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2021年05月21日

共同体社会にむけて人類の意識構造を押さえる

現代はいかに閉鎖独占で抑圧された社会であり、そこからいかに離脱すべきか前回までのシリーズで扱ってきた。貧困という絶対的な生存圧力を解消した今、もはや現実を形成していく力は人々の意識にあるといっても過言ではない。それを阻害しているのは古い固定観念(支配観念)と、古い支配圧力とそれに基づく様々なパンデミックという自作自演の捏造された企みに過ぎない。今回のコロナ禍はまさにそういう状況を呈している。

そういう企みに踊らされて、どうやら人類は、ここまで生き延びてきた真の力を見失っているのではないだろうか?それが閉鎖独占された様々な場で刷り込まれて思考が硬直しているからそうならざるを得ない。であればその硬直を解くことで再生するはずだが。

今回は人類の脳の構造から、再生の可能性を探りたい。

動物は外圧に適応するため、行動を制御する機能として神経機能を統合して脳に進化したが、哺乳類段階まで来ると大脳新皮質が形成され、後天的な学習記憶がその生存の成否を規定することとなった。そして樹上世界で外敵闘争がなく、必然的に同類闘争が主たる外圧となった真猿段階では共感機能をベースに共認機能を最先端機能として獲得するに至る。端的に言えば集団の結束力が生存を左右する。これは相手の意識(期待)と自己の意識(その期待に応えること)が一致し、そのこと自体で充足するという新機能の獲得であった。人類の共同体もこの構造が原点にある。

さらに人類ははじめから樹上という楽園を失って洞窟で隠れ住まざるを得なかったため、同類どころか外敵や自然外圧と対峙する極限状況に陥る。そこで集団内の相手のみならず、世界全体に対して一体化して(そして同化し期待する)という画期的な世界観に至ったようだ。世界との一体化という究極の至福感こそが人類にとっては唯一最大の活力となったことは想像に難くない。これは右脳で行われているらしい。その認識方法を起点として精霊⇒言霊⇒言葉という観念化を左脳で作り上げてきたようである。ここで重要なのは、まともな思考方法はこの右脳と左脳が連携して作動することにある。現代の閉鎖独占社会における欠陥は左脳しか作用していないことと、その中身が硬直していること。右脳を開放する理由はそこにある。

今回は、その右脳の機能やそれを開放することで共同体社会の人類の意識に触れてみたい。

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すべての意欲、活力の源は、本能・共認機能発=右脳にある

左右の脳の機能分化は進化の過程で、限られた脳の容積をいかすために、すでにある能力を右脳に残し、左脳に新しい能力を割り当てるために出来たもののようです。

右脳は胎児期から活動していて、左脳は生まれた時は全くの白紙で、生後に形成されていきます。
以前に赤ちゃんは天才という記事があったと思いますが、赤ちゃんは右脳だけしか使っていないから天才なのです。

考えてみれば、子供の頃は、通る車種をすべて言えたり、国語の教科書を暗唱できたり、とんでもない能力をもっていたと感じます。
すべての意欲、活力の源は、本能・共認機能発=右脳にある。

大人になるにつれて、左脳が発達していくとどうなるのでしょうか。
現代人の頭の中は、左脳で作り上げた親や学校の支配、勉強圧力、暗記脳、支配・順応観念とどんどん自閉の方向で占められていきます。解放している天才とは真逆です。

どうやら、現代人の大人は、完全に右脳が左脳によって封鎖されている状態といえそうです。

●右脳を解放する突破口は?
子供の外遊びが重要であることは、以前の記事でもあげましたが、右脳(本能・共認機能)を解放する他の方法、大人になってもできる方法を探っています。

一つは、体を使うことです。
・本能そのものの運動神経を使う⇒夢中になって外遊び
・皮膚感覚を使う⇒くすぐりっこ、快感に没入
・腹式呼吸を使った瞑想

また、一見、左脳を使っているようですが、頭を使うのも効果的です。⇒常識に囚われること無く、何、なんで?どうする?の徹底した事実追求も、右脳の解放には有効です。

 

日本が誇るべき縄文文化の本質は「右脳活性」だった! 考古学者・大島直行の日本文化論

「縄文人は私たち現代人とは全く違う物の考え方をしています。従来の縄文人の世界観は、合理性や経済性といった現代人の経験則によって作り上げられてきたもの、実はそれは違うんじゃないかと考えているんですよ」

大島直行の熱弁が会場に響いた。9月18日、茅野市民館コンサートホールにて、八ヶ岳JOMONライフフェスティバルの特別講演会が行われた。それは「縄文人の心 生命と再生をめぐる精神性と世界観」と題され、大島が『月と蛇と縄文人』(寿郎社)、『縄文人の世界観』(国書刊行会)で展開してきた再生のシンボリズムによる縄文文化の読み解きをますますスケールアップしたものとなった。

■再生のシンボリズムとは?

