2021年05月13日
世界の婚姻制度~インド人は見合い婚が8割!~
世界の婚姻制度シリーズの第3弾。
これまでヨーロッパの紹介が続いていましたが、今回はアジアへ移りたいと思います。
世界第2位の人口がいる、インド。
多数の宗教とカースト制度が強くのこるイメージがありますが、人口が多い秘訣はどこにあるのか。
探っていきたいと思います。
~これまでの記事はこちら~
▶世界の婚姻制度~スウェーデン人は「結婚しない!?」~
▶世界の婚姻制度~スイス人は国際結婚が主流!?~
インド人の5つの恋愛・結婚事情。お見合婚が80%に達する実際とは より引用
■インドのカースト制度に縛られた相手探し
インドには多数の宗教とカースト制度と呼ばれる階級制度があります。カーストというのは職業の世襲制です。
親が低いカーストであれば、その子どもも同じカーストに留まります。
よく日本の江戸時代の士農工商のような身分制度だと説明する人がいますが、そうではありません。代々にわたって、そのカーストから抜け出ることはできません。
唯一、IT業界ではカーストを問わないということなので、将来はそれを突破口にして少しでも改善の方向にいくのではないでしょうか。カースト制度は法律上は70年前に廃止されたのですが、3000年間たった今もインド人の日常生活や心の中に慣習として根強く残っています。
自分の属するカーストに「満足する」というカースト的考え方は、つまるところ上位のカーストの身分を保つためのものであるので、カースト意識は今後も完全になくなりはしないでしょう。最近増えつつある自由恋愛は、都会に住む高学歴で裕福な上位カーストに所属している人たちに限られています。
そして、たとえ恋愛できても結婚まで発展するケースは多くありません。インドでは、
80%がヒンドゥー教徒
残りはイスラム教徒、シーク教徒、仏教徒
などです。ヒンドゥー教徒の彼女がイスラム教徒の彼とつきあい、結婚したいと願ったらどうなるでしょうか。
あるいは、自分より低いカーストの彼と結婚したいと思った場合、どんな障害が待ち受けているのでしょうか。
おそらく、親や親せきに大反対され、事件にまで発展することは、インドでは日常茶飯事でニュースで度々報じられます。
■個人間よりも、家族間の繋がりを大事にする
多くのインド人は、見合い結婚で釣り合いの取れた結婚相手を選ぶ方が恋愛結婚よりも良いと考えています。
その理由は、インドでは結婚は家族間の繋がりであり、個人間の繋がりよりも優先されるからです。
家族のきずなはとても強いものがあります。大家族制度なので両親、兄弟、子ども、孫、時には親せきの人までが一緒に住んでいます。
14~15人家族もめずらしくありません。たいていのインド人家庭は暖かく、子どもたちも素直に育っている場合が多いです。すれていない、といった方があっているかもしれません。
子どもは親を大切にするし、親を悲しませるようなことは極力避けようという態度がみえます。親が勧める結婚に間違いはない、という確信をもっているようです。違うカースト間の結婚は、文化が違いすぎて難しいということは、インドに住んでいた経験がある筆者には納得がいきます。
宗教行事や親せきづきあい、食事(上位カーストは菜食主義)など、日々の暮らしに直結した細々としたことが違います。
■インドでは親が結婚相手を決めることが多い
親が子供の結婚相手をアレンジするのはインドでは普通です。
見合い婚は8割にも達します。
世界の平均が55%なので、異常に高いことがうかがえます。
でも、離婚率が1.1%といいますから、インド人にとってはこのシステムは正しく、好都合なのかもしれませんね。
ただし、最近の新しい潮流としては、「お見合いサイト」が人気とのこと!
