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2006年10月09日

シベリアのマンモス・ステップ

アメリカ原住民の婚姻制を紹介したが、彼らのルーツを辿っておきたい。彼らの祖先は、約10万年前アフリカを出た新人(ホモ・サピエンス)が、西アジアから北東のシベリア平原へ向かった北方モンゴロイド=採集・狩猟部族。(インドを通って東南アジアのスンダランドへ辿りついたのが南方モンゴロイド=採集・漁労部族。)
西アジアから西に向かったコーカソイドとモンゴロイドに別れたのは、約5~6万年前とされている。
新人の世界進出図 ←「日本人はるかな旅展」より

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2006年10月06日

世界の暴力連鎖は、『マルツゥ』から始まる?

人類の争いの起源は、平和な狩猟採取生活から略奪を開始した,部族闘争に起源すると思われます。
img01.gif
それが中東発で、紀元前3000年頃、中東地域は急激な乾燥化を迎えて、狩猟採取生活がとても困難になってきていた為です。
『セム系部族社会の形成』のサイトの中で「今日の世界は暴力連鎖のただ中にあり、その一大要因としてセム系部族社会の存在が考えられています。」と書かれてあります。
そのサイトの中にある「マルトゥの結婚」:シュメール語で書かれた粘土板には、町の外に住むマルトゥが、結局、町の有力者の娘と結婚するという物語が,書かれてあり、当時は婚姻制度がどうだったのかを,思い馳せながら読むと.......。

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2006年10月04日

オランウータンの生殖戦略

1000万年前、類人猿の一部がアジア(中国地方)へ流れました。
さらに南下し東南アジアへ移動し、現在のオランウータンとなりますが、そのオランウータンの生殖について少し紹介します。
%EF%BC%92%E6%AD%B3.jpg(2歳)
「オランウータン」
分類: 脊索動物門 哺乳綱 霊長目 ショウジョウ科
東南アジアのボルネオ島とスマトラ島だけに分布する大型の類人猿。
それぞれの島の個体群は亜種とされ、ボルネオ島のものがボルネオオランウータン(P.p.pygmaeus)、スマトラ島のものはスマトラオランウータン(P.p.abelii)と呼ばれます。日本では、ボルネオオランウータンの方が多く飼育されているようです。
オランウータンに見られる性行動は戦略的なものだった?
∞よろしく↓∞

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2006年09月28日

遊牧の発生と気候変動

人類の婚姻形態の変化には外圧の変化⇒生産様式の転換が根幹に関わっています。中でも農耕・狩猟生産から遊牧生産への転換が、その後の人類の婚姻形態に大きな影響を与えています。9/24のなんでや劇場64~遊牧の発生と私権集団化~では、その焦点である遊牧の発生と婚姻形態の変化について詳細に扱われました。その中から、遊牧の発生の大きな要因となった気候変動について。

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約1万年前ヴュルム氷河期が終わり、西アジアではそれまでの農耕に加え、牧畜が開始されます。しかし、ほどなくミニ氷河期(8200~7800年)が訪れ、一時期寒冷化→乾燥化が進みます。このため、この地域で家畜を飼いながら農耕を営んでいた集団は(ごく一部の恵まれた地域を除いて)流浪民と化し、家畜の餌場と水場を求めて移動する“遊牧”という全く新たな生産様式に転換せざるを得なくなりました。この約8000年前の気候変動=外圧の変化に適応するために、農耕・牧畜民の中から遊牧集団は発生したのです。

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その後、再び2000年ほどの緩やかな温暖期を経て、5800年前にはじまる西アジアの急激な乾燥化によって、一気にこの地域の遊牧民は拡大・拡散し、やがて人類最初の掠奪闘争の幕が切って落とされます。
父系への転換は移動を常とする遊牧生産規範の継承のため に続く。(by笠)



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2006年09月27日

父系への転換は移動を常とする遊牧生産規範の継承のため

 9/24“遊牧部族の父系嫁取婚への転換”を扱った『なんでや劇場』に参加してきたので、気付きと感想を投稿します(文末に配布資料もアップします)。
遊牧部族は季節変動に合せて縄張内を移動していきます。移動するのは10数人(+家畜)程度の小氏族単位ですが、移動時期や移動ルートなどは部族全体で取り決めています(草地の少ない地域では、数百キロも移動する氏族もいる)。
この取り決めを守って集団移動を指揮することが各氏族長の最も重要な役割です。移動時期を間違うと家畜の餌草が不足します。ルートを間違うと大切な家畜が猛獣に襲われたり、餌場に辿り着けなかったり集団存亡の危機に瀕することになります。
牧畜までの“母系婿入婚”のままだとすると、他氏族で生まれ育った“婿”がこの移動を指揮する氏族長を継承することになります。しかし他氏族で生まれ育った者が、移籍先の氏族の縄張り状況(地理・気候)に精通するにはかなりの期間がかかります。よって婿入りして来てから何年かかけて再教育する必要があります。
これに対し、息子を生まれ育った氏族内に残し、その中で優れた者に氏族長を継承させる“父系嫁取婚”の場合は、その再教育の手間がかからず即戦力です。
このように家畜を連れて危険な移動を伴う『遊牧という生産様式⇒移動を指揮する経験蓄積の継承課題』こそが、父系制への転換の最大要因と考えられます。
↓↓クリックすると拡大します。

