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2021年08月26日

先祖への感謝、子孫への期待-4

前回まで展開してきたように、今でも残存する先祖への感謝、子孫への期待という心の在り様。この意識こそが人類の知能進化を推し進めた動因の一つである。

それは、意識の深淵で捉えた、万物は全てつながっている、あるいは全てのものは同じ原理で成り立っているという構造が横たわっており、最先端の量子論と宇宙論という次元でも扱われているように世界の成り立ちをとらえた対象認識なのである。超古代「カタカムナ」という認識はそれを示している。

感覚(欠乏意識)として捉え返すと、それは万物と一体化したい、何よりその充足の原点であると捉えられる。

以下、参考となる記事を紹介したい。

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2021年08月19日

先祖への感謝、子孫への期待-3

今回は、子孫への期待に焦点を当ててみたい。

かつて、アジアからアメリカ大陸へ移動したといわれているネイティブアメリカン。彼らの言葉には様々な示唆に富む教えが詰まっている。特に部族としてどう生きるべきかという規範や自然への感謝にあふれる言葉が響く。

日本人にとっても実感しやすいこれらの言葉に耳を傾けることも無駄ではない。そこには、これからの共同体社会の有様が詰まっている。

そんな言葉を紹介したい。

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2021年08月15日

性のエネルギーは肉体を超えて通い合う ~縄文時代の性~

世界各地で平和な精神文明を打ち消すかのように始まった物質文明の社会では、ひと握りの権力者が、その他大勢の庶民を意のままに支配するため、強力な仕掛け必要になりました。その一つが、私たちの命の働きとして、自然に湧いてくる性の欲求や感覚に対して「罪悪感」を持たせることだったのです。

それを最初に始めたのが、多くの信者を集める組織と化した宗教の世界。「入信して祈らないと神様や天使とつながれない」と信じ込ませるために、一人ひとりが自由に高い次元の世界につながる道をふさぐ必要があったわけです。そこでこんな教えが作り出されました。「セックスはあくまで子供を作る目的のためにするもであって、それ以外の性の欲望は、人格を低次元に堕落させる罪深いものである」と。

しかし、人間のセックスは、子づくりのためだけにするものではありません。パートナーと生命エネルギーを交流させて分かち合う、「全身全霊の栄養チャージ」ともいえる営みなのです。だからこそ人間の性衝動は、繁殖期が決まっている動物たちとは違って、季節を問わずに一年中湧いてくるのです。そんな日常的な欲求に対して「罪の意識」を背負わされることで、人類はどれだけ自己評価が低くなってしまったことか。

以下、夏目祭子・著『あなたが目覚める愛と性のギフト』より引用します。

◆縄文時代の性

性が抑圧される以前の人類にとっては、性のエネルギーの上昇は、ごく自然な現象だったはず。つまり生殖器が刺激をうけてウズウズとエネルギーが高まると、それはすみやかに胸までこみ上げてハートを開き、相手のすべてを受け入れる真心となって、周りに美しいエネルギーを放っていく。さらに頭まで上昇すれば、大空や宇宙の星々ともつながるような、スケールの大きな至福を体験できたということ。それこそ性と愛と命の働きが、バラバラではなく、ひとつながりだったのではないでしょうか。

下半身をウズウズさせる性エネルギーが体内を昇り始めると、それは小さならせん形をくるくる描きながら、まさしく蛇が立上るような動きで昇っていくのがわかります。それが全身を貫いて脳まで上昇すると、私たちは日常意識を超えた「変性意識(トランス)状態」を体験するわけです。それは別の言葉で表現すれば、恍惚感、エクスタシーということ。その時、私たちの脳内には、快感ホルモンが何種類も生み出されていて、これが私たちの心の幸福感を高め、体の健康度も増してくれるのです。

