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2006年10月26日

弓矢を手に入れた人類は、獲物を求め遠征!!


樹上という楽園を手放さざるを得なかった人類は、それ以降ずっと極限的な飢えに晒され続けてきた :blush:
しかし、約1万年前に弓矢を発明した人類は、小動物を狩るようになり、徐々にその飢えを克服するこになる
弓矢の発明とはまさに、人類史における大きな転換期であったと言えるだろう
今日は、弓矢を手に入れて以降の、人類のお話

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2006年10月25日

木の上に住む民族は現存する!!

人類の洞窟から地上進出を調べていて現在でも樹上で生活をしている民族がいるとのことだったので調べてみた。 :blush:
木の上に住むコロワイ族
東南アジアの密林の中、高い木の上に建つ家がある
地上6mから25mくらいの高さに住むコロワイ族は、部族で戦争のあった時代には地上50mの家もあったとのことだ。
パプア・ニューギニアに近いインドネシアの島に住む彼らの存在が発見されたのは25年前。実際に行って見てみたいものだ 😈
だけどコロワイ族にお茶をごちそうになるとする。 8)
木を登って家の中に入る。  ⇒着席する。  ⇒床の木の隙間から数十メートル下の地面が見える。  ⇒風が吹くと家がゆさゆさ揺れる。  ⇒これはこれで生きた心地しないわ

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2006年10月25日

逆境⇒どうするを蓄積→結実

ちょっと話がそれるかもしれませんが、
近年の人類が遭遇した気候変動と生産様式の革新について考えてみます。
<時代>            <気候変動>            <革新>   
1.8万年                                   弓矢 発明
~1.45万年前  オールデスト・ドリアス寒冷期   (1.5万年前)
1.3万年                                   農耕 開始
~1.0万年前   ヤンガードリアス寒冷期      (1.2万年前)

1.0万年                                   牧畜 開始
~0.95万年前    プレボレアル温暖期        (1.0万年前)
0.95万年                                遊牧 開始
~0.8万年前     ボレアル寒冷期         (0.8万年前)
このようにして見てみると・・・
<革新>のところにある人類の大発明・大発見は、「逆境」の最中、もしくは、「逆境」が緩んだときに生み出されていることがわかります。
寒冷期という途方もない「逆境」は生きることに必死なはず。
しかし、この時期は、あきらめず「逆境」を乗り越えるために「どうする?」を繰り返し試行錯誤する時期であったということだと思います。
オールデスト・ドリアス寒冷期 の間、「どうする?」と試行錯誤を繰り返し、技術を蓄積。
寒冷がゆるんだ頃にその集大成として弓矢 の技術が開花→結実。
ヤンガードリアス寒冷期 の間、少ない獲物を飼いならすことに「どうする?」思考を働かせ、試行錯誤。
プレボレアル温暖期 で暖かくなるとその技術が開花→結実。
という具合です。
どんな「逆境」でも、絶対にあきらめない。
それを前提とした試行錯誤が「革新」として開花→結実するのもまた、外部環境(外圧)によるのですね。
<隼>

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2006年10月24日

牧畜の始まりを探索する。

 人類の牧畜はいつどこで始まったのか。約一万年前、西アジアの三日月地帯が有力のようです。その時代の様子を 「森 と人 😀 の地球史」から紹介します 。そして、その理由は豊かな穀物と家畜(になる予定の草食動物)だけのの存在だけだったのか・・・・・・・・・・・・。

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2006年10月23日

霊長類のメイト・アウトとインセスト回避

「近親相姦のタブー」はどうして出来たの? に続いて。
人類の先祖は、少人数で孤立した集団だったので、近親同士を含む性交をくり返し、奇跡的に生き延びてきた。
レヴィ=ストロースは、人類に普遍的なのはインセスト(近親相姦)のタブーではなく、インセストだと述べている。人類の婚姻は基本的にはすべてインセストだが、社会によって異なるやり方でタブーを規範化しているに過ぎない。
ところで人間以外の霊長類でも、インセスト(近親相姦)はめったに起こらない現象らしい。
ただ、インセストの回避とメイト・アウト(思春期に達したオスやメスが自分の生まれ育った集団を離脱したり、加入した集団を再び離脱すること)という、異なる動機に基づいた行動があり、メイト・アウトが結果的にインセストを回避することに貢献していると考えられている。逆のインセスト回避がメイト・アウトを促進する例は少ない。

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2006年10月19日

抜歯って???