再生のシンボリズムとは、大島がドイツの日本学者ネリー・ナウマンの縄文研究から着想を得た縄文解釈の方法で、縄文人たちは再生のシンボルである「満ち欠けする月」「羊水や精液としての水」「脱皮を繰り返す蛇」「女性の子宮」をレトリック(比喩的)に表現することで、縄文土器や土偶、膨大な数の遺物や遺跡を作ってきたとしている。
日本が誇るべき縄文文化の本質は「右脳活性」だった! 考古学者・大島直行の日本文化論と縄文タトゥーに注目!の画像3.

新著『縄文人はなぜ死者を穴に埋めたのか』は特に墓や埋葬にフォーカスすることで、従来の固定概念に縛られた解釈からの脱却を試みている。そして、一般的な縄文解釈で用いられる「祖先崇拝」「霊魂」「あの世」といったものは縄文時代にはなかったという可能性に言及し、あらゆる埋葬行為を子宮とそれをシンボライズした円(サークル)に集約して読み解いている。

そこでキーワードとなるのが「融即律(ゆうそくりつ)」である。これはフランスの哲学者レヴィ=ブリュルが「未開民族」の心性を説明するために導入した概念で、別々のものを区別せずに同一視する心性の原理をいう。

ブラジルのボロロ族には『わたしはインコである』と主張する人が多くいましたが、それは何かの例えではなく、完全に同一視しており、そのような非合理的な思考を融即律と呼びました。そして、この融即律こそが私が前著で再生のシンボリズムと呼んだ縄文人の精神性を解明してくれると思うんです」

■融即律と8年間右脳だけで生きた学者

ここで融即律を脳科学的な具体例からみてみよう。つまり、論理的な思考をする左脳に対して、融即律とは右脳を積極的に使って生きていくことという。大島は、病気で8年間にわたって右脳だけで暮らすこととなった脳科学者ジル・ボルト・テイラーを紹介し、縄文人の心に迫っていく。
日本が誇るべき縄文文化の本質は「右脳活性」だった! 考古学者・大島直行の日本文化論と縄文タトゥーに注目!の画像4.

「テイラーによれば、右脳だけで生きると物事をカテゴライズしない、男と女とか、上と下とか、そういう区分はなく、常に自分と世界はひとつで幸福な状態だったと言います。そして、右脳だけだと、常にポジティブにひたすら生きることだけを考え、他者、時間、対立、死という概念はなくなっていたのだそうです」

このような右脳が卓越した世界観から縄文人の精神性を理解できるのだろう。新著を参照して補足するなら、融即律という言葉で表現されるような一途で純粋な精神状態であればこそ、ひたすら再生のシンボルになり得る呪術的創作に没頭し、膨大な数の土器や土偶、遺物や遺跡を作り続けていたのだろう。そして、とむらいの概念も必要としなかった縄文人は子宮のシンボライズである穴に死者を戻すことで、再生することを願ったと説明される。

そんな縄文時代が1万年以上も続いたことが世界に誇るべきことなのだ。

「日本の考古学は、縄文の本質はどこにあるのかを解き明かすことができなかったんです。従来の縄文観では、技術的な発展や物量的な量産が強調され、縄文時代も進歩があったと説明されてきました。でも、そうじゃないんです。縄文時代の本質は右脳を活性化させ、1万年間続く人間の生き方を示したことにあります。そのことこそ、世界に発信すべき縄文文化の素晴らしさなんです」

 

右脳の驚異の力その1-2

“その朝、私は左目の裏にひどい痛みを感じ目が覚めました。たとえるのならばその痛みはアイスクリームなどの冷たいものを食べた時に感じるような鋭い痛みです。
その痛みは、いったん生じては消え、また生じては消え、というふうに継続的に発生しました。私はこのような痛みを体験することは初めてでしたが、そのうち消えるだろうと思い起き上がって、いつも通り運動用ローリングマシンに乗りエクササイズを始めました。

