2006年10月15日
「近親相姦のタブー」はどうして出来たの?
婚姻史を調べていると出くわすのが「近親相姦のタブー(近い血縁関係にある者同士が性的関係を結ぶこと)」。
専門家の間でも「なぜ、近親相姦のタブーがあるのか?」に関しては、、優生学的配慮に求める説、社会的要因に求める説などがあり、必ずしも一致した見解は無いようです。
そこで、人類500万年の婚姻の歴史を遡って考えてみました。
想像を絶するような極限状況の中で奇跡的に生き延びてきた人類集団は、単独集団(周りに他の人類集団がいない)であり、かつ、首雄集中婚であった以上、ここでも父と娘の婚姻(セックス)は必定です。
(るいネット:近親相姦の規範についてより引用)
そして、集団規模が拡大し「族内婚」から「族外婚」へ移行するまでの間、どの集団でも婚姻(セックス)は集団内で完結していました。
「狩猟・牧畜系民族」では、約1.1万年前:男が他氏族へ移籍する、
母系の上位集中型婿入婚に移行するまで。
「漁労・採取部族」は、約6000年前:氏族内の男兄弟が他氏族の
女姉妹のもとに通う交叉婚(母系族外婚)に移行するまで。
500万年前に人類が誕生してから、約1.1万年くらい前まで、婚姻は集団内での近親性交でした。当然、この時代に「近親相姦のタブー」は存在しません。
「近親相姦のタブー」が人類にとって普遍的なものであるような学説を見受けますが、それは事実に反します。逆に、人類にとって近親性交が当たり前だった時代が大半(99%)です。
■「近親相姦のタブー」ができたのはなんで?
集団規模の拡大→集団の分割→氏族間の繋がりの維持、という集団全体の統合の必要により、女(男)が移動する=「族外婚」に転換する必要が生じたから。つまり、それまでの長い期間続けてきた集団内での婚姻をやめなければならなくなったからだと思います。
集団を分割する必要が生じたとき、婚姻での女(男)の移動は、氏族などの集団同士の紐帯をつくるたには最も有効な手段です。だから、集団統合のため、やむなく集団内の婚姻を禁じる必要から「近親性交のタブー」が作られたのではないでしょうか。
「近親相姦のタブー」は、現在の常識(固定観念?)のように近親性交が嫌悪すべきことだから出来たのではなく、むしろその逆で、近親性交をやめなければならないから出来たのだと思います。
近親性交が穢れた行為として忌避される一方で、始祖神話として母子・兄妹などの近親性交が各地で語り継がれてもいます。これは、すでに失ってしまった集団内での婚姻への名残だったのかも知れません。
by sai-k
- posted by postgre at : 2006年10月15日 | コメント (5件)| トラックバック (0)
trackbacks
trackbackURL:
comments
『「戦争」の壁画』は「狩猟」の訓練のように見えます☆
MORELLA洞窟の壁画は、戦争を表象した最も古い壁画の一つと考えられているそうです。4000年前頃のものらしい。るいネットの投稿↓
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=125732
MORELLAの古城はこちら↓
http://www.spain-ya.com/Pages/castle14a.htm
◆genさん
確かに、何かの訓練をしている絵にも見えますね・・・。学者の定義は、「戦争」になっていますが、アヤシイかも。
◆岡さん
るいネットの投稿、読んでみました。ありがとうございます!
hermes gott 共同体社会と人類婚姻史 | 弓矢を使っている人類の洞窟の壁画
共同体社会と人類婚姻史 | 弓矢を使っている人類の洞窟の壁画
comment form