親が決めるのではなく、ネットを利用して相手を定めるシステム。
ただし、その中身は日本とは異なるものになっているようです。
■お見合いサイトが若者に人気
最近、若者に人気なのがお見合いサイトです。
プロフィールの登録欄には年齢、宗教、母語、所属カースト、給料、職業、居住国、在外インド人(NRI)、「バツイチ」「子持ち」「死別」などを記載します。それは自分と「釣り合う・同等の」相手を見つけることであって、日本のように「気に入った人」「好みの人」を見つけるためではありません。
インターネットの普及により、見合い婚が以前よりも増えたということです。検索する方も、年齢別、カースト別、出身地別、職業別、給料別に検索でき、自分の条件に合った相手を瞬時に探せるようになりました。
もちろん有料ですが、月額1000円~1200円と低額です。驚くのは、一切まわりに隠さず、大っぴらに堂々と行われていることです。
登録者は本人でなくてもよいので、最近は親や親せきの人が勝手に登録し、登録した親同士が連絡を取り合い、当の結婚する男女の全く知らないところで話が決まっていたということも多々あるようです。
■星占いを重要視
インド人は結婚が決まる前に必ず星占いをしてもらい、その結果を重要視します。
インド占星術はその始まりが定かではないほど古いものです。
輪廻転生の思想に基づいていて、カルマ(過去の世での行為は、良い行為にせよ、悪い行為にせよ、いずれ必ず自分に返ってくる、という因果応報の法則)の考え方が重要視されるのです。少し難しくなりますが、インド占星術はヴェーダという自然科学系の学問の一つです。
それはアーユルヴェーダ(医学)とヨーガ(健康学)と思想、概念、理論を共有しています。
その中で輪廻転生という思想があるのですが、人間は「肉体」「心」「魂」を備えた全人格的存在であるとしています。
輪廻転生とカルマの思想を軸としたインド占星術は、長きにわたってインド人の心の平安を支えてきたものと言えます。
人生最大の行事である結婚を決めるにあたり、占星術師に見てもらうことは、インド人にとって、ごく自然な、当たり前のことなのです。
ヨーロッパや日本では、「自由恋愛」という価値観が一般的でしたが、打って変わってインドでは、「見合い婚」が主流ということが分かりました。
それは、古くからつづくカースト制度に縛られている事情もありますが、その根底には集団を継続させるための婚姻という、集団発の意識が今も根強く息づいているからだと思います。
インドの婚姻事情については、まだまだ深く掘り下げられそうので、次回も続けて紹介ていきます。
- posted by KIDA-G at : 2021年05月13日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
2021年05月13日
性のエネルギーは肉体を超えて通い合う ~プロローグ~
キリスト教の『聖書』では、男性的な「父なる神」が独りで世界を創ったと教えられています。それとは対象的に、日本の『古事記』では、イザナギ・イザナミの夫婦神が「まぐ合い」によって国土を生み出すという国産み神話が語られています。
但し、同じ『古事記』の中でその後の二神は、イザナミが死んで黄泉の住人となり、それをイザナギが追いかけて会いにいった時の行き違いがもとで、手のひらを返したように壮絶なケンカ別れをして終わっています。独りで戻ってきたイザナギは、現代まで神道の最高神とされているアマテラスなどの代表的な神々を独りで産んだことになっているので、結局は『聖書』と同じ流れについてしまったことになります。
★なぜ、男女をいがみ合せるような物語が必要になったのでしょうか?
以下、夏目祭子・著『あなたが目覚める愛と性のギフト』より
人々が手本に仰ぐ神々が、男女でいがみ合って仲違いしたということは、人類の意識に「男女は分かり合えない」という封印がかけられたことを象徴しています。そこから、男女のエネルギー循環の環が崩れたのです。それはつまり、人の世の「和」が崩れたということ。
互いを充たし合う循環ではなく、「男性が女性のエネルギーを搾取する仕掛け」が社会に組み込まれたのです。その中で女性は、男性に奪われ、辱められるという被害者意識が育ち、一方で男性は、判断も行動も自分がリード役を引き受けなければならないという重圧を背負ったきました。
だから女性は、男性の被害者。
だから男性は、女性が重荷。
これは、同じ人間という仲間同士でいがみ合うための仕掛けなのです。互いに相手を、理解し合えない別の人種だと思い込まされること。この仕掛けは、性別が同じ者同士にも応用されて、男女それぞれの優劣の物差しで競争意識が刺激され、「力のある勝ち組」と「力のない負け組」との対立が演出されて、助け合いを難しくしてきました。
なぜ、人々をいがみ合せるような仕掛けが存在するのでしょう?
それは、物質文明の始まりとともに、少数の権力者は、大勢の人々の意識を自分の思いどおりの方向へマインドコントロールするための策略を必要としていました。彼らにとっては、人々が結束して大きな力を持つことがないように、お互いに反目し合ってバラバラでいてくれた方が都合がいいのです。
同性同士が心から信頼し合い、性的にではなくても親密に触れ合うことから生まれる安らぎと快感。それは、性的なパートナーと喜びに満ちた絆を結ぶための土台になるもの。それが揺らぐような、嫉妬と対立意識をかき立てる情報が、この世界ではせっせと広められてきました。
そして、男女が性欲から結びつくことはたやすいけれど、そこに罪悪感や恥の意識がまぶしつけられ、暴力的でエネルギーの奪い合いにつながるような方法でしか交われないないなら、そこからは決して深い安らぎは得られないし、高らかな歓びの境地へはたどり着けません。そうして、大勢の人々の性のエネルギーが抑圧されると、スイッチ一つで「怒り」の感情へと切り替わります。つまり怒りっぽくなるということ。
支配者たちは、使われずに余っている民衆の性エネルギーを、ある時は戦争へと駆り立てることで使わせ、戦争のない地域では、それを激しい経済競争や、あくなき消費欲へと向けさせてきたのです。20世紀以降、言葉にならない欲求不満を抱えた民衆の中には、行き場のエネルギーを、食べ物やアルコール、ドラッグ、ギャンブル、買い物などで晴らす「依存症」に陥る人たちが増え続けてきました。つまりそう、すべては「支配者たちが金儲けできる方向」へと誘導されてきたわけです。その結果が、今のような自然の循環を無視した環境破壊へとつながっているということ。
もし、この世界の人々の、誰もが性エネルギーを通じて全身全霊の歓びで充たし合うことができれば、戦争は必要なくなるし、環境破壊は終わります。だから私たちは、長年刷り込まれてきた、性エネルギーを後ろ暗く重苦しいものに変質させる、あらゆる封印を手放していく必要があるのです。
- posted by KIDA-G at : 2021年05月13日 | コメント (0件)| トラックバック (0)