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2006年09月25日

モソ人の課題意識

バスの固いシートでそろそろ尻の痛みも限界だと思うころ、ようやく寧★に到着する。
イ族自治県のため、役人の多くはイ族であるが、副県長のひとりにモソ人がいる。
昆明にある雲南大学の卒業者である。
彼のほかにも雲南大学や昆明の民族学院、芸術大学などを卒業したエリートたちが役人として働いている。
私の友人のモソ人の役人は二人いるが、ひとりは趣味でモソ人の風俗を油絵にしており、もうひとりはモソの歌を採集して、漢民族を意識した創作歌を創っている。
彼らと話していて感じるのは、優勢異文化つまり中央の漢文化のシステムのなかで生きる少数民族エリートの葛藤である。モソ文化のすばらしさを、自民族の言葉や発想ではなく、漢語や漢民族的発想で強調しなければならない葛藤とでもいおうか。
母系社会を営むモソ人の村へ 遠藤耕太郎の報告)

中央の大学に進学し、漢民族と交わりながらもモソの文化を大切にというアイデンティティを失わず、民族のために勉強するという意識の高さを感じました。現代人との課題意識の違いが読み取れました。
気付きがあれば、クリックを↓↓ (by後藤)

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2006年09月24日

「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 3

現在のモソ人の妻問い婚は、母系族外婚としての交差婚と婿入り婚が混在している。
アシャ別居婚は、昼はそれぞれの実家で生活し、夜になると男が女のもとを訪れる。
アシャ同居婚の場合は、これは妻問い関係にある男が女の家に住み、仕事にも携わる。
別居の場合でも、仕事が忙しければ女の家に数日間住み込んで仕事をすることもあるので、その間には大きな隔たりはないのかも知れない。

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2006年09月20日

アメリカ原住民の対偶婚

 モソ人の妻問婚は、かつて世界の各地で見られた交叉婚(の変形?)ですが、モルガンは著書『古代社会』(1877年)で、人類文化の発展段階(野蛮→未開→文明)に応じて、次のような家族形態と親族制度へと発展したとしています。
0乱婚(全員婚)…家族形態に先行するもの
①兄妹婚―→血族家族<母系でもあり父系でもある>
②兄弟姉妹の通婚を禁止するプナルア婚(交叉婚)―→プナルア家族<母系>
③排他的同棲を伴わない一対の男女の結婚―→対偶婚家族<母系または父系>
④一夫多妻(一般に妻たちの隔離を伴う)―→家父長制家族(遊牧民の例外段階)<父系>
⑤排他的同棲を伴う一対の男女の結婚―→一夫一婦制家族<父系>
①②⑤が基本で、①→②→③→⑤へ移行した。
①②はある程度解明されているので、以下で最も分かりにくい③対偶婚家族を、アメリカ原住民を中心に紹介します。なお、プナルア婚から対偶婚への移行とは、異なる氏族の男集団と女集団の通婚から、一対の男女間の結婚に移行したこと。それに伴い、女系だった氏族組織が、女系または男系へと転換している。

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2006年09月13日

「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 2

一夫一婦制というのは、常にお上からの強制という形で押し付けられる。日本においてもそうであったし、モソ人と漢民族との関係においても同じである。
>1983年末から84年初にかけて、陳烈(雲南省文連)の行った調査(『最後的母系家園』雲南人民出版社・1999年10月)によると、永寧郷の20自然村の全527戸において、総人口3,725人、うち男1,847人、女1,878人であった。女性のうち、成年女子(16歳以上)は1,178人で、全女性の62.7%。成年女子のうち、出産経験のある者が745人で、成年女子の63.24%。出産経験のある者のうち、アシャ婚(別居、同居)による者が393人で、出産経験者の52.75%であったという。また、全527戸のうち、純母系家庭171戸(32.4%)、双系併存家庭144戸(27.6%)、父系一夫一婦制家庭212戸(40%)であったという。(母系社会を営むモソ人の村へ)

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2006年09月11日

「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 1

雲南省の西北、四川省との省境に瀘沽湖という湖がある。この湖の周囲にモソ人と呼ばれる人々が住んでいる。母系社会を営む人々として、文化人類学的にも、観光地としても、よく知られた存在となっている。
>観光客の目当ては、母系社会を維持し、妻問いをしている人々への興味である。それに応えて、村人たちも「摩梭人走婚」(モソ人は妻問い)を観光客に積極的に説明してくれる。ある男性が夜道でも懐中電灯なしにすたすた歩いていたので、それを褒めると、彼は始めて我々に会ったにもかかわらず、「我々モソ人は走婚(妻問い)で、毎晩、女のもとに通っているから、道は全て覚えている」などと話しはじめた。(母系社会を営むモソ人の村へ)

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