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2006年11月04日

雲南省ハニ族の「稲魂信仰」


長江流域の少数民族社会には「稲魂(いなだま)信仰」がひろく伝えられています。その中から美しい棚田で知られる雲南省ハニ族の「稲魂信仰」を紹介します。
ハニ族の人口は約144万人。  
主に雲南省南西部の礼社江下流、紅河西側の哀牢山岳地帯に分布しています。
ハニ族の稲作に関係する行事は、日本の稲作の祭りと多くの共通点をもっています。

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2006年11月03日

インダス文明の先住人ムンダ人やドラヴィダ人は母系集団?

インダス文明の都市国家ってこんな感じ↓
2_1_01_01.gif
モヘンジョ・ダロの復元図
都市の概要は、
レンガで築かれた全長200メートルの波止場が築かれている
約4.8キロメートルの矩形をしていて、5階建てのビルに匹敵する高さの城塞があっ

城寒のなかには大きな穀物倉庫、儀式用の大広間、宗教儀式に関係していたと考
えられる大浴場があった
市街地が碁盤の目のように走り、大小の道路が東西南北に走っていた
道路の両側にはレンガ造りの住宅や商店が並んでいた
通りに面する側の壁には窓がなく、後ろの路地から出入りするようになっていた
その後、(モヘンジョダロに残る大洪水のあとから・・・)何回もの洪水によって、どこかの土地に移住した???
この時代にして、すごい技術だ!と思った人↓↓

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2006年11月02日

南インドの「生き神」

        amman_02.jpg
彼女は、「生き神」です。 🙄
南インドには、男尊社会のインドにあって、女神信仰が残存している地域です。
そこでは、
1.南インドに於ける『神』は、人間が生きる現実空間と同一平面上に存在しえる、
と考えられており、それが「生き神」を受容する背景となっている。
2.その背景には、ひとつのベクトルによる時間と空間の捉え方によっては把握しきれ
ない、循環し続ける『蛇の時間』を思考の根っことして根付かしている。
3. 『蛇の時間』は、女性性を示しており、それが女性、特に少女に女神が憑依するも
の、として理解される基盤となっている。

南インドのキーワードとしては、『女神』『蛇』が挙げられます。 🙄

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2006年11月01日

恩恵と畏怖、日本の自然の二つの顔

略奪と闘争を繰り返してきたヨーロッパにあっては、自然もまた征服、制圧の対象だったようです.。
大昔から既に壊滅的な森林破壊が行われてきた事などもそのあらわれと言えると思います。
それに対して、日本人の自然観は共存と調和。
森羅万象すべてに神を見る、といった意識は既に縄文人から備わっていた様です。
そしてこの意識は、集団の統合様式にも如実に表れています。
自然との共存、この背後には自然からの豊かな恩恵 がありますが、それだけではなく、恐ろしく抗しがたい自然現象 もまたその対象でした。
日本の自然は、この恩恵と畏怖、二つの顔を見事に持ち合わせています。
そしてこの事がとて重要だったようです。
森と人の地球史」からの抜粋です。

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2006年10月31日

日本は森を崇め,欧州人は森を忌み嫌った?!

人類は、農耕はじめ都市を作り、燃料としての木材の伐採などで、森林破壊をして来た。
が、その後は、日本人と欧米人の森への意識は全く違っているらしい。欧州人の潜在意識には、森林を忌み嫌い伐採してしまうと言う歴史的な文化が刷り込まれているという。
さらに、キリスト文化までもが............

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2006年10月30日

「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 5

moso2.jpg<母系社会を営むモソ人の食生活は自給自足である。僻地にあり豊かな土地でないとしても、それは集団としての当然のありようである。生活必需品を他集団とやり取りすること、交易に依存することはありえない。

(by石野)