おそらく縄文人が、そんな幸福なエクスタシーを日々味わっていただろうことは、彼らが作った土器や土偶のデザインを見れば想像がつきます。土器の表面をびっしり埋めつくす力強い渦巻模様や、繰り返し登場するとぐろを巻いた蛇、燃えさかる炎のようなエネルギッシュな縁飾り。これらはみな、彼らが自分たちの体内にも、自然界にも存在する、うねるように躍動する生命エネルギーの様子を表現したものであり、それを彼らがありありと体感していたことの証のように思えるのです。

火炎土器・土偶

きっと縄文の女性たちは、素足で大地を踏みしめて歩く時、大地から湧いてくる力強いエネルギーを、足裏や膣から吸収して、それが体内を上昇していくことで生まれる、うっとりとした至福感を全身で味わえていたのではないかと思います。
きっと動物の中で、人間だけが背骨を縦にして立ち上がる生きものとなった意義は、ここにあるのでしょう。人間は、背骨に沿って体を貫く「性のエネルギーの上昇通路」を通して、空と大地のエネルギーをつなぐ働きをしているのだ、と私は考えています。それはちょうど、樹木が地中に張りめぐらした根っこ通じて大地のエネルギーを吸い上げながら、空に張り伸ばした枝や葉っぱを通じて太陽のエネルギーを吸い込むことによって、空と大地のエネルギーをつないで循環させる働きを受け持っているのに似ています。
私たち人間は、「樹木の動物バーション」ともいえるのです。

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2021年08月11日

先祖への感謝、子孫への期待 -2

引き続き、共同体社会の再生にとって重要な意識と捉えて展開したい。 過去、このブログで掲載された記事でも「祭り」に焦点を当てている。

・「まつり」は本来、目に見えない神や精霊の世界とつながる場だ。 ・ヒトは太古からシャーマニズムの文化を発達させ、変性意識状態になることで目に見えない精霊(スピリット)の世界とのつきあいを保ってきた。 ・シャーマンと呼ばれる人たちは規則的な音や幻覚性植物の力などによってある種の変性意識状態(シャーマン的意識状態とも呼ばれる)に入り、自然界の精霊や祖先の霊などと交流する。 ・太鼓の音やドラッグなどで変性意識に入ることによってその枠組みが 一時的に外れると、日常の世界の思考や行動をまるで違う視点から眺めることができたりする。 太古のヒトにとって、自然界の精霊と交流することは特別なことではなかった。 その入口は、踊りやうたによる「まつり」によって生まれる変性意識状態にあり、現代人は身に付けてきた様々なコトバや枠組みにより、自然界の精霊と交流するような自由な思考を失ってしまった。 現代人も「踊り」によって得られる変性意識状態により、様々な枠組みから自由になれるのだろうか、、、

とある。現代的に捉え返せば、この祭りでの変性意識は、我々が普段封鎖している右脳を開放することではなかろうか。 対象との一体化欠乏が生起することで時空を超えて、思考が無限に広がっていく。逆に言えば、右脳を開放すれば、だれでもシャーマンのように目に見えないものとの交流に達するのではないだろうか?その入口として先祖への感謝、子孫への期待感がある。 現代では、左脳的思考の自分発の屁理屈だけではもはや成果がでない状況にある。これからは、日常のあらゆる活動にとって右脳を開放した思考=対象と一体化したいという欠乏が原点となり思考していくことで共同体社会を創っていく時代となる。そのためには、この祭りにおける意識状態が日常化することが近道なのかもしれない。 そのうえで参考となる記事を紹介したい。

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2021年08月10日

これからの集団の可能性~母系社会から父系社会への変遷~

世界の婚姻制度を紹介するシリーズの中で、
本来の婚姻形態とは、個人主義発の個人と個人の夫婦関係ではなく、
集団と集団の関係性を重んじるものであることが見えてきました。
(というか、現在でも先進国以外の大半の国が見合い婚などの集団発の婚姻形態なんですよ!)

そこで、今後は婚姻という一時的なものだけでなく、もう少し長い目線で、婚姻のあり方を探っていきます。

まずは、歴史的事実の調査から。
ゆくゆくは、これからの本源社会の婚姻や集団のあり方を追求してみたいと思います!

