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2006年10月30日

「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 5

moso2.jpg<母系社会を営むモソ人の食生活は自給自足である。僻地にあり豊かな土地でないとしても、それは集団としての当然のありようである。生活必需品を他集団とやり取りすること、交易に依存することはありえない。

(by石野)

食生活は自給自足できるものが多い。ただし、現在ワラビ村の主食は水稲であるが、ワラビ村の標高は米を栽培できるぎりぎりの高さであり、赤い米を栽培している。それも不作の年が多いようである。そもそもワラビ村で水稲栽培が始まったのは60年代以後である。それ以前の主食はトウモロコシであったという。なお、ワラビ村より少し標高の高いリジャズ村ではもう水稲栽培はできず、トウモロコシの飯やパンを主食にしている。ワラビ村には水田の数がそもそも少なく、半年ほどで食い尽くしてしまうため、ほんの少し標高の低い、永寧郷の村々の米を買うことが多い。また冬は野菜が取れないため、ほとんど食べないが、永寧の市場に出かけていって野菜を買ってくることもある。トウモモロコシは現在ほとんどが家畜の餌となっている。


モソ人の食生活

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食用肉の中心は豚である。豚は10月のボコツプ儀礼で殺される。ボは豚、コは殺す、ツは魂、プは送るという意味。豚を殺してその魂を祖先の地へ送り、祖先を祭るのである。この日には、2、3年丹精込めて育てた豚を殺す。心臓に小さな杭を打ち込んで殺した後、大きな釜に湯を沸かし、毛を剃り落とす。その後、腹を裂き、血を丁寧にとり、骨、骨に着いた肉、内臓を取り出し、脚を4本とも付け根から切り離す。頭と皮と脂肪、少々の赤み肉の残ったからだをきれいに洗った後、大量の塩を腹の中にいれ、裂いた部分と脚の付け根をすべて縫い合わせる。腐らないよう目からも塩を十分に入れ、これを5年ほど母屋で乾燥させたものが、豚の干物(ジューピァオロウ猪瓢肉)である。肉は刻み、腸につめて腸詰めとし、また、血と米とをまぜて大腸につめた腸詰めとして保存する。足はそのまま乾燥させ保存。下顎の骨と、膨らませた膀胱は母屋に飾る。豚一頭解体して、ほとんど捨てる部分はない。全く見事な技である。この豚の干物は富の象徴として葬式には最低5枚は欠かせないというし、また毎日の食事の油としても必需品である。正月にはこの干物を輪切り(といってもそうとうな硬さであり、鋸を使う場合もある)にする。その輪切りにされたものが、儀礼食となり、また親戚への付け届けとなり、また祖先祭祀に呼んだ宗教者ダパへの返礼となる。いわば貨幣である。


感謝や部族内の氏族への友好の証としての贈与品に、交換価値としての性格はないように思われる。自給自足を基盤としている集団から貨幣のような性格を導くには無理がある。

モソ人の食事は、一日4回。朝起きると、まずジャガイモを囲炉裏に入れて焼き、バター茶と麦こがしとともに食べる。バター茶は沸騰した湯でいれた濃い茶とヤクのバターと塩をまぜて、大きな筒で攪拌したもの、麦こがしはザンバといわれるが、燕麦や小麦をフライパンで煎ってつくったものである。これはチベット族の習慣と一緒である。バター茶を飲むための茶碗もチベット族がよく使うものと同じく、木をくりぬいた碗に、銀を張ったものだ。ジャガイモを食べたあと家畜に餌をやったり、冬であれば柴刈りに出たりしたあと、朝食をとる。朝、昼、夜あまり変わらない炒めものが多い。すべての料理に豚の干物が入れられ、油、調味料として用いられている。柴刈りや家畜の餌やり、また朝食後の放牧、薪割り、赤ん坊などの世話など、子どもの仕事は多い。小学校に行きながらも本当に良く働き、そしてまたよく食べる。


自給自足とは、生産と消費を包摂した集団と言い換えることも出来る。生産から消費までの全過程を包摂する中に、多種多様な課題が存在する。それは、子供にも担える領域が多々あることを示している。そのよな中で健全に子供たちが成長していくことは、現代家庭の行き詰まりとは対照的でもある。

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