食生活は自給自足できるものが多い。ただし、現在ワラビ村の主食は水稲であるが、ワラビ村の標高は米を栽培できるぎりぎりの高さであり、赤い米を栽培している。それも不作の年が多いようである。そもそもワラビ村で水稲栽培が始まったのは60年代以後である。それ以前の主食はトウモロコシであったという。なお、ワラビ村より少し標高の高いリジャズ村ではもう水稲栽培はできず、トウモロコシの飯やパンを主食にしている。ワラビ村には水田の数がそもそも少なく、半年ほどで食い尽くしてしまうため、ほんの少し標高の低い、永寧郷の村々の米を買うことが多い。また冬は野菜が取れないため、ほとんど食べないが、永寧の市場に出かけていって野菜を買ってくることもある。トウモモロコシは現在ほとんどが家畜の餌となっている。

モソ人の食生活

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2006年10月29日

トロブリアント諸島(ニューギニア)の母系社会

近代人類学の祖といわれるブロニスラフ・マリノフスキー(Bronislaw Malinowsky, 1884-1942)が調査した、ニューギニア西北海上のトロブリアント諸島の母系社会の様子を紹介します
以下、大阪市立大学のインターネット講座『世界の民族』より抜粋。

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2006年10月27日

長江文明年表

◆長江文明の年代と特徴 ◆
B.C.14000 玉蟾岩遺跡(~B.C.12000) 稲作、土器 <中流域>
B.C.12000 仙人洞/呂桶環遺跡 洞窟遺跡、栽培稲、石器、骨製器、土器 <中流域>
B.C.8000 八十ダン遺跡 環濠集落、栽培稲 <中流域>
B.C.7000 彭頭山遺跡城背渓文化(~B.C.6000) 環濠集落、住居跡、ごみ捨て場 <中流域>
B.C.5000 河姆渡遺跡 馬家浜文化(~B.C.3800) 稲作、玉器、土器、農具 <下流域>
B.C.4500 大渓文化(~B.C.3500) <中流域>
B.C.3500 城頭山遺跡屈家嶺文化(~B.C.2600) 城壁都市、稲作 <中流域>
B.C.3300 良渚文化(~B.C.2000) 稲作、玉器、絹 <下流域>
B.C.3000 石家河文化(~B.C.2000) 都城遺跡、運河、宮殿、絹、玉器 <中流域>
B.C.2500 三星堆遺跡宝墩遺跡 城壁都市、青銅器、玉器、象牙、金製品 <上流域>
B.C.2000 馬橋文化 土器、玉器 <下流域>
■稲作文明の誕生
長江中流域にB.C.14000頃に稲作を行っていたとされる遺跡が発見され、長江の稲作農業は世界最古といわれる文化と考えられるようになってきているようです しかし、稲作の跡は発見されましたが、玉蟾岩遺跡で見られるものは、今のところ栽培稲か天然稲かの区別はつかないようです。
<参考サイト>中国的こころ

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2006年10月26日

中国最古の城塞都市はどこか?

世界最古の城塞都市はメソポタミアの5500年前とされている。(「5500年前ごろ城壁が出現」より)
では中国ではどうか?
長江中流域の城頭山遺跡から発見された6300年前の城壁が最古だが、これが城塞都市なら、メソポタミアより800年も早く、さらに西アジアで掠奪闘争が勃発した6000年前頃よりも前に長江流域で掠奪闘争が開始されたことになる。
果たしてそうなのだろうか?

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2006年10月26日

長江中流には7000年前に城壁が作られた?

東アジアでは黄河文明以前、揚子江流域で略奪闘争が勃発した可能性がありそうです。
城壁で囲まれた都市遺跡があるらしい。
なんと 5500年前のメソポタミヤ(リンク)よりも早い“7000年前”頃という記述がありました。
以下『アジア世界の歴史を中国文明の周縁地域の文化から再考察』というタイトルのサイト(リンク)から引用します。

三星堆遺跡は、現在の四川省成都市の近郊で発掘された。諸葛孔明が根拠地にした三国時代の蜀の地にあたるが、紀元前6500年頃に稲作栽培をはじめた長江中・下流域の文化が、紀元前5000年頃から巨大な城壁に囲まれた都市文明に発展し、その余波を受けて長江上流に古代都市文明を築いた遺跡が三星堆である。

この内容からすると城頭山遺跡(リンク) と同じとも考えられますが…
いずれにしろ揚子江流域の先史探索が、東洋での略奪闘争勃発を解明する鍵となりそうです。(by なんでやねん)

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