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「母系社会と父系社会〜日本の家族の歴史〜」より引用

(1)先史時代は母子関係が重要

先史時代の人間は、狩猟採取生活を営んでいました。
このころは「家」というよりも、血縁関係のある集団生活という色が濃かったのです。そうなると「誰が父親か」というのは、割合どうでもいい話だったんですね。

母親が妊娠して子どもを出産するわけなので「生まれた子の母親は誰か」というのは、誰が見ても明らかです。一方で、集団生活をしている以上、父親が誰かなんていうのは正直わかりません。

当時の集団においては、働き手となる人間を確保することが最優先。その働き手を産む母親こそが、最大の功労者であり集団の中心だったのです。
日本では、稲作が伝来し農耕文化が定着し始めた弥生時代においても、似たような状況だったようです。

この点については、武光誠著『日本人なら知っておきたい日本』で次のように触れられています。

この時代の男性と女性の関係は固定しておらず、子づくりの主導権をもつ女性が、その時々で気の合った男性を相手に選んでいたらしい。働き手である人間が貴重であった時代だったので、子供たちは父親が誰であるかを問われることなく、集落全体の子供として大切にされてきた。

武光誠『日本人なら知っておきた日本』P178より引用

 

先史時代においては母親が権力を誇る「母権制」が一般的だったという学説も提唱されましたが、現在では否定的な論調が強いそうです。
なぜなら、こうした状況下においても、やはり力の強い男性が政治的権力を握っていたと考えられるから。

ただ「母親は確実にその子を産んだ親である」という考え方は重要で、これこそが母系制の最も大きな基盤になっている考え方、と言えるでしょう。

そんな中、母系制から父系制に移行する大きな要因となったのが、農耕社会によって争いが増えたことでした。
農業が発達し始めると、農作物の収穫量によって貧富の格差が生まれてきます。すると、富を求めて集団同士で争いが起こるようになるのです。

争いの中心となった男性たちは、自らのテリトリーや集団の繋がりをより強固にするため、自分の血筋を受け継ぐ者たちを後継者にしようと考えました。かつての「血統でなんとなく繋がった集団」ではなく、自らの血統を継ぐ者たちによる「家族」を作ろうと考えたのですね。

結果、父親の血統が重視される父系制へと移行していったようです。

 

★実は昔の人類にとって、「母系制の社会」が当たり前であったことが見えてきました!
(母子関係は決定的なものだけど、父子関係はあいまいだったんですね。)

しかし、私有意識が芽生えはじめると、一気に争いが加速し、力のある男性が強くなっていった=父系制へと移行していったようです。

 

(2)日本は中世まで母系社会が残っていた!

ただ、日本においては、その後もしばらく母系社会が続いていたと言われています。

そこに大きな変化がもたらされるのが、仏教などとともに持ち込まれた中国の政治制度です。中国では父系制が取り入れられていたため、日本でも徐々に父系制が浸透し始めていきました。

真っ先に父系制を取り入れたのが大和政権、つまり今の天皇家ではないかと考えられるのです。当時の先進国・中国の制度を取り入れることで、中央集権体制を強固にしようとしたのでしょうね。

とは言え、天皇家以外ではしばらくの間、母系制が中心であり続けました。

 

実際「源氏物語」では、平安時代の貴族が母系制を取り入れていたことが記されているのです。

その後、高位なところから徐々に父系制が広がっていきますが、中世の武家社会においても、母系を重視する伝統は色濃く残っていました。
形式上は家父長制を取りつつ、血筋においては母親を中心とするという、双系社会的な考え方が一般的だったと言えそうですね。

 

(3)西欧文化の影響は絶大だった

江戸時代には儒教の影響を受け「家」制度が一般化しました。その後、日本において本格的な父系制が定着するのは、明治に入ってからのこと。
文明開化によって西欧の文化が入ってきたことで、結婚制度が劇的に変化します。

それまで柔軟で流動的だった日本の結婚制度は、欧米に倣った「一夫一妻制」が厳格に運用されることとなりました。
これによって、家庭内における男性の権利が一気に強まることとなり、結果的に現在まで続く男女不平等の足がかりになってしまったと言われています。

 

★日本においては、明治時代までは一般庶民においては、母系制が当たり前だった!

