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2021年5月27日

2021年05月27日

性のエネルギーは肉体を超えて通い合う ~性関係に潜む「所有意識」と「パワーコントロール意識」の超克

互いに魅かれ合った男女が、手つないだりハグするだけで充たされている時、そこに通い合う愛と性のエネルギーは、嘘偽りなく純粋なものに感じられるでしょう。しかし、性器を使った男女関係に入った後からが問題で、そこから相手に対する態度が試されることになります。
一般社団法人「性・愛・命の学び舎」代表理事である夏目祭子氏は、男女の「まぐ合い」は互いの関係を深めていく一方で、愛から遠ざかる働きをする「両刃の剣」の部分も潜んでいると説きます。

以下、同氏の著書『あなたが目覚める愛と性のギフト』から引用します。

実は、性器を使った性行為には、愛とは違った二つのものが付着しています。
それは、「所有意識」と「パワーコントロール意識」。
これらは、何千年も続いてきた男性優位社会の「所有と支配」で組み立てられた歴史の中で、人類の集合意識に染みついてきた心のクセと言えるもの。それが私たちの無意識の部分にも影響を及ばしているから、無視できないのです。

◆性関係につきまとう「所有意識」

「自分は彼に(彼女に)に属している」とか「彼の担当は私!」という意識の中には、理屈を超えた絆への確信や一体感の一方で、「所有意識」という異質なものがつきまといます。
男女同権と言われる現代でも、男性が女性と性関係を持つことを「モノにする」という言い方をすることがあります。そう言われたら「もの扱いしないでよ!」と怒る女性も少なくないだろうけれど、その反面、女の側にも「男に所有されること」を求める意識があるの感じます。
なぜなら、所有されることで「生活が安定する」という約束事が社会にあったから。古代から戦前頃まで、性行為には約束を意味する「契り」という言葉が使われていました。男性の側にも性関係になった女性とは「責任をとって結婚する」という考え方が、バブル以前の1970年代まで生き続けていました。少女マンガにもそういう話がたくさん出てきたものです。

「所有意識」というのは、自分の社会的立場や精神的安定を保障するために、相手を自分のものとして縛りつけておこうとする意図なのです。これは、男女どちらの心にも生まれるもので、これがあるから「割り切ったおつき合いのつもりの性関係」が、しばしば所有欲がらみの修羅場に発展しやすいというわけ。
しかしここには、ただの社会的な約束事では割り切れない、別の要素が重なっています。それは、触れ合いによる快感やオーガズムを通して湧いてくるオキシトシンには、相手に対する愛着の念を脳に刻み込む作用があるということ。だから、性関係に至らなかった相手や、至っても一度か二度の情事で終わらせた相手よりも、何度も交わりを重ねて肌がなじんだ相手との別れのほうが、何か大切な自分の一部を引きはがされるような痛みと欠落感を伴うのです。

交わっても所有し合わない、ただその時「愛おしい」と思えるから一緒にいる、という心で日々向き合えるなら、そのほうが不測の事態を越えて、愛が長続きすると思うのだけれど。ただそれには、男も女も「たとえ一人になっても生きていける」と思える「自立した心」と「経済的な仕組み」の両方が必要なのだと痛感します。

◆相手を自分の思いどおりに操ろうとする「パワーコントロール意識」

もう一つの「パワーコントロール意識」は、所有意識と重なる部分があります。「パワーコントロール」というのは、男女問わず、これまでの人間社会にはつきものの問題で、「相手を自分の思いどおりに操ろとする意図」のこと。
男尊女卑の社会では、男が女を「手ごめにする」、つまり強制的に性関係を持つことで、自分をご主人さまとして服従させるという考え方がまかり通っていました。世界には、今でもこれが続いている地域もあります。性関係が、支配の道具として使われてきたのです。そこには「お前一人では何もできないだろう?」という、女に対する侮りがあったわけです。

たとえそこに恋愛感情があって、そばにいてほしいというのが本音だったとしても、それには「自分の女でいてくれるなら、いい生活を与えてあげよう」といった交換条件がつきものでした。愛と性は「取引き」の道具だったのです。こうして多くの女たちが、愛のない性交や、愛情はあっても尊重を伴わない性交で、「自分のエネルギーを搾取され、奪われた」という心の傷を抱えることになったのです。

だけど実は、傷ついてきたのは女ばかりではありません。生きることにしたたかな女たちは、自分の体が「取引きの道具」として価値があることを逆手にとって、それと引き換えに相手の男性から自分の欲しいものを手に入れることや、目的が果たされたら相手を切り捨てるということもしてきたので、そうされた男たちには、純情を踏みにじられ、侮られ、利用されたという心の傷が残ったのです。

一つ確かに言えるのは、「こうしてくれたら、これをあげる」という取引きの感覚で行われる性行為は、ある程度以上の深みに進むことはできないということ。恋愛にパワーコントロールが絡む時、それは「条件付きの愛」となります。それに対して、性エネルギーは、相手との「取引きの感覚」がない、「無条件の愛」を発している時に、最も自由に通い合い、高らかに飛翔するのです。
今の世界で、そうした「まぐ合い」を謳歌できている人は、いったいどのくらいいるのでしょうか?

きっと、今の日本人の現状は、過去数千年続いてきた愛と性にまつわる価値観が、大きく方向転換する兆しを示しているのです。つまり、セックスレス・カップルの急増は、暴力や恥の意識で歪められた、古いセックスのあり方をリセットするため。そして、おひとり様の急増は、所有欲やコントロール意識で縛り合う古い男女関係をいったんリセットするための現象ではないかと感じます。

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2021年05月27日

共同体社会にむけて右脳をどう開放していくか

前回は、現代の閉鎖独占社会における欠陥が左脳しか作用していないことと、その中身が硬直していることから右脳を開放する理由はそこにあるとし、共同体社会にむけて、本来の人類の意識構造に触れた。

いま、右脳を開放すること、この一点につきる。前回も紹介した、赤子の事例や子供の外遊びなどは右脳が開放された状態であり、その活力には目を見張るものがある。今回は、左脳偏重に陥った現代人の意識からいかに右脳を開放していくか、その方法を探りたい。

重要なのは、言葉=観念のみしか動いていないことからいかに右脳の共認回路やさらに奥にある本能回路とつなげていくか、そしていかに実際に行動するかということのようだ。ノウハウだけ知っていても意味はない。

 

 

(さらに…)

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