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2006年12月08日

北方の苗(ミャオ)族と南方の倭族1

弥生時代に日本にやってきたのは、『苗族って?』で紹介されている苗族(北方系)ではなく、南方系の倭族だったとの説があります。ただし大陸からは幾度もやってきているので、いずれは北方系に支配されることになります。
長江流域にはもともとの南方系住民である倭族――稲作民族で大地信仰=母信仰――と、北方から移住してきた苗(ミャオ)族――雑穀・小麦文化の担い手で天信仰=父信仰――が混在していたようです。

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2006年12月07日

『トツグ、マク、クナグ』から見えてくるもの

「日本婚姻史」(中山太郎)という本を読み始めました。(詳しくはこちらをどうぞ)
第一章「共同婚」の中の、第一節「共同婚を偲ばせる二三の古語」の中から、“とつぐ、まく、くなぐという古語の内容”がなかなか興味深かったので、ご紹介します。
こちらをクリックしてから、続きをお読み下さい

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2006年12月06日

視覚的に歴史を捉えられるのも構造認識の賜物か?

7月の『サルから人類』に始まった“なんでや劇場”での『実現論』勉強会
先月末の6回目でとうとう『国家成立』=有史時代までたどりついたでー
こうやってサル時代から振り返ってみただけでも、なんともダイナミックな“史観”やなぁ~って実感。
教科書でチマチマやる「世界史・日本史」なんかとはえらい違いや!
そしてこの“史観”が概念装置が機能する礎となってる。
そう言えば毎回劇場で配られる資料もすごい!
年表や地図の上で視覚的に捉え直すことで、より立体的でリアルにイメージできるようになるのはモチロン、同時他地域の出来事の繋がりもスッキリ理解→鮮明に記憶される。
年表や地図にも図解と同様、構造化の効果があるように感じた。
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2006年12月05日

日本の森の豊かさ

日本の森の特殊性や豊かさについて詳しく書かれたデータがありましたので、紹介したいと思います。
稀有の森の王国日本 日本の森の物語 より引用
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2006年12月04日

縄文気質のベースにあるもの(自然外圧編)

>★日本は世界的に見て、掠奪闘争→武力支配を経験した歴史が非常に短い(西洋の1/3程度)。本源集団・本源共認を維持してきた縄文人的精神風土は極めて貴重である。<(11月26日なんでや劇場レポート2
日本人は、掠奪闘争の歴史が浅く、現在においても縄文人的精神風土が残されている民族といえるようです。
では、日本人の縄文気質(本源集団・本源共認を維持してきた縄文人的精神風土)の根源はどこにあるのでしょうか?
日本と日本人の特異性について、自然外圧の面から参考となる記事を紹介します。

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2006年11月30日

苗(ミャオ)族って?

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日本人のルーツを調べていたら、日本人のルーツに関して面白い仮説がされていたので紹介します。それは『苗(ミャオ)族』でした。
ことばのスクラップ『日本のルーツ? 長江文明』より引用します。

6300年前、中国の長江(揚子江)流域に巨大文明が誕生していた事が近年の発掘調査で明らかになっている。メソポタミア文明やエジプト文明と同時期かさらに古く、黄河文明よりも千年以上も早い。長江の水の循環系を利用して稲を栽培し魚を捕る稲作漁撈民であり、自然と共生する「再生と循環の文明」であった。
4200年前に起こった気候の寒冷化によって、漢民族のルーツにつながる北方の民が南下した。彼らは畑作牧畜を生業とし、自然を切り開く「力と闘争の文明」の民であった。彼らはその武力で長江文明の民を雲南省や貴州省の山岳地帯に追いやった。これが今日の苗(ミャオ)族などの少数民族である。
別の一派はボートピープルとなって、一部は台湾の原住民となり、別の一派は日本に漂着して、稲作農耕の弥生時代をもたらし、大和朝廷を開いた、、、
日本人の起源に関するこうした壮大な仮説が、考古学や人類学の成果をもとに学問的に検証されつつある。これが完全に立証されれば、日本人のアイデンティティに劇的な影響を与えるだろう。今回はこの仮説に迫ってみよう。

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2006年11月29日

三内丸山遺跡に400~500人!?

山内丸山遺跡は、1992年に野球場を建設する事前調査において発見されたものだそうです。
後に、この遺跡が大規模な集落跡とみられることが分かり「教科書を塗り替えてしまう遺跡だ。」として騒がれました。
※1994年には皆さんご存じの直径約1mの栗の柱が6本見つけられました。(六本柱建物跡)
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しかし、この遺跡は縄文時代における共同体社会を考えてみても、とても説明できない規模の集落になります。組織化がされていない限り統合できなかったはず・・・。

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2006年11月28日

縄文人と同化

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縄文時代の集団形態や婚姻制度を調べると,必ず和島家族論,水野家族論にヒットする。
①和島家族論では、集団婚 ⇒ 対偶婚 ⇒ 家父長制大家族 ⇒小家族 縄文時代における家族の発展の図式を提言しています。
②さらに有名な水野家族論。彼は、集落―大群―小群という重層的な群構成と部族―家族―小家族というレベルの異なる社会集団とを重ね合わせ、与助尾根における祭式を集落そのものに基盤を置く「広場祭式」、集落~大群間に基盤を置く「葬送祭式」、大群~小群間に基盤を置く「石柱・石棒・土偶祭式」の三類に分類し、集落構造と宗教構造とを一体的に説明し様とした。

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2006年11月25日

中国古代遺跡で発掘された「青い目の女神像」

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中国東北部に位置する遼寧省で、5500年前の紅山文化に属する遺跡から、青い目をした女神像が発掘されています。
モンゴロイド系人種の容貌なのに、青い目をしているのは何でだろう?
このことについて、『古代中国と倭族』(鳥越憲三郎著)に、その謎が解説されています。

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2006年11月23日

ギリシアの私有婚

ギリシアは、クレタ文明→ミケーネ文明を経て、ポリス=都市国家の時代を迎える。
(1)クレタ文明 4600~3400年前
ギリシアに先行するクレタ島の先住民文明。強力な海軍を擁し島々を支配、最古の通商航海民といわれている。女性の地位が高く、女神の方が重要であったことから、父系制に転換していても直近まで母系集団だった可能性が高い。
(2)ミケーネ文明 3600~3200年前
4000年前頃インド・ヨーロッパ語族の一派ギリシア人が本土に侵入、先住民を支配したり混血する。非常に戦闘的で、3600年前頃堅固な城壁をめぐらした王宮が成立。この頃の戦闘は英雄伝説として後世に口伝される。
(3)ポリス=都市国家(共同体国家)時代 2800~2300年前
3200年前頃ギリシア西北部からギリシア人の一派ドーリア人(原始的で素朴)が南下。ミケーネの諸王宮は破壊され、諸部族が玉突き移動する暗黒時代(3200~2800年前)の後、ポリスと呼ばれるギリシア独特の国家が成立する。それぞれが独立国家で、大きいものはアテネの30万人、スパルタの40万人、小さなものは数千人程度。

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