日本は柔軟で流動的な結婚制度だったようですが、西欧文化の影響により、厳格な一夫一婦制に変わっていったようです。それが現在まで続いているんですね。

ここまでで、母系から父系への大きな変遷が見えてきました。
ただ、面白いのは日本は約150年前までは「一夫一婦制」は当たり前じゃなかったということ。もっと長い時間を母系制で過ごしてきたということが見えてきましね!

今後はより詳細な母系社会の実態に迫っていきたいと思います。

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2021年08月05日

先祖への感謝、子孫への期待

今年もお盆の時期が来た。長らく日本の風習であり、全国いたるところで、ごく普通の家庭で当たり前のように行われてきた。こういう行事は宗教以前の深い意識に刻まれたものであろうと思われる。

その中身としては、先祖に対する感謝の意識が中心であるが、精霊という存在を措定して身近な生物に乗り移っていらっしゃるという意識など、自然の中で生かされているという森羅万象に対する感謝、畏敬の念も生起させるものでもある。あらゆる制約を超越して夏祭りが連綿と繰り広げられるのもこういう意識を共有しているからこそであろう。

このような感覚、意識はすでに失われつつある共同体意識が本来の人類の在り様である証左なのかもしれない。普段の生活では意識できないこのような意識、感覚こそ、次代の共同体社会にとって根源的な心の在り様となる。ある意味、日本人にとっては、このお盆の時期に心のリセットを行っているのかもしれない。

そのような一例を紹介したい。

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2021年07月29日

共同体社会の仕組みはどうなる? -8

これまで述べてきた各テーマのまとめとして、人はどのように活動していくのか、何を活力としていくのだろうかということを扱って締めくくりたい。

シリーズのはじめに縄文時代のイメージを展開したように、現代の閉塞した状況とは真逆の開放的でおおらかな社会であったようだ。その後ユーラシア大陸においては気候変動に端を発する全面的な略奪闘争によって、国家が成立して支配-被支配で人々が縛られてきた。これは物的な事柄のみならず、思考方法に至るまで変えてしまった。その結果、それまでは共同体ネットワークが期待する様々な創造(追求)行為が、国家による強制労働、義務という名の都合のいい洗脳教育 、市場原理による生産と消費の分断などにより自己と集団(共同体意識)が分断してしまったのである。これこそ私権にしか収束できない暗黒時代と称すべき不幸な時代といえる。

であれば次代は、そこから脱していくだけで元来の創造(追求)活動に戻ればよいだけであり、その可能性基盤は深く潜在意識にも、現実の圧力としても醸成されつつある。本来の意味でのしがらみを脱すること。活力源としては、自分に都合のいい行動からみんなの期待に応えるベクトルに転換して行動することであり、その実現の為に枠を外すこととなる。すでに転換した人々の活力や成果が顕在化していることも見逃せない。

その実現の為に参照して頂きたい記事の紹介をもって結びとしたい。

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2021年07月22日

共同体社会の仕組みはどうなる? -7

今回は、生活、生産活動にとって切り離せない法規制や契約といった当事者にとっての約束事はどうあるべきかを探りたい。

国家が成立してから法という規範が明確にされてきた。行動の規範や制約、それを守らない場合の罰則と時代が下るにつれて複雑多岐にわたり、現代は法治国家といわれるように、膨大な法制度でがんじがらめになっている。

なぜこんなに複雑多岐で膨大になってしまうのか?それは、国家の成立時点から共同体が解体され大多数の奴隷を支配者が統治するという体制であるから、基本的に財を税として収奪し奴隷を管理する必要から法を作り、守らせる。つまり国民=奴隷を信用していないからである。契約行為というものも、その延長にある。

