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2006年10月15日

「近親相姦のタブー」はどうして出来たの?

婚姻史を調べていると出くわすのが「近親相姦のタブー(近い血縁関係にある者同士が性的関係を結ぶこと)」。
専門家の間でも「なぜ、近親相姦のタブーがあるのか?」に関しては、、優生学的配慮に求める説、社会的要因に求める説などがあり、必ずしも一致した見解は無いようです。
そこで、人類500万年の婚姻の歴史を遡って考えてみました。

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2006年10月13日

シベリアの究極の狩猟具・細石刃

シベリアのマンモス・ステップ』の続き。
西アジアからアルタイ地方(西シベリア南部)に進出した5万年前の洞穴からは、マンモスの狩りをした証拠が見つかっていない。まだ他の動物の食い残しを密猟する段階。
ところがシベリアに進出する3万年前頃から、狩猟具と見なせる石器が、大量のマンモスの骨とともに各地で見つかるようになる。
2万4000年前のウスチコバ遺跡から出土した石器は、両側に鋭い刃の付いた槍先の形をしている。2万3000年前のマリタ遺跡からは、長さ32.9cmもあるマンモスの牙製の槍先が発見されている。石以外に骨などの素材を積極的に使い始めるのも、この時期の特徴である。
こうした道具の進歩の結果、2万1000年前頃に、究極の石製狩猟具・細石刃が生まれる。

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2006年10月12日

『弓矢』使用の痕跡は石鏃の有無でわかりそう

『弓矢の起源』についてあっちこっち調べてみました。
‘弓’のほうは弓本体も弦も植物製ということもあって、化石などはっきりした証拠が残り難いようです。
それに対して‘矢’のほうは先端に『石鏃』と呼ばれる石器が取付けてあり、これが出土すれば「弓矢を使用していた」証拠と見做されるようです。
%E7%9F%B3%E9%8F%83.jpg ←多様な石鏃のレプリカ
上の写真は『黒曜石の石鏃』というサイトから借用しました。
『石鏃』は黒曜石などで作られる小さく手の込んだ石器で、まるで「精密機械」のよう。
見るだけでも弓矢発明に向けて大幅に観念進化したであろうと想像できます。

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2006年10月11日

『男性社会の遊牧』と『女性社会の採集』

森と人の地球史』というサイトで表題のような比較をしていました。妙に納得してしまったので紹介します。

      ◆遊牧部族◆             ◇採集部族◇

      移動する生活               定住生活

   動物性蛋白質を主食          植物性炭水化物を主食

  強者が弱者を捕食する            群で行動する
「肉食動物的攻撃性向」         「草食動物的協調性向」

従的な採集には女性や子供が参加   従的な狩猟や漁撈に男が参加                         の「父系家族制度」             の「母系家族制度」

 「交易や戦いという足の文化」        「モノ造りという手の文化」

  移動の指標となる星に収束       草花の生長を願う太陽に収束

こうした違いにより、前者は必然的に猛々しい唯一の「人格神」を生み、後者は多彩で温和な「自然神」を持ち続けるのだそうだ。


両者を分かつのは自然環境の違いだったのだろう。自然外圧による生活様式の違いから、男女の役割分担の違いを経て全く違う思考パターンになってゆく辺りは何だかリアルに想像できてしまう。

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2006年10月10日

狩猟と採集を分けないのが常識?

狩猟と採集という生産様式が区分されないのが現在の常識なのでしょうか?
メソポタミア地域で遊牧と農耕がほぼ同時期に発生しているのがその理由だとか。

 1万年ほど前この地で狩猟採集から脱して、遊牧・農耕という2つの農業様式がほぼ同時に発生している。そのためもあって西洋発の文明史論は、「農耕と牧畜といった二項対称の方法は、起源的にも社会構造的の視点からも、妥当なものとは考えられず、異質の2種類の構造類型として抽出することは不可能である」(ブリタニカ・電子ブック版「農耕文化」の項より)という立場を取っている。
(考えればわかることだが)、「遊牧という生活手段は、それまで草原で狩猟を行ってきた民の発明であり、農耕は森の中で採集を行ってきた民の発明であって、もともとはそれぞれ別々に獲得してきた生活手段であり、たまたま中東においてこの2つの生活手段が並行して行われていたとしても、実際には異なった文化であったことは自明の理であり、それを一括に論じることは不自然ではないか。
中村忠之氏のサイトから引用

寒冷化、乾燥化によってそれまでの狩猟や採集といった生産様式では生きていけなくなり、狩猟部族は牧畜、さらには遊牧に、採集部族は農耕に向かって行ったのではないかと思います。
そして、それぞれの生産様式は明らかに生活域の違い、サバンナなのか、森なのか、がベースにあり、当然その環境に適応した生産様式に収束していたものと考えるのが自然だと感じます。
中村氏も指摘されているように、西欧人が自己中心的に作り上げた説が常識とされているのではないかと感じます。
(新川)
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2006年10月09日

シベリアのマンモス・ステップ

アメリカ原住民の婚姻制を紹介したが、彼らのルーツを辿っておきたい。彼らの祖先は、約10万年前アフリカを出た新人(ホモ・サピエンス)が、西アジアから北東のシベリア平原へ向かった北方モンゴロイド=採集・狩猟部族。(インドを通って東南アジアのスンダランドへ辿りついたのが南方モンゴロイド=採集・漁労部族。)
西アジアから西に向かったコーカソイドとモンゴロイドに別れたのは、約5~6万年前とされている。
新人の世界進出図 ←「日本人はるかな旅展」より

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2006年10月06日

世界の暴力連鎖は、『マルツゥ』から始まる?