縄文時代に広く見られる様式で抜歯というものが有ったそうです。
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今から約2500年程前の縄文時代のこの屈葬人骨(くっそうじんこつ)。
歯をよく見てみると、上顎(うわあご)の犬歯(けんし)が2本ともありません。
これは縄文時代の「抜歯(ばっし)」という風習です。男女関係なく行われていたこの抜歯という風習、行われていた理由は・・・ 🙄

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2006年10月19日

竪穴住居に住んでいた男女の関係は?

縄文・弥生時代の男女関係について、ありましたよ。 興味深い内容です。
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「妻問婚」?とか、「クナド」?などで説明されています。
竪穴式住居の縄文時代も、現在と同じように一組の男女が夫婦( )と、疑問に思っていたんですが、現在と同じ一対婚と言う仮説とは、大きく異なる男女関係の説がありました。詳しくは..........

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2006年10月18日

弓矢を使っている人類の洞窟の壁画

ないとう@なんで屋です。
人類の地上進出 ~動物は畏れの対象から狩りの対象へ~

>弓矢の発明の起源は依然としてその年代の特定には至ってないようですが、「壁画」に描かれる弓矢の姿から、少なくともその時代に弓矢があったことが確認されているようです。
>現在、発見されている壁画で弓矢の表現が残されているものには、フランスのラスコー洞窟にあるものと、スペインのカステリョンの岩陰に描かれたものなどがあるそうです。

この頃の洞窟壁画は、スペインの切手で見ることができます。
◆アルタミラのバイソン◆約18,000年~10,000年前
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◆REMGIA洞窟 「狩猟」の壁画◆
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◆CINGLE洞窟 「弓矢を持つ人々」の壁画
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◆MORELLA洞窟 「戦争」の壁画
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2006年10月17日

縄文時代の集団規模は、共同性規範が行き渡る範囲で決まる

縄文時代の集団規模って一体何から決まったのでしょう?
土地の広さ?取れる食物の量?
色々考えられますが、そういった物的な要因もさることながら、集団維持の出来る、意思疎通可能な規模といった説を紹介します。(佐藤)
続きに行く前に、まずはポチット・・・

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2006年10月16日

「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 4

moso5.jpg性はいつから隠すべき、恥ずかしいものになってしまったのだろうか。 ワラビ村の温泉は、もともと性はおおらかであったことを物語っているし、一夫一婦制(一対婚)の浸透には男女の隔離と性幻想が必要であったことを暗示している。

(石野)

露天の男女混浴という温泉の評判は70年代には寧★にも聞こえ、県の役人も訪れるようになった。そうした中で、男女隔離の政策がある高官から出され、浴槽に塀が建てられたのだそうだ。一度はこの塀はモソ人の手によって壊されたが、再び78年には塀が建てられたのだそうだ。それはモソ人の意見も聞いたもので、1メートルに満たないものだったという。しかし、90年代には現在の立派な建物に建て直された。(上述の温泉の歴史については、中国人ジャーナリストによる紀行文(沈★著、譚佐強訳『西南秘境万里行』恒文社)によった。)現在の温泉は我々が普通に想像する銭湯のようなもの。ただし洗い場はない。湯船には20人ほどなら普通に入れるだろう。湯量は豊富で数週間ぶりの温泉は天国だが、皆が浴槽の中で洗剤で頭や体を洗うため、湯の取り入れ口付近にいたほうがいい。母系社会を営むモソ人の村へ

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