2006年11月29日
三内丸山遺跡に400~500人!?
山内丸山遺跡は、1992年に野球場を建設する事前調査において発見されたものだそうです。
後に、この遺跡が大規模な集落跡とみられることが分かり「教科書を塗り替えてしまう遺跡だ。」として騒がれました。
※1994年には皆さんご存じの直径約1mの栗の柱が6本見つけられました。(六本柱建物跡)
しかし、この遺跡は縄文時代における共同体社会を考えてみても、とても説明できない規模の集落になります。組織化がされていない限り統合できなかったはず・・・。
- posted by minene71 at : 2006年11月29日 | コメント (2件)| トラックバック (0)