2006年10月19日
抜歯って???
縄文時代に広く見られる様式で抜歯というものが有ったそうです。
今から約2500年程前の縄文時代のこの屈葬人骨(くっそうじんこつ)。
歯をよく見てみると、上顎(うわあご)の犬歯(けんし)が2本ともありません。
これは縄文時代の「抜歯(ばっし)」という風習です。男女関係なく行われていたこの抜歯という風習、行われていた理由は・・・ 🙄
「抜歯」は縄文時代後半から始まり、晩期(約3000~2300年前)には成人のほとんどが行っていたといわれています。健康な歯を抜く儀式(ぎしき)なので肉体的に激しい苦痛を伴うものですが、縄文人にとっては一生のうちで最も大切な儀式の一つだったと考えられています。
こんな痛みをこらえて歯を抜かなければならない儀式とは、一体なんなのでしょうか?
実際に発掘された人骨を観察してみると、抜歯は14~16歳頃以上の人たちに限ってみられます。これは成人式で抜歯したと考えられています。苦痛に耐え、晴れて大人の仲間入りが許されるわけです。大人になるということは大変なことだったのですね。
また2本だけでなく、4本、6本あるいは14本も抜いた人骨が発掘されていることから成人式にまず2本、結婚や再婚のとき、あるいは親しい人が亡くなった際にも抜いたのではと考えられています。人生の節目、節目に抜歯をするので歳をとるほど歯が少なくなっていくわけです。
上図をご覧下さい。これは、関東以西各地での縄文時代晩期の埋葬人骨(まいそうじんこつ)の抜歯例から、歯の抜く型に2つの系列があったことを表したものです。「基本型」は先程もふれましたが上の左右の犬歯2本だけを抜く型です。基本型に加えて、下顎(したあご)の犬歯を抜く「犬歯系列」と下顎の門歯を抜く「門歯系列」があって、この2つの系列は埋葬の仕方などからみて、葬られた人の出身・生まれの違いを示しているというのです。このように抜歯の仕方からいろいろな研究が進められ、結婚の形態など縄文時代の社会のしくみの復元も試みられています。
さて最後に歯を抜く方法ですが、今は歯科医が麻酔(ますい)をしてくれます。ところがこの時代は、石で強く叩くとか、糸をかけて力まかせに引っ張るなどの方法がとられていたようです。縄文時代に生まれていなくて良かった・・・ と胸をなでおろしている人も多いことでしょう。
台湾(たいわん)のある部族やインドネシア諸族の中には、比較的最近まで抜歯の風習が残っていたといわれていますが、今の日本では聞くことはありません。
人生80年。「自分の歯を20本残しましょう。」とテレビで歯科医が指導している番組を見て、文化や風習とは時代とともに移り変わっていくものだとしみじみ感じてしまいます。
抜歯は、部族の一員となった事を示す風習であり、また他部族と容易に見分けが付くように行われたのでしょう。
椎や団栗等の堅い食物が中心であった生活で、歯は人間が生きていく上で非常に大きな役割を果たしていただろう事は容易に想像できます。
その歯を集団の為に献上する・・・
人間にとって重要な事・優先すべき事は何かを考えさせてくれます。
by 鯛焼き
- posted by taiyaki at : 2006年10月19日 | コメント (1件)| トラックバック (0)
trackbacks
trackbackURL:
comments
共同体社会と人類婚姻史 | 逆境⇒どうするを蓄積→結実
comment form