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2006年11月30日

苗(ミャオ)族って?

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日本人のルーツを調べていたら、日本人のルーツに関して面白い仮説がされていたので紹介します。それは『苗(ミャオ)族』でした。
ことばのスクラップ『日本のルーツ? 長江文明』より引用します。

6300年前、中国の長江(揚子江)流域に巨大文明が誕生していた事が近年の発掘調査で明らかになっている。メソポタミア文明やエジプト文明と同時期かさらに古く、黄河文明よりも千年以上も早い。長江の水の循環系を利用して稲を栽培し魚を捕る稲作漁撈民であり、自然と共生する「再生と循環の文明」であった。
 4200年前に起こった気候の寒冷化によって、漢民族のルーツにつながる北方の民が南下した。彼らは畑作牧畜を生業とし、自然を切り開く「力と闘争の文明」の民であった。彼らはその武力で長江文明の民を雲南省や貴州省の山岳地帯に追いやった。これが今日の苗(ミャオ)族などの少数民族である。
 別の一派はボートピープルとなって、一部は台湾の原住民となり、別の一派は日本に漂着して、稲作農耕の弥生時代をもたらし、大和朝廷を開いた、、、
 日本人の起源に関するこうした壮大な仮説が、考古学や人類学の成果をもとに学問的に検証されつつある。これが完全に立証されれば、日本人のアイデンティティに劇的な影響を与えるだろう。今回はこの仮説に迫ってみよう。

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漢民族の南下によって長江の民は次第に雲南省などの奥地に追いつめられていった。その子孫と見られる苗族は今では中国の少数民族となっているが、その村を訪れると高床式の倉庫が立ち並び、まるで日本の弥生時代にタイムスリップしたような風景だという。倉庫に上がる木の階段は、弥生時代の登呂遺跡と同じである。かつての水田耕作を山岳地でも続けるために、急勾配の山地に棚田を作っているのも、日本と同様である。
 苗族が住む雲南省と日本の間では、従来から多くの文化的共通点が指摘されていた。味噌、醤油、なれ寿司などの発酵食品を食べ、漆や絹を利用する。主なタンパク源は魚であり、日本の長良川の鵜飼いとそっくりの漁が行われている。
 また明治時代に東アジアの人類学調査で先駆的な業績を残した鳥居竜蔵は、実地調査から台湾の先住民族・生番族と雲南省の苗族が同じ祖先を持つ同根の民族であるという仮説を発表している。
 長江文明の民が漢民族に圧迫されて、上流域の民は雲南省などの山岳地帯に逃れて苗族となり、下流域に住む一族は海を渡って台湾や日本に逃れた、とすれば、これらの人類学的発見はすべて合理的に説明しうるのである。

確かに共通点は多そうです。この他にも、苗族の習俗で『歌垣』というものが見られるようです。
『歌垣』より引用します。

男女が集会し相互に掛合歌をうたうことによって求愛し,あるいは恋愛遊戯をする習俗で,年中行事あるいは儀礼として行われることが多い。分布は古代日本のほかに,現代では中国南部からインドシナ半島北部の諸民族において濃密であり,フィリピンやインドネシアにも類似の掛合歌が行われている。中国貴州省南東部のミヤオ族の場合では,歌垣はミヤオ語で遊方といい漢語では揺馬郎という。
村には遊方を催す場所が,村はずれの山の背に決められており,2月2日の敬橋節のような祭日や農閑期に行われる。毎晩8時か9時ごろから,夜中の1時か2時ごろまでつづく。女は15~16歳,男は16~17歳になると参加できる。60~70組の恋人が集まり,互いに向かい合って手をつなぎ,軽やかに裏声で恋歌を対唱し,愛情を伝え合い,他の組の邪魔はしない。ベトナム北部のバクニン省の農村では,旧暦3月5日から12日までの村の鎮守の祭りには,毎晩集会所での儀式が終わったあとで,若い人たちは村の門のそばの繁みの下で掛合歌をやった。対になって歌い,その内容は愛をテーマとしていた。それから恋人たちは隠れたところに行って交わったが,その際,少女の同意なしに連れて行くことはできなかった。こうして親密になった二人は,祭日後,結婚することができた。
このような歌垣は,元来は集団的な成年式だったと考えられている。歌垣で婚約し,その後,多くの場合は収穫後に結婚式を挙げるというのが古い形式であったろう。この歌垣を催す民族には焼畑耕作をやっているものと,水稲耕作を営むものとの両方が含まれているが,おそらく元来は山地の焼畑耕作文化の要素であったろう。中国南部では,歌垣の習俗とほぼ重なって,結婚しても夫妻は別居し,しばらく一方が他方のところに通い,子どもが生まれてから同居する不落家の習俗が分布し,日本の妻問い婚を思わせる。

婚姻様式まで同じような形態をだったようですが、もし彼らが伝えたなら、これってもの凄く日本の婚姻史に変化をもたらしたものだったのでは無いでしょうか?
その苗族においても、現代では婚姻様式も当初のものとは違ってきているようです。
『人民中国』より引用します。

超短裙ミャオ族は毎年、茅人節(新芽の芽吹いた枝や葉っぱで作った人形の祭り)を開く。これは、1年1度の「愛の告白」のチャンスで、独特の社交民俗として、その伝統が守られてきた。お祭りは毎年、暖かくなり花が咲き始める旧暦3月中旬から約1カ月間続く。
 いまとなっては、正確な起源を知るのは難しい。伝説上の彼らの祖先は、山中での新生活を始め、共同で外来の侵入者を食い止めるために、兄弟の契りを結び、ともに家族のように助け合うことを誓った。そして、「超短裙ミャオ族同士の結婚を禁止する」との厳しい村の掟を作った。
~中略~
 歴史は流れ、この心を打つ風習は、いまでは、若い男女が恋愛を楽しみ、恋人を探す社交活動に変わった。毎年旧暦3月、超短裙ミャオ族は、歌合わせなどをしながら茅人節を楽しむ。少女は誰もがお祭りの盛装を身につけ、蘆笙(ミャオ族やトン族が使う日本の笙のような楽器)のリズムに合わせて踊り、美声を披露し、丘に登って茅人を立てる。
~中略~
 茅人節は、昔日の同胞の苦い恋愛の歴史を記念しているが、今日では、自由恋愛と自由結婚、それに幸せな生活へのあこがれの恋歌に変わった。いまでは盛大なお祭りで、老若男女が、各地から両汪に集まってくる。娘は盛装を身につけ、歓迎の酒をふるまう関所を設けて、来客を心を込めてもてなす。人びとは、酒を飲み歌を歌い、服装や装飾の美しさを競い合い、夜通しで楽しむ。(2003年2月号より)

そもそも婚姻様式とは、その【集団にかかる外圧状況の変化】がもたらすものだということがよく分かります。
日本人のルーツと何らかの関わりがあることは、共通点の多さからみても我々の遠い祖先であるようには思いますが、もっと調査が必要と感じます。
本当に『婚姻史』って、調べれば調べるほど面白いと思います。集団において最も根底をなすものなので...

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