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2021年08月15日

性のエネルギーは肉体を超えて通い合う ~縄文時代の性~

世界各地で平和な精神文明を打ち消すかのように始まった物質文明の社会では、ひと握りの権力者が、その他大勢の庶民を意のままに支配するため、強力な仕掛け必要になりました。その一つが、私たちの命の働きとして、自然に湧いてくる性の欲求や感覚に対して「罪悪感」を持たせることだったのです。

それを最初に始めたのが、多くの信者を集める組織と化した宗教の世界。「入信して祈らないと神様や天使とつながれない」と信じ込ませるために、一人ひとりが自由に高い次元の世界につながる道をふさぐ必要があったわけです。そこでこんな教えが作り出されました。「セックスはあくまで子供を作る目的のためにするもであって、それ以外の性の欲望は、人格を低次元に堕落させる罪深いものである」と。

しかし、人間のセックスは、子づくりのためだけにするものではありません。パートナーと生命エネルギーを交流させて分かち合う、「全身全霊の栄養チャージ」ともいえる営みなのです。だからこそ人間の性衝動は、繁殖期が決まっている動物たちとは違って、季節を問わずに一年中湧いてくるのです。そんな日常的な欲求に対して「罪の意識」を背負わされることで、人類はどれだけ自己評価が低くなってしまったことか。

以下、夏目祭子・著『あなたが目覚める愛と性のギフト』より引用します。

◆縄文時代の性

性が抑圧される以前の人類にとっては、性のエネルギーの上昇は、ごく自然な現象だったはず。つまり生殖器が刺激をうけてウズウズとエネルギーが高まると、それはすみやかに胸までこみ上げてハートを開き、相手のすべてを受け入れる真心となって、周りに美しいエネルギーを放っていく。さらに頭まで上昇すれば、大空や宇宙の星々ともつながるような、スケールの大きな至福を体験できたということ。それこそ性と愛と命の働きが、バラバラではなく、ひとつながりだったのではないでしょうか。

下半身をウズウズさせる性エネルギーが体内を昇り始めると、それは小さならせん形をくるくる描きながら、まさしく蛇が立上るような動きで昇っていくのがわかります。それが全身を貫いて脳まで上昇すると、私たちは日常意識を超えた「変性意識(トランス)状態」を体験するわけです。それは別の言葉で表現すれば、恍惚感、エクスタシーということ。その時、私たちの脳内には、快感ホルモンが何種類も生み出されていて、これが私たちの心の幸福感を高め、体の健康度も増してくれるのです。

おそらく縄文人が、そんな幸福なエクスタシーを日々味わっていただろうことは、彼らが作った土器や土偶のデザインを見れば想像がつきます。土器の表面をびっしり埋めつくす力強い渦巻模様や、繰り返し登場するとぐろを巻いた蛇、燃えさかる炎のようなエネルギッシュな縁飾り。これらはみな、彼らが自分たちの体内にも、自然界にも存在する、うねるように躍動する生命エネルギーの様子を表現したものであり、それを彼らがありありと体感していたことの証のように思えるのです。

火炎土器・土偶

きっと縄文の女性たちは、素足で大地を踏みしめて歩く時、大地から湧いてくる力強いエネルギーを、足裏や膣から吸収して、それが体内を上昇していくことで生まれる、うっとりとした至福感を全身で味わえていたのではないかと思います。
きっと動物の中で、人間だけが背骨を縦にして立ち上がる生きものとなった意義は、ここにあるのでしょう。人間は、背骨に沿って体を貫く「性のエネルギーの上昇通路」を通して、空と大地のエネルギーをつなぐ働きをしているのだ、と私は考えています。それはちょうど、樹木が地中に張りめぐらした根っこ通じて大地のエネルギーを吸い上げながら、空に張り伸ばした枝や葉っぱを通じて太陽のエネルギーを吸い込むことによって、空と大地のエネルギーをつないで循環させる働きを受け持っているのに似ています。
私たち人間は、「樹木の動物バーション」ともいえるのです。

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