少しすると、私はマシンを握っている自分の手が原始的な獣か何かの鉤爪のように見えることに気がつきました。変だと思った私は、その後自分の体を見下ろし、そして自分がなんて奇妙な姿をしているのだろう、と思ったのです。その時私は、 私が私自身をマシンの上から見下ろしているような感覚にとらわれました。とても奇妙な感覚にとらわれ、頭痛がひどくなったので私はマシンを降りてシャワーに向かおうとしました。
しかし、私の体の機能のすべてがとても遅くなり、ぎこちなくなっていることに気がつきました。身体機能も認識能力も制限されているようなその状況の中、なんとか動けるように体に意識を集中して歩きました。浴室に向かう途中、私は実際 私の頭の中の「声」が聞こえるような気がしました、それは「筋肉、縮め」「筋肉、緩め」という指令を出しているです。
しかしすぐに私はバランスを崩し、壁にもたれかかりました。そして自分の腕を見た時、もはや自分の体とその周りの物の境界線がわからなくなっていることに気付いたのです。自分という存在がどこから始まりどこで終わるのかも見分けがつきません。まるで私の腕の分子が壁の分子と
入り交ざって、一体になっているような感覚なのです。唯一認識できるのは、私の体の中のエネルギーです。
私は考えようと努力し、私に何が起きているのかを問いかけようとしました。しかしその瞬間、さっきまで聞こえていた左脳の「声」が完全に途絶えてしまったのです。まるで静寂です。誰かがいきなりテレビのリモコンのミュートボタンを押したかのように、私の中の「声」が消えたのです。

私はその状態にとてもショックを受けましたが、それと同時に私という
存在が周囲の大きなエネルギーと共同体となっている状態に魅了されたのです。もはや体の境界さえわからない私は、自分という存在が周りのエネルギーと一体となり大きく、大きく広がる感覚を感じたのです。それはとても素晴らしいものでした。
脳卒中は重荷やしがらみのない素晴らしい世界。しかしそうしていると、突然左脳が復帰してまた「声」が聞こえるようになったのです。
それら左脳からくる「声」は、「問題が起きた!」「助けを呼べ!」「大変な問題が起きた!」と繰り返し指令を出すのです。私は「これは問題なのだ」と認識し始めました。
しかしまたすぐに、その「声」は消え、私はさきほどのエネルギーの共同体となっている意識世界へと押し戻されました。
私はこのすばらしい空間を ラ・ラ・ランド(陶酔世界)と呼んでいます。そこは本当に素晴らしい世界なのです。外の世界と自分をつなぐ一切のしがらみから完全に切り離されているのです。想像してみてください、
仕事のストレスがすて消え、体が軽くなることを。
外の世界とのすべての関係、ストレスの原因がなくなるのです。平和に満ちあふれた世界です。
37年間ものさまざまな感情の重荷から解放されるのです、どんなにそれは素晴らしいものでしょう、ああ!”
“出典:「logme ログミー
世界をログする書き起こしメディア」様”

かなり長いので、続きはその2でまた引用させていただきます。
これは、左脳の機能が停止した事により、右脳の働きだけになっときの体験を語っておられるのですが、何か気づきませんか?

そうです臨死体験者が、機能しなくなった肉体を離れてまわりのものとの一体感を味わい、至福の状態を経験したことと酷似しているのです。
どういうことかといいますと、右脳は、肉体の領域にとらわれない、無限の潜在意識領域にアクセスする機能を持っているということなのです。
また右脳と、その無限の潜在意識領域はつながっていると捉えてもいいでしょう。
我々はこの右脳を普段は、一部しか使用していません。かなり左脳の機能に偏った生活をしてるからなのです。
ところが脳卒中によって、左脳の機能が麻痺してテイラー博士は、その右脳の機能を左脳に邪魔されることなく、ほぼ完全な形で発揮できたということなのです。
逆にいえば、我々が一体感や、至福の状態になれるような体験をしていれば、右脳の無限の機能が活性化されるという事でもあるのです。
下の動画は、その当人であるジル・ボルトテイラー女史が、脳の仕組みの解説をしてそして自身の体験談を語ってくれた講演会の模様です。
これをみれば、彼女がどれだけの洞察を得たのかよくわかりますし我々が右脳と左脳の機能を理解するのに、彼女がいかに的確に説明してくれているかがわかります。
何より実体験で、右脳から広がる世界を経験して、やはり生死の境をさまよって完全回復するまでに8年間も要した経験からの話なので感動的なものです。あんみんの能書きよりずっとおすすめです。

 

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