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2021年8月10日

2021年08月10日

これからの集団の可能性~母系社会から父系社会への変遷~

世界の婚姻制度を紹介するシリーズの中で、
本来の婚姻形態とは、個人主義発の個人と個人の夫婦関係ではなく、
集団と集団の関係性を重んじるものであることが見えてきました。
(というか、現在でも先進国以外の大半の国が見合い婚などの集団発の婚姻形態なんですよ!)

そこで、今後は婚姻という一時的なものだけでなく、もう少し長い目線で、婚姻のあり方を探っていきます。

まずは、歴史的事実の調査から。
ゆくゆくは、これからの本源社会の婚姻や集団のあり方を追求してみたいと思います!

OIP

「母系社会と父系社会〜日本の家族の歴史〜」より引用

(1)先史時代は母子関係が重要

先史時代の人間は、狩猟採取生活を営んでいました。
このころは「家」というよりも、血縁関係のある集団生活という色が濃かったのです。そうなると「誰が父親か」というのは、割合どうでもいい話だったんですね。

母親が妊娠して子どもを出産するわけなので「生まれた子の母親は誰か」というのは、誰が見ても明らかです。一方で、集団生活をしている以上、父親が誰かなんていうのは正直わかりません。

当時の集団においては、働き手となる人間を確保することが最優先。その働き手を産む母親こそが、最大の功労者であり集団の中心だったのです。
日本では、稲作が伝来し農耕文化が定着し始めた弥生時代においても、似たような状況だったようです。

この点については、武光誠著『日本人なら知っておきたい日本』で次のように触れられています。

この時代の男性と女性の関係は固定しておらず、子づくりの主導権をもつ女性が、その時々で気の合った男性を相手に選んでいたらしい。働き手である人間が貴重であった時代だったので、子供たちは父親が誰であるかを問われることなく、集落全体の子供として大切にされてきた。

武光誠『日本人なら知っておきた日本』P178より引用

 

先史時代においては母親が権力を誇る「母権制」が一般的だったという学説も提唱されましたが、現在では否定的な論調が強いそうです。
なぜなら、こうした状況下においても、やはり力の強い男性が政治的権力を握っていたと考えられるから。

ただ「母親は確実にその子を産んだ親である」という考え方は重要で、これこそが母系制の最も大きな基盤になっている考え方、と言えるでしょう。

そんな中、母系制から父系制に移行する大きな要因となったのが、農耕社会によって争いが増えたことでした。
農業が発達し始めると、農作物の収穫量によって貧富の格差が生まれてきます。すると、富を求めて集団同士で争いが起こるようになるのです。

争いの中心となった男性たちは、自らのテリトリーや集団の繋がりをより強固にするため、自分の血筋を受け継ぐ者たちを後継者にしようと考えました。かつての「血統でなんとなく繋がった集団」ではなく、自らの血統を継ぐ者たちによる「家族」を作ろうと考えたのですね。

結果、父親の血統が重視される父系制へと移行していったようです。

 

★実は昔の人類にとって、「母系制の社会」が当たり前であったことが見えてきました!
(母子関係は決定的なものだけど、父子関係はあいまいだったんですね。)

しかし、私有意識が芽生えはじめると、一気に争いが加速し、力のある男性が強くなっていった=父系制へと移行していったようです。

 

(2)日本は中世まで母系社会が残っていた!

ただ、日本においては、その後もしばらく母系社会が続いていたと言われています。

そこに大きな変化がもたらされるのが、仏教などとともに持ち込まれた中国の政治制度です。中国では父系制が取り入れられていたため、日本でも徐々に父系制が浸透し始めていきました。

真っ先に父系制を取り入れたのが大和政権、つまり今の天皇家ではないかと考えられるのです。当時の先進国・中国の制度を取り入れることで、中央集権体制を強固にしようとしたのでしょうね。

とは言え、天皇家以外ではしばらくの間、母系制が中心であり続けました。

 

実際「源氏物語」では、平安時代の貴族が母系制を取り入れていたことが記されているのです。

その後、高位なところから徐々に父系制が広がっていきますが、中世の武家社会においても、母系を重視する伝統は色濃く残っていました。
形式上は家父長制を取りつつ、血筋においては母親を中心とするという、双系社会的な考え方が一般的だったと言えそうですね。

 

(3)西欧文化の影響は絶大だった

江戸時代には儒教の影響を受け「家」制度が一般化しました。その後、日本において本格的な父系制が定着するのは、明治に入ってからのこと。
文明開化によって西欧の文化が入ってきたことで、結婚制度が劇的に変化します。

それまで柔軟で流動的だった日本の結婚制度は、欧米に倣った「一夫一妻制」が厳格に運用されることとなりました。
これによって、家庭内における男性の権利が一気に強まることとなり、結果的に現在まで続く男女不平等の足がかりになってしまったと言われています。

 

★日本においては、明治時代までは一般庶民においては、母系制が当たり前だった!

日本は柔軟で流動的な結婚制度だったようですが、西欧文化の影響により、厳格な一夫一婦制に変わっていったようです。それが現在まで続いているんですね。

ここまでで、母系から父系への大きな変遷が見えてきました。
ただ、面白いのは日本は約150年前までは「一夫一婦制」は当たり前じゃなかったということ。もっと長い時間を母系制で過ごしてきたということが見えてきましね!

今後はより詳細な母系社会の実態に迫っていきたいと思います。

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