一方、それ以前の共同体部族では、生活イベントに関する不文律の規範はあるものの、成員全員を信頼していることやもともと自然の摂理に照らした行動原理であるから、それに逆らうこと自体が恐ろしいことなのである。自然の摂理の中に人間の行動原理が包摂されていたのである。

共同体社会へ向けて、現在の法体系として支配原理とその構造から派生した自由、平等、権利、個人という法概念が自然の摂理とは相いれないことを指摘しておきたい。この根本を変える規範としての体系が必要である。つまり、人間の社会活動についても、自然の摂理や生命原理に照らして整合しているのか、持続可能なのかが問われてくる。

今回も参考となる記事を紹介したい。

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2021年07月15日

共同体社会の仕組みはどうなる? -6

今回は、社会にとって必要な情報をどう共有していくかを探りたい。

現在の各種報道機関においては、それぞれの利権に基づくバイアスがかかり、まともな情報とは限らない。メディアリテラシーとして、受けて側に取捨選択させてその責任を負わせる論理は本末転倒である。情報の発信側が責任を負うべきものというのが本筋であろう。そして、判断の単位が個人に還元されてしまったことで隠ぺい、ごまかしのつけ入るすきが生まれてしまう。

一方で、普通の人が普通に発信できることが当たり前になってきた。まだまだ、社会を動かし、統合していくような仕組みではないが、上位下達の構造ではなく、まさにネットワーク構造が必要に応じて、あるいはその注目度に応じて広がっている。共同体を核とした社会こそ、そのような広がりが適しており、その単位として共同体がある。災害時の情報はもちろん、生活、生産などの課題に関する方針、連携、取引などのシステムとしてのプラットフォームがあれば事足りるのが実態だ。

現在でもそのようなシステムをとっている企業なども少なくはないが、株式会社という仕組みが情報の共有を阻害していることも否めない。それを共同体化していければ、共同体の成員としてそこに参画できる。もはや情報を独占している状況ではない。疎外されていること自体が活力も能力も貶めていることなのかもしれない。マスという傍観者こそが奴隷であることに気づくときであろう。

これからの情報共有⇒課題の実現へ向けて「参加」していくことが求められる。そういった記事を紹介したい。

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2021年07月08日

世界の婚姻制度~世界人口5位の国は、恋愛結婚より見合い結婚を望む!~

みなさん、世界人口5位の国が「パキスタン」ってご存知でしたか?

人口が多いということは、
婚姻形態にも先進国とは異なる特徴があるのではないか。

その仮説をもとに、パキスタンの結婚事情について迫ってみることにしました。

~これまでの記事はこちら~
世界の婚姻制度~スウェーデン人は「結婚しない!?」~
世界の婚姻制度~スイス人は国際結婚が主流!?~
世界の婚姻制度~インド人は見合い婚が8割!~
世界の婚姻制度~インドの結婚式は子づくりのための儀式~
世界の婚姻制度~ロシアは世界1位の離婚国!?~
世界の婚姻制度~イスラム教は夫婦の日常生活まで定めている!?~
世界の婚姻制度~中国は派手だけど、恋愛御法度だった!?~

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本題に入る前に、パキスタンについて少しだけ解説します!

パキスタンがある場所は、インドの西隣。
1947年にムスリム国家を建国の理念としてインドから独立した国です。

ヒンドゥー教のインドから独立したということもあり、
人口の97%がムスリム(=イスラム教徒)である点がインドとの大きな違いです。

やはり、結婚慣習もインドとは異なる点があるようです。
では、以前に紹介したイスラム教を踏襲しているのでしょうか。
みていきましょう!

