという見方が強く、一生懸命無理をしてまで結婚を続けている夫婦がたくさんいると思います。

そしてその中には、社会的な要因の他にも経済的な要因によって離婚を選択できないケースもあるかと思います。

スウェーデンでは両親の離別に関係なく、社会的にも経済的にも子どもに手厚い制度が整っています。日本人の感覚では、いくら制度上では両親が離婚しても子どもにマイナス影響がないと言っても、両親が揃った幸せな家庭で育つことができなくなった子どもが可哀そうと思う人も少なくないかと思います。ここにもスウェーデンと日本で大きく異なる価値観があります。

社会制度が基本的に個人ベースのスウェーデンでは、子どもがいても親である前に一人の人間なのです。

そして親が幸せでない場合、子どもに幸せを与えることは難しいと考えます。つまり、「夫婦(パートナー)の関係が良くないけれど、まだ子どもが小さいため離婚(離別)しないで我慢しよう」という考えは起きにくいのです。逆に、「夫婦の関係が良くないのは子どもにとってこそ悪影響。こんな冷めた関係の元で育つ子どもはどんなに辛いだろう」という発想で別れることを決める夫婦も多いのです。それは、大人であっても子どもであっても、無理や我慢をすることが精神衛生上理想的ではないというスウェーデン人の根本にある考え方によるものだと私は考えています。それでも子どもを愛する気持ちには何も変わりがなく、人として個人を尊重するからこその判断なのです。

実際に私のスウェーデン人の友人の半数近い両親が離別していて、新しいパートナーがいたり更には子ども(友人からすると異母兄弟)がいたりします。

彼らの話を聞くと、離別当初はやはり複雑な思いを抱えていることが少なくなく、悲しい思いもしたといいますが、両親が生き生きと自分の人生を歩み、また愛する人と出会って幸せそうな姿には素直に喜んでいて、親であっても一人の人として尊重するということを学んでいるように見えます。

ちなみにスウェーデンでは離別した両親の子どもは、暴力問題などがない一般的な離別の場合には両親のそれぞれと会ったり暮らしたりする権利があります。

また、一緒に暮らすことになる両親の新しいパートナーのことは「お父さん」「お母さん」と呼ぶことは決してなく、名前で呼びます。これは、両親の新しいパートナーを認めていないわけではなく、その子にとっての両親は離別してもその二人だけなので、ある意味当たり前なのです。

そして新しいパートナーにとっても、既に子どもがいる人と付き合ったり、結婚、事実婚をすることに抵抗がほとんどないのもスウェーデン社会の制度に大きく関わっています。

子どもに必要な経費が基本的に税金で賄われているため、継母や継父が経済的に子どもの面倒を見る必要がないのです。

生活圏の中に義理の子どもがいるだけなのです。また私自身も友人を見ていて思ったり、実際に話を聞くことも多いのですが、義理の親子には義理の親子だからこそ特別な関係が築かれることも子どもの成長にプラスになっていると感じます。つまり、親ではない人生の先輩が一人増えたことで、親には相談できないことを話すことができたり、親以外の社会の目として子どもたちを見守る存在があちこちにいるのです。

そんな背景からか、子持ちのパートナーと一緒になる際には、義理の子どものことを「Bonus barn(=ボーナス・チャイルド)」と呼ぶことがよくあります。ボーナスとはプラスでついてくる嬉しいおまけのようなものなので、日本で差別的に言われることのある「コブ付き」とは全く反対の発想だと思いませんか?

 

他にも、結婚するカップルでも結婚式をしないことが多く、女性が結婚に対して理想を描かないという特徴や、結婚=家族同士という意識もあまりないため、形式的な挨拶もないという特徴があるとのこと。

 

その背後には、個人が生涯生きていく上での社会制度が確立されているということが見えてきました。

日本のように「結婚」という契約に縛られずに生きていくのはよさそう!と可能性も感じますが、一方で個人の満足度のみが取り上げられており、日本に昔からある集団性の可能性も捨てきれません。(家族とのつながり、助け合い、もっというと村落共同体の中の婚姻など)

 

引き続き、他国の状況も調査していきながら、可能性を探っていきます!

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2021年04月29日

閉鎖独占からの離脱~学校という専門特化した場は必要なのか~

前回は、企業に焦点を当ててその可能性を探った。本来、企業なるものは社会の公器であり、家庭や学校などの機能を包摂した存在であると提起し、江戸時代と現代の実践されている事例記事を紹介した。人材育成という視点で見た場合、学校という歪んだ場では成果が出ないことが示唆されている。

そもそも、人は現実の社会的圧力の中で育つものである。誰しもたどってきたことは、赤子のころに周りの人の中で自らが言葉という高度な機能を獲得してきたことであり、その後の遊びの中で様々な約束事や廻りへの思いやり、感情の共有、行動規範など生のままに育つ。そこには生命原理でいう闘争課題、生殖課題につながる様々な必要な事柄を真似る⇒学ぶという行為につながる。それら課題への畏敬や早くできるようになりたいという欠乏を強くしていくものである。

学校という現実から切り離された場ではその圧力が働かない点で、まず適していない。さらに同年齢、同カリキュラムというプログラムも現実の状況を無視したきわめて人工的なシステムであり、教師がそのシステムの絶対支配者に陥る閉鎖独占性が問題である。まさに核家族の問題と重なっている。そして、現代の学校では、上記のような根底からの欠乏が失せてしまうことが最大の問題点であろう。何に向って学んでいるのか全く見えない。個々人の学歴、就職のための、あるいはその実績にこだわった運営に堕しているのではないのだろうか?文科省というトップから教育という分野を独占して指導している制度もまさに市場社会における奴隷の再生産といわれても否定できない。

脱学校という視点で今回も記事を紹介したい。

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List