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2006年10月16日

「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 4

moso5.jpg性はいつから隠すべき、恥ずかしいものになってしまったのだろうか。 ワラビ村の温泉は、もともと性はおおらかであったことを物語っているし、一夫一婦制(一対婚)の浸透には男女の隔離と性幻想が必要であったことを暗示している。

(石野)

露天の男女混浴という温泉の評判は70年代には寧★にも聞こえ、県の役人も訪れるようになった。そうした中で、男女隔離の政策がある高官から出され、浴槽に塀が建てられたのだそうだ。一度はこの塀はモソ人の手によって壊されたが、再び78年には塀が建てられたのだそうだ。それはモソ人の意見も聞いたもので、1メートルに満たないものだったという。しかし、90年代には現在の立派な建物に建て直された。(上述の温泉の歴史については、中国人ジャーナリストによる紀行文(沈★著、譚佐強訳『西南秘境万里行』恒文社)によった。)現在の温泉は我々が普通に想像する銭湯のようなもの。ただし洗い場はない。湯船には20人ほどなら普通に入れるだろう。湯量は豊富で数週間ぶりの温泉は天国だが、皆が浴槽の中で洗剤で頭や体を洗うため、湯の取り入れ口付近にいたほうがいい。母系社会を営むモソ人の村へ

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強制圧力による一対婚の浸透と、男女の隔離が進むと、若者たちは解脱の場を求めて、ビデオ上映館やダンス場、酒場に解脱を求めるようになっていく。

温泉のとなりには三軒ほど旅館があり、また夜にはワラビ村の若者目当てに、ビデオを上映するビデオ上映館、ダンス場が開かれる。村の多くの若者はほぼ毎晩、ビデオ上映館やダンス場に遊びにくる。一人5角。(1元の半分だが、一月15元は馬鹿にならない。)ビデオ終了がだいたい夜中11:00ころ。それから彼らは大声で流行歌(チベット出身の歌手が漢語で歌う、チベットの自然を主題とした歌が流行していた。)を歌いながら、帰ってくるのが日課となっている。電気は、ワラビ村までは引かれていない。以前から「来年の春節までには通る」という噂はあったが、2年たった2001年の春節にはまだ通っていない。ビデオ上映館もダンス場も発電機で営業しているのであった。冬には、道端に小さな露天の焼き肉屋(焼★)がでる。鳥の砂肝や足の指の部分、豚の腸などを焼いて食べる。私の友人トディはこの焼き肉屋でモソ人の伝統的な歌アハバラの掛け合いをして楽しんだといっていた。(なお、2002年夏に、ワラビ村に電気が通じたとの知らせを受けた。)

性が隠すものになったとたん、集団課題から個人課題となったとたん、若者たちは、集団の外に解脱を求めるようになる。性市場の発生とも、市場の起源ともいえるのかもしれない。

モソ人m034
に一票m208

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