「パキスタンにおける結婚慣習」より引用

パキスタンでは、都市のごく一部の急進的な層を除いては、いまだ親が決めた見合い婚が主流である。農村では恋愛結婚はほぼ皆無といってよい。筆者は現地で家計調査をするなかで、調査を手伝ってくれる学生の女の子たちと話す機会が多いが、彼女たちは大学院まで進みパキスタンの女性として間違いなく最先端にいるが、それでも恋愛結婚より親が決めた見合い結婚を望むという声が多い。

 

■交換婚=ワッターサッター
ワッターサッターは、パキスタンとアフガニスタンに広くみられる慣習で、英語への直訳がギヴアンドテイクであるように、文字どおり、一対の家族間で女性(男性)を交換する結婚のことを指す。
家族Aに兄妹、家族Bに兄妹がいて、家族Aの兄と家族Bの妹、家族Aの妹と家族Bの兄がそれぞれ結婚し二組のカップルが誕生するのが典型的であるが、、家族A(もしくはB)が伯(叔)父と姪、もしくは父親と娘というケースもある。パキスタンではとりわけ貧困層によくみられる慣習であるといわれる。ワッターサッター婚の場合、両カップルが結婚適齢期であれば合同結婚式とすることで、個別に式を設けるよりセレモニーの費用を節約できるほか、ダウリーおよび婚資の支払いが双方の家族に生じるため相殺し合うことで、それらの額も節約できると考えられているからである。

 

■イトコ婚と村内婚
ワッターサッター婚と強い相関をもつのが、イトコ婚、村内婚であり、まとめて同族婚と呼ばれることも多いようである。パキスタン農村における結婚制度に関する実証研究であるJacoby and Mansuri(2010)によると、ワッターサッター婚の実に八割以上が同族婚であるが、ワッターサッター婚でなくても七割以上が同族婚であることから、いずれにしてもパキスタンではイトコ婚や村内婚が主流であることが分かる。筆者の家計調査でも、ワッターサッター婚は少数派であったが、イトコ婚や村内婚は大多数を占めていた。
同族婚の背景には、相続による資産の散逸を防ぐ、という経済的な合理性があるだろう。パキスタンでは均分相続が原則であるため、とりわけ出生率が高い状況(世銀によると、二〇一二年の出生率は成人女性一人につき三・三人)において土地資産が細分化され散逸するのを防ぐ制度として、合同家族制度(jointfamily system =同じ敷地内に兄弟の家族が住む)があるが、同族婚も同様の機能を果たすと考えられる。また同族婚であると、女性の実家が嫁ぎ先と深い関係にあるため、結婚生活における女性の地位向上―意思決定権の向上や家庭内暴力の減少―につながるとの考え方もある。もともとは異族婚および嫁ぎ先の地位が実家よりも高い昇婚(hypergamy)が主流の北インドと比較して、同族婚が主流であった南インドでは女性の地位が相対的に高いことに着目したDyson and Moore (1983)が提唱した仮説であるが、実証面では賛否が入り交じっている(Jejeebhoyand Sathar(2001), Rahman andRao(2004)など)。
一方で、同族婚のデメリットとして考えられるのは、女性(男性)の結婚相手の選択の自由を奪、ということがあるだろう。しかし、ワッターサッター婚に関する議論と同様、結婚相手の選択の自由は同族婚であろうとなかろうとほぼ皆無であるため、同族婚そのものが責められるべきではないだろう。またとりわけ血縁関係が濃いイトコ婚の場合は、奇形児や障害児が産まれる確率が高くなることも知られている。

パキスタンの結婚の慣習はインド的な特徴とイスラームの性格を合わせもち、大変興味深い。ダウリー、婚資、ワッターサッター婚、同族婚などの慣習は、一見時代遅れのようにみえるが、果たしてそう断言することができるだろうか。

 

「インドは8割が見合い結婚」という記事を一度紹介しましたが、
インドとパキスタンの共通点は、見合い結婚が主流というところが見えてきました。

確かに、一見時代遅れのように感じるかもしれませんが、
人類の存続を考えたときに、本来のあるべき婚姻形態はこっちの方向性なのではないか。

むしろ、先進国の個人発の恋愛が特殊なんじゃないかと常識が覆される事実が見えてきましたね。

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