人類の争いの起源は、平和な狩猟採取生活から略奪を開始した,部族闘争に起源すると思われます。
img01.gif
それが中東発で、紀元前3000年頃、中東地域は急激な乾燥化を迎えて、狩猟採取生活がとても困難になってきていた為です。
『セム系部族社会の形成』のサイトの中で「今日の世界は暴力連鎖のただ中にあり、その一大要因としてセム系部族社会の存在が考えられています。」と書かれてあります。
そのサイトの中にある「マルトゥの結婚」:シュメール語で書かれた粘土板には、町の外に住むマルトゥが、結局、町の有力者の娘と結婚するという物語が,書かれてあり、当時は婚姻制度がどうだったのかを,思い馳せながら読むと.......。

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2006年10月04日

オランウータンの生殖戦略

1000万年前、類人猿の一部がアジア(中国地方)へ流れました。
さらに南下し東南アジアへ移動し、現在のオランウータンとなりますが、そのオランウータンの生殖について少し紹介します。
%EF%BC%92%E6%AD%B3.jpg(2歳)
「オランウータン」
分類: 脊索動物門 哺乳綱 霊長目 ショウジョウ科
東南アジアのボルネオ島とスマトラ島だけに分布する大型の類人猿。
それぞれの島の個体群は亜種とされ、ボルネオ島のものがボルネオオランウータン(P.p.pygmaeus)、スマトラ島のものはスマトラオランウータン(P.p.abelii)と呼ばれます。日本では、ボルネオオランウータンの方が多く飼育されているようです。
オランウータンに見られる性行動は戦略的なものだった?
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2006年09月28日

遊牧の発生と気候変動

人類の婚姻形態の変化には外圧の変化⇒生産様式の転換が根幹に関わっています。中でも農耕・狩猟生産から遊牧生産への転換が、その後の人類の婚姻形態に大きな影響を与えています。9/24のなんでや劇場64~遊牧の発生と私権集団化~では、その焦点である遊牧の発生と婚姻形態の変化について詳細に扱われました。その中から、遊牧の発生の大きな要因となった気候変動について。

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約1万年前ヴュルム氷河期が終わり、西アジアではそれまでの農耕に加え、牧畜が開始されます。しかし、ほどなくミニ氷河期(8200~7800年)が訪れ、一時期寒冷化→乾燥化が進みます。このため、この地域で家畜を飼いながら農耕を営んでいた集団は(ごく一部の恵まれた地域を除いて)流浪民と化し、家畜の餌場と水場を求めて移動する“遊牧”という全く新たな生産様式に転換せざるを得なくなりました。この約8000年前の気候変動=外圧の変化に適応するために、農耕・牧畜民の中から遊牧集団は発生したのです。

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その後、再び2000年ほどの緩やかな温暖期を経て、5800年前にはじまる西アジアの急激な乾燥化によって、一気にこの地域の遊牧民は拡大・拡散し、やがて人類最初の掠奪闘争の幕が切って落とされます。
父系への転換は移動を常とする遊牧生産規範の継承のため に続く。(by笠)



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2006年09月27日

父系への転換は移動を常とする遊牧生産規範の継承のため

 9/24“遊牧部族の父系嫁取婚への転換”を扱った『なんでや劇場』に参加してきたので、気付きと感想を投稿します(文末に配布資料もアップします)。
遊牧部族は季節変動に合せて縄張内を移動していきます。移動するのは10数人(+家畜)程度の小氏族単位ですが、移動時期や移動ルートなどは部族全体で取り決めています(草地の少ない地域では、数百キロも移動する氏族もいる)。
この取り決めを守って集団移動を指揮することが各氏族長の最も重要な役割です。移動時期を間違うと家畜の餌草が不足します。ルートを間違うと大切な家畜が猛獣に襲われたり、餌場に辿り着けなかったり集団存亡の危機に瀕することになります。
牧畜までの“母系婿入婚”のままだとすると、他氏族で生まれ育った“婿”がこの移動を指揮する氏族長を継承することになります。しかし他氏族で生まれ育った者が、移籍先の氏族の縄張り状況(地理・気候)に精通するにはかなりの期間がかかります。よって婿入りして来てから何年かかけて再教育する必要があります。
これに対し、息子を生まれ育った氏族内に残し、その中で優れた者に氏族長を継承させる“父系嫁取婚”の場合は、その再教育の手間がかからず即戦力です。
このように家畜を連れて危険な移動を伴う『遊牧という生産様式⇒移動を指揮する経験蓄積の継承課題』こそが、父系制への転換の最大要因と考えられます。
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