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2006年09月03日

婚姻が社会と切り離されて50年も経ってない

日本の婚姻史を調べてみると、集団や社会から切り離された婚姻や性関係は、ほんのこの50年くらいしかなかったようだ。
まず、庶民の生活の中で、縄文時代から昭和10年から30年頃まで受け継がれてきた、夜這い婚などの集団婚。それらは、村単位で性充足を高めるシステムで、男女老若既未婚をとわず、性の役割が与えられた。
子育ても、誰の子であろうと、娘の親が育てるというように、村の規範の中で育てられた。決して個人課題ではない。また、性や子育て規範を共有する単位(村)と、生産にかかわる規範を共有する単位(村)は一致していた。
このように、性や婚姻は社会とつながっていて、性自体が集団維持の課題のひとつであった。それゆえ、性をみんなの期待として、肯定的に捉えていた。

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2006年09月02日

キクユ族の婚約から結婚まで

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キクユ族の青年は、直接相手の娘に求婚することは許されない。まず自分の気持ちを、その年齢集団の親友に打ちあけ、共に相手の娘の家を訪問することで、求婚の正式な幕が切って落とされる。
(中略)
青年たちを迎える娘の家では、彼らを母親の小屋に招き入れ、飲み物をすすめると母親は席をはずし、娘は青年たちと対座する。そこで青年の友人は、青年の胸のうちを訴え、結婚を申し込む。そこで娘が承諾すれば、彼女はそのことを両親に申し入れて欲しいと答えるが、なかなか一度だけの申込みではウンとは言わない。
そして二度、三度とこうしたことを繰り返すうちに娘がイエスというと、青年は意気揚々と両親のもとにとんで帰り、今度は両親とともに酒をたずさえ、娘の両親を訪問する。すぐに両親の間に酒宴が始まり、めでたく婚約が成立するわけである。
だが、青年の両親はそれからテンテコ舞いをしなければならない。結納の羊、山羊あるいは牛を容易しなければならないからだ。

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2006年09月01日

キクユ族(アフリカ ケニヤ草原)の「心でセックス」

キクユ族は、原始的な氏族集団で生活を営んでいますが、そのままでは他の氏族との関係がなくなってしまうので、キクユ族全体の連結を緊密にするための年齢制度があります。少年少女がある年齢に達すると割礼を集団で行い、成人として同じ義務を果たさせ、彼らを団結させるのです。
以下は、集団割礼の儀式が終わり、一人前の成年として扱われるようになった男女が、結婚するまでの性関係の様子を、「未開人のエロス」から紹介します。

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